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四番街の弓姫は新米団長  作者: 日咲ナオ
第二章 初仕事
35/80

五章 3

 シンティアたちは、すでに赤の離宮へ移した。まだ落ち着かないだろうが、それでも、綺麗な場所ならば気分はまったく違うだろう。

「ねえ、ベアトリス。申し訳ないのだけれど、わたくしと一緒に来てくださるかしら」

 青の離宮の片づけをしていたベアトリスへ、メイベルが声をかけた。ついでのように、オリオンにも似た言葉を告げている。

「……例の件に絡んで、ですか?」

「ええ。これで最後と思って、少しつき合ってちょうだい」

「わかりました」

 オリオンが承諾するならば、ベアトリスに拒否する意志はない。

 彼が一緒であれば、不安も恐怖も、いくらか軽くなる。

 だから、行かずに一人で待つ選択肢も、一人で出向く可能性も、ベアトリスの中にはなかった。

 メイベルに先導され、オリオンと並んで歩く。

 向かった先は、兄の執務室だ。そこを越え、さらに奥へと進む。

「……地下、ですか?」

「ええ。地下牢に用事があるの。ああ、そうでしたわ。ベアトリスは、何か言われても、思うままに答えて大丈夫でしてよ。あの甘ったれを、容赦なく、バッサリ切り捨てておやりなさい」

 メイベルの口振りからは、地下牢で誰かに会うことになるようだ。しかし、そこに誰がいるのか、ベアトリスには一向に想像がつかない。

(甘ったれ、だなんて……いったい、どんな人なの?)

 右に左に首をちょこちょこ傾けながら、ベアトリスは地下へ続く階段を下りる。下りきった先の突き当たりのドアが開けられ、さらに奥へと進んでいく。

(ここが、地下牢?)

 通路の両側に、ズラリと鉄格子が並んでいる。両隣の壁は厚く、ひそやかな会話には向かない造りだ。空気が通るだけの小さな窓がいくつか、はるか上部に開いている。

 決して、空気がよどんでいるわけではない。けれど、全体的に薄暗いこと。さらに、大きな石をたくさん積み上げた壁と、がっしりした鉄格子の印象か。どうにも息苦しさが拭えない。

「ステラ、ジェローム」

 牢に向かって、メイベルがしっとりと呼びかける。前を見つめるメイベルの表情は、どこか痛ましい。

 ようやく聞き覚えのある名前に、ベアトリスはスッと体を緊張させた。

(それにしても、王女様や王子様が、どうしてこんなところに……?)

 疑問を覚えたものの、気軽に問える雰囲気ではない。

「ベアトリスはこちらよ。オリオンは向こうに」

 ほっそりしたメイベルの指が示した牢の前へ、ベアトリスは怖ず怖ずと進み出る。奥にほど近い、反対側の牢へ、オリオンが歩いていく。

 牢にはしっかりと鍵がかけられている。格子も一本一本が太く、間隔は狭めだ。簡単に出られるものではない。

 知らず知らず、ホッと安堵の息を吐いたベアトリスは、そっと牢の中を覗き込んだ。

 奥で座っているため、パッと見には男女の判別がつきにくい、髪の短い人物がいる。よほどの理由がない限り、王女は髪を伸ばしているだろう。そうかんがみれば、ここにいるのは恐らく王子の方。

(この子が、ジェローム王子……?)

 末の王子というだけあって、見た目は、シンティアよりさらに幼い印象だ。

 薄暗くて、外見はもちろん、表情もはっきりとはうかがえない。

「……エリカの、団長?」

「はい。初めまして、ジェローム王子。エリカ騎士団団長のベアトリスです」

 挨拶をしている間に、ジェロームは牢の奥から手前へ、ズリズリと移動してきた。

 うっすらとした燭台の明かりに照らされた顔は、とにかく幼い。まだ、十二、三歳くらいではないだろうか。

 どことなく寂しそうな影が落ちていることが、わずかに気にかかる。

「……アマリリスの団長を選んだって、本当?」

 一瞬、意味がつかめなかった。けれどすぐに、それが婚約の件だと気づいたベアトリスは、まず頷く。それから、少し慌てたように、小声で「はい」と呟いた。

「……彼が好き?」

 真っ先に、ベアトリスは瞠目する。わずかに視線をジェロームから逸らし、ゆるゆると目線を下げた。

 好きか嫌いか。その選択肢なら、答えは「好き」だ。

 ただし、その問いには、より明確な答えがまだ出ていない。

 友人に対する感情か。はたまた、異性として意識をしているのか。それらを飛び越え、家族に対する愛情に近いものなのか。

 これだ、とはっきり言い切れないのだ。

「難しい?」

 クスクス笑うジェロームは、外見の印象よりずっと大人びて映る。

「じゃあ、僕はどう?」

 これにも、ベアトリスは答えられない。

 何しろ、たった今、初めて顔を合わせた相手だ。

 そもそも、四番街(よんばんがい)には、国王や王太子の噂すら、それほど多く聞こえてこなかった。シンティアが教えてくれるまで、王女が二人、王子が五人もいることすら、知らなかったのだ。噂話に疎いベアトリスは、末王子の話を聞いたことがない。

