四章 1
モデスティー伯が忽然と姿を消してから、すでに丸二日が経過している。
その間、オリオンからの、情報源を明かせない情報として、王女ステラと王子ジェロームの周りもこっそりと調べた。他の王族や、王族に近い貴族も、順々に身辺を洗い出している。
それでも、一向に手がかりとなることは出てこない。
いなくなった当初、ウルスラと一部のエリカ騎士に、ベアトリスは兄がいなくなったことを言ってしまった。けれど、行方不明になっていると、話題にすらなっていないらしい。口止めをしていないにもかかわらず、誰もが口をつぐんでくれたようだ。
どこに敵がまぎれているかわからないからと、各団長からの報告を、ベアトリスは紙で受け取っている。それも、夜、自室に戻った後だ。読んで理解し、疑問点や希望があれば、やはり紙に書き出す。それを朝、散歩の時にオーソンへ「ヴァーノンさんに渡してください」と言づけついでに渡している。
長時間、シンティアのそばを離れるわけにいかない。そんなベアトリスのため、やり取りが多少不便になろうと仕方がないと、関係者全員が受け入れているのだ。
それが申し訳ないと思う反面、これだけ調べても何も出てこないことで、なおさら不安を煽られてしまう。
(兄様は、どこへ……)
元々、モデスティー伯といざこざを起こしている者は、特に念入りに調べている。それでも、怪しい動きをしている者は、調べた中には見当たらないのだ。
尽きることのない不安が、ひたひたと常に押し寄せてくる。
うららかな午後のひと時。ジリジリした葛藤を押し隠しながら、ベアトリスがシンティアと茶を飲んでいる時だ。
バタバタと廊下を駆ける足音がして、焦ったノックが響いた。返事を待たず、ドアを開け放って入って来たのは、数日ぶりに顔を見たウルスラだ。
どこから走ってきたのか、かいた汗で濡れた髪が、ベッタリと顔に張りついている。しかも、エリカ騎士の制服ではなく、使用人のそれを着ていた。
恐らく、使用人に混ざって情報を集めていたのだろう。
「団長! それから、シンティア王女と、侍女の方々にお聞きしますけど、離宮周辺で不審者が出ると、聞いたことがありますか? あるとしたら、誰から聞いたか、教えてください!」
すさまじいウルスラの剣幕に、ベアトリスは思わず体をわずかに引いた。それはシンティアや侍女たちも同じだったようで、誰もがウルスラから少しずつ遠ざかっている。
「えっと、あたしは、メイベルさんにそういう噂があるって聞いて……ちょうど、シンティア王女とベルギル様がケンカなさった日の夜ですね」
「他の方はどうですか?」
恐ろしい形相になっているウルスラに、強烈な恐怖を覚えたのか。シンティアは今にも泣きそうだ。侍女たちも、すっかり体がすくんだようで、まったく動くことができないでいる。
「シンティア王女は、聞いたことがありますか? どこかの離宮付近で、夜明け前に人影が目撃されていると噂があるようなんですけど……」
「え……あ、それでしたら、ベルギル様から、朝早くは危険だから、目が覚めても日が出るまで外には出ないよう、言われましたわ。ここへ来て、そう経っていない頃よ」
ベアトリスが助け船として、シンティアへ優しく問いかける。我に返ったシンティアは、ほんの少し考え込んで、すぐにそんな答えを告げた。
「……なるほど。では、アマリリスの団長の情報源はそこですね。それから、恐らく、リナリアの団長も似た辺りから情報を得ている可能性が高いでしょう。わかりました、ご協力、ありがとうございます」
呆気に取られているシンティアたちと、ドア番をしていたエリカ騎士には、一切目もくれず。言うが早いか、使用人姿のウルスラはさっさと踵を返し、あっという間に出て行ってしまう。
よほど急いでいたのか、盛大的に開け放ったドアはそのままだ。
「……ねえ、ベアトリス」
静かなシンティアの声に呼ばれ、ベアトリスはぎこちなく顔の向きを変える。
まだ、どこか呆然としているシンティアの顔が見えた。
「あの騎士が、貸し出した騎士でしょう? なぜ、あんな恰好をしているの? それから、離宮のどこかで不審者が出ているの? 何より、あなたは何を探しているの?」
答えられる質問は、半分。残りの片方は、ベアトリス自身が理由を知らないから答えられない。もう片方は、絶対に話せないことだ。
どれからどう答えたものかと考え込み、ベアトリスは沈黙し続ける。そんな彼女を、シンティアはジッと根気強く待っていた。
「……ウルスラさんが、貸している騎士で間違いありません。どの離宮か、確認は取れていませんが、不審な人影が何度か目撃されているようです。残る質問には、あたしは答えられません」
