三章 1
ウルスラが針子として潜り込んで三日。ホートン候の推薦ということもあり、すでに実務を手がけているらしい。しかも、なかなか評判がいいようだ。
ベアトリスはそう、オーソンから聞いている。
今は特に任務もない。ベアトリスはなるべく、空いた時間はエリカ騎士の宿舎で過ごすようにしていた。
エリカ騎士以外の女性は想定していないようで、一階には広々としたサロンが設けられている。個室はたったひと部屋だ。恐らく、副官用のものだろう。
聞けば、各部屋に設えられている家具なども、庶民にはとても手の出ない値段のものだという。
「団長、大変です! ウルスラが、針子をしてるって!」
「あ、はい、知ってます。ウルスラさん、元侍女として、どうしても許せない針子さんがいるからって、ケンカを売りに行きましたから。でも、エリカ騎士団に警護の仕事が入って忙しくなれば、ちゃんと戻ってくるそうです」
「……あー、そうなんだ。何か、ウルスラらしいね」
慌てて駆け込んできたヴェラの報告に、ベアトリスはあっさりと返す。それを聞いていたテレシアが、納得したように、呆れた声音でボソリと呟く。
「針子って、結構大変なんですよ? 忙しいと寝る暇もなくなるし、無茶振りする注文主なんて、ざらですもん」
あっけらかんと言い放ったのは、金茶色の長い髪を二つに分けて縛っている女性だ。クリクリした緑青色の瞳を、真っ直ぐベアトリスに向ける。
壁に背を預ける彼女は、腰の左右に剣を刺している。どちらも鋭利な片刃の短剣で、両手にそれぞれ持って敵に突っ込んでいく。メイベルのように、敵の懐に深く潜り込む戦い方だ。その分、混戦時には孤立しやすい。戦況を見つつ、見失わないようにしなければ、と常に心がけている。
「ああ、そういえば、サリナさんは針子をしていたんですよね」
ベアトリスが確認をすると、サリナはニコッと笑った。
誰も彼も、直前まで何をしていたかは、教えてくれる。しかし、それ以上のことは、お互いに聞かないのが暗黙の了解だ。
普段を見て、信頼に足る人間かどうか。それが重要であって、これまでの生き方は重視しない。
他の騎士団では、家柄や性格、過去の経歴も重要な指標だろう。しかし、戦える女性であることが第一のエリカ騎士には、そんなものは必要ないのだ。
「でも、ウルスラくらい、何でもできる侍女はいないと思うけど?」
呟いたミランダが、ふうっとため息を吐く。
ウルスラはどうやら、騎士宿舎でも、その器用さを遺憾なく発揮しているようだ。
「そうですよね……いつだったか、父が絶賛していたそうですから」
これまでにも、ウルスラから、モデスティー伯の恐ろしさを説明されてきたのか。それとも、何かを実際に目の当たりにしたのか。
どんな理由であれ、他者にはあからさまに厳しすぎる人間に、絶賛されることの意味。
それを理解したからだろう。ベアトリスの何気ない答えに、エリカ騎士たちがヒュッと息を呑む。
「でもさぁ、ウルスラって、誰にケンカ売りに行ったの? ってか、ウルスラ相手じゃ、相手は敗北一択しかないじゃん?」
「敗北じゃなくって、完敗でしょ?」
ふと聞こえた声に、サリナがサラッと突っ込みを入れる。
どこからともなく、納得したような感嘆の息が、いくつもいくつも漏れ聞こえてきた。
‡
スイスイと泳ぐように、ツルリと滑るように。最高級のなめらかな生地の上を、ウルスラが手にした針がヒラヒラと駆け巡る。
下手な針子は、この生地に針を引っかけ、みっともない傷を作ってしまう。それほど、扱いの難しい、けれど着ると映える、貴族御用達の生地だ。
あっという間に仕上げを済ませ、一枚のドレスを見事に完成させた。
だらしなく糸がほつれているところもなければ、縫い目がボロボロの場所もない。当然、生地はどこも最高の手触りのまま、ささくれひとつ見当たらない。
手の速さと完成度には、城で一流と言われる針子ですら、足元にも及ばないだろう。
「本当に早いわ……それに、とても綺麗ね。ありがとう!」
貴族令嬢が礼を言うことなど、まずあり得ない。
それを知る針子たちは、一様に、ウルスラへ賞賛と羨望の視線を向ける。その中にはもちろん、マラキアも混ざっていた。
たった今、仕上がったばかりのドレスを受け取った令嬢は、元々マラキアと懇意にしていた。それが、ウルスラの腕を確かめたいと無茶を言ったのだ。
