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四番街の弓姫は新米団長  作者: 日咲ナオ
第三章 徒花
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五章 2

 暗くなってから会うことは、三日に一度。明るい時間に会ったのは、マラキアとの一件があった時が最後だった。

 今日はまだ、夕暮れ時だ。燭台がなくとも、そこにいることがはっきりとわかる。そんな時間に会えるのは、本当に久しぶりのような気がしてしまう。

 それが、見慣れたいつもの恰好ではなかったから、なおさらだ。

(……えっと、やっぱり、正装、かな……?)

 華やかに着飾っているわけではないから、盛装ではないだろう。だが、それを聞くことは、何となくためらわれた。

 暗い緑色で、銀糸の繊細な刺繍が施されているジュストコール。白いクラヴァットが、やけに眩しく映る。普段は左肩の辺りで縛り、胸元へ垂らしている髪も、首の後ろできっちりまとめられていた。

 服装ゆえか、髪型が原因か。オリオンの印象がずいぶん違う。それゆえに、余計に戸惑ってしまうのだ。

 対するベアトリスは、当初の予定と違っている。まるで、オリオンとわざわざ色を合わせたようだ。それが何となく気恥ずかしいらしく、ベアトリスは珍しく緊張した面持ちで立っている。

 普段は軍靴で足早に歩くベアトリスには、踵の高い靴は無理だろう。そう判断されて、ぺたんとした靴が用意されていた。おかげで、身長差も、いつもと変わりない。

 だからこそ、ますます、見慣れない服装にどぎまぎしてしまうのだ。

 身じろぎするたびに、ふわりゆらりと動くやわらかな袖のように。今立っている場所がフワフワして、頼りないものに感じられる。

「アマリリスの団長、どうかうちの団長をお願いしますね」

「わかっています」

 やや顔を引きつらせているものの、真っ直ぐ見つめるウルスラから視線を外さない。そんなオリオンに、ベアトリスは軽く首を傾けた。

(……父様のところで、慣れるくらい、ウルスラさんと会ってたの?)

 こっちは、ここひと月ほど、団長の仕事以外ではほとんど会った覚えがないのに。

 急に、もやもやした何かが湧き上がり、無性に落ち着かなくなる。両手を胸元で重ね、ギュッと指先を絡めて握り締めてみた。

 それでも、ザワザワする心は、一向に静まらない。

「団長……今だから言いますけど、アマリリスの団長は、人見知りを治そうとしているんですよ。初対面の無害そうな人間が、もし団長に危害を加える目的を持っていたら。そういったことを考えたようで、せめて視界の中に入れておけるように特訓する、とのことです。私は微妙に慣れがなかったので、体のいい実験台だったそうですよ」

「え……?」

 うっかり、顔に出ていた。

 それを恥じると同時に、ウルスラが語った話に気を取られる。勢い余ってオリオンを見上げれば、とたんに彼は、赤くなった顔をフッと背けた。

「もちろん、団長のためにその程度ができないようでしたら、私が常につきまとって団長を守ると宣言しましたので、やる気はあるでしょうね」

 ウルスラが『常に』と言うなら、それは言葉どおりの意味だろう。本気で、四六時中、つかず離れずつきまとうに違いない。

 それこそ、風呂の中はもちろん、寝室まで。

「まあ、だからといって、団長を放っておいていいわけじゃありませんけどね?」

「……申し訳ありませんでした」

 チクリと突き刺すように、ウルスラが呟く。オリオンはばつが悪そうに、小声で謝罪の言葉をこぼした。

(あ……)

 それが、なかなか会えなかった理由だったのか。

 もちろん、それひとつだけが原因ではないだろう。けれど、少しでもわかったことで、ベアトリスは感情がスッと凪ぐのを感じた。

「ねえ、アマリリスの団長。うちの団長から浮気を疑われる前に、ご自分で事前に説明するようにしてくださいね? 私、今後は誤解を解くことはしませんから」

「……え?」

 唐突なウルスラの言葉に、オリオンが目を丸くして絶句する。ベアトリスは、怪訝な色を混ぜた表情だ。

「オリオンさんは浮気なんて、しないと思いますよ?」

 ベアトリスがボソリと呟いたとたん、オリオンがふわっと真っ赤に染まった。左手で口元をしっかりと覆い隠し、久しぶりに体ごと壁と向き合っている。

 ウルスラは、驚いたのか呆れたのか、ひどく微妙な顔へ変わった。わずかながら、憤りも混ざっているようだ。

「……そりゃあ、アマリリスの団長は、団長のことが私や伯と同じくらい大好きですからね。そもそも、できるような性格の人じゃないとは思いますよ? でも、私が言いたかったのは、そういうことじゃないんですけど」

