一章 2
中春二十五日。のんびりとした三時課の鐘が、そこかしこで軽やかに鳴り響く。
フロース王国の王城前は、さまざまな年齢の女性で、とにかくあふれ返っていた。先頭の誰もが得意とする武器を所持し、必死に自分を売り込んでいるようだ。
使い込んだこの鍋とお玉が自慢の武器だ、と主張して、一向に譲らない中年女性。薄く生えたヒゲを含め、どこからどう見ても女装にしか見えない男。そういった趣旨を違えている者が、いくらか混ざっている。
受けつけている騎士たちを、そうしてとことん困惑させる者がいるせいか。長い列はなかなか進んでいかない。
これがもし、夏の厳しく照りつける炎天下や、冬の吹きすさぶ冷たい風の中だったら。間違いなく、体調を崩す者が続出しただろう。
(いつになるかなぁ……)
少女はぴょんぴょん跳んで、見えないなりに前方を確かめている。そんな時、受付とは少し離れたところにある門から、何人かの騎士が出てくるのが見えた。服は赤、青、黄、紫、黒の五色。
(あれってもしかして、フロース王国騎士団が勢ぞろい?)
赤は、魔法使用者のみが所属するアマリリス騎士。青は、槍を扱う者を集めたベロニカ騎士。黄は、剣を得意としているガザニア騎士。紫は、要人警護を主な任務としているリナリア騎士。リナリア騎士は、団員となる条件が、圧倒的な美形であることと、まことしやかに囁かれている。黒は、馬を手足のように扱える者だけで構成される、コキア騎士特有の色だ。
服が紫色の人物以外は、服の形が同じだった。
それぞれの騎士団は、色によってひと目でわかるようになっている。団長を務めている者だけが金の縁取りを許され、他の団員は銀の縁取りだ。
ぴょこぴょこ飛び跳ねながら、必死に目を凝らしてみれば。今出てきた五人は、誰もがキラキラ輝く金の縁取りで。
(新しい騎士団を作るための人員募集に、五団長がわざわざ勢ぞろいって、ちょっとすごいよね?)
彼らの存在に気づいた前方からは、早くも黄色い歓声があがっていた。握手を求める言葉は当たり前で、臆面もなく愛を叫ぶ声まで聞こえてくる。
日の光を受けて、キラキラと輝く金髪が眩しい。青い服も、彼に似合いだ。まさしくどこぞの王子様と言った風情の青年が、中でも特に目立っている。やる気がかけらも感じられない欠伸と、やや背を丸めて嫌そうに歩いている点。そこだけが、取り立ててあげつらう難点だ。そのくせ、時々物色するような視線を、受つけ待ちの列に投げかけている。
彼の前を歩くのは、オレンジがかった黄色の服を着ている男性だ。こげ茶の癖毛と愛嬌のある笑顔が印象的だが、顔立ちは幼さを感じさせる。声をかけてくる女性たちに手を振り、求められた握手にも片っ端から応え、しっかり愛想を振りまいているようだ。ただ、ごくたまに、フッと姿が見えなくなる。
並ぶ女性たちからは遠い側で、二人の後ろで背を丸めて歩いているのは赤い服の男性。闇夜のような髪を左肩の上でひとつにまとめ、肩から胸へと流している。首には、彼の右手側から赤、紫、赤、緑の順に宝石が並べられた、飾り気のない首飾り。かえって歩きづらそうなほど、並ぶ列と反対に顔を向けている。そのため、彼の顔立ちも表情も、何一つうかがい知ることはできなかった。
彼らの後に続くのは、絶世の美女という表現さえかすむ、紫の服の女性だ。黒い日傘を優美に差す、その指先からも色香がほろほろとこぼれ落ちている。女性ゆえか、他より服の裾が二十センチほど長い。彼女が足を踏み出すたびに、長い白金色の巻き髪と、たわわな胸がユラユラ揺れる。歩き方だけでなく、仕草ひとつひとつから妙な色香が垂れ流されているのか。近くにいる者はみな我を忘れ、うっとりと彼女を見つめている。
最後を歩いてくるのは、朱色の髪に黒い服をまとう、目を見張るような美青年だった。やや面倒くさそうに愛想を振りまいている。どんな言葉を口にし、どういった動きをすれば、自分がより美しい存在に見えるか。そんな彼が見せる、彼自身を知り尽くした所作が、無性に鼻についた。
(あたし、他の騎士団だったら、リナリア騎士がいいわ)
魔法は使えないから、アマリリス騎士はない。それとほぼ同じ理由で、ベロニカ騎士はまず無理だ。女性の団長で、任務も要人警護。女性専門の警護部隊となるエリカ騎士と、リナリア騎士は役割が似ている。そのあたりが、そんな思いを抱かせたのだろう。
