五章 2
ずっと気にかかっていたことは、これでほぼ一段落だ。今後は、表立って守る役目は彼に任せ、こちらは先回りして裏からいろいろ手を回せばいい。
今すぐやらなければいけないことは、別にある。
モデスティー伯は自身の執務室を通り過ぎ、さらに奥へと進んでいく。同行者は、ホートン候とその妻だけだ。
この先に立ち入りが許されているのは、ほんのごく一部。関係のない者を立ち入らせないために、手前で仕事をしているのだ。たったそれだけで、大多数は不用意に近寄らなくなる。
「それにしても、彼がね……」
ホートン候夫人が、しみじみと呟く。
単なる独り言だったようで、返事がないことは気にしていない様子だ。
彼女だけでなく、それは共通の思いだろう。
(……まさか、と俺も思ったくらいだからな)
その『彼』に、これから会いに行く。
何を考えて、わざわざこんなことをしでかしたのか。本当の狙いは何だったのか。そもそも、何がしたかったのか。
それらの疑問を残らず、すべて吐き出させるために。
通路の行き止まりにあるドアを開け放つと、下へ向かう階段へ続いている。それを下りきった先は、人一人通るのがやっとの細い通路が続く。
階段下に置かれた燭台に火をつける。この先は、頼りないこの明かりだけが頼りだ。うっかり消してしまわぬよう、気をつけてゆっくりと先へ進む。
行き止まりにはまたドアがあり、そこを開ければ目的地だ。
通路の両側にズラリと並ぶ地下牢と、鉄製のドアに阻まれた尋問用の部屋。
牢を開け、連れていく間、会話は一切ない。石造りの地下牢には、複数の靴音だけがひっそりと響いている。
鉄製のドアを開け、まずは男の背を押して中へ押し込む。逃げられないよう、モデスティー伯、ホートン候夫妻が立て続けに部屋へ入った。
部屋の中には、小さな机と、向かい合う形でふたつの椅子が置かれている。四人入っても、取り立てて狭いとは思わない。
「座るか?」
「どちらでも」
モデスティー伯の問いに答える男は、ひそやかな笑みを浮かべた。
出入り口にはきっちりと鍵をかけ、ドアの前にはホートン候夫妻が悠然と立っている。ここから逃げ出す術は、恐らくないに等しい。
覚悟を決めたのか、男は奥の椅子を軽く引いて腰かける。それを見届け、モデスティー伯も反対側の椅子に座った。
机の上には、紙が数枚とペン、それからインクが置かれている。
「まずは名前から言ってもらおうか」
名前どころか、年齢、家族構成、その他もろもろ、すべてわかっている相手だ。あくまでこれは、形式的な問いにすぎない。
返答次第では、形式をすっかり飛ばして、直接本題に入るつもりでいる。
「マイル・モデスティー」
「次に、年齢と家族の詳細を」
スラスラと答えてきた言葉を、一言一句違えないよう、モデスティー伯は紙に書き留めていく。
「それでは本題に入るが、なぜ、ステラ王女とジェローム王子を巻き込んだ?」
「もちろん、兄さんの可愛い秘蔵っ子を、兄さんの予定を狂わせて、強制的に公表させるためだよ。ほら、アマリリスの団長も絡んでいるようだったから、ステラ王女にも教えてあげないと不公平でしょ?」
「そんなところだとは思っていたがな……」
ほぼ予想していたとおりの返答だ。
だが、あくまでそれは、本音ではない。表向きの、誰もが納得してくれそうな、取り繕った理由でしかないのだろう。
「もう一度聞く。なぜ、ステラ王女とジェローム王子を巻き込んだ?」
建前など、どうでもいい。
モデスティー伯がそう言いたいのを、ペンを動かさなかったことで察したのか。マイルはひょいと、軽い調子で肩をすくめる。
「兄さんの望まない結果にしたかったから。まあ、こっちの思惑と違って、ジェローム王子はなかなか接触してくれなかったね。ステラ王女も、ちょくちょく顔を見るレーニア王子に怯えて、やっぱり動きが鈍かったからかな」