堂々と受けて立つのが、ホートン候の侍女だった者の務めだろう。いや、受けて立たなければ、ホートン候推薦の針子という面目が丸つぶれになる。
微調整を含めた仕上げを、お望みどおり、目の前でさっさと済ませてやったのだ。今後は、マラキアを懇意にしないはず。
(言っておきますけどね、あのホートン候が認めてくださったんですよ? 並の人間じゃないと、察して当然と思うんですけどね)
そもそも、注ぎ込んだ努力の量が違うのだ。
実のところ、できることは針子の仕事だけではない。侍女としても、間諜としても、即戦力になれると、自信を持ってきっぱりと断言できる。
それを自慢げに言うことは、当たり前だがしない。余計な敵を作るのは、今回の目的ではないのだ。
一刻も早く、マラキアをこてんぱんに伸して、自分の居場所へ帰る。それが、何よりの優先事項なのだから。
(三日目にしてようやく、私の評判が貴族に出回るようになったんですね。残念ですけど、予定より一日遅いですねぇ。私としては、昨日のうちに、腕試しの貴族が来る予定だったんですから)
頭の中では、どうしたら少しでも早く、貴族に名を売れるか。マラキアの無能振りを、何も知らない人間に知らしめられるのか。ひたすらにそればかりを、グルグルと考えているのだ。
しかし、顔には一切出さず、にこやかな微笑が浮かんでいる。
「……ねえ、あなた、ホートン候のところにいたんでしょ?」
(よし来た! かかった!)
思わず素に戻って、心の中で叫んでしまった。拳をグッと握り締めなかった点は、自分を褒めてもいいだろう。
内面のわずかな動揺が外に漏れないよう、ウルスラは取り立てて澄ました表情を取り繕う。まるで仮面をつけているような、完璧な微笑だ。
化粧の仕方も、髪型も、わざとらしいほど変えている。服装も、単なる侍女と変わりない。最初の採寸以外は世話になっていないため、実はエリカ騎士の一員とは、さすがに気づかないだろう。
これで気づけるほど鋭い人間なら、マラキアはとっくに、置かれた立場のまずさを理解している。
「はい。ホートン候にはお世話になりました。ここへも、強く薦めてくださったそうで……本当に、感謝しても感謝しきれません」
ニコッと微笑み、ウルスラはあっさりと肯定する。相手がどれだけ鼻白もうが、これっぽっちも意に介さない。
恐らく、五、六歳だっただろう、と聞かされた。見たところ、そのくらいの体格だったそうだ。
ボロ布とほとんど区別のつかない状態で、路地裏にゴロンと転がって。泥や埃で顔も体もすっかり汚れて、髪の色はさっぱりわからなくなっていた。その時のことは、今でもはっきり覚えている。
全身がしっかり映る大きな鏡の中にいた、髪や肌の色がわからないほど汚れきった、ガリガリにやせ細った子供。その頃の自分を、忘れることはできない。
しかし、拾われた以前のことは、今でもまったく思い出せないのだ。
どこで何をして、どうしてそんな状態になっていたのか。
本当の名前は、何だったのか。
当時、実際には何歳だったのか。
十年以上経ったが、結局何ひとつ、思い出すことはできなかった。とはいえ、わざわざ思い出したいわけでもない。
身に余る幸福を、惜しげもなくどんどん分け与えてくれた人たち。この命を残らず投げ出してもいいと、心の底から思える人。彼らのために生きている今が、今だけが、何よりも大切だから。
(今は、王女様はいませんからね……次に高位の貴族令嬢となると、実はうちの団長なんですよね。ホートン候の孫で、モデスティー伯の娘ですから。その次で、しかも令嬢がいる貴族となると……)
国の防衛に深く関わるホートン候は、それだけ権力を持っている。実質的に国政を動かしているモデスティー伯もまた、別の意味で強大な権力を握り締めているのだ。
彼らの次に力を持つ貴族は、どうしても見劣りしてしまう。
(ランソム候の令嬢、といったところですね)
他の侯爵家には、未婚の令嬢はいない。すでに嫁いだ娘に、新しい侍女をつける理由はないだろう。
貴族令嬢の侍女に、と望まれる針子は、それだけで顔と名が売れる。もちろん、有名なら既婚者でもかまわない。ただ、社交界で着飾る未婚女性の新しい侍女となれば、それだけで注目されるのだ。