離宮の人影に関しては、すでにかなりの範囲に知れ渡っていると、ベアトリスは聞いている。だから、今さらシンティアに知られたところで、たいした打撃にはならない。ウルスラに関しては、取り立てて口外することはないだろうと踏んでいる。
そもそも、シンティアの侍女ですら、この離宮から離れることが少ないのだ。その上、城の使用人とは、その辺で立ち話をする仲ではない。
噂を知る機会も、流す機会も、あるとは考えられない環境だ。
それでも、兄に関することだけは、どうしても言えずにいる。
シンティアがどこかでうっかりこぼしてしまったら。それを考えるだけで、全身がスッと冷えて、嫌な汗がじっとりと噴き出てくるのだ。
「そう……でも、解決した際には教えてくれるのでしょう?」
兄が無事に見つかり、犯人がつかまって、何の心配もなくなったら。
「……解決した時には、必ず、シンティア王女に教えます」
はっきりと、ベアトリスは告げた。
すべてが解決した暁には、まずはシンティアにずっと黙っていたことを謝る。そして、抱えていた不安や悩み、恐怖を、ひとつ残らず語ろう。
そう決めたら、ほんの少しだけ、心がふわりと軽くなった。
‡
離宮には、色の名前がついている。城から最も遠い場所にある、青の離宮。今ここには、シンティアが滞在中だ。その青の離宮の隣が、赤の離宮。そこから見える範囲には、黄と白と黒の離宮がある。城に近い側から順に、黒、白、黄だ。
夜明け前に人影を見たという噂の出所は、早朝から動き回る厨房の下働きだった。食材を取りに外へ出た際、離宮へ向かう人影を見たらしい。それが巡り巡って、少々派手になり、何度も離宮近辺で誰かが暗躍しているといった具合に変化したようだ。
最近の密会場所となっている訓練場で集まり、じっくりとウルスラの報告を聞いていた。
「とりあえず、使用人に出回ってる噂はそんな感じです。あ、ちゃんと裏は取れましたよ? どの離宮に向かったかは、さすがに見てないらしいですけど。まあ、多分、白でしょうね。あそこが一番微妙な位置にあるんで、お客さんが入るとしても最後じゃないですか。監禁するにはもってこいですよ」
空きがあるのに先客と近い離宮というのは、とにかく嫌がられる。青から黄、黒、赤と案内し、周りを囲まれている白は最後だ。
さらに、白の離宮は、赤を挟んで青と並んでいる。青の離宮の警備をする騎士たちからは、白の近くをうろつく人間がいてもわかりにくい。万一見とがめられても、ごまかす言い訳など、腐るほどある。
離宮に閉じ込めるのは、造作もない。ただし、中から逃げ出すのも、やはり簡単だ。しかし、モデスティー伯が脱走した形跡はない。それゆえ、何らかの弱みを握られて、わざと大人しくしている。そう考えるのが妥当だろう。
「……なあ、ウルスラ。実はお前が一番活躍してるんじゃないか?」
淡々と報告するウルスラに、呆れと感心を半々に混ぜた声音で、オーソンがボソリと呟く。それを肯定も否定もせず、ウルスラはさらに口を開いた。
「それでですね、ついでにうちの団長とシンティア王女ご一行にも聞いてみたんですけど、団長はリナリアの団長からなんで問題なしですよね? 問題のシンティア王女なんですけど、ベルギル王子からそれとなく、来て数日のうちに聞いてたっぽいんですよね」
あっけらかんと伝えるウルスラに、オーソンだけでなく、聞いていた団長たちも唖然とした様子だ。
使用人からの情報収集だけでは収まらず。疑わしい情報を手にしてすぐ、可能性のある人間に直接聞きに行くとは。
「それにしても、ベルギル王子とはね……意外な伏兵ですこと」
メイベルのそれは、実兄に対する物言いではない。まったく無関係の人間に対し、しみじみと呟く時の口調だ。
実際のところ、長らく兄弟たちと兄弟らしく暮らしてはいないだろう。
「で、アマリリスの団長が言った怪しい王子と王女のお話、あれも多分、ベルギル王子からですよね?」
仕事が早いだけでなく、勘もいい。
ふうっとため息をついて、オリオンは両手を顔の横に持っていく。それは彼が腹をくくった時の仕草だと、つき合いの長い人間には伝わったようだ。
少々ほのぼのとしていた空気が、一気に緊張混じりになる。
「確かに、ベルギル王子からお聞きしました。ステラ王女とジェローム王子に不審な動きがある、と。教えてくださった理由をお聞きしたところ、罪滅ぼしだと言われました」
その後、微妙に違う言い方に変えていたが、本音は最初のひと言だろう。
彼に、どんな罪があるというのか。また、それがなぜ、どんな形で、ベアトリスに関係しているのか。
