四章 3
三日後には、ベアトリスとオリオンの婚約が正式に発表される。その際、ベアトリスの護衛には、エリカ騎士が当たることに決まった。
どうやら、元々、ベアトリスにエリカ騎士をつける算段だったらしい。
エリカ騎士たちも、その日にウルスラがエリカ騎士であることを公表し、戻ってくると知っている。それゆえか、誰もがその日を心待ちにしているようだ。
宿舎のサロンで、当日の配備などを考えていたベアトリスは、ふと顔を上げてミランダを見る。
昨日から、彼女はため息ばかりだ。一昨日は少し浮かれていたから、わずかな間に何かあったに違いない。
けれど、聞き出しにくい雰囲気があった。
「ミランダ、お父さんが来たって」
「……わかったわ」
フラリと立ち上がって、フラフラと歩いていく。その足取りは、どこか危なっかしい。
こんなにも覇気のないミランダは、やたらと不安や心配を煽る。
「……ミランダさん、何かあったんですか?」
姿が見えなくなって、しばらく間を空けてから、ベアトリスはそっと問う。
一緒にいることの多い他の騎士たちなら、何か知っているかもしれない。そう思ってのことだ。
「……失恋? っていうの?」
「とりあえず、忘れようとしてるのは確かだよ」
数人が口々に、似たようなことを口にする。
「……ミランダさんが、ですか?」
元々、綺麗で整った顔立ちだ。しかも、新しい環境に慣れてきたからだろう。最初の頃は目についた尖った部分も、今はずいぶん丸くなってきた。素直じゃないが、それゆえの可愛いところがある。
つき合いのある他団の騎士にも、その辺りが存分にわかる頃だ。
もしかすると、相手の家柄があまりによかったのか。
まずはそう考えたベアトリスだが、彼女はランソム候の娘だ。父親が認めている以上、本来の令嬢とそれほど変わらない扱いのはず。
(ランソム候より上で、騎士をしているとなると……オーソンさんくらいでしょうか)
だが、オーソンは、気になっている騎士として名が上がらなかった。その線はない。
(あとは、相手の家柄がすごく見劣りする場合?)
上から数えた方が早いランソム候だ。ミランダが気になる相手が、下から数えた方が早い家の場合は、縁が結べなくとも無理はないだろう。
しかし、そこにも疑問が残る。
あのランソム候のことだ。結婚相手にすでに目星をつけているなら、早いうちにミランダへ伝えているだろう。
自由に選んでもいい、と言ったとすれば、後から釣り合わないと拒否することは、やはり考えにくい。
「何かね、お父さんから、結婚相手は誰がいい? って聞かれて、今は保留してるんだって。ミランダからしたら、いいな、って思ってる人でも、相手がどう思ってるかは別問題だから」
「で、好きな人がいるか、って聞いて、単に「いる」って言われたら……やっぱ振られたってことでしょ? 引き裂いてまで手に入れても、こっちを見てくれないんじゃ意味ないもの。そこが難しいところよね」
ビビアンやテレシアが、ざっくりと教えてくれる。
それを聞きながら、ベアトリスは唇の下にそっと手を当てた。
「そうなんですか? というか、誰にそんなことを?」
「アマリリス騎士の、フェリックス様だって」
名前を聞いてもピンとこないベアトリスは、軽く眉を寄せて首を傾ける。
今まで、ベアトリスとは接点のなかった騎士だ。そもそも、魔法使いのアマリリス騎士とは、用もないのに話すことがない。向こうから寄ってこない限り、ベアトリスには名前と顔がまず一致しないのだ。
「団長は、知らないよね。私も、いることを知らなかったくらいだから」
影が薄いのか。はたまた、性格的に控え目なのか。魔法の勉強でアマリリス騎士に世話になったビビアンですら、よく知らないらしい。
「地味な人ですよ。目を引く、派手な印象のミランダとは、まさに真逆の人でしょうね」
やはりアマリリス騎士とは接点のあったメルルは、もう少し知っているようだ。ただ、具体的な容貌を説明することは難しいのか。それ以上、語ることはできないふうだ。
「あー、あの人かな? あんまり覚えてないけど、よくミランダと話してたかも」
「でも、アマリリス騎士って、ビビアンとミランダによく話しかけてたでしょ? 誰だか、本当にわかる?」
「……んー、無理かも」
プリシラとテレシアが思い出しているようだが、それでもはっきりしない。
「アマリリス騎士の、フェリックスさんですよね?」
「うん。……あ、団長、乗り込む気?」
