三章 2
ひと月後には完成品を渡す約束をし、ウルスラはステーシー伯の屋敷を辞した。気に入ってもらえるよう、万全を尽くすつもりだ。
城に戻った時には、すでに日が暮れかけていた。
日暮れ前に、針子部屋はほぼ空になる。残っているのはマラキアだけだ。
(わざわざ行く理由はありませんよね)
行って、ステーシー伯から正式に依頼を受けた、と暴露するのも楽しいだろう。しかし、邪魔をされるのは本意ではない。むしろ、余計な仕事はさっさと済ませて、本命の仕事がしたいところだ。
辺りは薄暗くなっているとはいえ、真っ暗ではない。壁を上れば、さすがに目立つ。
ウルスラは仕方なく、城内からモデスティー伯の執務室へ向かった。
すぐ手前で右に折れ、別の道を行けばホートン候の執務室がある。それゆえ、そちら方向へウルスラが向かうことは、それほど不自然ではない。
モデスティー伯側へ進んだことを問われても、ホートン候に一度挨拶をしておくよう言われた、とでも答えれば済む。当たり障りなく、話は合わせてくれるだろう。
軽くドアを叩き、返事を待ってから、ウルスラはスルリと室内へ滑り込んだ。
「聞いたぞ? ジューン嬢のドレスを任されたそうだな」
「はい。マラキアの仕事を取り上げられて、心底嬉しく思っていますよ」
ほんの数日前に、実はマラキアにドレスを依頼していたらしい。だが、それはそれとして受け取り、社交界に出る時には、ウルスラのドレスにする。そんな話を、ステーシー伯自ら教えてくれたのだ。
マラキアの指定した納期では、社交界に出る一番いい時期を逸してしまうらしい。ひと月以内にドレスと話題を手に入れれば、最高の状態で令嬢を送りさせるそうだ。
親としては、誰よりも華々しく話題をさらって欲しい、と願うもの。その気持ちには、何となく共感できた。
当然、ウルスラのことは、積極的に話題にしてくれるだろう。
だからこそ、喜んで引き受けたのだ。
「では、ビーのドレスも作ってもらえるか?」
「……え?」
「マラキアにも作らせ、ビーに選んでもらう予定だ。当然、作った人間は明かさず、ビーが気に入ったものを着させる。どうだ? やるか?」
「当たり前じゃないですか!」
ただでさえ、ベアトリスのドレスを作れるのだ。気合いは十二分に入っている。その上、マラキアと直接対決ができるとくれば、受けて立たない理由がない。
ベアトリスの性格は把握している。好みも、これまでを思い返せば、十分察することができるはずだ。
何より、作り上げるドレスに込める愛情が、他とは格段に違う。
最も大切に思う主君を、この手できっちりと着飾らせる。それこそ、侍女冥利に尽きるというものだ。
「それにですよ? 私以外の誰かが、団長に似合う最高のドレスを作れると思っているんですか?」
きっぱり言い切るウルスラに、モデスティー伯は華やかな笑みを浮かべる。
それは、すんなり受けてもらった喜びなのか。はたまた、自らの思いどおりにことが進んでいる状況への満足か。
どちらでもかまわない、とウルスラは思う。
大切なことは、今回、引っかき回す役を引き受けた際の約束を、守ってもらうことだ。
‡
ウルスラが不在となって、はや十日。
わざわざオーソンたちから聞かずとも、ベアトリスの耳まで、ウルスラの評判が届くようになっていた。
他団の騎士たちは、どうやらエリカ騎士のウルスラと同一人物であると、気づいていないらしい。いや、一部は気づいているのかもしれないが、あえて口をつぐんでいるようだ。
「……ウルスラにドレス作ってもらうの、ひと月待ちらしいよ?」
テレシアが不安げに呟く。他のエリカ騎士たちも、みな一様に浮かない顔を見せる。
彼女たちがどんよりと沈むのも、無理はない。
何しろ昨日、サマラがフィエリテを発ったはずだと、モデスティー伯に知らされたからだ。
いくらフィエリテ王国が遠くとも、旅程にひと月はかからない。針子の仕事に忙しいウルスラは、騎士の職務に復帰しづらいことが予想される。
貴重な戦力であり、観察眼に優れている。その上、侍女としての高い技術もあり、粗相は考えられない。そのウルスラが不在となると、当然、他の者にしわ寄せがいくだろう。
針子として貴族との面識があるサリナや、早々に礼儀作法を合格したテレシアは、それほど問題ではない。
作法が苦手な者たちをどう扱うか。そこが問題だ。
(警護に当たる人選も、考えないといけないんですよね……)
サリナはどこでも大丈夫だ。テレシアは武器の都合上、外の警護しか任せられない。さらに数人は、受け答えを含めて、警護に当たれる人間が欲しいところだ。
ベアトリスが聞いて、発音に問題の少ない者は限られる。
「そういえば、警護の担当はどうします?」
「……今考えているのは、貴族相手にしっかりと受け答えができる人を、外と中とに一人は配置する形です。少々厳しいですが、日中と夜間の二交代になるかもしれません」