聞きたくて、知りたくて。今すぐきつく問い詰められないことが、ひどくもどかしい。
「それにしても、ジェローム王子か……家名が違うこともあって、特別に父上と同じ名を与えられたんだろうが。立派な人間になるように、と願われたくせに、まさかのこの体たらくとはな」
苦々しく吐き捨てたオーソンを、咎める者は誰もいない。
あえて口に出さないだけで、誰もが似たようなことを思っているからだ。
何より、ジェロームの関わり方次第では、由来となったホートン候も被害を被る。そうなれば、国政の中心にいるモデスティー伯はもちろん、騎士団を掌握しているホートン候も無傷では済まない。
「……やはり、政治的思惑を絡めて洗い直すしかありませんか」
「そうしたいのは山々だが、迂闊に動くと痛いしっぺ返しを食らうからな……無関係な人間を動かすのも、今回はちょっとばかり難しいんだ」
恐らく、モデスティー伯に手出しをすることはないだろう。けれど、探る相手によっては、難航する。それは覚悟していたつもりだった。
置かれた立場。地位。そういったものが足を引っ張って、思うとおりに動けない。
それがこれほど、無意味に苦しい戦いを強いられる原因になるとは、予想もしていなかった。
唯一救われる点があるとすれば、ベアトリスを直接関わらせなくてもいいことくらいか。
彼女の素性が表に出れば、望まない環境に置かれるはめになる。それがわかっているから、巻き込まないためなら、どんなに苦しくても耐えられるのだ。
「あれですよ。何か口実作って、離宮全部を一斉に調べちゃうんです。そしたら、あの人がいるかどうかはわかりますよね? あ、離宮に隠し通路とか、隠し部屋とか、秘密の地下牢がないって前提ですけど」
「さすがにそれは……そもそも、すべての離宮を一斉に調べなければいけないという事例が、思いつかないのですが……」
オリオンは率直な意見を告げる。
激しい人見知りを理解しているからか。ウルスラはなるべく、オリオンの視界に入りにくい位置にいる。その上、オーソンたちが手前に立ち、さらに見えにくくしてくれていた。
「たとえばですけど、青の離宮で、建物に損傷が見つかったらどうします? 沽券に関わるんで、青の離宮を点検するのはもちろんとして、他の離宮もついでにやっちゃわないと、後々心配ですよね?」
「ああ、なるほど……青の離宮内でしたら、ベアトリスさんに頼めば、支障のない場所を壊すことができますね」
「え? さすがにうちの団長にはさせられないので、私がやりますよ? だいたい、団長じゃ力が足りなくて、離宮は壊せないと思うんですよね」
冷ややかにウルスラから突っ込まれて、オリオンはグッと言葉を詰まらせる。
主に、貴人の滞在用に使われる離宮だ。そう簡単に壊れてもらっては困る。だからこそ、下手をすると、城より頑丈に作られているはずだ。
「もしくはあれです。ミランダかヴェラに一発魔法を撃ってもらって、壁にヒビでも入れてもらえばいいんですよ。こんなことでヒビが入るなんて! って展開に、簡単に持って行けそうじゃないですか」
けろっとした表情で、ウルスラは当たり前のように淡々と語った。彼女になじみがあるはずのオーソンすら、堂々と体ごと引いている。
彼女の言うことには一理ある。あるが。
「何が起きたら、離宮内で派手に魔法を使うんですか?」
正当な理由がなければ、逆に壊したわけを追求されてしまうだろう。
「そこで夜の襲撃対策訓練ですよ。ミランダは今、夜に回っているので、事前に伝えておけばバッチリやってくれますって」
「おい……前もって壊せ、と頼んでおくのか?」
「そうです。オーソン様、うまいことやってくださいね?」
「やるなら、ナイジェルに早起きさせてやっとけ。あいつも破壊には手を貸してくれるぞ」
投げやりなオーソンの言葉に、ウルスラはうんうんと頷く。
「ああ、そうですね。一人より二人、二人より三人で破壊すべきですよね!」
「おい、待て! 俺は何も、複数で破壊しろとは……」
「じゃあ、さくっと調節しますね。さすがにナイジェルさんへの伝手はないんで、そこはアマリリスの団長にお願いします」
「え……あ、はい」
有無を言わさないウルスラの強い語気に、思わず首肯してしまった。
それで満足したのか、はたまた、即座に伝言するためか。ウルスラはさっさと訓練場を出て行ってしまう。
「ヒビじゃなくて、壁を破壊したらどうするんだ……」
「……適度にヒビを入れてくれることを、願うしかないでしょうね」
できるだけ、後の責任問題にならない程度にして欲しい。
ついつい、そう願わずにはいられなかった。