メルルに突っ込まれて、ベアトリスは曖昧な笑みを浮かべる。
別段、乗り込むつもりではない。呼び出して、手っ取り早く真偽を問うだけだ。
「あたし一人だとちょっと問題になるらしいので、できればどなたかご一緒に……」
同行者を募ったところ、居合わせた全員が手を挙げた。しかし、十人近くで動けば、嫌でも目立ってしまう。ミランダの耳にも、すぐに入るかもしれない。
できるだけこっそりと、知られないように、真意を聞き出したいのだ。
「ねえ、団長。アマリリスの団長に立ち会ってもらうのはダメなんですか?」
「それが、あたしには、オリオンさんがどこにいるのかわからなくて……」
このところ、確かに互いに忙しい部分はある。しかし、夜回り番でしかまともに顔を合わせていないというのも、明らかにおかしい。
行き会わない不自然さが、誰かに作られているような。そんな、嫌な感覚を味わわされている。
「あとは、ガザニアの副官とか」
「オーソンさんですか? ……面倒に巻き込むな、と言われそうです」
他人の色恋沙汰というごたごたには、引っ張り込まれたくない。きっぱりと、そう言いそうな人だ。
ベアトリス自身、エリカ騎士が絡むのでなければ、正直関わりたくはない。
「じゃあ、私が行こうか? 私なら既婚者だし、変な誤解もされないでしょ」
スッと手を挙げて提案したのは、栗色のやや長めの髪を首の後ろでひとつに束ねた女性だった。二十五歳と最高齢で、この場にいるエリカ騎士唯一の既婚者アグネスだ。マーセラも既婚者だが、今は訓練で席を外している。
「足りないなら、マーセラも回収して向かえばいいでしょ?」
「いえ、アグネスさんがいてくだされば十分です。それに、マーセラさんの訓練の邪魔は、できませんよね……」
訓練好きが高じて傭兵となり、そこで出会った人と結婚し、とうとう騎士になったマーセラだ。彼女の趣味を邪魔する権利は、誰にもない。
「じゃあ、ちゃちゃっと行って済ませちゃおうよ。ミランダが貴族の娘だって、団長の婚約発表と同時に暴露するんでしょ? いい笑顔でいて欲しいし」
「えっ、そうなんですか?」
「……何で団長が知らないのよ」
驚くベアトリスに、横からメルルがサラッと突っ込む。
「あたしは、隠しごともうっかりしゃべっちゃいそうなので、当日いきなり知らされることが多いですよ?」
「……あー、うん。何か、わかる」
テレシアを始めとして全員が、きっぱりと肯定している。
最初のぎこちなさを思えば、ここまで理解してもらっていることが嬉しい。反面、団長として、頼りないと思われていないか。そこが不安になってしまう。
「とりあえず、フェリックスさんに聞いてみます」
聞いた結果を、ミランダがいない時に、全員に伝えるはめになるだろう。それが痛感できる、居残り組のキラキラ輝く瞳に、ベアトリスは思わず苦笑いをこぼした。
エリカ騎士の宿舎から外へ出ると、なぜかランソム候と出くわした。
「ベアトリス嬢、ちょうどいいところに」
「あの、ミランダさんは……」
ミランダが呼び出されてから、さほど経っていない。話が終わったとしても、ミランダとすれ違わないのは不自然だ。
「少し一人になりたい、と言われてしまってね。……ベアトリス嬢、恥を忍んでお願いする。もし知っていたら、ミランダが好意を寄せている男性の名を、教えてくれないか?」
「え……?」
驚きでビシッと固まるベアトリスと違い、アグネスは素知らぬ振りを貫いている。相手は貴族だ。下手なことを言えないと、あえて口をつぐんでいるのだろう。
「なぜ、ですか?」
「……ミランダには言ってあるが、私が彼女を探していた理由は、跡継ぎが欲しいからだ。そのために、ミランダを探していた」
元から、貴族の事情には明るくないベアトリスだ。彼の言葉が事実かどうか、はっきりとはわからない。
ただ、あまりに息苦しそうなランソム候の様子には、疑いを抱く余地はなかった。
「そのことと、ミランダさんが好きな方と、どんな関係があるんですか?」
「……私の傲慢で、今まで自由に生きてきたミランダを、堅苦しい世界に閉じ込めてしまうだろう? せめて、結婚相手くらいは、あの子に選ばせたくてね……だが、結局、何もかもが裏目に出てしまったようだ」
貴族として生きるには、やってはいけないこと、がとにかく多い。その中で、かろうじて自由がきくとすれば、結婚相手くらいだろうか。
