四章 2
夜回り番はしなくていい。その代わり、今夜は青の離宮に泊まり込むように。
オーソンにそう言われて、理由を聞いても教えてもらえなかった。
まったく腑に落ちないまま。ベアトリスはシンティアの寝室の、応接間の長椅子にゴロリと転がっている。
貴人用のソファだけあって、沈み込む体がフワフワしていて落ち着かない。そのくせ、眠気は一向に襲ってこなかった。意味もなく、ただただ寝返りを打つばかりだ。
何かしら身動きするたびに、ソファがキシキシと鳴く。
(オーソンさんたちが、何か企んでいるみたいだけど……それは、あたしが知ってたらいけないことなのかな?)
団長たちが黙っている主な理由は、兄が関わっているのだろう。いろいろなことから、しっかり守ってくれようとしているからだろう。
それはわかる。
けれど、どうしても、疎外感を感じてしまうのだ。
話の外に追い出されて、いつの間にか話が進んでいて、気がついたら終わっている。そんな結果になりそうで、不安と、たまらないほどの寂しさを感じてしまう。
表立って、当事者だと主張するつもりは毛頭ない。だが、ほんの少しでいい。兄を探す手伝いを、何でもいいからさせて欲しいのだ。
首を突っ込んで、迂闊にケガをしても。それは自分自身の責任だ。兄がそれを責めると言うなら、自分が強引に黙らせる。
その程度の覚悟もなくて、一騎士団の団長など、そもそも務まるはずがない。
もう一度寝返りを打った瞬間、外で人の声がした。それも、ただの話し声ではない。
「総員、準備!」
とっさに矢筒と弓、剣を抱えて叫んでいた。
今晩の護衛は、この部屋のドア前に集まっている。そこの空気が、一気に緊張したのがわかった。
(今日は、ミランダさんとヴェラさん、それからウルスラさんがそこにいるけど……そういえば、何でこの三人が?)
数日前から、ミランダは夜に回している。彼女に対する疑問はない。けれど、ウルスラは、精力的に情報収集で走り回っていたはずだ。なぜ、今夜に限って護衛に入ったのか。その上、昼間も警護に当たっていたヴェラを、引き続いて立たせた理由は──。
「あっ……」
この離宮を使って、何か企んでいるのでは。
それに気づいた瞬間、外で派手な音がした。目を覚ましていたらしいシンティアや侍女たちの、重なった悲鳴が聞こえる。
「シンティア王女、侍女さんたちも、こっちへ!」
寝室にも窓がある。万一破られたら、なす術がない。
ベアトリスは間を阻むドアを開け、シンティアたちを急いで誘導する。全員の移動を確認して、ドアの前にテーブルを動かして封鎖した。
少なくとも、目の届く場所でガタガタ震えてもらっている方が、守る側としてはやりやすい。
あたふたと駆けてきたシンティアたちを、部屋の中央にあるソファへ座らせた。
この位置なら、窓やドアからはいくらか距離がある。窓を破られようが、ドアから堂々と入られようが、対処はしやすいはずだ。
「警戒!」
侵入者があるかもしれない。ベアトリスとしては、それに対する宣言のつもりだった。
視界の隅で、黒っぽい何かが動いた。体はとっさに動き、気づいた時には、手にした弓から矢が放たれている。
窓に当たった矢は、ガラスを割って外へ飛び出す。正確に頭を狙われた人影は、強引に体をひねって、ギリギリのところでかわした。それでもまだ、矢を放つつもりなのか。ベアトリスの右手は、矢筒へすうっと伸びていた。
その時、外からバーン、と大きな破裂音が響き、一瞬気を取られる。再び窓に目を向けた時には、人影はすでになく。
「氷結!」
ドアの外から呪文が聞こえた。
(ミランダさん……ということは、廊下にも?)
剣同士が触れ合い、こすれた際に立つ耳障りな金属音も、かすかだが聞こえてくる。
挟み撃ちにされたのか。はたまた、以前から頼んでいた夜襲の訓練なのか。どちらか判別がつかなかったが、ベアトリスはまず、シンティアたちの安全の確保を決めた。
割った窓を開け放って外を確認する。闇に包まれた中には、生き物の気配すらない。先ほどの人影も、見える範囲には見当たらなかった。
窓を閉め、外を警戒しながら、廊下側のドアへ近寄る。
剣戟はまだ聞こえている。だが、ミランダの声はしない。とはいえ、ミランダは直線型の魔法である氷の攻撃を好んでいる。間に障害物があればうまく使えず、黙っていることは十分あり得た。
(……ヴェラさんが、動いていない?)
