一章 2
オリオンに促されて、豪奢な馬車へ乗り込む。そこにはすでに先客がいた。
出入り口を開けて、大きなテーブルをグルリと取り囲むソファ。その最奥に、髪が短くて男らしさのある、十年後のメイベルが座っている。ベアトリスが受けたのは、そんな印象だ。
軽い癖があり、ふわりとしている白金色の髪。薄い紫色の、涼やかな瞳。たとえ髪を伸ばしても、女性では通用しないだろう。その程度には、はっきり男性とわかる顔立ちだ。縁の細い眼鏡をかけているところが、特にメイベルとの違いを鮮明にしている。
後で着替えるからだろう。今のところ、彼は普段着に近い恰好だ。
「タデウス殿下、お久しぶりです」
「本当に久しぶりだね、オリオン。それに、君が僕の顔をきちんと見て挨拶するなんて、初めてかな?」
落ち着いた低い声だ。やはり、メイベルとは違う。
「……そう、かもしれません」
実は苦手意識があるのか。
オリオンの様子を見ていたベアトリスは、ふとそう思ってしまう。
「ふふっ、そちらのお嬢さんが、エリカ騎士団の団長さんかな? 初めまして」
「初めてお目にかかります。エリカ騎士団団長ベアトリスです」
「うん、初めまして。僕はフロース王国第二王子タデウスだよ。第二王子でも殿下でも、僕とわかるように呼んでくれるかな?」
ニッコリ微笑んではいるが、腹の内では何を考えているかわからない。そんな笑みを浮かべているタデウスに、ベアトリスはわずかに怯む。
「ああ、僕は君を取って食べたりしないから、大丈夫。レーニアやヴァーノンで、少しくらいは慣れているでしょう?」
穏やかな声音の奥底に、ひどく冷え切った何かが感じられた。それが、冷水を頭から浴びせられたような気分にさせる。
「さて、エリカの団長さん。君は、ラエティティア王国連邦について、何も知らないんだったね」
「えっと、はい……」
「じゃあ、まずはこれを見てみようか」
言うなり、タデウスはバサリと大きな紙をテーブルに広げた。近寄って覗き込んだベアトリスは、思わず「地図……?」と呟く。
「そう、地図だね。これがラエティティア王国連邦全土だよ。あ、そっちに座って。オリオンも座ったらいいよ」
促されるまま、ベアトリスは地図の正面に座る。そこから正しく見えるよう、タデウスは地図を置いてくれたようだ。
目に入った地図は、水域の中に島がいくつも点在している。それぞれの島が国となっているようで、島の周囲に名前が書かれていた。
「さて、まずは問題です。今回問題になっている、サマラが嫁いでいたフィエリテ王国を探してみようね」
「え……?」
大きな島でも、十はある。小さな島を含めると、いったいいくつあるのか。パッと見ただけでは数え切れない。
端から順に、島の名前を追っていく。
「あ、ありました」
見つけた名のついた島を、ベアトリススッと指差す。
フィエリテ王国の名は、地図の右端にあった。広大な陸地に一番近い、比較的大きな島だ。
「で、そのフィエリテ王国のそばの陸地は、我が国のある大陸だよ。陸地に近いから、フィエリテ王国が中心になっているだけだね。僕は別に、あの国と進んで交流を持ちたいわけじゃないってことは、わかるかな?」
「そうなんですか?」
「あの国の特産品は、それほど魅力的じゃない。というか、大きさはあっても、脆くて加工に向かないんだよ。さて、そんなフィエリテ王国の特産品は、いったい何でしょうか」
説明をしてくれていると思った矢先に、再び謎かけをしてくる。
考えることは、それほど苦手だと思っていなかった。だが、彼の場合、わずかな取っかかりを与えた直後の問いかけだ。そこから知識を総動員して答えを探すことには、あまり慣れていない。
(……えっと、大きさがいろいろあって、加工するもの。そのもの自体に、硬さがあるのかな? ……何だろう?)
ベアトリスは深く考え込む。それでも、答えは浮かんでこない。
「うーん……君はまだ、誰かに贈られたことがないのかな? オリオン、女の子に贈り物を欠かしたらダメじゃないか」
「……申し訳ありません」
なぜ、オリオンが注意を受けて、謝るのか。
どうしても理解が追いつかないベアトリスは、呆然と二人のやり取りを眺めている。
「まあ、そのものを知らないんじゃ、しょうがないね。答えは、宝石。つまり、原石だよ。ただし、フィエリテ王国の質は悪い。同じ原石を受け入れるなら、圧倒的にリュールング産だね」
「宝石って、大きさや色が違うだけじゃないんですか? それから、原石って何ですか?」
着飾った際に、装飾品を見て触れたことはある。だが、あくまで借り物だ。じっくり観察する暇などなかった。
あのキラキラして彩りを添える宝石が、知っているだけのものではない。その事実を、これまでのベアトリスには知る術がなかっただけの話だ。
「ふふっ、勉強熱心だね。そういう子は、まあ、嫌いじゃないよ。まず、宝石には、色や硬さによって、いろいろ名前がついている。その中でも、質の良し悪しはあるんだよ。粗悪なものよりいい物を、となるのは当然でしょう? で、その宝石というのは、土の中に埋もれているものでね。それが原石と呼ばれているわけ。掘り出した原石を綺麗に磨いて、美しく見えるように形を整える。そうして、世の女性をきらびやかに飾ってくれるものになるって寸法だね」
「……あ、あの……宝石が、お好きなんですか?」
熱の入れようが明らかに異なっている。そんな気がして、ベアトリスはつい問いかけてしまう。
「うん、好きだよ。いや、愛している、かな? 特に、磨かれて美しくなった宝石は、たまらなく愛おしい存在だね。だから、粗悪な原石は嫌いで、フィエリテ王国も嫌い。簡単なことでしょう?」