「じゃあ、これからは早めに教えてくれたら、それでいいですよね?」

 ニコニコしながらあっけらかんと言うベアトリスに、ウルスラはあっさりと負けを認めた。

 両手を軽く持ち上げた瞬間、ウルスラの服から紙切れがヒラリとこぼれ落ちる。

「これだから、団長には敵わないんですよねー。無意識の恐ろしさは、完璧にホートン候譲りですけど」

「……私も、今後は気をつけますね」

 まだ壁を向いたままのオリオンが言う。

 彼をチラリと見ながら、ベアトリスは床に落ちた紙切れへ目を向ける。

 落ちた紙切れには文字が書いてあるが、かなり小さい。その上、ベアトリスが見たことのない文字で、さっぱり読めなかった。

 ベアトリスが拾う前に、ウルスラがサッと落ちた紙切れを拾い上げる。

「団長にはまず読めませんけど、読める人間はゼロではありませんから」

(……父様や、他の方との、連絡用……?)

 本心を覆い隠す笑みを浮かべたウルスラに、ベアトリスは察するしかない。

「先に行っててもらえますか? すぐ追いかけますから」

 知っている間諜が、連絡に来たのかもしれない。

 ふと、そう感じられて、ベアトリスは大きくはっきりと頷く。それからオリオンを促して、並んで大広間へと歩いていった。


         ‡


 大広間の一階の入り口。そこから、新しく血縁者と知った二人と、ミランダは並んで入っていった。

 キラキラと輝く金色の髪を持つ人間が、いきなり三人も入って来たのだ。当然、人々の視線は一気に集まる。

 チクチクと刺さる、値踏みするような視線にさらされ、ミランダは落ち着きがなくなった。

「ふふっ、お姉様がお綺麗だから、みなさん見てますわ」

 どこか能天気なシルヴィアの物言いに、ミランダは思わず苦笑いをこぼす。

「当然だろう? 私の娘なんだからね」

「お姉様がペトラさんに似て、よかったですわね」

 ふふん、と鼻を鳴らしたランソム候が、グッと胸を張った。とたんに、シルヴィアから冷ややかな突っ込みが入る。

 二人とも、ニコニコとご機嫌な様子で、こんな毒々しい会話を交わしているのだ。

 貴族の世界に不慣れなミランダは、すでにいっぱいいっぱいらしい。二人の会話も、ほとんど聞こえていなかった。

「……あ、そういえば、シルヴィア……は、エスコートしてもらわなくていいの?」

 確か、貴族令嬢は、誰かについていてもらうはず。ふとそんなことを思い出して、ミランダは慌てて問う。

 出会った当初、様づけで呼んで叱られている。それも、そんな他人行儀なんてやめてください、という、とんでもない叱られ方だ。気をつけてはいるものの、どうしても敬称をつけそうになってしまう。

「今日はお姉様の護衛ですから、心配なさらないで。元々、今日は婚約者が不在ですし、お姉様がいらっしゃらなかったら、わたくしは参加しない予定でしたの」

「そうそう。ミランダは笑って、黙っていれば大丈夫だよ。あとは全部、私とシルヴィアで対応するからね」

 どうして、今まで放っておいた自分を娘と認めるのか。その疑問を、引き合わされて早々に聞いたことがある。

『ずっと、探していたんだ。でも、ペトラが上手に隠れてしまってね……なかなか見つけられなかった。君が騎士としてここへ来て、噂にならなかったら……きっと、今もまだ会えていなかったはずだ』

 懐かしさに目を細めて語る父に、ミランダは納得してため息をついた。

 引っ越すたびに、母はそこにいた痕跡を消すように、念入りに準備をして発っていた。そんなことをしていた理由が、今初めて理解できたのだ。

(母さんは、父さん……えっと、違う。父様から逃げてたのね)

 娘にしろ息子にしろ、足りなくなった時には、こうして手駒のような扱いを受ける。それがわかっていたからこそ、徹底的に逃げていたのだろう。

 育った環境も、言葉遣いも、何もかも違う。

 割り切って身を引いた以上、何があっても関わらないのが得策だ。

(貴族が、こんなに面倒くさいってわかってたら……)