もちろん、あまりに落差のある家柄同士では、本来は無理だろう。そこをねじ曲げてでも、ランソム候は、ミランダの自由にさせると決めたようだ。
「でも、跡継ぎなんですよね?」
「あの子が見極めた相手なら、それほど問題はないだろう? 何しろ、数いる男の中から私を選んでくれた、ペトラの娘だからね」
惚気なのか、自慢なのか。ベアトリスには判断がつかなかった。
とはいえ、ランソム候は、失態となってもそうすると決めたのだ。どんな結果であれ、相手が誰であれ、最後まで責任を負うつもりだろう。
「……決して口出ししない、と約束してくださるなら、ちょっと一緒に行きませんか?」
「団長!」
初めてアグネスが批難の声をあげたが、ベアトリスは一向に動じない。ジーッと、ランソム候の瞳を見つめる。
どれほど、そうしていただろうか。
「私の負けだ。約束しよう」
「では、ついてきてください」
ニッコリ微笑んで、ベアトリスは騎士宿舎へ向かう。その後を、ランソム候とアグネスがついていく形だ。
着いた先で、ベアトリスは手近な騎士をつかまえ、フェリックスを呼んでもらった。三人で、今か今かと待っていると。
「えっと……エリカの団長が、僕を呼んでいるそうですが……」
おっとりしていて、優しげ。そう言えば聞こえはいいが、押しにとことん弱そうな、一見すると頼りない印象の青年だ。栗色の髪と瞳は珍しくない上、髪型も目立つものではない。探せば、同じような髪型の騎士など、何人か見つかるだろう。
彼の視線は、背後に立つランソム候にも向けられた。とたんに、彼はピシッと硬直する。
恐らく、それほど高位の家ではないのだろう。すっかり動揺してしまって、ますます挙動不審だ。
きつそうな見た目に反して、世話を焼くのが好き。そういうところのあるミランダが、彼を放っておけなかったのでは。そういう意味では、彼は厚意を感じても、好意には至っていないかもしれない。
不意に、そんな気がしてしまう。
「初めまして。エリカ騎士団団長、ベアトリスです。聞きたいことがありまして、呼んでもらいました。あたしの連れは気にしないでください。ただ、この場にいるだけですから」
「あ、はい。えっと、僕は、アマリリス騎士のフェリックスです」
頭の切り替えは早いようだ。案外、しっかりした部分も持ち合わせているのかもしれない。
「ミランダさんの、ことなんですが」
そう切り出すと、彼はハッとした顔で息を詰めた。
「……フェリックスさんには、思う方がいるんですよね?」
問えば、彼はしっかりと首肯してくれる。
ここまでは、エリカ騎士から聞いた情報に間違いはない。問題は、ここからだ。
「その方がどんな方か、お聞きしてもいいですか?」
「その前に、一昨日のミランダといい、今日といい、僕にその手の話を聞く理由を、教えてくれませんか?」
首を傾げてから、ベアトリスはしばらく考え込む。
ミランダがランソム候の娘であることは、すでに公然の秘密だろう。しかし、まだ正式に明かされたわけではない。ベアトリスの婚約に関しても、同じことが言える。
今ここで、ミランダのことを打ち明けてもいいのか。
(ランソム候の許可もないのに、そんなことできない……)
事実をそうと明かさず、うまく聞き出す言葉。何とかして、それを思いつけられれば。
「フェリックスくんと言ったね? 君は、ミランダが嫌いか?」
虚を衝かれたようで、フェリックスは目を大きく見開いて絶句する。
「口出しはしないお約束ですよね?」
「……すまない。だが、どうしても、聞いておきたくてね」
フェリックスを名指しで呼び出したのだ。ランソム候でなくとも、その理由はわかるだろう。
だからこその、口出し禁止だったのだが。
「好きです。嫌いだったら、訓練につき合うことも、様子を気にかけることもしません」
「それは、どの程度の好意かね?」
彼が一瞬言いあぐねたのは、どういった理由だったのか。しかし、腹をくくったようで、フェリックスはランソム候を真っ直ぐ見つめて口を開く。
「僕は末席貴族の三男だから、たまの贅沢を楽しみにするような、楽じゃない生活しかできないと思いますけど……でも、彼女が死ぬまで笑顔でいられるような日々をあげたいと、そう思っています」
「ええぇーっ?」
想定外の答えだったようで、アグネスが思わずといった体で声をあげる。
「それ、ちゃんとミランダに言ってよ……」
「あ、いえ、言う前に走っていってしまって……あれから、一度も会っていなくて」