襲撃を受けたら、まずは守りに入ること。それを徹底されているはずのヴェラの声が、一切聞こえてこない。
それがいかにおかしい状況か。わからないベアトリスではなかった。
(ここは、廊下の両脇に部屋が並んでいるから、侵入してきた賊が見えなくて対応できなかった、なんてことはないはず……ということは)
すでに、賊から攻撃を受けた可能性しかない。
それも、ウルスラの脇を抜けてきた人間に、直接危害を加えられた。もしくは、相手に魔法使いがいて、捕縛の魔法で手も口もふさがれているか。
どちらにしても、かなり追い詰められている感触だ。
(落ち着いて……落ち着いて……)
大きく息を吸って、残らず吐き出して、もう一度息を吸い込んで。
「火炎!」
「氷結!」
聞き覚えのあるふたつの声が、ほぼ同時に魔法を使った。
聞こえたおおよその位置は、恐らくこの寝室に影響はない距離だ。
(やっぱり、夜襲の訓練だったの?)
「団長!」
窓の外から、ヴェラの声がした。慌ててベアトリスが駆け寄る。
そこでは、頬に傷を負い、制服もところどころ裂けているヴェラが、荒い息を整えるように呼吸を繰り返していた。
「今、他の団長たちに救援の合図を出しました! 騎士の宿舎にも、伝達が向かってます。この部屋に、防御の魔法をかけましたけど……多分、そう持たないと思います。外は他の騎士様たちと絶対に守りますから、ご安心を!」
「わかりました。ヴェラ、ありがとう!」
これで、複数の入り口を監視する必要がなくなった。注視すべきは、廊下へ通じるドアだけだ。
打ち合う音はまだ聞こえている。
出るべきか、それとも待つべきか。
逡巡した末、ベアトリスは弓をそっとしまい、スッと剣を抜いてドアの前に立った。
廊下のウルスラたちを突破して入ってくるなら、残らず始末してやる。それだけの覚悟と気合いを、すべてドアにぶつける。
本来は、夜襲訓練のつもりだったが、そこに、別の誰かが襲撃をかぶせてきた。そのため、完全な混戦になり、団長や騎士たちに救援を求めることになった。
そう考えるのが、ごくごく自然だろう。
(……これが、悪いことにつながらなければいいんだけど……)
湧き上がる不安に、ベアトリスの左手は、胸元の服をギュッとつかむ。
騎士の宿舎からも、職人棟からも、この離宮は遠い。踏み込まれたら、一人ではそう長くは踏み止まれない。何より、隙間から入り込まれてしまえば、もはや止める術などなくなる。
シンティアに危害が加えられた瞬間、エリカ騎士団は崩壊への道をたどるだろう。当然、関わりの深い者も。
ふと思い立って、ベアトリスはシンティアたちに少し移動してもらい、ソファの片方を動かした。ドアを開けようとしても、一人分しか開かない。強引に押しのけて入るには、少々厳しい位置へと置く。
「……ベアトリス、わたくし、そこへ座るわ」
暗がりでも青ざめているとわかるほど、血の気のない顔をしたシンティアが呟いた。それに賛同するように、侍女たちが、中央に座らせたシンティアの周りをしかと取り囲む。
ソファだけなら、力押しで動くかもしれない。でも、一人一人は軽いとはいえ、複数の少女たちが乗ったソファは、そうはいかないだろう。
ありがたい反面、戦地に近づくシンティアたちが、とにかく心配になる。
「シンティア王女……もし、ドアが開けられたら、すぐにそこの窓へ逃げてください。そして、外の騎士たちに助けを求めて。あたしはここで、何とか食い止めますから」
元々、広い場所で身軽に動き、相手を翻弄しながら疲れさせ、優位に立つ戦い方をしているベアトリスだ。狭い場所で身動きできない状況では、圧倒的に不利になる。
それがわかっていても、覚悟だけはもう決めていた。
「ベアトリス……」
「それが、みんなが助かる道です。いいですね?」
エリカ騎士の中でも、特に優秀な部類に入る者たち。外にいた騎士に、襲撃訓練に参加した者たちも、こちらとともに戦ってくれているはず。
それでも、突然のことで苦戦を強いられているのだ。