 心を、許さなかったのに。

 フッと思い出してしまって、足元へ視線を落としたミランダは小さく息を吐き出す。

「おお、ランソム候! そちらのお嬢さんは、どなたかね?」

 ぶしつけな視線に、ミランダはギュッと拳を握る。

 恐怖や不安を感じても、父親や妹に頼ることはしない。まだ、できない。

「久しぶりですね、ローレンス候。紹介しましょう。我が娘ミランダです。いやあ、母親に似て、なかなかの美貌でしょう?」

 ニコニコした笑みだが、目は笑っていない。

 緊張しながらも見上げた先で、そのことに気づいた。ミランダはゆっくりと、恐る恐る、父と話すローレンス候を見つめる。

 初老の男性だ。髪には白髪が多くなっていて、かろうじて栗色の髪だったことがわかる。顔に深く刻まれたしわは、どことなく性格の悪さがにじみ出ていた。

(……ひょっとしてこの人、団長の敵かも?)

 大ざっぱな話だが、貴族には三種類あると聞いている。

 ひとつが、ベアトリスの父親であるモデスティー伯と、懇意にしている者。もうひとつが、そんなモデスティー伯を快く思わない者。残りは、どちらにも属さない者。

 ミランダが聞いた限り、彼女の父親はどちらにも属さない。ただし、今は、エリカ騎士との関わりを多く持っている。それゆえに、ややモデスティー伯寄りと思われても仕方がない。

 事前にそう、簡単な説明は受けている。

 不参加だったはずのシルヴィアがいるのは、そういった相手からミランダを守るためだ。

 表立って、敵意を表してはいけない。その忠告も受けているものの、これまで取り繕ったことのないミランダに、それは難しい。

 知らず知らず、ローレンス候をじっとりと睨む形になる。

「……おや、ミランダ嬢は私が気に入らないようだ」

「あら、お姉様は今まで、庶民として暮らしていらしたのだもの。自己紹介もなしにぶしつけな視線を向ける殿方に、不審な目をうっかり向けてしまっても仕方がありませんわ」

 シルヴィアがさりげなく、ローレンス候とミランダの間に立つ。だが、完全にミランダを隠しているわけではない。

「それに、わたくしもまだ、思う存分お姉様とお話していませんの。お姉様との縁を望むのでなければ、わたくしに姉妹としての時間をくださるかしら?」

「こら、シルヴィア。まったく……この子の想像以上に、ミランダが美しかったようでね。なぜもっと早く引き合わせてくれなかったと、今日の午後に会わせてからずっと責められっぱなしですよ」