エリカ騎士の宿舎には、押しかけづらい。その心情は理解できる。だからなのか、アグネスは額を拳でグリグリともむ。
「じゃあ、フェリックス様は、ミランダと結婚しろ、って言われたら、喜ぶ?」
「はい」
「その結果、ランソム侯爵という地位がのしかかってきたとしても、ですか?」
ベアトリスの問いに、理解が追いつかなかったのか。フェリックスはしばらく沈黙していた。
だが、やがて。
「ミランダが一緒なら、できる限り努力はしたいと思います」
この答えに満足したのだろう。ランソム候は数回頷き、ニヤリと笑った。
「では、三日後、ベアトリス嬢の婚約披露の場にいてくれるか? その日に、居合わせた全員を驚かせると約束しよう」
「……えっと、あたしは、今知っちゃったので、さすがに驚かないと思いますよ?」
「いいや、ベアトリス嬢にも、しっかりと驚いてもらうよ」
いったい、何を企んでいるのか。それは、さっぱりわからない。だが、ミランダにしろ、フェリックスにしろ、決して悪い方向へは転がらないだろう。
そう、強く信じることしかできなかった。
‡
白の離宮内は、冷え冷えとしている。実際の話ではなく、体感的なものだ。
ここの主が、いったいどちらなのか。パッと見てもわからないほど、メイベルは景色に溶け込んでいる。
ただ、目の前のテーブルに置かれた茶には、一度も手をつけていない。すっかり冷え切った茶は、時折かすかに表面を揺らす。
だんまりを決め込み、ソファへ優美に腰かけるメイベルを、サマラたちはいないものと扱う。メイベルも、他には誰もいない素振りで座っている。
まるで、互いに互いを、空気と認識しているかのようだ。
「毎日毎日、誰も来なくて退屈だこと」
いきなり、ボソリと呟いたメイベルを、サマラはキッと睨みつける。だが、メイベルはどこ吹く風だ。
「訪問者のない国賓だなんて、お笑い種にもなりませんわ」
単なる、事実確認を兼ねた独り言。その体を取りながら、実態はサマラへの悪態に近い。
無視しきれず、サマラがソファから勢いよく立ち上がる。しかし、メイベルは無反応だ。顔を向けることすらしない。
「この国でのあなたの立場は、さすがに理解できまして? 明日、何か問題を起こしてごらんなさい。フィエリテに戻ることも、叶わないかもしれませんわね」
明確な脅しを混ぜたせいか。サマラはそちらにばかり気を取られたらしく、肝心の部分は耳を素通りしてしまったようだ。
侍女の一人が、サッと青ざめた。どうやら彼女だけが、こちらの言いたいことを理解しているのだろう。
よくよく見れば、彼女だけ、容貌が違っている。フィエリテ王国出身の侍女なのか。
(……こんな遠くまで連れてこられて、とんだとばっちりですこと。可哀想な侍女ね)
これも仕事だ。あっさりと、そう割り切ってはしまえないだろう。その点には、いたく同情する。
「……あんなちんけな小娘が、そんなに大事?」
言い方次第では、確実に手ひどい危害を加えるつもりだろう。それがよくわかる、嫌な顔つきだ。
だからこそメイベルは、あえて最高の笑みを浮かべてみせる。
「ええ、大切ですわ。とても素直で、わたくしをありのままに受け入れてくれる、数少ない存在ですもの」
ここでメイベルは、一旦言葉を切った。
「ですから、あの子に手を出してごらんなさい? わたくしだけではないわ。あの子を愛する者たちと、全力をもって、あなたを叩きつぶして差し上げましょう」
父親のモデスティー伯。祖父母のホートン候夫妻。叔父のオーソン。婚約者のオリオン。さらに、エリカ騎士の面々。
加えて、ベアトリス個人を気に入っている騎士たち。
明日には、針子として信頼と人脈を作ったウルスラが、エリカ騎士だと知らしめると聞いている。彼女と懇意にしている反モデスティー伯派以外の貴族も、エリカ騎士へとつながるだろう。
ウルスラが忠誠を誓っていると知れば、むしろ、ベアトリスと直接の接点を持とうとするかもしれない。
その辺りの判断は、ベアトリス自身がすることだ。こちらからは、つき合いを制限する気は毛頭ない。
相手がどういう者か。その辺りで助言を求められれば、やぶさかではない。だがそれも、オリオンなどのより近しい人間がすべきことだ。
ベアトリスはもう、半分子供のような、幼い少女ではない。いずれ結婚し、一人前と認められる女性になる。
くだらない邪念にさらされ、いらぬ苦労を背負う必要はない。




