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四番街の弓姫は新米団長  作者: 日咲ナオ
第二章 初仕事
33/80

五章 1

 ちょうど、宿舎に用事があったのか。それとも、ベアトリスが向かったと聞いて追いかけてきたのか。

 靴音も高らかに、メイベルが足早にやってきた。

「整列なさい!」

 ややすごみのある顔のメイベルが、騎士たちを一瞥して命令する。とたんに、リナリア以外の騎士たちも、あっという間にその場で隊列を整えた。

 五色の服が、とりどりに混ざっている。

「ベアトリスもお聞きなさい。昨夜、青の離宮を襲撃した犯人が、ようやく命じた人間の名を吐きましたの。ついでに、白の離宮にて、モデスティー伯を監禁していることも、教えてくれましたわ。ついては、これから白の離宮に向かいます」

「メイベルさん、それ、本当ですか!?」

「事実のようね。今から行く旨を、ウルスラに伝えさせに行ったところ、いつもどおりだったそうよ」

 あちこちから、げんなりした様子のため息が一斉にこぼれた。

 だが、ベアトリスは、周囲が気にならないようだ。彼女の意識はすでに、兄の居場所へと向かっているのだろう。

(やっと、兄様に会える……)

 今までは、会いたいと思えばいつでも会いに行けた。行けば、常に笑顔で出迎えてくれた。

 離れ離れになって初めて、大切な家族だと痛感した存在だ。

「ベアトリスは先に向かいなさい。シンティア王女は、わたくしが責任を持って警護しますわ」

「い、嫌よ!」

「お黙りなさい。リナリア騎士団、これよりシンティア王女の警護に当たるわ。総員、配備につきなさい」

 派手に騒いでいるシンティアと、冷静なメイベルの声を、ベアトリスは背中で聞く。

 足はとっくに駆け出していた。

 騎士宿舎から、青の離宮へ向かう途中。そこに、白の離宮がある。

 白の離宮へ近づくに従って、周囲を取り囲んでいる人影がちらほら見え始めた。

 さらに近づくと、その人影の半数は、ベアトリスが見知った顔だった。残りの半数は、騎士団の関係者や、王族のようだ。

「ベアトリス!」

 気づいたオーソンが声をかけてくれる。まるで、昨夜は何もなかったかのような、あっけらかんとした態度だった。

「に、兄様は……」

「ウルスラが見たところ、無事のようだ。危害を加えていないことは、関わった者の言質も取ってある」

「兄様はどこですか?」

 メイベルやオーソンが、気休めを言う人間でないことはわかっている。それでも、この目で無事な姿を見るまでは、ちっとも安心できない。

「サロンにいるらしいぞ。会ってこい」

 オーソンの手に、トン、と背中を押された。その力は、決して強くはない。けれど、開け放たれていたドアをくぐり抜けるには、十分だった。

 足がもつれそうになりながらも、ベアトリスは離宮の廊下を駆け抜ける。

 離宮はどこも、同じ造りになっている。だから、通い慣れたサロンの場所は、手に取るようにわかった。

 目的のドアを、うっかり叩き忘れたまま。ベアトリスは思い切り、バンと音がしそうな勢いで開け放つ。

「兄様!」

 白いソファに悠然と腰かけて、こちらを見ている兄の姿。わずかに驚いて、それからふわりと破顔する。両腕をゆっくり広げて、はっきりと頷いた。

 ほんの数日のことなのに、無性に懐かしいと感じてしまう。

 ぼやっと視界がにじんだ。

「……兄様!」

 広げられた腕の中に、ベアトリスは真っ直ぐ飛び込む。

 ギュッと適度に抱き締めてくれる腕は、間違いなく兄のものだ。母が亡くなって、引き取られてからずっと変わらない、兄の腕だ。

「心配をかけたな。悪かった」

 たくさん心配をした。もう二度と、会えないかもしれないと、ほんの少しだけ覚悟もしていた。その分、今は、安心しているし、嬉しいと思っている。

 思いを声に出したいのに。確かな言葉で伝えたいのに。

 しゃくり上げるばかりで、ベアトリスの喉からは言葉が出てこない。だから代わりに、首を何度も何度も横に振る。

「なあ、ビー」

 優しい兄の声が、そっと問いかけてきた。

「今のお前に聞くのは、正直心が痛むんだが……お前は、五人の騎士団長とジェローム王子の中だったら、誰の求婚なら受け入れたいと思う?」

 思いがけない問いに、ベアトリスは顔を上げる。

 彼女の頬はベッタリと濡れている。しかし、驚きで止まったのか、涙はこぼれていない。

(え……えっと……)

 突然のことで頭が真っ白になってしまったベアトリスだが、瞬きを繰り返しつつ考え込む。

 最初に過ぎったのは、オリオンだ。彼に言われたら、頷くかもしれない。それから順々に、団長たちの顔が通り過ぎる。だが、ジェローム王子の顔は、はっきりと思い出せなかった。