「……これが原因で、破談になってばかりなんですよ」
「へぇ……あのオリオンが、僕に対して、ずいぶん言うようになったね?」
思わずといった体で呟いたオリオンに、タデウスは麗しい、けれど冷ややかな微笑を向けた。眼鏡を指先でちょいと押し上げる仕草が、なぜか恐ろしさを加味している。
オリオンはピシリと全身を硬直させた後、恐る恐るタデウスを見つめる。彼の視線をたどって見たタデウスは、怒っているメイベルに少しだけ雰囲気が似ていた。
「まあ、宝石の次でいい、という女性は、そうそういないからね。僕は無理に結婚したいわけではないし、縁がない方がいいんだよ」
あっけらかんと言い放つタデウスに、オリオンがホッと息を吐き出す。
「ここでまた、探してもらおうかな? さて、リュールング共和国はどこでしょうか」
フィエリテ王国を探している途中で、見かけた名だ。
だいたいの記憶を頼りに、ベアトリスはその名を探す。今度はすぐに見つかった。
「ここです」
大きさは、フィエリテ王国とそれほど変わらない。フィエリテ王国とは適度に距離があり、陸地にはほどほどに近い。立地は、取り立てて悪くない印象だ。
「ところで君は、何か気にならないかい?」
「……えっと……」
決して、意地が悪いとは言わない。しかし、タデウスに言われると、どうしてももっと深いところまで探さなくてはいけない気がしてしまう。
フィエリテ王国と、リュールング共和国。
「あっ……!」
「ふふっ、気づいたかな?」
ほんの少し嬉しそうに、タデウスが笑う。
「リュールング共和国は、どうして王国じゃないんですか?」
「王が治めていないからだよ。リュールングは、国民が指導者を決めている国でね、ちょくちょく代表が変わるけど……まあ、そういう国だからね。間違っても、代表者に『陛下』なんて呼びかけたらダメだよ?」
なじみのない仕組みだからだろう。ベアトリスは大きく目を見開いたままだ。
「ラエティティアには、他にも王制じゃない国がいくつかあるからね。どこでも同じ調子で突っ込んでいく真似はしないように」
「は、はい!」
言われたついでに、ベアトリスは地図を眺めてみる。
地図に見える名の多くは、王国だ。その中に時々、リュールングのような共和国や、単に『国』とだけついているものがあった。
「あの、ここはどういう国なんですか?」
ルーディー国。
ベアトリスが指差したその名を見て、タデウスがグッと眉を寄せる。オリオンも似たような反応だ。
「……ここは、ラエティティアの中でも、ごく一部の国としかつき合いのないところだから、君が直接関わることはないと思うけれどね。代表はいるけど王制ではないし、質の悪い国ではあるから、近づかないのが無難だよ」
周辺を、同じような大きさの三つの島に囲まれている。それがルーディー国だ。他の国とはやや距離があり、つき合いのある国というのが、周辺の三国であることはすぐに察せられた。
(ひょっとして、気難しい国なのかな?)
他から孤立気味なこともあり、独自の文化が根づいているのかもしれない。それを理解するのは難しいゆえに、タデウスの言につながっている可能性もある。
ルーディー国は、地図の左端にある。フィエリテ王国からは特に遠く、リュールング共和国からも決して近くはない。
わざわざ訪れなければ、まず行くことはない。そのくらい、この大陸からは距離がある。
「とりあえず、君にはフィエリテ王国と、リュールング共和国について、しっかりと勉強してもらおうかな。その後、いくつか覚えて欲しい国があるからね」
にこやかな笑みのタデウスが、テーブルにドンと本を置く。一冊ではない。次々に本を取り出しては、どんどん重ねていく。
全部で八冊の分厚い本を、四冊ずつに分けて積み上げた。
「こっちがフィエリテ王国に関するもの、こっちはリュールング共和国関係の話。ザッとでもいいから、目を通してくれるかな? 終わったら、確認を兼ねて質問をするよ。できていたら、次へ行こうね」
「う……は、はい……」
「もしわからない言葉があったら、僕かオリオンに遠慮なく聞いて。わからないまま、放置しないこと。それだけは約束だよ?」
「はい、わかりました」
怖ず怖ずと、ベアトリスは手近な山の一番上を手に取る。こちら側は、フィエリテ王国に関するものだ。
休憩時間を取りながら、馬車はラエティティア王国連邦へ向けて進む。カタカタと揺られる中、ベアトリスはパラリと本をめくり、内容に目を通していく。
手に取った本は、フィエリテ王国の成り立ちやあり方、王家について触れているようだ。別の本には、暮らす人々の話や、気候に特産品など、網羅する形で書かれている。
丸一日かけて、ようやくフィエリテ王国のことを読み終わった。
リュールング共和国に関しても、似たような項目が並ぶ。しかし、書かれている内容は大きく違う。王制になじんでいるベアトリスには、リュールング共和国の有り様は理解しがたいものだ。
二日かけて読み解き、両者が容易に相容れない国であることは、ベアトリスにも理解できた。
「さて、問題です。リュールング共和国では、代表者を何と呼ぶでしょうか」
「その方によって、呼び方が違います。現在は、閣下です」
三日目の朝、ニコニコしているタデウスから、いきなり問いが投げかけられた。それに、ベアトリスはとっさに答える。
「うん、正解だね。軍人だったから、何となく閣下と呼ぶようになったらしいよ。ちなみに、前の代表者は、神殿出身だから猊下だね」
正解にホッとする暇もなく、次の問題が出される。そうして繰り返し、タデウスがようやく合格を言い渡す頃には、三日目が終わっていこうとしていた。