 ベアトリスが王族について知っていることは、誰でも知っている明らかな事実ばかりだ。

「……今、初めてお会いした方を、あたしは、好きとも嫌いとも言えません」

 正直な気持ちを、たどたどしく吐露する。

 一瞬、大きく目を見開いたジェロームは、ため息とも吐息ともつかない息をこぼした。

「……初めてじゃないよ」

「え……?」

 ジェロームがボソリと呟いて、ジッと見上げてくる。ベアトリスは、軽く尻を浮かせ、膝をグッと抱えてしゃがみ込む。

 彼と視線を合わせるように。

「どういうことですか?」

「言葉どおりの意味だよ。僕は、君に会ったことがある。エリカ騎士の入団試験の告知。あれがばらまかれる数日前の、夕暮れの四番街で」

 ──思い出して。

 ジェロームの瞳は、そう言っている。だが、ベアトリスには、どうしても思い出せない。

 夕方には、夕食の材料を買いに出るから、確かに街にいることが多かった。けれど、四番街の住人は、そのほとんどを把握している。

 たとえジェロームと知らなくても。慣れた街で見知らぬ少年と言葉を交わしていれば、嫌でも覚えているはずだ。

「……ゴメンなさい。あたしには、覚えがないんですけど……」

 吐息に乗せた小さな笑い声を漏らして、ジェロームは肩をちょいとすくめた後にがっくりと落とした。

「僕はあの時、君の笑顔に心を奪われた。君のことを調べて、年上だとわかっても……諦められなかった。保護者で兄であるモデスティー伯の命令なら、君を手に入れられると考えたけど……君はもう、僕の手では絶対につかまえられないと、はっきりわかったから」

 彼の言う『あの時』がいつなのか、ベアトリスにはさっぱり思い出せない。

 そのことが、ひどくもどかしくて、申し訳なくて。

「多分もう、君と会うことはないから……最後に、わがままを言ってもいい? 一度だけ、君と手をつないでみたいんだ」

 きっと、突っぱねるのが正しい答えだろう。それは、ベアトリスにも何となくわかっている。

 けれど、心のどこかで、罪悪感が泣いているのだ。

 この罪悪感を抱えたまま生きていくのは、恐らく、叫びたいほど苦しいだろう。

(……あたしは……)

 逡巡した末、ベアトリスは怖ず怖ずと、右手を牢へ伸ばした。その手へゆっくりと、ジェロームが左手で距離を詰める。

 わずかに牢から抜け出たジェロームの指先が、ベアトリスの指先に触れた。ググッと隙間を通り抜けた手が、キュッとベアトリスの指をまとめてつかむ。

 いったい、どのくらいそうしていただろうか。

「……ありがとう。それから、ゴメンね」

 パッと離れた手は、あっという間に牢の中へ引っ込んでしまう。

 不意に消えたぬくもりを追いかけたいような、妙な心細さに襲われる。

 無性に寂しがるこの手に、今すぐ、オリオンに触れて欲しい。寂しがる必要はないのだと、確かな温かさで教えて欲しい。

 チラッと確かめたオリオンは、まだ牢に向かって話をしていた。柔和を絵に描いたような彼からは想像もつかない、冷淡で怖さを覚える表情だ。

(今はきっと、近づかない方がいいよね……)