「じゃあ、私は中の担当で、テレシアが外の担当でしょ? 後は、ビビアンとナタリーと、レネとメルル?」
サリナが心当たりのある名を次々に挙げていく。
ナタリーもレネもメルルも、メイベルが及第点を出した少女たちだ。緊張してうっかりしでかさない限りは、大きな問題も起こさないだろう。
見た目にも気の弱そうなビビアンが、向こうにしつこく絡まれないか。それだけが心配だ。
「三組作って、昼と夜の警護が交互に来るようにしましょうか。以前は、夜に強い方に夜警を任せっぱなしでしたから」
「……でも、団長がちっとも休めないですよね?」
今回もまた、外の主な警備は他団を頼ることになるだろう。
しかも、昼はサマラに振り回され、夜は睡眠時間を削る。そうなることは、とっくに想定してあった。
予想外だったのは、メイベルの言葉だ。
「実はメイベルさんが、たまには代わってくれるそうです。限界が近づいたら遠慮なく言うよう言われましたから、大丈夫ですよ」
「リナリアの団長でしたっけ? あの人なら、離宮に入っても問題なさそうですもんね」
呆れているのか、感心しているのか。どちらともつかない口調で、ミランダがサラリと言い放つ。
男性に警護されることを、貴婦人方がよしとしない。それゆえに、エリカ騎士団を発足させた……というのは、実は建前だ。実際には、未婚の侍女や令嬢に迫られた騎士が、あまりにも多く、仕事にならなかったためらしい。
ウルスラとメイベルから、その話は間違いないと証明されている。メイベルや、即座に逃げるオリオンは犠牲にならなかったが、ヴァーノンやオーソンは苦労したそうだ。
「でも、騎士ってそんなにおいしい相手なんですか? 正直言っちゃうと、他国に攻め込まれたら戦いに出て死ぬかもしれないし、普段も基本は城に詰めてるし、結婚相手としては面白くないでしょうに」
疑問を正直にぶつけてきたのは、栗色の長い髪を三つ編みにしている少女だ。切れ長の冷ややかな目元が、やけに印象に残る。
「恋愛感情で見たら、レネの言うとおりだよね」
左腰には剣を、後ろには短剣を有する彼女が、レネだ。そのレネと、テレシアが会話を始めた。
「だけど、貴族って、恋愛感情で動かない生き物なんでしょ? 家が大事、家のことを考えなきゃ、って頭の持ち主ばっかりじゃない。婿が欲しい貴族なら、騎士は狙い目じゃないの? それに、遊び相手がいるなら、家にいない亭主なんて最高でしょ」
「えー、でも、早死にするかもしれないなら、顔とか地位とか、大事よね?」
どことなくはかなげな印象のビビアンの口から、サラッと飛び出した言葉。それには、テレシアもミランダも、開いた口がふさがらなかったようだ。
他にも、ぽかんと口を開けたままの少女たちが、ビビアンに視線を注いでいる。
「ああ、だから、ヴァーノンさんやオーソンさんが狙われたんですね」
ビビアンの発言をまったく気にしないベアトリスが、納得してうんうんと頷く。そのおかげか、エリカ騎士たちは、ビビアンの衝撃からどうにか逃れたようだ。
「……ガザニアの団長と副官でしたっけ?」
「副官の方は、団長の叔父さんでしょ? 顔もかなりいい方だし、年齢を考えても、そりゃあ、狙いますよ」
「オーソンさんは三十に近いですけど、ヴァーノンさんはメイベルさんと変わらない年齢だそうですから……確実に狙われますよね」
正確な年齢を聞いたことは、あったかもしれない。だが、ベアトリスには、すぐに思い出せなかった。
確か、オリオンが少し離れている程度で、他はそれほど違わないと聞いたことはある。
「三十手前なら、十分許容範囲だよね? 三十過ぎた相手だと、二十前後じゃなきゃ、ちょっときっついかもしれないけど」
ニコニコしながら平然と言い放つのは、肩を少し越えた長さの、やや癖のある栗色の髪と、幼い印象を与える大きな瞳の少女だ。小振りな顔立ちも相まって、彼女は実年齢より幼く見えることを気にしている。それを指摘すると激怒し、破壊を主とした得意の魔法で思い切り暴れるのだ。
普段はおっとりしているだけに、絶対に怒らせてはいけない人間と認識されている。
「メルルはいいけどね。ビビアンだと、三十二、三歳のおっさんじゃ、嫌になるでしょ」
テレシアが、やや童顔のメルルに肩をすくめ、それからビビアンにふと話を振った。
エリカ騎士の中で二十を超えているのは、テレシアとサリナを含めてもたった数人だ。最年少は十五のプリシラで、ビビアンも十六と若い。
そんな年若い少女たちには、倍以上の年の差は厳しいだろう。そう、テレシアは聞いたのだが。
「私? 三十過ぎたおっさんって言っても、ナイジェル様みたいな人なら、別にいいと思うけど? 他にそのくらいのおっさんって、誰がいるの?」
「……せめて、おっさんじゃなくて、おじ様くらいにしておいたら? ビビアンがいろいろ幻滅されるわ」