「教え損だったな」
「そうだね。でも、白の離宮でイライラしながら、あの子の心配をしている兄さんを見るのは、案外悪くなかったよ」
「なかなかにいい趣味だな」
この手合いは賞賛と受け取る男だ。互いに堪えるものなどない。
意識せずとも手の内がわかってしまうから、素直に吐かせることが難しい、希有な相手だ。
「それで、どうしてステラ王女とジェローム王子まで巻き込んだんだ?」
ステラは次の春に、他国へ嫁ぐことが決まっていた。だが、今回の騒動で、それは白紙に戻るだろう。今後、素晴らしい良縁に恵まれるとも思えない。下手をすれば、幽閉されて一生を終えることになる。
ジェロームも同様だ。そそのかされてあっさり犯罪の片棒を担ぐ王子など、たとえ優秀であっても、敬遠するのが王侯貴族というもの。騒乱の芽になりそうな人間を、わざわざ招き入れたいはずがない。
まるで、彼らに強く深い恨みのある人間が、さりげなく、わざと巻き込んだような。
ひどく釈然としないものを感じるのだ。
「大元は、個人的な理由だね。僕の可愛い娘を、あの子以下だと言ってくれたジェローム王子も、そんな彼を育てた王族も、許しがたかった。ただ、この手で直接巻き込んで、叩き落とせたのが、ステラ王女とジェローム王子だっただけ。別に、レーニア王子やベルギル王子に隙があれば、彼らでもよかったんだけどね」
「三番目と四番目は、さすがに難しかっただろう?」
モデスティー伯は声に皮肉を込めて、スッと目をすがめて口角をわずかに持ち上げる。
特に、レーニア王子は、ある意味完璧だ。弱点と言えるのは、偽名と擬態で騎士団長をしている事実を、大々的に公表していない点だろう。
ベルギル王子は堂々と公言していたから、誰でも知っている。弱点は、シンティア王女くらいか。その王女も、いわゆる『災いの口』だ。迂闊に近寄れば、かえって痛い目を見る。
「その、何でもわかってます、って顔が、一番腹が立つんだよね」
「お前のその、呆れるほど何もわかっていない頭が、俺は一番腹立たしいがな」
確かに、モデスティー伯として、国政をほぼ掌握している。だがそれは、父がかぶせてきた汚名を返上するため、心血を注いでひたむきに努力を重ねてきたからだ。
実績と信頼を、コツコツと積み上げてきた結果だ。
その名を、何も持たない単なる血族が気軽に利用したところで、成果に結びつくはずがない。
兄弟仲がよければ、まだ利用価値はある。だが、実際は、顔を合わせた兄弟が、素っ気なく素通りする状況だ。挨拶ひとつ交わさないのだから、ますます利点などないというのに。
モデスティー伯の弟。
何が起これば、それがどんな人間も思いどおりに動かせる魔法の言葉だと、勘違いしてしまえるのか。
「俺の弟妹は、お前一人じゃない。だいたい、こうして顔を見て話をするのは、何年ぶりだと思っているんだ? 俺の実子ならともかく、お前やお前の娘ごとき、利用価値などあるはずがないだろうが。そんなことも理解できず、逆恨みとは……同じ家名を名乗ること自体、こちらは恥ずかしくてたまらないな」
「……あんな父親と、取り柄のない母親の間に生まれたこの身を、恨まなかった日はないよ。跡継ぎで、まだ恵まれている兄さんに、放っておかれただけの僕らの気持ちなんて、わかるわけない!」
「ああ、わからんな。わかりたくもない」
繰り返される醜聞。死別や離縁のたびに、すぐさま新しい妻を迎え、どんどん見境なく弟妹を増やしていく。そんな父親の跡継ぎとして生まれ、育てられた。その上、愛した女性を、形の上では奪われている。
(いったい、どちらがマシだと思っているんだ?)