相手は相当な手練れか、狭い場所での戦いに慣れているか。はたまた、埋め尽くすほどに数が多いのか。
「団長!」
ウルスラの、悲鳴に似た呼び声がした。直後に、ドアがガン、と、思い切り蹴り飛ばされたような音を鳴らす。ソファの位置と、座っているシンティアたちの重量で、ドアはびくともしなかったようだ。
思いのほか衝撃がきつかったようで、シンティアたちがさらにギュッと固まって抱き合っている。
「捕縛!」
聞き覚えのない声が、捕縛の魔法を使った。ドアのすぐそこで、低い苦悶の声が上がる。どうやら、魔法を使ったのは味方のようだ。
ホッと胸をなで下ろして、ベアトリスは頭を軽く振る。
まだ、何も終わっていないのだ。こんなことで、あっさり警戒を怠ってはいけない。
「捕縛!」
(オリオンさんだ……)
事前に式を書きためていたらしく、次から次へと呪文を唱えていくオリオンの声がした。 たったそれだけで、今すぐこの場で座り込んでしまいたくなる。やたらと強い安堵感が、全身にじわじわと広がっていく。
膝にグッと力を込めて、へたり込まないようしっかりと気合いを入れた。
人と目を合わせることが、顔を見られることが怖い人なのに。混戦しているだろう場所で、懸命に魔法を使ってくれている。
それが無性に嬉しくて、なぜだか泣きたくなってしまう。
団長や騎士たちが合流したからだろうか。あっという間に、外の騒ぎは収まっていった。
「ベアトリスさん、無事ですか!」
オリオンにドアを叩かれてようやく。ハッと我に返ったベアトリスはシンティアたちに立ってもらい、ソファを動かす。
障害物にしようと動かした時は、もっと軽かったのに。今はひどく、重たい。
「シンティア王女はご無事です」
ドアを開けながらそう答え、すぐそこに立つオリオンを見た瞬間。ベアトリスはほろりと涙をこぼした。
それは後から後から流れ出て、ベアトリスには止めることはできそうにない。
ヴェラが来るまで一人きりで、状況もよくわからず、ずっと不安だった。シンティアたちを守るために気を張っていたけれど、本当は取り乱してしまいたかったのだ。
誰でもいいから、そばにいて欲しい。
心でそう願っていたはずなのに。オリオンの声を聞いた瞬間、彼の顔を見て、とことん安心したくなってしまった。
今、彼の顔を見て、心の底から安心しきっている自分を感じている。
「もう、大丈夫ですからね。よく頑張りました」
優しい声をかけられ、気がついたらギュッと抱きついていて。
突然飛び込んできたベアトリスに、オリオンが激しく動揺したのか。数人の賊を捕縛していた魔法が、ふわっと消える。
近くにいた騎士たちが、一様にギョッとする。慌てて、自由になった賊を倒して背に乗ったり、数人がかりで再びとらえにかかった。
「……あのね、オリオン。動揺するのはわかるけどさぁ……魔法にまで影響、出さないでくれる?」
「あ……いえ、その……すみません……」
ヴァーノンにからかわれて、見える肌を残さず真っ赤に染めたオリオンが、あたふたと謝罪する。
「それにしても、よく飛び出してこなかったな」
感心した声音で呟いたオーソンの言葉が、自分に向けられている。そう気づいたベアトリスは、少し体を離して乱暴に涙をグイッと拭う。
「ミランダさんの声は聞こえましたけど、ヴェラさんの声がしなかったので、戦闘不能状態に陥っている前提で、シンティア王女を守ることを優先させました。侵入されたら、相打ち覚悟で全力で仕留めるつもりでした」
「……さっすが、団長。あの状況で、よくヴェラが不参加だってわかりましたね」
制服の腕や足部分が、ところどころ切り裂かれている。顔に散った血が返り血なのか、ウルスラ自身のケガなのか、よくわからない。制服の切り口からにじんでいるのは、彼女自身の血なのだろう。
パッと見ただけで、壮絶な戦いをこなしていたのだとわかる。それなのにウルスラは、心なしか嬉しそうだ。
「ヴェラさんは、真っ先に防御の魔法を使いますから。その後、捕縛の魔法です。でも、何もしていないようだったので」