 そっと首を横に数回振って、ベアトリスは自身の手でギュッと握り締めた。


         ‡


 青の離宮を綺麗に片づけた翌日。ベアトリスは赤の離宮のサロンで、いつもどおりシンティアと茶を飲んでいた。

 もう数日滞在して、シンティアはアレグリア王国へ帰国するらしい。

「寂しくなりますね……」

「ちょっと、ベアトリス。まだ数日はここにいるのよ? 今からしんみりしないでくれるかしら。わたくしまで、無駄に寂しくなってしまうでしょう?」

「あ、ゴメンなさい、シンティア王女」

 ぷくっと頬をふくらませて、少し横を向くシンティアに、ベアトリスは素直に謝る。

 彼女が帰国したら、友人として手紙をやり取りする約束だ。決して、これで縁が切れてしまうわけではない。

 それがわかっていても、ベアトリスは寂しい気持ちを抑えられなかった。

「それから、あなたにもいろいろ心配をかけてしまったから、これからそのお詫びをするわ」

「え? いえ、あたしは……」

 心配も迷惑も、かけられた覚えはない。むしろ、心配されてばかりいたはずだ。

 そう伝えようとしたところで、ドアが静かに叩かれた。

「どうぞ」

 シンティアが答え、訪問者はさっさとドアを開けて入ってくる。

「あ……ベルギル王子」

「エリカの団長、久しぶりだな。ああ、まだ正式に発表はされていないが、いつ会えるかわからないから今言っておく。アマリリスの団長との婚約、おめでとう」

「え? あ、ありがとうございます……?」

 いくら、会う機会がほとんどないとはいえ、今言われるとは。

 それ以前に、いったいいつ、誰からそんな話を聞いたのか。

 きっちり問い詰めたいことは、いくつもある。

「ねえ、ベルギル様」

 シンティアが呼びかけると、ベルギルはピシッと硬直した。どことなく、何かを怖がっているようで、完全に挙動不審だ。

「わたくしにとってあなたは、誰よりも、わたくしの理想そのものでしてよ。あなたの妻と呼ばれる日が、ずっと楽しみでしたの」

 ニッコリ微笑むシンティアからは、その真意が読み取れない。

 ベアトリスもベルギルも、ただぼんやりと、彼女を見つめるだけだ。

「一度、聞いておきたかったの。ベルギル様は、ほんの少しでも、わたくしを愛してくださっていたの?」

 ギョッとした様子で、ベルギルは大きく目を見開いた。やけにたじろぎながら、助けを求めるように視線をフラフラ泳がせる。

 だがすぐに、助けてくれる者がいないと悟ったのか。

 ふうっとひとつため息をついて、腹をくくったらしいベルギルが口を開く。

「……その気がなければ、婚約はしない」

(それじゃ、ダメ……)

 直感的に、ベアトリスはそう思った。その証拠に、シンティアの表情は、少し作ったような笑顔からまったく動かない。

「元を正せば、少なからず気になっていたから、縁談が持ち込まれた時に会ったんだ。何というか……過去の印象と、噂から想像した以上に楽しかった。だから、承諾した」

 シンティアは怪訝な顔をして、軽く首を傾ける。だが、彼女はまだ懐疑的だ。

「……わたくし、あれ以前に、ベルギル様にお会いしていましたの?」

「覚えていないのも無理はない。何しろ、男装の麗人に見えるレーニアが一緒だったからな。他の人間は、嫌でもかすむだろう?」

 今は妖艶な美女で、あのヴァーノンですら、昔は天使と見まごう美少女、と称していたくらいだ。

 会った人間の視線をことごとく、残らず奪うくらい、造作もないことだっただろう。

「それに、あの時は、王子と主張するレーニアに、あなたが真っ向から妙な反論をして、派手にケンカをしていたから、なおさらだ」

 くつくつと笑うベルギルの言う状況が、ベアトリスにもなぜかあっさりと想像できた。

 男と知らされた今でも、たまに半信半疑になるのだ。今よりさらに違和感がないだろう子供の頃では、男装の疑いが強くなるのは無理もない。

(でも、昔は、メイベルさんは自分から王子だって言ってたのね。今は、絶対言わない気がするけど)

 王子と名乗る、絶世の美少女。それは、シンティアでなくとも、男装の王女が懸命に主張しているようにしか見えない。

「正直に打ち明ければ、あの頃からシンティアが気になっていた。あのレーニアに真っ向から勝負を挑む無鉄砲さが、成長してもまったく消えていない。それどころか、むしろ悪化していると聞いて、その上で縁談が持ち込まれたものだから……興味を持たないはずがないだろう?」

 ベルギルは、シンティアしか見ていない。シンティアもまたしかりだ。

(……ひょっとして、あたし、邪魔かな?)

 それ以前に、ここにいることを、すっかり忘れられているかもしれない。

 こっそり出ていこうにも、物音が立てば気づかれるだろう。

 今はこのまま、できるだけ気配を消して、二人の邪魔をしない。それが得策のような気がしてきた。

「改めて言っておく。シンティアを全力で幸せにしてみせるから、俺の妻になってくれるか?」

 音がしそうな勢いで、シンティアの露出した肌がふわっと赤く染まる。口をパクパクさせているシンティアは、必死に言葉を探しているようだ。

「……わ、わたくしの夫となる方は、アレグリアの次期国王になる方でしてよ! ですから、逆ですわ! 嫁いできてよかったと言えるように、わたくしが全力で、あなたを幸せにして差し上げます!」

「……そうか、俺は嫁入りするのか」

「実際には婿入りですけれど、似たようなものでしょう? わたくしは、嫁入り気分ですけれど。何より、わたくしが感じる幸福以上の幸せを、味わって生きていただくのですもの。どちらでもかまわないわ」

 完全に存在を忘れられている。

 そう察したものの、ベアトリスは動けずにいた。

 せっかく、二人が仲直りをしたのだ。しかも、さらに睦まじくなった様子だから、その邪魔をしたくはない。

 とはいえ、ただよう空気は、非常にいたたまれないものがある。

(早く気づいてくれるか、誰か飛び込んできてくれないかな……)

 思わずそう願ってしまうほどに、あまりにも場違いな存在のような気分がしてしまう。

(でも、シンティア王女が嬉しそうで、幸せそうで、本当によかった)

 ほんのりと頬を染めて、今までで一番素敵な笑顔で微笑むシンティアを眺めて。ベアトリスはホッと、安堵の息を吐き出した。

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