三章 3
モデスティー伯から正式に、ベアトリスのドレスを作って欲しいと頼まれた。だからウルスラは、ジューンのドレスを五日で仕上げてしまった。
仕上がったこと、翌日届けに行く旨を伝え、いざ出向こうとしたその朝。
王城内にある針子部屋の、さらに奥。針子部屋からしか入ることのできない、鍵のかかる小部屋にしまっておいたジューンのドレスが、ズタズタにされていた。
修復不能なほどに引き裂かれ、完全にボロボロになったドレスを前に、ウルスラは一瞬呆然とする。
「え……?」
疑問が声になって、こぼれ落ちた。
このドレスに使った布も、レースも、リボンも。何もかもが、ステーシー伯自ら呼んだ商人から、父娘二人で選び購入したものだ。
──娘を、最高の状態で社交界に出したい。
──父の期待に、しっかりと応えたい。
これは、両者の強い思いを容赦なく踏みにじる、心底最低な行為でしかない。そして、注ぎ込んだ時間を無為にしてくれた、最悪な状況だ。
(……よりによって、これを……)
ウルスラはギリギリと奥歯を鳴らす。
すでに針子部屋にいた針子たちを思い出してみる。当然、マラキアもいたが、取り立てておかしな様子の者はいなかった。
犯人はいったい誰なのか。
それを考えることも大事だが、これをどう、ステーシー伯に説明するか。それも、頭を悩ませる一因だ。
(……ここは、帰る時に鍵をかけていくはずですよね? それに、針子部屋の鍵もかけるはずですし、鎧戸はすべて閉めて帰る決まりですから……あら、誰の失態でしょうね)
実のところ、城お抱えの針子部屋の防犯意識は、非常に高い。王城の宝物庫に匹敵する高さだ。ここに頼んだものは、基本的に、必要になるまで無傷で保管されている。貴族ならば誰でも、その事実を知っているだろう。
何より、今まで一度も、針子部屋にあるものが傷つけられたことはない。
ウルスラはあえて何も言わず、原型を留めていないドレスを袋に詰めた。そのまま、台無しになったドレスを抱え、予定どおりステーシー伯の屋敷を訪れたのだ。
前回同様、サロンに通されたウルスラはまず、中へ入らずに謝罪を繰り返した。
ドアが開けられた瞬間、勢いよく頭を下げたので、室内の様子は一切見ていない。
「大変申し訳ありません!」
理由を説明せず、ひたすら謝罪する。そんなウルスラに、ステーシー伯とジューンは困惑を隠せなかった。
二人はとにかく中へ入り、座るよう促す。だがウルスラは、首を横に振ってそれをきっぱりと拒絶する。
袋をギュッと握り締め、色のなくなった自身の手をジッと見つめる。そんなウルスラだが、人が近寄ってくる気配は感じていた。
「私がいけないのです。お許しいただけるはずもないことは、わかっております。けれど、謝罪を重ねなくてはいけな……」
唐突に腕を引っ張られ、ウルスラは言葉を途切れさせる。驚いたように、腕を引いた人物を見上げ、息を呑んだ。
華やかな金髪と、綺麗な青色の瞳が、こちらをジッと見つめている。
(……え? 誰、ですか……?)
思いがけない人物に、頭はすっかり真っ白になった。次に何をすべきか、何を言うべきか。すべてが、綺麗さっぱり吹き飛んでしまった。
「いいから中へ入って座りなさい。事情はそれから聞こう」
混乱の極みで、抵抗する気も起きなかったらしい。グイグイとやや強引に腕を引かれ、ウルスラはやけに素直に従っている。
ソファの空いている場所へ連れていかれ、両肩をグッと押されて座らされた。
呆然としながら見回せば、見慣れない貴族だけではない。やはり金色の髪に、澄んだ青色の目が美しい、彼の令嬢らしき娘も一緒だ。
「初めまして。わたくしはシルヴィアよ。ねえ、その中身が、ジューン様のドレスなのでしょう? わたくしも拝見したくて、ジューン様にわがままを通させてもらったの」
(……シルヴィア? ということは、ランソム候の令嬢ですね)
あえて、父の名を出さなかったのか。それとも、試しているのか。判断がつきかねて、ウルスラは困惑を大きく表情に出す。
ランソム候の令嬢とは仲がいい。そう、ジューンから聞いていたことを、ふと思い出した。ということは、見慣れない貴族がランソム候か。
ニコニコと微笑む令嬢は、素直で人当たりがよさそうだ。立場を振りかざした、とは言ったが、恐らく、ジューンに誘われたのだろう。
針子などの職人は、その腕のみを自信のよりどころにしている。中には、顧客個人を重視し、雑多な貴族とのつながりをよしとしない、生粋の職人気質の人間もいるのだ。そういった人間に対しては、上の者の強引なわがままだと伝えた方が、後々のしこりに発展しにくい。
ウルスラがどちらか判別しづらかったから、令嬢はあえて『わがまま』であると強調したのだろう。
まさに予定外の出来事ではあるが、同時に絶好の好機でもある。