 求婚の言葉を言われて、嬉しい、とまでは言わなくても。

「……オリオンさん、だったら」

 決して、拒否はしない。

 彼とならば家族になりたい、と、いつか素直に思えるだろう。

「そうか。ありがとう、ビー。こんな時に聞いて、悪かったな」

 見上げる兄の顔は、やけに晴れ晴れとしている。まるで、長年引っかかっていたつかえが、ようやく取れたような。そんな、すっきりとした表情だ。

「これからしばらく、お前の周囲が騒がしくなるだろうが……まあ、それもそう長くはないだろう。さて、外に出るか。話の続きはそれからだ」

 まだ、何かあるのか。

 そう顔に書きながらも、ベアトリスは大人しく従う。

(兄様が一緒だもの、きっと悪いことじゃないわ)

 それでも、些末な不安は拭いきれない。壊れそうな勢いでドキドキと、心臓が激しく動いている。

 しっかりした足取りで、兄はさっさと外へ向かう。その背中を追い、ベアトリスは遅れないようについていく。

「プラシダ!」

 外へ出たモデスティー伯へ、頭がツルッとして光っている、顔が非常に怖い男性が声をかけた。年齢は、五十前後といったところか。たくましい体躯のためか、年齢を見定めにくい。

 男性のあまりに厳つい見た目に、ベアトリスは思わず足を下げる。

(……あ、この人、入団試験の時の……)

 ベアトリスはハッとして、男性をまじまじと見つめた。

 エリカ騎士の入団試験で、木を蹴り飛ばした試験官だと気づいたようだ。

「ホートン候、お手数をおかけしました」

「いや、お前にかける労力など、たいしたことじゃない」

「ビー、おいで。紹介しよう」

 威圧感にすくみそうになる足を、ベアトリスは必死に前に出す。それでも、一歩前に出るのが精一杯だった。

「相変わらず、ダメか」

 寂しげに微笑んで、彼はそっとため息を吐く。

「この方は、ホートン候……お前の祖父だ」

「……おじい、様……?」

 ホートン候という名には、覚えがある。シンティアから、何度か聞いた名だ。

 怯んで下がりそうになる足を、懸命に留めながら。祖父と紹介された男性へ、ベアトリスは呼びかけてみる。

「赤子の時も、わしの顔を見て大泣きしてくれたが……今も怖いか?」

「えっと……少し」

 本当は、今すぐ離れたいほど怖い。

 だが、あまりに寂しそうに笑っていた姿が思い出されて、実行するのはためらわれる。

「ビー、抱っこをさせてくれるか?」

 愛称を呼ばれた瞬間、ベアトリスはなぜか頷いていた。

 母と兄しか呼ばなかった愛称を、知っている。だからこの人は、間違いなく、祖父なのだ。

 不意に、そう、実感したからかもしれない。

 大股であっという間にベアトリスへ近寄ったホートン候は、ひょいと彼女を抱き上げた。ベアトリスを左腕の上に乗せ、右手で背中を支える。

 がらりと変わった景色に、ベアトリスは目を大きく見開く。

「軽いな」

 他の人に言われると、やけに反発したくなる言葉だ。けれど、苛立ちは湧いてこない。

「だが、ずいぶん大きくなった」

 涙がこぼれてしまう。

 そう自覚する前に、ポロッとこぼれ落ちていた。後から後からあふれて、止めることはできない。手の甲も手のひらも使って、ただひたすらベアトリスは拭い続ける。

「ああ、泣かないでくれ。プラシダと一緒で、わしもお前に泣かれると弱いんだ」

「もう、本当にしょうがない人ね。ほら、まずはビーを下ろして。ビーはこれで涙を拭きなさい。レディたるもの、ハンカチのひとつは常備しておくものですよ」

 シャツとズボンといった、これから乗馬するような恰好の女性が、ホートン候の背中を軽く叩く。ベアトリスには、真っ白なハンカチをスッと差し出した。

 ホートン候と変わらない年頃の、はつらつとした印象の女性だ。白髪混じりの薄茶の髪を、クルクルと巻いてまとめている。

「初めてじゃないけど、初めまして、ビー。あなたの祖母よ」

 ニッコリ微笑む女性に、ハンカチを受け取りながら、ベアトリスは忙しく瞬く。

「……おばあ、様?」

「そうよ。それにしても、見た目は本当にリサの面影がないわね。性格はリサそのものらしいけれど」

 笑みを崩さない年配の女性は、いつもニコニコしていた母を思い出させた。

「オーソンは話してあるのよね? じゃあ、後はプラシダくんだけね」

「ビー……今までずっと黙っていたことがあるんだが、聞いても怒らないでくれるか?」

「内容によりますから、保証はしません」

 きっぱりと言い切ったベアトリスに、祖父母から笑いがこぼれる。言われた兄は、肩を落として苦笑いだ。

「今までお前を妹と呼んできたが……お前は、俺とリサの娘だ」

「え……?」

 言葉がスルッと素通りした。

「お前は俺の娘だ」

 呆然としているベアトリスに、モデスティー伯は重ねて告げる。

「前モデスティー伯を知る人間なら、俺が正しいとすぐにわかるだろうな」

(……兄様が、兄様じゃなくて、父様……?)