「そういえば、三十半ばの方とは、あまり話す機会がありませんね。近づかないようにしているんでしょうか? ナイジェルさんは治癒魔法も使えますし、本当に例外なんでしょうけど」
あっけらかんと言うビビアンに、テレシアは指先を額にグッと押し当てる。強く当てすぎて、指先から色がなくなりそうだ。そこへ、ベアトリスが首を傾げながらボソリと呟く。
少々論点のずれたベアトリスの言い分に、周辺からこっそりとため息が漏れ聞こえた。
「ビビアンが言うみたいに、うんと年上の男の人って、頼りがいがありそうでいいよね」
鈴が転がったような、可愛らしい声が告げる。そちらを見れば、まだあどけない少女がいた。
サラサラした長い栗色の髪をユラユラ揺らし、ふんわりと微笑んでいる。わずかに細められた栗色の瞳は、どこか楽しそうだ。やや小柄な彼女は、それでも左腰に剣を差し込んでいる。鞘の形状からして、ずいぶん細身の剣だ。
「……ビビアンもプリシラも、おじさんでもオッケーなの?」
思うところがあるのか、ミランダはため息混じりで問いかける。それに対し、ビビアンもプリシラも、はっきりと肯定の意を示した。
「尊敬できて、一緒にいたいと思えたら、年齢は関係ないでしょ?」
「そうそう。いくら年が近くても、ダメな男は断固お断りよ」
心の底からそう思っている顔で、ビビアンとプリシラはすっぱり言い切る。
「ああ、それはわかります。コーデルさんは本当に最低ですし、テレンスさんも、日がな一日鏡とにらめっこですから」
ベアトリスが例に出した名に、ただ聞いていただけのエリカ騎士たちも含め、一斉にプッと噴き出した。
恐らく、並みいる騎士の中でも、特にその実力しか信用できない男たちの名だ。彼らは、人間として尊敬できるかどうか以前の問題だろう。
「……さすがに、他の騎士とあの二人を比べるのは、他の騎士に悪いと思うんですけど」
呆れ果てた声音で言い切ったレネに、誰もが全面的に同意したのか。あちこちから、かすかな苦笑いが聞こえてくる。
「変態と変人が比較対象じゃ、まともな騎士は傷つくよね」
誰もが何となく思いながら、あえて口にしなかったこと。それをメルルははっきり、きっぱりと声に出す。
「まあ、確かに、同じ比べられるなら、人間としてまともな人と比べて欲しいけど」
どこからか聞こえた声に、また笑いの渦が巻き起こる。
早ければ十日もしないうちに、笑っていられない状況になるだろう。問題を先送りするつもりはない。けれど、笑える間は、笑って過ごしていたい。
ベアトリスはそう思ってしまう。
「団長はさておいて、みんなは誰だったら結婚してもいいと思う?」
ビビアンが問うと、そこかしこから人の名前が飛び出してくる。中には、ベアトリスが聞いたことのない名もあった。
ことさら感心したのは、同じ名前が二度、出てこなかった点だろうか。
「……みなさん、見事にバラバラなんですね」
「そりゃあ、好みの問題と、普段声をかけてくれるかどうか、にかかってるでしょ。団長だって、アマリリスの団長じゃなくて、他の団長が気にかけてくれてたら、どうなってたかわかんないんじゃない?」
「ああ、それはそうですね」
テレシアに突っ込まれ、ベアトリスはあっさりと彼女の言い分を認めた。
現実にならなかった『もし』を想像するつもりは、ベアトリスには一切ない。けれど、オリオンから歩み寄ってくれた部分が大きいことは、よくわかっているつもりだ。
「……ところで、さっきちょっと気になったんですけど……グレアムさんの名前がありましたよね?」
ヴァーノンが決めたとはいえ、一度は勝負をして負かした相手だ。きつく睨まれ、あまりいい思い出はなかった。
かなり厳しそうな人だと、じっくり思い返してみても、そんな感想しか出てこない。
「グレアム様って、教え方は丁寧だし、見た目に反して意外といい人ですよ。他にも、ガザニア騎士の方って、割と面倒見がいい人が多いですし」
「アマリリス騎士は、副官の人以外は、ちょくちょく声をかけてくれるわ」
「リナリア騎士も、よく話しかけてくるよね」
「コキア騎士も、ベロニカ騎士も、団員は割と普通そうだけど……そこの団長があれ、って思うと、ちょっと逃げたくなるわ」
好き勝手に言っているようで、彼女たちはそれなりに、他団の騎士をしっかりと見ているようだ。
その辺りは、街にいる娘たちと何ら変わらない。
(……みなさんが、意外となじんでいるみたいで、ちょっと安心しました)
他団の騎士に、庶民であることを蔑まれていないか。理不尽な要求を、意地悪く、繰り返しされていないか。誰かに相談できないようなことを、されていないか。
そういった類いのことが気になっていたが、どうやら杞憂で終わりそうだ。
キャアキャアとはしゃぎながら、楽しそうに話しているエリカ騎士たちを、ベアトリスは順々に眺める。それからホッと、安堵の息を吐き出した。