「ねえ、早く見せてちょうだい。それにわたくし、あなたの針子としての腕にも興味があるの」
少し冷静になると、令嬢がどういった人間かを観察する余裕が生まれてきた。
身勝手なことを言っているようで、その実、深く探るような目をしている。何が起きて、どうしてこうなっているのか。それを、残らずきっちり知りたい。そんな目だ。
(……悪い方ではなさそうですが……これが本性なら、団長とは合わないでしょうね)
ベアトリスは、相手が嫌だと思っていることは、しつこく追求することはない。けれど折を見て、さりげなく気にかけてくれる。そういうところが、団員に受け入れられ、今では『団長』と慕われる理由なのだ。
普段の彼女は、かえって意図的ではないかと疑いたくなるほど、天然でやらかしてくれる。同じ態度をわざと作っている側からすれば、決して面白いとは思えないだろう。
元々、貴族らしさとは無縁の生活をしてきたベアトリスだ。いきなり、陰湿な世界に触れては、混乱して落ち込むこと間違いない。
無用な悪意に彼女がさらされるくらいなら、手前でしっかり遮らなければ。
(ジューン嬢は大丈夫でしょうけど……令嬢の本性があれなら、お二方とも無理ですね)
場合によっては、彼らと関わるのは今回限りだ。
そう決めたウルスラは、渋々といった体で、袋からドレスだったものを取り出した。とたんに、居合わせた全員がヒュッと息を呑む。
わざわざ、テーブルに広げて見せるまでもない。何しろ、まったく原型を留めていないのだから。
「……本当に、申し訳ございません……どんな言葉を尽くしても、お許しいただけないこととは理解しております。ですが、重ねて申し上げさせていただきたく」
「いや、謝罪は十分だ。これがこうなった経緯を、聞かせてもらえるか?」
ステーシー伯に言葉を遮られる。
ウルスラは演技ではなく、本心で、ギュッと眉を寄せて心痛を表した。
「今朝、こちらへ参ろうと、保管していた部屋へ入ったら、もうこの状態で……」
ぽつりぽつりと話すウルスラを、疑う眼差しはひとつもない。
もっとも、それは当然のことだ。
針子は作り上げたものを収めて、初めて仕事が完了したことになる。仕事を受けるばかりで完成させない針子など、ただの詐欺師でしかない。
何より、前日には、完成したと連絡を入れている。そして、ここにあるドレスは、完成したものを傷つけたとわかる状態だ。
作った針子自身が、納品間際に、わざと完成品を壊す理由などない。
「保管していた場所は、針子部屋の奥か? それとも、君の自室か?」
ランソム候が問いかける。
「……針子部屋の奥です。お預かりしている大切なものを、自分の部屋に持ち込むなど、考えられません」
「他に傷ついていたものは?」
「……真っ先に、このドレスが目に入って……よく、覚えていません」
これは事実だ。他に壊されたものがあるかどうかなど、気にかける余裕もなかった。
何しろ、限られた空き時間を注ぎ込み、五日がかりで作ったドレスが台無しになったのだ。これで、ベアトリスのドレスに取りかかるのがさらに遅れると、瞬間的に我を忘れるほどの強烈な落胆を味わっていたのだから。
「現在の、針子部屋の管理者は誰だ?」
「……マラキアさん、です」
他の針子が帰っても、マラキアが残る理由は管理者ゆえだ。
室内を点検し、不審者や不審物がないことを確認する。さらに、窓の鎧戸を閉め、鍵をきちんとかけなければいけない。すべてを行い、翌朝まで鍵を肌身離さず保管するのが、責任者の重要な役割といえる。
「ふむ……マラキアか」
ボソリと呟かれたランソム候の声音には、侮蔑の色がわずかに混ざっていた。
「どうやら、温情がどういったものかを理解せず、あぐらをかいていたらしいな」
ウルスラはこっそりと、心の中で拳をグッと握り締める。決して、表には出さない。
(ランソム候はまだ味方ではありませんけど、敵ではなくなりましたね)
気づかれぬよう、ひっそりと、安堵の息を少しだけ吐き出す。
シルヴィアとの縁も、つながりという点では魅力的だ。だが、後々を考えると、ランソム候とだけ、明確なつながりを持った方がいい。
そんな判断を下したウルスラに、気づいたのか。
「ところで、君はエリカ騎士の一員だね?」
完全に不意を衝かれた恰好で、迂闊にも、ウルスラはほんの一瞬、表情に出してしまった。
それをわざと見逃してくれるほど、優しい相手ではないだろう。
ジーッとランソム候の目を見つめ、ややあってから、ウルスラはため息をひとつこぼす。それから、ひょいと肩をすくめてみせる。
「いつから、気づいていましたか?」
「ジェロームとは懇意にしていてね。彼の孫娘自慢と、その孫娘につけた侍女の話は、もううんざりするほど聞かされているんだ」
