四章 2
父親と初対面したミランダは、毎日少しずつ、親子の絆を深めているようだ。今日も、つい先ほど、呼び出しを受けて出ていった。
ただ、あまりに堂々とランソム候が訪れ、ミランダを呼び出しているため、徐々に噂が広がっているらしい。
それがいいことなのか、悪いことなのか。今のところ、ベアトリスには判断がつかないでいる。
「お、ベアトリス。ちょうどいいところに。モデスティー伯が呼んでるぞ」
オーソンに呼び止められ、ベアトリスは軽く首を傾げた。
これまた幸いなのか。たまたま、団長として提出しなければいけない書類を持って、そちらへ行こうとしていたところだ。
いつも届けにいく時間と、今日は大差ない。大きくずれたのは、シンティアが滞在していた期間だけだったというのに。
わざわざ呼び出しをかけるということは、何か急ぎの用件でもあるのだろう。
「わかりました。ついでに、顔を出してきます」
抱えていた書類をちょいと持ち上げて、オーソンに見せた。すると、呆れた顔で、オーソンが苦笑いをこぼす。
別れを告げたその足で、ベアトリスはすっかり通い慣れた道を歩く。
書類を抱え直し、ドアを叩こうとした瞬間。カチャリとドアノブが回って、ドアがゆっくりと開いていく。
「団長、待ってました」
「ウルスラさん? あ、ありがとうございます」
ドアと道を空けてくれたウルスラに礼を言い、ベアトリスは急いで室内へ滑り込む。真っ先に書類を机の上に置き、早速呼び出した人間に問いかける。
「父様、何かあったんですか?」
「お前の婚約発表の場で着るドレスがいくつか仕上がったんだが、どれがいいか、お前に選んでもらおうと思ってな」
「……この短期間に、いったいいくつ作らせたんですか?」
その問いには何も答えず、モデスティー伯は椅子からスッと立ち上がった。そのまま部屋を出ていこうとするので、ベアトリスは慌てて後を追う。
ベアトリスに続いて、ウルスラもスルリと部屋を出る。しっかりと鍵をかけたことを確認し、モデスティー伯の先導で、たった今通った道を戻っていく。
モデスティー伯の執務室から、最初の分岐点。そこを左に逸れて進む。
(……こっちへ行くのは、初めてね)
迷う恐れと、無関係の貴族と遭遇する可能性を考え、ベアトリスはあまり城内を歩かない。わざと横道に逸れて、フラッと探検することもなかった。
ここを進むと、どこへ出るのか。
少しずつ不安が募り、心臓がドキドキと鼓動を速めていく。
途中にもいくつかドアがあったが、ドア同士の間隔はずいぶんと広い。それぞれ、大きな部屋なのだろう。その一角の突き当たりのドアを、モデスティー伯がそっと叩いた。
「ベアトリスを連れてきました」
「おお、待っていたぞ」
答えた声には、聞き覚えがある。
中からドアが開けられ、モデスティー伯はさっさと室内へ入っていく。ベアトリスは怖ず怖ずと足を踏み入れた。
(やっぱり、おじい様だわ)
どうやらここは、ホートン候の執務室らしい。モデスティー伯の執務室と、それほど代わり映えしない部屋だ。
ホートン候の隣には夫人もいる。グルリと見回した室内には、マラキアの姿。さらに、手足と頭のない、裁縫用の人形に着せられたドレスが五着、並んでいた。
「……父様。五着は、作らせすぎです」
「何を言うか。時間がないからこの数で我慢したんだ。本当は、倍は並んでいてもいいんだぞ?」
「無駄遣いしないでくださいね? ドレスなんて、あたしには、ほとんど着る機会がないんですから」
思わず呈した苦言に、父は悪びれていない言葉を返してきた。ついつい、さらに文句をつけてしまう。
もちろん、『モデスティー伯の娘』という立場には、ドレスは必要だろう。それは理解している。しかし、普段はエリカ騎士団の団長だ。そちらでいる分には、ドレスはまったく必要ない。
今回の、婚約披露の場。他にあと何度、着る機会があるというのか。
「婚約披露の時には、このうちの一着から、お前が選んだものを着る。他に気に入ったものがあれば、着替えに取っておいてもいいだろう」
「……わかりました。見て、決めます」
父相手に問答を繰り返しても、何ら益はない。
その辺りはよくわかっているため、ベアトリスは早々に頭を切り換える。この茶番をさっさと終わらせ、早急に騎士の業務へ戻りたいところだ。
ベアトリスはゆっくりと、人形が着るドレスへ近づく。
最初に近づいたドレスは、右端にあり、遠目にも目を引いた、鮮やかな深紅のものだ。首元が大きく開き、体の線が出るよう、しっかりと絞ってある。飾りはほとんどなく、もっぱらレースと刺繍で彩ってあった。