実態は、彼より幸福に生きてきたと、モデスティー伯にもわかっている。だが、世間の目から見た場合、どちらがより幸せか、判断がつかないだろう。
「わかって欲しいと言うなら、お前はまず、この人を奪われたら生きていけないと思うほど、強く深く、誰かを愛してみろ。そして、その人間を、身近な人間に強引に奪われてこい。話はそれからだ」
この世で最もそばにいて欲しかった女性の最期すら、看取ることもできずに。遺児を愛しながらも、日々後悔にさいなまれ。なすりつけられたひどい汚名と、気の休まる時もなく戦い続ける。
そんな毎日を送ってみるがいい。
いつか気が狂いそうな、どんよりと暗雲が立ちこめる日常の連続だ。
「今後、あの子に手出しをしてみろ。俺とラウィーニアの一族、それとアマリリスの団長が、総力を挙げてお前を追い詰めてやる」
国外追放などという、生ぬるい決着では絶対に済まさない。
‡
同じ頃、メイベルも地下牢へ下りていた。
「ステラ、ジェローム」
妹と弟へ、そっと呼びかけてみる。相変わらず、返事はない。
わかりきっていたことだ。
親や兄姉が甘やかしていたから、世間は甘くないのだと、ついつい厳しくしてきた。二人に嫌われる理由なら、いくらでもある。
「あなた方への処罰は、今尋問されている男の自白次第でしてよ。一応、あなた方の弁明も聞いてはくれるでしょうけれど……期待はしないでおきなさい」
ジェロームは、牢の中でがっくりとうなだれていた。
自分のやったことが、どういう結果になったのか。恐らく、はっきりとはわかっていなくとも、薄々察しているのだろう。
問題は、ステラの方だ。
「あなたに言われる筋合いはないわ。そもそも、わたくしを処罰だなんて……リナリア騎士の団長ごときが、ずいぶん偉そうね」
反省どころか、自分が罪を犯したのだと、まったく理解していない。
「いいこと? あなた方のやったことは、要人のかどわかし。つまり、犯罪でしてよ。王族だからこそ、すぐさま処罰されないだけ。単なる市民であれば、その場で切りつけられて、とっくに死んでいるでしょうね」
よりによって、国政を滞らせたのだ。
関係者からことごとく、温情を望む声があがってようやく、王位継承権の剥奪程度で済む。このまま、反省の色も見られなければ、最悪の場合、一生を幽閉されて過ごすことになるだろう。
それはそれで、自ら選んだ結果だ。
わざわざしゃしゃり出て庇うことも、いらぬ反感を買うことも。メイベルには、どうしてもしてやる気になれない。
「何を愚かなことを……」
「愚か者はどちらか、じきにわかることでしてよ。いいこと、ステラ? このままならあなたは、十日もしないうちに、婚約破棄を言い渡されるでしょう。二度と、良縁はないと思いなさい。ジェロームも、まともな縁談は来ないものと諦めなさい」
すでに、それなりに反省しているジェロームには、さらにとどめを刺してしまった形だ。
しかし、ここでしっかりと悔いて、今後は改めてくれれば。少なくとも、ジェロームだけは、どうにか救い出すことができるかもしれない。
兄姉のように、ただ甘やかすことをしなかった。それでも、メイベル自身、この弟妹に対する家族としての愛情は、人並みには持っているつもりでいる。
最悪の結末には、できればさせたくない。
「言いたいことがある相手がいるのなら、わたくしがここへ連れてきましょう。ただし、オリオンもベアトリスも、いい返事が聞けないことだけは理解しておきなさいね」
今ここで、二人の婚約が正式発表を待つばかり、という状態であることを、教えてしまうのも悪くはない。けれど、当人たちの口から告げられれば、なおさら堪えるというもの。
現実を思い知るには、そちらがより、賢い選択だろう。
牢の中と外であれば、ベアトリスに危害が加えられる恐れもない。
「……レーニア兄様、エリカの団長を、連れてきてくれる?」
「ええ、約束しましょう」
甘ったれに育てられてしまっただけで、ジェロームはそれほど愚かではない。よくも悪くも、『自分』というものを、立場を含めてよく理解している。
(問題は、ステラでしてよ)
シンティアが『災いの口』なら、こちらは『わがまま王女』だ。
思いどおりにならなければ、平気で癇癪を起こす。そうして、これまで言うことを聞かせてきた実績がある。
けれど、今回ばかりは、そうもいかない。
この、大して広くない牢の中で、いったいどれほど暴れ回るのか。まったくもって未知数で、誰にも想像がつかないのだ。
「とりあえず、オリオンとベアトリスは連れてきてあげるわ。それから、武器になるもの、命を奪う危険のあるもの以外でしたら、たまには差し入れをしてあげてもよくってよ?」
冷ややかな声で告げたメイベルに、二人は何も答えない。
(本当に、面倒なことになってしまったようね)
騎士の世界に飛び込んだメイベル自身は、遠いとはいえ、王位継承権は有している。だが、この二人は、ほぼ確実に継承権を剥奪されるだろう。下手をすれば、王子だ王女だと、名乗ることも許されなくなる。
それが、きちんと理解できているのか。
(ジェロームはともかく、ステラにはまったく理解できていないでしょうね)
オリオンとの縁を望むことも、王女だからできたのだ。継承権を失ったばかりか、王女としての地位すらなくなれば、ただの市民と変わりない。とたんに、分不相応なものを欲しがる、図々しい小娘に成り下がるというのに。
(本当に、厄介ですこと)
ほうっとため息をひとつこぼして、メイベルはわざと靴音を鳴らし、階段をゆっくり上がっていった。