異変があれば、最初にヴェラの呪文が聞こえるはずだ。
エリカ騎士団には、まだ二十人しか団員がいない。ベアトリス自身を除けば、たった十九人だ。他の騎士団のように、五十人もいて、さらに従騎士が控えているわけではない。
その気になれば、団員の性格や戦い方の癖を把握するのは、それほど難しくはなかった。
「いったい、何があったんですか? あたしにも、シンティア王女にも、聞く権利はあると思います」
「ああ、そうだな……」
そう答えたものの、オーソンは言いよどむ。
すべてを掌握していそうな人間は、各団長とオーソン、それからウルスラだろう。
「なあ、エリカの団長。全部、知られてもいいか?」
全部。そこに、兄の問題も含まれていることは、オーソンの眼差しでわかった。だからベアトリスは、力強く頷く。
「この際です。どうせいつまでも隠し通せることじゃないですよね。もう、噂も出始めているんじゃないですか?」
情報収集をしていただけのはずが、こんな派手なことになった。それには、ここまでしなければいけない理由がある。
原因として考えられるのは、一向に減らず、増える一方の書類の山だろう。
「ぶっちゃけちゃうと、そうですね。そういうわけで、監禁場所と思しき白の離宮を捜索したかったんで、青の離宮をちょいっと壊して、こんなことで壊れるなんて危険だ、他の離宮も調べておかないと、って煽るつもりだったんですよ」
「何を考えてるんですか! やるなら、赤の離宮でいいじゃないですか。ここには、シンティア王女がいらっしゃるのに……」
あっけらかんと話すウルスラに、ベアトリスは思わず声を荒げる。
「まあ、そんな不純な動機で、夜襲訓練も兼ねて、破壊に富んだ連中で襲撃に来たんだが……どうやら、別件でも侵入者があったらしくてな。急遽、居合わせた騎士全員で応戦したんだ」
「……つまり、夜襲の件は、あたしだけ知らなかったんですよね? ヴェラさんが、団長たちに救援の合図を出したって、騎士宿舎にも伝達が向かってるって言ってたし。ということは、ヴェラさんがさっさと抜け出て、救援要請をしたってことだし」
沸々と、憤りが湧き上がってくる。それは止めどなくあふれて、知らず知らず、ベアトリスはグッと拳を握り込んでいた。
「一応、事前に、ヴェラには、不測の事態が起きたら外に出て合図を出せ、と言ってあったんだ。破裂音がしただろう? あれが合図だ。宿舎の連中も、あれで目が覚めたやつがほとんどらしくてな。おかげで想定より早く駆けつけてくれたわけだが……」
たいしたことのない種明かしをするように、軽い調子で話すオーソンへ、ベアトリスはスッと近づく。そのまま、彼の頬に、遠慮も容赦もない平手を叩きつけた。
手のひらが、痺れたようにジンジンしている。
「……あたしは途中で、シンティア王女がケガをして、責任を取ったエリカ騎士団がなくなることを想定した。そうなったら、兄様はいろんな人に、これ幸いと責められるだろうなって。あたしは、騎士じゃなくなっても何とか生きていけると思うけど、兄様は違う。サブリナたち家族を守って、生かさなきゃいけない。サブリナだって、せっかく縁談が決まってるのに、こんなことで破談になったらどうするの? そこまで、オーソンさんたちは責任取れるの? できないくせにやったなら、最低最悪でしょ!」
怒りに任せて言葉を吐き捨てたとたんに、強烈な嫌悪感に支配された。それは、自分自身に対するものだ。
助けてもらった礼も言わず、暴言を吐いた。そんな自分自身が、ひどく汚くて、嫌な存在に思えて。
誰もが呆然としている中、ベアトリスは、寝室へ入ってやや乱暴にドアを閉める。
「シンティア王女、お騒がせしました。今夜はこちらで休みますか? それとも、場所を移動しますか?」
「……ここでいいわ。その代わり、ベアトリスも一緒よ」
「はい、わかりました」
ドアには鍵をかけていない。けれど、誰一人、ドアを開けることはもちろん、叩くことすらしなかった。