どちらかと言えば、大人びた印象を受けるドレスだ。
布に触れ、手に取って、じっくりと眺める。
(……目を引く色だけど、手が荒いわ)
腕のいい針子は、縫い目の大きさもそろっていて、整然と並んでいるはずだ。けれど、このドレスは、ところどころ曲がり、目も不揃いだった。
すぐさまベアトリスは、左のドレスへと移動する。
ベアトリスの瞳に近い、深緑色のドレスだ。首元は詰まっているが、袖はない。見るからにふわりとした、やわらかそうな薄い生地で、スカート部分が幾重にも覆われている。同じ生地で、カフス袖も作られているらしい。後ろに置かれた机に、それらがそっと置かれている。共布で作った花やレースでふんわりと飾られていて、決して華美ではない。
色は地味だが、全体的にやわらかな印象だ。
近づいてじっくりと確かめる。測ったように同じ大きさの縫い目が、整然と並んでいた。カフス袖に使われている生地も、ひどく縫いにくそうだが、縫い目に乱れは見られない。
真ん中に置かれたドレスは長袖で、赤みの強いオレンジ色だ。しかし、詰めた襟部分と、スカートの裾、袖先以外、その色は見えていない。他の部分は、白色のごく薄い生地でゆったりと覆われ、淡いオレンジ色に変わっている。飾りをつけにくい分、繊細な刺繍を施してあるようだ。遠目には華に欠けても、近づけばその真価がわかる。
こちらも、深緑色のドレス同様、かなり腕利きの針子の作品だ。恐らく、先ほどと同一人物のものだろう。
さらに左へ移動し、四つ目のドレスを眺める。首元の開き方はひかえめか。大きめの、布製の造花。それらを結ぶ、幅広のリボン。淡い紫色は綺麗だが、かえって子供っぽさを強調しているようだ。
(手は、なかなか素晴らしいけど……)
ごくまれに、縫い目の大きさが微妙に変わっている。その分、前のふたつにはいくらか劣るが、これでも相当の値が張るだろう。
ただ、婚約発表の場に着るドレスを選ぶのだ。大人の仲間入りと認められる時にこれは、さすがに可愛らしすぎる。
最後のひとつは、淡いピンク色だった。上等な生地がもったいないと、ベアトリスが思うほどの出来だ。最初にみた深紅のドレスと比べた際、こちらはさらに価値がない。
(……婚約発表の場、とは言うけど、見られるのはあたしだけじゃない。あたしが着てるものも、あたしの立ち居振る舞いも、全部、父様やオリオンさんの評価になるはず)
言動には、あまり自信が持てない。しかし、着る者は別だ。今ここで、最高のものを選べば、それでいい。
「……決めました」
呟いて、ベアトリスは深緑とオレンジ色のドレスの間に立つ。
実際に着るのはどちらがいいか。そこまではまだ、決めあぐねている。けれど、このどちらかならば、少なくともケチはつけられないだろう。
「どちらがいいかは、当日までに決めますけど……このふたつがいいです」
きっぱりとベアトリスが言い放ったとたん。満面の笑みのウルスラが、バッと駆け寄って飛びついた。勢いに負けて倒れかけたところを、ウルスラにグッと支えられる。
「ベアトリス様! 私、信じてました!」
「え? えっと……」
涙声で喜んでいるウルスラに抱きつかれたまま、ベアトリスは瞬きを繰り返す。呼び方が違うのは、マラキアに知られないためだろう。
ふと目を向けた先で、悔しそうにうつむくマラキアが見えた。
「ひょっとして、あたしが選んだのって、両方ともウルスラさんが作ったんですか?」
「はい!」
「じゃあ、紫色のドレスが、マラキアさんのですか?」
「……ええ」
ウルスラの作るドレスを、貴族たちがこぞって手に入れようとする理由。それを、きちんと確認したことで、ベアトリスは痛感する。
それほど目の肥えていないベアトリスですら、違いがはっきりとわかるのだ。他の貴族はことさらだろう。
「マラキアさんの手は、十分すごいと思います。でも、ごくたまに、縫い目の大きさがほんの少し違っていました。ウルスラさんが作った方は、それがありませんでした」
ハッとした顔でベアトリスを見たマラキアは、必死に平常心を保とうとしているようだ。けれど、そこかしこに、強い悔しさをにじませている。
「あたしが貴族の中に出るということは、父様やオリオンさんの評価に影響する、ということだと思います。目の前にあるものの中から、最高のものを選ぶことで、少なくとも、衣装に関する批難は受けずに済みますから」
見る者が見れば、ウルスラの手によるものだとわかるはずだ。
ギリギリと唇を噛むマラキアに、勝ち誇った顔のウルスラが、にっこりと微笑みかける。
「あ、そうそう、ベアトリス様。言い忘れてましたけど、実は、オリオン様の分も私が作りました」