 皮肉な笑みを浮かべる兄に、ベアトリスはただただ瞬きを繰り返し、ジッと見つめるしかできない。

「前モデスティー伯は、薄茶の髪にとび色の瞳でしたわ。リサ嬢も同じ組み合わせであったことを考慮すれば、嫌でも理解できるでしょう?」

 後ろから声が聞こえ、ベアトリスが勢いよく振り返る。

 色とりどりの騎士を大勢従えたメイベルが、ほっそりした指で落ちていた髪をサッと払う。ふわりと揺れる白金色の髪は、すぐにパサリと同じ場所へ落ちた。

 リナリア騎士に守られている、シンティアたちも見える。

 不意に頭に何かが触り、グッと首を倒したベアトリスは、触ったものを確かめた。

「この髪も、この目も、俺の母譲りの色だ。遠い国の貴族令嬢だった母しか、持っていなかった色なんだ。俺には同母の弟妹もない。だから、この色こそが、お前と俺が父娘だという、何よりの証拠だ」

 そっと頭をなでる兄──いや、父の手を、ベアトリスはジッと見つめる。

 一度にいろいろなことを言われて、まだ混乱はしている。けれど、合点がいったことも、少なからずあった。

 これまで、兄がやけに甘やかしてくれた理由。兄というよりは、父のようだと感じていたわけ。

 憎悪ではなく、惜しみない愛情をたっぷりと与えてくれた意図。

「お前は俺の異母妹ではない。誰よりも大切で、愛する娘だ」

 明かさずにきた事実を、より確実に、ベアトリスへ浸透させるように。モデスティー伯は、何度も『娘』であると強調する。

「……父様」

 生まれた時には死んでいたという、今まで父親だと思っていた人。彼を父と呼ぶのは、なぜか大いに抵抗があった。

 けれど今、兄を父と呼ぶことに、ためらいも迷いもなく。

 口からほろりと、言葉が自然にこぼれ落ちた。

「ビー、おいで」

 いつもと変わりなく、両腕を広げて待っていてくれる。

 今まで兄と呼んでいた人を、これからは父と呼ぶ。ただ、それだけのこと。

 そう思わせてくれる、いつもどおりの姿だ。

「父様!」

 呼びかけて、ベアトリスは腕の中に勢いよく飛び込んだ。しっかりと受け止めたモデスティー伯は、そのままベアトリスを抱き上げる。

「騎士たちも集まっていることだし、ちょうどいい。我が娘ベアトリスと、アマリリス騎士団長オリオンの婚約を認める。異議のある者はいるか?」

「えっ!」

 シンティアには、貴族の結婚は親が決めると聞いた覚えがあったが。

(……オリオンさんは)

 それでいいのか、と疑問を覚えて、ベアトリスは懸命にオリオンを探す。

 ベアトリスへ向かってくるオリオンの顔には、わずかな戸惑いが浮かんでいる。だがそれは、不満や不審といったものではない。幻聴ではなかったのかと、ひどく困惑しているような色だ。

「異議がなければ、後で正式に公表させてもらうぞ」

 念を押すモデスティー伯に、異議を唱える者はいない。真っ先に文句を言い出しそうな、ホートン候やオーソンが、笑顔で押し黙っているからだろうか。

 誰もが、かすかに笑みを浮かべている。

「ベアトリスさんは、いいのですか?」

「……オリオンさんこそ、いいんですか?」

 真横に来たオリオンに、静かに問われた。何も考えず、ベアトリスはそのまま問い返す。とたんに、オリオンが小さく笑う。

「私は、ベアトリスさんがいいです」

 大きく目を見開いて、それから、ベアトリスはゆっくりと破顔した。彼女の頬は、やわらかな紅色にほんのりと染まっている。

「いいか、ビー。困ったことが起きたら、すぐさま俺かオリオンに言え。絶対だぞ?」

「はい、わかりました」

 それは、これまでと何も変わらない。わざわざ、言われるまでもないことだ。

「リサを最後まで守れなかった責があるからな……お前だけは、何があってもきっちり守り抜くと決めたんだ」

(……そういえば、父様と母様はどうして……)

 婚約までしていたのに、別れ別れになってしまった理由。

 寂しそうな姿に、ずっとためらってきた。こうしてすべてを明かしてくれたのだから、これからは遠慮なく聞いてもいいのだろうか。

 問うようにベアトリスが見つめた先で、モデスティー伯はやわらかな笑みをふわりと浮かべた。

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