明確な時期は明かされなかった。しかし、彼の言い分からすると、最初からわかっていた可能性が高い。
ランソム候側からの『わがまま』で、今日この場に押しかけた。というのも、あながち間違いではないのだろう。
「それで、エリカ騎士の私に何の用ですか?」
「エリカ騎士に、私と同じ髪と目の色をした騎士がいると聞いた。彼女に会わせて欲しいんだ」
「お断りします」
ウルスラは無意識に、バッサリと切り捨てていた。
彼の言う条件に当てはまるのは、ミランダしかいない。
そもそも、団員に貴族を引き合わせるかどうかは、ウルスラが判断することではない。それこそ、団長であるベアトリスに、まずは話を通すべきことだ。
「頼む! こっそり隠れて、ひと目見るだけでも……」
「お断りします」
しゃんと背筋を伸ばしたウルスラは、もう一度拒否の言葉を口にする。
国政と大きな関わりのないランソム候には、気軽に王城へ出向く理由がない。たまの会議で訪れた際に、偶然、エリカ騎士と出くわす可能性は、ほぼ考えられないだろう。
どんな理由で、ミランダに会いたいのか。それは、ウルスラにもわからない。ただ、あまりいいことではない予感がした。
揺るがない彼女の態度に、ランソム候も、諦めたのか。今度は彼が、重く長いため息を吐き出す。
「……我が家には、実質、子息がいないことはご存じですかな?」
ウルスラは思わず、怪訝な表情を見せる。
「……オーガスト様の名を、お聞きしたことがありますが」
「オーガストは、他国の王女に婿入りすることが決まっている。あちらが一人娘でね。我が家としても、唯一の男児ゆえ、手放したくはなかったのだが……娘がいるから婿を取れ、と言われてしまってね」
「では、シルヴィア様が婿を取られればよろしいでしょう?」
唯一の子息を差し出せ、などと、恐ろしい無茶を言う国など、そうそうない。
頭の中に、ついついフィエリテ王国が浮かんでしまったのは、サマラの人柄ゆえだろう。
「シルヴィアは、オーガストの結婚が決まる前から、一人息子の貴族へ嫁入りが決まっているんだ」
「あら……八方ふさがり、というやつですね」
兄が後を継げないから、婚約破棄して別の縁を。そう願うやり方もあるだろう。しかし、それをしなかったということは、どちらの縁も切り捨てられないもの、ということだ。
残された手は、どちらかの子供を引き取り、跡継ぎとすることくらいか。
「そこでふと、思い出したんだ。昔、私が若気の至りで手を出して、一人で子供を育てると姿を消した女性がいたことを」
「うわ……いろいろ最低ですね。正直、見損ないました」
「ねぇ……わたくしも、初めて聞いた時には、そっくり同じ言葉を伝えましたわ」
初見のウルスラだけでなく、娘にも酷評されたためか。ランソム候は、困ったように苦笑いを浮かべているだけだ。
「面目ない……だが、その女性を探したものの、行方はまったくつかめなかった。諦めかけたところで、エリカ騎士に、その子供が娘だったら同じ年頃になる、金髪の娘がいると聞いてね」
「……そういうことですか。では、お話はうちの団長を通してください。どうするかは、団長にお任せします。今ここで聞いたことは、すべて残らず綺麗さっぱり忘れますゆえ、私は口添えも何もいたしません」
ウルスラがきっぱりと言い切ると、ランソム候ははぁ、とため息をついた。そしてなぜか、妙に楽しげな表情で笑った。
「君がジェロームの秘蔵っ子でなければ、シルヴィアの侍女に欲しかったよ」
「お褒めいただき、光栄です」
ニッコリ微笑んだウルスラは、ここでようやく、重要なことを思い出したようだ。まじまじと真っ直ぐ、ステーシー伯を見つめる。
「ところで、ジューン様のドレスはどうしましょうか。最終的な納期までは、まだお時間はありますが……」
「こちらとしては、社交界に出ると決めた日に、娘が君の作ったドレスを着て、君の話題で中心にいられればそれでいい」
「了解しました。こちらの管理責任がありますので、伝手を残らず使い、最高のものを仕上げさせていただきます。ただ、大変申し訳ありませんが、私が絶対に譲れない案件もありますので、そちらが片づき次第、お嬢様のドレスに取りかからせていただきます。その際、保管場所は、問題が片づいていなければ、こちらで最上と思われるところへ隠させていただきます」
居合わせた誰もが、「いったいどこに」という顔をした。しかし、ウルスラはあえて微笑んだまま、何も語らない。
侵入どころか、接近が知られた時に、死にたいほど凶悪な罰を受ける場所。そこは、ある意味で完璧な保管場所だ。
最悪の場合、容赦なく場所を借り、そこでドレスを仕上げてやろう。
そんなことを考えているとは、微塵も感じさせない。そんな微笑みで、ウルスラはひたすら微笑んでごまかした。