それが、現時点で最上位に位置する令嬢となれば、なおさら。
狙うなら、一も二もなく彼女だろう。
(何とかして、ランソム候とつながりを持ちたいところなんですが……あの人、中立派なんですよね。私じゃ、おいそれと接点は持てないので、どうにかして向こうから来てもらうしかないのが、本当にきっつい痛手ですよ。いくら私でも、第三王子を利用するのは気が引けますし)
中立派ゆえに、誰がランソム候とつながっているか、さっぱりわからない。社交の場ではそつなく過ごしていても、実際には犬猿の仲、ということもある。失敗しないためにも、できるだけ多くの貴族に名を売りたいのだ。
フッと目を向けると、マラキアが何か言っている。
これまで思考に没頭していて、まったく聞いていなかった。だが、今さらきっちり耳を傾ける気も、反省も後悔もない。
「申し訳ありませんが、仕事をしてきてもいいですか? ステーシー伯から、お屋敷への呼び出しを受けておりますの」
もうじき社交界へ出る娘に、ドレスを作って欲しい。父親自ら、そう頼んできたのだ。
嫌味を感じさせないよう、自然にニッコリ微笑んで、ウルスラは針子の集まる部屋を出た。外へ向かって歩きながら、ぼんやりと今後の目標を確認する。
(ステーシー伯では、地位も家柄も少々物足りないのですけれど……まあ、いいです。何人か伯爵家とつながりができたら、伯が団長のドレスを私に作らせてくれると言っていたので、今はそれだけが励みですね)
モデスティー伯の愛娘であり、ホートン候の初孫。そばにいたいと思う、大切な少女。彼女をこの上なく綺麗に着飾るドレスを、この手で作れること。
その意味も、ありがたみも、ウルスラには痛いほどよくわかっている。
(ふふっ……貴族に名を知らしめるチャンスを失った時、マラキアはどんな顔をするんでしょうか……ああ、今から楽しみで仕方がありませんね)
ウルスラの評判を最大限に高め、屈辱に全身をどっぷり浸らせてから、マラキアを打ち捨てる。同時に、彼女の元々の主も、ほうほうの体で逃げ帰る予定だ。
頼るものもなく、みじめに暮らしていくことになるだろう。
それを想像するだけで、スッと胸がすく。実際に目の当たりにしたら、どれほどすっきりするだろうか。
(団長に嘘を吹き込んで、惑わせた報いですよ)
メイベルを利用し、こちら寄りなのだと思わせようとした。挙げ句、すべての騎士に対する印象を、少しでも悪くしようと試みたのだ。
罰する理由はあっても、見逃す道理などない。
(確かに昔の騎士は、家督を継がない子息の受け皿でしたけどね。その頃には、リナリア騎士団しかなかったでしょうに。今は騎士団の数も増えて、しかも跡継ぎであっても、もまれて強くなっておくという理由で、従騎士くらいにはなるんですよ。正規の騎士になるには、本人の資質も重要なんですよね。むしろ、貴族だけじゃ足りなくて、頭がまともで腕の立つ庶民や傭兵を、承諾してくれた貴族の養子として受け入れているくらいですから。誰でも彼でも受け入れることはしないことくらい、少し考えたらわかりそうなものですけど……本当に愚かですね)
自分以外の、モデスティー伯の密偵から聞かされた話に、ついつい激怒してしまった。彼の報告で、あれほど手際よく、関わるだろう主要な人間が集められたらしい。
怒り狂うなど、ずいぶん大人げなかったと、今なら反省できる。だが、あの時は、激しい憤りで何も考えられなかったのだ。
ボーッと考えごとをしていても、ウルスラが道を間違えることはない。
城の外へ出て、賑わう街をスタスタと足早に歩く。
ステーシー伯の屋敷は二番街にある。城のすぐそばではなく、その一本向こう側という、まさに微妙な位置だ。ただ、一番街との区切り脇という点では、まだ恵まれている。
ドアを叩き、応対を待つ。
「どちら様でしょうか?」
出てきた執事に、露骨に怪訝な顔を向けられた。
今のウルスラは、城の使用人の服だ。針子には針子用の服があるのだが、逆に動きづらいので、あえて使用人の恰好をしている。その上、針子らしい道具は何ひとつ見えない。
そのせいで、恐らく、単なる言づけと間違われたのだろう。
「城から参りました、針子のウルスラと申します。本日、こちらの旦那様に、お嬢様のお召し物を作るよう仰せつかりましたので、うかがった次第です」
