四章 1
来訪予告を受けて、ちょうど十日目。昼前に、フロース王国の王都を、五台の大きな馬車が相次いで横切っていった。その馬車たちは、残らず王城へと入っていく。
先頭の馬車は、城よりいくらか手前で止まった。二台目は、一台目の隣に。三台目、四台目は、城の正面まで走っていく。五台目は、一、二台目同様、手前でピタリと足を止めていた。
その様を見ていた人間は、ほとんどいない。それどころか、街の人間ですら、馬車につけられた紋を見て、一様に眉をひそめていたほどだ。
挙げ句、王城からも、出迎える人間は出ていない。
城の玄関ホール前まで走った馬車のドアを、御者が素早く下りて開け放つ。姿を覗かせた女性は、露骨に顔をゆがめた。
「……出迎えを寄越すよう、今すぐ連絡してきなさい」
ひんやりした声音で、女性は御者に命令を下す。
いったい、何を恐れているのか。御者は足をもつれさせながら、急いで城内へと飛び込んでいく。
ゆるやかに巻いた白金色の髪に、きつそうな印象を与える薄紫色の瞳。胸元へ落ちたひと房の髪を、指先でふわりと後方へ払いのける。ふうっと息を吐き出す様まで、女性はどことなくメイベルに似ていた。
同乗者はいないようだ。もう一台の馬車から、五人の侍女が順々に下りてきた。そうして、彼女の馬車に近寄り、出迎えがないことに対して一斉に憤る。
まるで下手くそな芝居だが、それでも彼女は満足らしい。誇らしげに笑んで、グッと胸を反らす。
憤慨しながら王城を見た侍女の一人は、顔が完全に彼女の視界から外れた段階で、呆れ果てた表情に変わる。そして、かすかな嘲笑を浮かべた。
他の侍女は、同じことをしても憤慨したままだ。
「……まったく。来るなら来ると、事前に連絡を寄越すべきでなくて? 最低限の礼儀でしょうに」
城から出てきたメイベルに、女性はニッコリと微笑む。だが、その笑みは、凍てつく真冬の空気よりもよほど冷たかった。
対するメイベルも、普段以上に冷ややかな態度だ。微笑むことすらしていない。
「連絡もなく、いったい何をしにきたのやら。ああ、すでに嫁いでいる身であることをお忘れなく。何か問題を起こせば、フィエリテ王国など跡形もなくなってよ?」
この嫌味が通じるのならば、とっくの昔に、サマラはまともな女性になっている。通じないからこそ、彼女は今まで変わらなかったのだ。
そしてこれからも、変わることはないのだろう。
だからこそ、かえって、ためらいなく叩きのめすことができるというもの。
実のところ、今日到着することは知っていた。だが、あえて、素知らぬ振りを貫いているのだ。
「……これが、国賓をもてなす態度なの?」
メイベルをキッと睨みつけるサマラの体は、フルフルと小刻みに震えている。彼女の中にある感情は、激しい憤りなのだろうか。
しげしげとサマラを見つめた後、メイベルはハッ、と鼻で笑う。
「国賓でしたら、事前に滞在日程などを連絡してきますわ。何も言わずにいきなり押しかけてくる連中は、客でも何でもなくてよ」
シンティアも、ベアトリスには期間は不明、と告げていたようだが、予定どおりの滞在だった。
今回に関しては、滞在予定はもちろん、到着予定すら連絡されていない。準備など、何ひとつできていない状態だ。多少の不備にも、文句を言わせるつもりは一切ない。
まだ幼かった頃は、口で確実には勝てなかった。だが、今は違う。体格も、体力も、頭脳も、口も。どれで勝負を挑まれても、圧勝する自信がある。
胸元に落ちていたひと房の髪を、嫣然と微笑んだメイベルが人差し指ですくい上げた。それを少しもてあそぶように、ゆっくりと持ち上げる。それからふわりと、背中へ優しく払いのけた。
似たような仕草でも、発せられる色香はまったくの別物だ。その上、メイベルには気品もある。
相手が男とわかっているサマラは、なおさら苛立ちを募らせるばかりだろう。
「陛下に確認したところ、白の離宮でしたら、通してもかまわないそうですわ」
メイベルの言葉に、サマラはググッと大きく目を見開く。四人の侍女も、あからさまに嫌そうな顔だ。
来客が立て込まない限り、めったに使われない離宮。そこに押し込まれる意味が、サマラに理解できないはずはない。
さらに、そこまで情報が伝わっているかはわからないが、白の離宮はすでに曰くつきの扱いだ。ステラたちがモデスティー伯を監禁し、もめ事を起こした場所には、正規の国賓は案内できない。
「そうそう。護衛は、リナリア騎士がつくと決まりましたの。一応、一国の王妃だそうですから。けれど、エリカ騎士はつけませんわ」
この上なくあでやかに、咲き誇るバラのように。メイベルは全力で、冷ややかに微笑んでみせる。
国王が、エリカ騎士をつけないと決めたのだ。今さら、他の貴族にも、異論を唱えさせるつもりはない。