「えっ、そうなんですか?」
「あの方も、社交界には出ていませんからねー。さすがに、騎士服で出るのは問題になりますから。ちなみに、ベアトリス様のよりちょっと手抜きしましたけど、バッチリ完成してますよ」
出会った当初の、すさまじい逃げっぷり。あれを思い起こせば、不特定多数の人間に会う場に、わざわざ顔を出していたはずがないとわかる。当然、相応の衣装も持っていないはずだ。
着飾ることが仕事のうち。そんな貴族令嬢よりは、確かにオリオンは衣装に気を遣わないだろう。二人並んだ時に、あからさまに見劣りしなければ十分だ。
あまりに手回しのいいウルスラに、ベアトリスはついつい感嘆の息をこぼす。
「マラキア、無理を言って悪かったな。報酬は後ほど、届けさせよう」
「……いえ。では、失礼します」
ホートン候に向かって深々と腰を折ってから、マラキアは静かに辞した。よほど、自尊心が傷ついたのか。一度たりとも、ウルスラを見ることはなかった。
彼女の気配が完全に消え去った後。
「さぁて、エリカ騎士団総出で、話題をかっさらいますよー。団長、覚悟しててくださいね!」
「え……? あ、いえ、あの……?」
「団長の婚約発表の場で、私はエリカ騎士に戻ります。ああ、針子として受けた仕事は最後までこなしますが、以降、針子としては仕事を受けません。まあ、片手間でいいという懇意の方からは、たまに受けるかもしれませんが」
「あ、そうなんですね……よかった」
ホッと安堵の息を吐いてから、ベアトリスははたと気づく。
婚約発表の場で、エリカ騎士に戻る。それはつまり、針子のウルスラはエリカ騎士だと、大々的に知らしめることと同義だ。
今後も個人的に仕事を受けると、ウルスラは言う。だが、モデスティー伯寄りのエリカ騎士には頼みにくい。そんな貴族もいるだろう。熱烈な反モデスティー伯派がいれば、ウルスラが危険にさらされるかもしれない。
「私がまいた種から出た芽は、私が残らず摘み取ります。ですから団長は、何にも気にせず、アマリリスの団長と仲良くしててくださいね?」
「え……あ、は、はい……わかりました」
ずずい、と顔を近づけてきたウルスラの迫力に負けて、ベアトリスは思わず頷く。
「でも、一人で難しいと思ったら、ちゃんと他の人を頼ってくださいね」
「わかっています。困った時には、最初に団長に助けを求めますから」
ベアトリスにすっかり懐いた様子のウルスラに、ホートン候夫妻はやけに満足げだ。モデスティー伯も、微笑ましげに眺めている。
「急ぎはあと二着なので、そっちをパパッと作って、貴族令嬢たちのドレスをサクサク縫いますね。一日でも早く、団長のところにきっちり帰りたいので」
「はい。エリカ騎士のみなさんと、待っていますね」
きっぱりと返したベアトリスを、ウルスラはもう一度、ギュッと力強く抱き締めた。
‡
サマラが滞在している、白の離宮。その外を警護しているリナリア騎士の一人が、あくびをかみ殺しながら辺りを見回している。
野生の獣すら出てこない場所だ。賊の侵入も、ほぼあり得ない。
フィエリテに嫁いだサマラに害をなして得する者など、どこにもいないのだから。
「退屈だなぁ……」
ボソリと呟いたコキア騎士に、リナリア騎士が苦笑いを向ける。
出入り口を二人で見張っているものの、訪ねてくる者すらいないのだ。暇を持て余してしまい、交代の時間がいつも待ち遠しくてたまらない。
「……あ、あれ」
グルリと見回していたリナリア騎士が、騎士宿舎へ視線を固定した。
「あ、ミランダだ」
遠目にも、白い騎士服と、光を受けてキラキラと輝く金色の髪は目立つ。しかも、少し気の強そうな、目の覚める美少女だ。その上、ランソム候が探していた生き別れの娘ではないか、と噂されている。
物覚えの悪い騎士でも、さすがに、ミランダの外見的特徴と名前は覚えているはずだ。
彼女は、アマリリス騎士の誰かと話していた。離宮からは遠く、相手が誰なのか、はっきりとはわからない。これといって特徴のない、髪色と髪型だ。
話していると思ったら、ミランダは不意に、踵を返して走り去ってしまった。行き先は、方向からして恐らく、エリカ騎士の宿舎だろう。
残されたアマリリス騎士は、追いかけようとした恰好のまま、ピタリと動きを止めている。追いかけることも、戻ることもできない様子だ。
「……何があったんだ?」
「というか、あのアマリリス騎士は、誰だ?」
──交代して休憩に入ったら、絶対に話題に出して突き止めてやる。
目撃した騎士たちは、互いに口には出さず、まったく同じことを考えていた。