 クスクス笑いながら、トゲを隠さないシルヴィア。そんな彼女を窘める振りをしつつ、彼女の言うとおり、とっとと去れ、と暗に伝えるランソム候。

 彼らのやり取りに、ミランダはひたすら目を見張るばかりだ。

「ねえ、お姉様。わたくし、会ってみたい方がおりますの。ご一緒にいかが?」

「え? あ、うん……」

 誰かはわからないが、シルヴィアが会いたいと言うなら、それほど悪い人間ではないだろう。少なくとも、この場に留まるよりはマシだ。

 そう判断したミランダは頷いて、小声で承諾する。とたんに、シルヴィアはパッと破顔した。

「お姉様はお優しくて素敵ね! わたくし、お姉様がお姉様で、本当によかったと思っていますわ」

「えっと……わたしも、シルヴィア、が妹でよかった、と思うわ」

 たどたどしく告げたミランダに、シルヴィアがギュッと抱きつく。

 顔立ちにも性格にも、似たところはほとんどない。髪と瞳の色が違っていたら、姉妹と言われても信じがたかっただろう。

「では、行きましょう?」

 スッと握られた手を、グッと引っ張られる。ヨロリとよろめきながら、シルヴィアに引きずられるようにその場を離れた。

 スタスタと歩くシルヴィアは、目的があるようだ。迷いのない足取りは、不安を覚えた今、とことん頼もしい。

 そんなシルヴィアが、不意にピタリと足を止めた。

「……ところで、お姉様」

「どうしたの?」

「エリカ騎士団の団長は、どの方でしょう?」

「……え?」

 何を言われるのかと思っていたら。

 至極困った様子のシルヴィアに、ミランダはついついクスクスと笑いをこぼす。バッと勢いよく振り返ったシルヴィアは、キッとミランダを睨んだ。

「……お姉様?」

「あ、ゴメンなさい」

 咎める口調のシルヴィアに、急いで謝る。それから、キョロキョロと辺りを見回してみた。

 誰も彼も、知り合いと楽しそうに話しているようだ。その中には、見慣れた姿はない。

「……まだ、来てないかもね。アマリリスの団長も、いないみたいだし」

 ベアトリス一人なら、埋もれてしまってわからないかもしれない。だが、今日は必ず、あの目立つオリオンと一緒のはずだ。

 ひょろりと背が高く、彼以外にはいないと思われる黒髪。それは、何よりも目印になる。

「そういえば、アマリリスの団長が婚約者に決まったそうですね。今日は、エリカの団長は大変そうですわ」

「……そうなの?」

「お姉様はご存じないでしょうけれど、アマリリスの団長の家は複雑ですの。これまで邪魔者扱いしておいて、今頃、自慢の息子と態度を変えているでしょうね」

 吐き捨てる言い方をしたシルヴィアに、ミランダは一抹の不安を覚えた。

 何しろ、あのベアトリスだ。あちらから接触してきたら、恐らく、いつもの調子で容赦なく、バッサリと切り捨てにかかるだろう。

 もし、オリオンの家が格上だったらどうなるのか。

 もめ事を起こしたことで、ベアトリスが責められるのでは。

 そう考えたらもう、いても立ってもいられなかった。

 サーッと、血の気が引いていく感覚がする。

「ね、ねえ、シルヴィア。団長の家と、アマリリスの団長の家とだと、どっちが上なの?」

「え? 家柄で言えばメッシーナ家だけれど、権力を持っているのはモデスティー家ですから、それほど暴挙には出ないと思いますわ」

「じ、じゃあ、うちの団長が何か言っちゃっても、大丈夫?」

「先に手を出すか、今すぐ命を絶ってしまえばいい、といった類いのことさえ言わなければ、メッシーナ家には何もできないと思いますけれど……エリカの団長は、いったいどんな方ですの?」

 青ざめて慌てふためいているミランダに、シルヴィアも一気に不安を煽られたようだ。

 どの出来事を伝えたら、最もわかりやすいか。

 いろいろ思い返すうちに、つい最近のことがふと頭を過ぎる。

「……シンティア王女の滞在中に、裏で画策されてピンチになったせいか、種明かしをしたガザニアの副官を、怒り任せに平手打ちしてた……」

「…………」

 あまりに予想の外側へ、大きくはみ出していたのか。シルヴィアは唖然とした表情で、口をわずかに開け、かなり間抜けな顔を披露している。

「あ、もちろん、前もって団長に何も言わなかったからってのと、団長は室内にいて状況が全然わからなくてすごく不安だったから、みんなが無事だった安堵と、騙された怒りが大爆発だったみたい。普段は、妙なタイミングで微妙にずれたことを言うくらいで、そんなに害はないから。えっと、団長のおじいさん? そっくりな言動だって」

「……ホートン候……ああ、それは確かに、いろいろと心配になりますわ……」

 シルヴィアが重々しいため息を吐き出した。

 本当に、まったく悪気なく、とんでもないことを言い放つ。そう知られているホートン候と、ベアトリスは同じなのだ。

 厄介以外の何ものでもない。

「……とりあえず、先に手を出さなければ、エリカの団長は負けませんわ」

 げんなりした様子のシルヴィアだが、きっぱりと言い切る。それを聞いて、ミランダはふわりとやわらかな笑みを浮かべた。

「……お姉様は、エリカの団長が大切なのね」

「うん。父さんと初めて会った時、すっごく回りくどいんだけど、わたしが父さんの探してる娘かどうか、ちゃんと確かめてから会わせてくれたの。それも、ちゃんとゆっくり会って話す時間があるかどうか、わかってから。他にも、わたしたちが他団の騎士たちに意地悪をされてないかとか、あれこれ気にかけてくれてて。小さい体で、わたしより年下なのに、いっぱい頑張ってる子なんだよ」

「……やはり一度、お目にかかってみたいわ」

 頬を上気させ、目をキラキラと輝かせて熱く語るミランダに、シルヴィアがボソリと呟く。

「でも、その前に、お姉様にわたくしの友人を紹介しますわ」

「え? えっ?」

 再びしっかりと手をつかまれて、ミランダはシルヴィアに引きずられていった。

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