何より、基本的にウルスラが不在の中、サマラに接触することの恐ろしさ。それは、どちらも知っていれば、簡単に想像できてしまう。
ただ、すっかりやる気になっているベアトリスたちに、どう説明するか。
そこだけが、今のメイベルにとって、大いに頭痛の種だった。
‡
サマラが訪れたちょうどその頃。ベアトリスは、王城と騎士宿舎の間の庭で、一人の貴族と対面していた。
門番に呼ばれた時は、何ごとかと焦ってしまった。だが、実際に会ってみれば、金色の髪がキラキラして眩しい、いかにも貴族らしい男性で。
エリカ騎士たちは、話の聞こえない距離から、こちらをチラチラとうかがっている。
「えっと、それで、お話というのは……」
「その前に、自己紹介をさせてもらえるかな? 私はルーファス・マーティン。人にはランソム侯爵と呼ばれている」
「あ……えっと、あたしは、エリカ騎士団団長のベアトリスです」
何とか、無事に言えた。そう、ホッと安堵する間もなく。
「あなたに、頼みがある。エリカ騎士にいる、私と同じ金色の髪に、青い瞳を持つ少女と、会わせて欲しい。顔を見るだけでもいい、頼む!」
ランソム候に頭を下げられ、ベアトリスは両手を振ってあたふたしてしまった。
貴族が頭を下げることなど、滅多にない。それは、周囲から話を聞いて理解しているつもりだ。
だからこそ、彼の頼みは、よほど叶えたいものなのだと理解できる。
「……会って、どうされるんですか?」
ただ会いたい。貴族がそんな理由で、わざわざ頭を下げるはずがない。そのくらいは、ベアトリスにもわかる。
理由を聞いて、十分納得できるのなら、何とかして会える機会を作ってもいい。それどころか、今すぐここに呼ぶこともできるのだ。
「私の娘かどうか、確かめたいんだ」
顔を上げた彼に言われて、ベアトリスは合点がいった。
まだ反感を持たれていた頃、ミランダは貴族の私生児だと言っていた。そしてそのミランダは、金色の髪に青い瞳と、彼の言う条件を満たしている。
「……少し、待っていてもらえますか?」
「ああ、かまわない。会わせてもらえるなら、いくらでも待つ覚悟だ」
彼と引き合わせる前に、ミランダに聞いておきたいことがあった。それを聞いた上で、彼からも話を聞いて、きっぱりと決断を下したい。
ランソム候に背を向け、ベアトリスはミランダたちが隠れている場所へ向かう。途中で振り返ってみたが、ランソム候は一歩も動いていなかった。
「団長……」
貴族と話をしてきたからだろう。回りをワッと、エリカ騎士たちに取り囲まれる。
「あの方は、大丈夫です。悪い方ではなさそうですから。えっと、それで、ミランダさんに、聞きたいことがあるのですが……」
「わたし? あの貴族に、何か言われたの?」
「いえ、あたしが判断する上で、知っておきたいことを聞くだけです」
ランソム候と、ミランダ。双方の話に、大きな齟齬はないか。
それが、知りたいのだ。
「ミランダさんのお母様は、どんな方でしたか?」
「え? 母さん? うーん……名前はペトラ。わたしと同じ魔法使いで、風の魔法が得意で、料理は上手だけど裁縫はちょっと下手。わたしは、髪と目の色は違ったけど、顔は母さんにそっくりって言われてたわ」
名前や、魔法使いであることを教えてくれたため、確認した際、同一人物か判断しやすいだろう。
「それからもうひとつ……もし、ミランダさんのお父様が会いたい、と来たら、どうしますか?」
この問いに、ミランダはひどく迷ったようだ。
父親が貴族だと聞いていても、実際に会うことは想定していなかったのだろう。顎に拳を当てて、真剣に、深く考え込んでいる。
「……会えるなら、会ってみたいわ」
「そうですか、わかりました。ミランダさん、ありがとうございます」
彼が探す娘が、本当にミランダなのか。そうだとしたら、ぜひ、引き合わせてあげたい。
たとえ、ミランダにとって、よくない結果が待っているとしても。
親子だったとして、父親に従うのか。はたまた、今までどおり、単なるエリカ騎士として生きるのか。それを選ぶのはミランダなのだから。
ベアトリスは再び、ランソム候のそばへ戻った。そこで、ミランダへ向けた質問とほぼ同じものを、彼にもぶつける。
「……ペトラが、どんな女性だったか、って? そうだね……風の魔法が得意な、自由で伸び伸びした女性だったよ。少し大ざっぱだったから、裁縫は苦手だったけれど、料理は何を作っても絶品でね。いまだに、彼女が作った料理よりおいしいものは、食べたことがないんだよ。そういえば、他の娘より背が高いことを気にする、可愛いところのある子でね……パッと目を引く美少女だった」
いくつも符合している。恐らく、間違いはないだろう。
ただ、今すぐ会わせてもいいものか。その点だけ、ベアトリスはどうしても引っかかってしまう。