「ああ、針子の方でしたか。主よりうかがっております。こちらへ」
すんなり通され、案内される。着いた先は、エリカ騎士の宿舎と変わらない広さのサロンだった。
中央のテーブルを取り囲むソファは、特注だろうか。やけに長い。そのひとつに、中年男性とあどけない少女が座っている。
(……意外と、社交的ですね)
地位と屋敷の大きさに比べ、サロンに重点が置かれている。そこからウルスラは、人を招くことが好きな人間だと察したのだ。
それだけに、幅広い交友関係が期待できる。
(あまり乗り気ではなかったんですけど、思わぬ拾いものかもしれませんね)
室内はチラリと一瞥するだけに抑え、ウルスラはしっかりと礼を取った。
「新参者の針子ですのに、お声かけいただき、ありがとうございます」
「いや、相当腕のいい針子だと、モーリス伯がおっしゃっていたのでね。娘のジューンには、ぜひとも素晴らしいドレスと、評判の作り手の話題を手に、社交界に華々しく出て欲しくてね」
「まあ、モーリス伯が……ウルスラが大変喜んでいたと、機会があればお伝えください」
ややはにかみながら、ウルスラは小さく笑う。
モーリス伯は、ホートン候と懇意にしている貴族だ。中立派にもわずかに人脈を持っているため、貴重な仲間と言える。
しかしながら、ホートン候は、彼自身の人脈を無償で貸してはくれなかった。ただし、針子を推薦した話を振られたら腕を保証してやる、とは言われている。
自力で一から人脈を作り上げろ、と無茶を言われた割には、ありがたい手助けだ。
「では早速、娘に見立ててやってくれないか?」
ニコニコしていたウルスラは、すうっと表情を改める。そして、目の前の男性の傍らに座る少女へ、視線を無遠慮に向けた。
栗色の髪と瞳は、この国ではよくある色だ。決して珍しくはない。それだけに、斬新な色合いのドレスは作りにくいとされている。
髪色に似合わないドレスは、社交界では悪い意味で目立ってしまう。どうせ目立つならば、よく似合う色で、やはり似合うがこれまでにない形に限る。
しかしながら、年齢に似つかわしくないものもまた、蔑まれる傾向にあった。
それゆえに、社交界に初めて出る時には、親も子もかなり気を張るのだ。
「……私はお嬢様に、新緑色をお薦めします」
ただしこれは、よくある色だ。それだけに、埋没しかねない。
「私は初見ですが、非常に慎ましやかなお嬢様とお見受けします。ですから、今の社交界で流行している形は、お嬢様のよいところを損ねてしまいます」
首どころか、鎖骨を半分は見せる。それが流行だ。勘違いしている女性になると、胸の谷間がバッチリ覗き見えることもあるらしい。
はしたないことこの上ない、下品な流行だ。ウルスラはそう思っている。
「私はお嬢様に、襟の詰まった形をお薦めします。あからさまな露出をされる方もいらっしゃる中、ますます慎ましやかに見えるでしょう。ところで、当日、お嬢様のエスコートをしてくださる方はどなたですか?」
「え……えっと、ランソム候子息の、オーガスト様です」
押しの強い令嬢ではないようだ。少々はっきりした口調で問うただけで、こんなにもあっさり答えてしまうとは。
やや呆れ気味になったところで、思わぬ名前に一瞬硬直する。
「まあ……ランソム候と懇意にされていらっしゃるのですね」
「はい。シルヴィア様には、いつも気にかけていただいています」
(何という幸運でしょう! まさか、狙いの令嬢と、すんなり接触できる可能性がでてくるなんて……ちょっと私、団長に会えなくて気が狂って、自分に都合のいい夢でも見ているんでしょうか)
侍女になって欲しいと言われても、受けることはできない。この身はあくまで、エリカ騎士の一員だ。
それでも、侍女に、と望まれた事実は大きい。
(では、そのシルヴィア様につないでもらうため、お嬢様のドレスはほぼ全力を出させていだたきますよ)
早くしなければ、フィエリテの王妃サマラがやってきてしまう。彼女が手を出してきた段階で、一気に片をつけると聞いている。
それまでに何としても。
(団長のドレスを作るのは、私ですからね! 絶対、死んでも、マラキアには作らせませんよ!)
決意を新たに、隠し持っていた小さな巻き尺を取り出す。
ステーシー伯には一度退室してもらい、ウルスラは令嬢の採寸に取りかかった。