何も、感動的な再会をさせたいわけではない。けれど、ゆっくり話す時間がある時に、じっくり会わせてあげたいのだ。
サマラがやってきたら、警護に忙しくなるはず。親子の会話も、離れていた時間を埋めることも、簡単にはできなくなってしまう。それでは、埋まるはずだった距離も、一向に近づかないままになりかねない。
悩むベアトリスの視界に、不意に紫色が過ぎる。そちらを見れば、リナリア騎士が経っていた。
ベアトリスが気づいたというのに、リナリア騎士はそこから動かない。
視線が通り過ぎていることに気がついたのか。ランソム候がベアトリスの視線をたどり、大きく振り返る。そして、納得したように苦笑いをこぼした。
「大方、私がいるから近づけないのだろう。あなたが手招きでも何でもして、呼んであげればいい。聞かれて困る話のようなら、席を外しておくからね」
「あ、はい。ご厚意に感謝します」
リナリア騎士に手招きをし、呼び寄せてみる。彼はランソム候を気にしながらも、怖ず怖ずと近寄ってきた。
「何かありましたか?」
「団長からの伝言で、サマラ王妃の護衛はリナリア騎士が当たります。これは国王命令で、エリカ騎士は、サマラ王妃にはできるだけ近づかないように、とのことです」
「え……?」
女性の客人だ。てっきり、エリカ騎士団が警護につくと思い込んでいた。だが、今回は違うようだ。
その辺りは、サマラ王妃がこの国の王女だったことと関係しているのか。それとも、まったく違う理由からか。そこは、ベアトリスにはわからない。
ひとつわかることは、時間をそれほど気にしなくてもいい事実だ。
「……わかりました。伝言をありがとうございます。承知したと、メイベルさんに伝えてください」
「は、はい!」
反発されることを覚悟していたのだろう。すぐに承諾したベアトリスに、やや虚を突かれた様子だ。しかし、嬉しそうに笑ったかと思うと、リナリア騎士はあっという間に走り去ってしまった。
「今すぐ会うかどうか、聞いてきますね」
ベアトリスは名前を出さなかったが、ランソム候はすぐさま理解したようだ。安堵の笑みを浮かべ、ホッと息を吐き出す。
「よろしく頼む」
頷いて、ベアトリスはもう一度、ミランダのいるところへ向かった。
「ミランダさん、聞きたいことがあるのですが」
「……ねえ、団長。さっきから何なの?」
怪訝な顔を隠さないミランダに、そこそこ高いとはいえ、可能性でしかない話をしてもいいものか。
そう、瞬き数回の間迷ったが、ベアトリスは残らず伝えておくことにした。
父親の可能性がある貴族が、会いたがっていること。その人はもうそこにいること。そして、ミランダが教えてくれた母親の情報と、彼が知っている女性の情報が、ほぼ一致していること。
すべてを、包み隠さず伝えてみた。
「会ってみますか? 時間はたっぷりありそうなので、ゆっくりお話もできると思います」
「え? だって、サマラ王妃の警護が……」
「サマラ王妃の警護は、リナリア騎士が担当するそうです」
ベアトリスとて、先ほど知ったばかりの情報だ。初耳のエリカ騎士たちは、一様に驚きを隠せずにいる。
「どうしますか?」
「……会って、みたい」
もし、会いたくない、と言われたら。ランソム候がこっそり見られるよう、何とかして取りはからうつもりだった。
貴族の娘と認められることは、決していいことばかりではない。時には、ひどく厄介なことにも巻き込まれるだろう。それどころか、今まで貴族らしい生き方などしてこなかったのに、いきなりややこしい世界に放り込まれるかもしれない。
そういった諸々は、ミランダが判断して決めていくことだ。その際に迷うなら、相談に乗るくらいはしたい。
貴族の世界とは無縁に生きるのなら、それを邪魔させないよう、絶対に守るつもりでいる。
ミランダを連れて、ベアトリスはランソム候のところへ歩く。チラッと見た隣のミランダは、明らかに緊張した面持ちだ。
ずいぶん距離が近づいて、顔がはっきり見えたからか。
ランソム候が、目を大きく見開いた。それからなぜか、泣き笑いの表情で、ベアトリスたちに向かって、大股で歩み寄ってきた。
「……ペトラに、そっくりだ」
「……わたし、髪と目の色は違うけど、顔はそっくり、って言われてましたから」
名乗る前に話しかけられたからだろう。ミランダも名乗りはそっちのけで、顔立ちに関する説明を、たどたどしく伝える。
「君は、魔法使いかい?」
「はい。氷の魔法が得意です」
「ははっ、ペトラは風が得意だったね。うん、氷の魔法は、君の印象にピッタリだ」
その辺りまで聞いて、ベアトリスはゆっくりと後ずさった。気づかれないよう、慎重に二人から距離を取り、ある程度のところで踵を返す。そのまま、エリカ騎士たちのところへ、スタスタと歩いていく。
チラッと振り返った時、ランソム候は、ミランダをギュッと抱き締めていた。