女だらけの家にいることが多く、平均よりあからさまに身長が低い。同性ですら見上げることが多いのに、知らない男性はなおさら苦手だ。中でも、威圧感を受けるほど、背が高く体格のいい男性は特に。
団長たちは、一番低そうなガザニア騎士団長でも、せいぜい男性の平均といったところか。女性だが、踵の高い靴を履いているらしいリナリア騎士団長は、彼よりさらに背が高い。長身の美女だ。
幸か不幸か。彼らは少女のいる場所より手前で、伝令の接触を受けて引き返した。
(よかったぁ……)
近くまで来ていたら。きっと間違いなく、彼ら目当ての女性に突き飛ばされるか、押し倒されて踏みつけられるかしていたはずだ。
これから大事な試験を控えている身で、ケガなどしたくはない。
(早く、あたしの番が来ないかな)
焦れて逸るほどゆっくりと列が進んでいくのを、胸を高鳴らせて待っている。ただそれだけで、だんだん期待と緊張が大きくふくらんでいく。
やがて、彼女の順番がやってきた。目の前にいる黄色の制服を着た騎士は、少女を見るとパッと破顔する。その笑顔に、見覚えがあった。とっさに名前は出てこなかったが、まごうことなき知った顔だ。
かなりぎこちないとは思うが、どうにか笑みが浮かぶ。
「おっ、四番街の弓姫じゃん。受けに来たんだ? ……大丈夫?」
「お久しぶりです。あ、兄様の許可はちゃんともらってますから、大丈夫です!」
ぺこっと頭を軽く下げて、少女はあたふたと説明する。
王城へ通いやすく、立派な屋敷ばかり。結果として商店の数も多い南側が、一番街と呼ばれている。東が二番、西が三番だ。北側の、暗くてじめっとした印象のある区画が、少女の暮らす四番街だ。当然、治安もよくない。それゆえ、少女は自発的に自警団に所属している。
獲物を殺さず、けれど逃さない。そんな弓の腕前から、ついた通り名が『弓姫』だった。呼ばれる時も、名前より通り名ばかりだ。彼女よりいくらか年上の者からは、なぜか『四番街の弓姫』と呼ばれることが多い。
「最初は実技だけど、弓姫ならまず大丈夫だろ。中に入ってすぐ右に曲がって、壁伝いに歩いたらすぐだから」
以前ちょっと大きな捕り物をした際、協力した縁で腕を知られている。そのため彼は、名前と使用武器を確かめるとすぐに通してくれた。
木々が緑の葉をサラサラと、涼しげに揺らす。隙間から漏れ落ちる木漏れ日は、位置と形を絶え間なく変える。心地よい晩春の風を体に受けながら、少女は軽やかな足取りで歩いていく。
たどり着いた場所は、広々とした庭だった。土がむき出しだが、きちんと固めてある。仮に強い風が吹いたとしても、砂埃が舞い上がることはなさそうだ。打ち合いも十分可能な広さがあり、壁に様々な武器が立てかけられている。そのどれもが、刃先を潰してある練習用のものだ。
そこでは、実技と無関係の試練が待ち受けていた。
何の因果か。居並ぶ五人の試験管が、そろいもそろって強面の中年男性ばかり。その上、体格もいい。彼らの厳つい顔の怖さより。ツルツルしてピカピカ光っている頭より。全身から放たれる威圧感が、何より恐ろしい。
体が勝手に、カタカタ震えてしまいそうなほどに。
「まずは名前を教えてもらおうか」
「ベ、ベアトリスです」
兄との約束どおり、家名は出さない。それを口にすれば、試験が受けられなくなる。そうでなければ、問答無用で通されるだろう。
ベアトリスは、どちらも望んでいない。
「得意な武器は何かね?」
「え、えーっと、弓です。それから、剣も少し」
「……弓の精度はどのくらいだ?」
「多少は条件で左右されますが、今この場でなら、ほぼ的中と思います」
最も怖い顔で、背が高く体格もずば抜けている男性が、ピクッと頬を引きつらせた。彼は無言で立ち上がると、ベアトリスから十五メートルほど離れた木に近寄る。そして、彼女に向かって言い放った。
「では、今から私がこの木を蹴る。すべての葉が落ちるまでに、何枚射抜けるか。その結果を見て、お前の合否を決めよう」
「は、はい!」
(そういうのは母様や兄様とよくやったし、多分大丈夫)
初めて弓を持った日からずっと、落ちる葉を射貫く訓練は欠かしていない。それよりもっと厳しい訓練も、幼い頃から必死にこなしてきた。
自信は、ある。
腰に下げていた弓を、わざとゆっくり外す。
持ち手を金属でしっかり補強し、イチイの木からベアトリスに合わせて作られた一品物だ。小弓と呼ぶにはいささか小振りか。しかし、ベアトリスが持って構えれば、ごく一般的な小弓の大きさに見えた。
右腰の矢筒のふたを、慣れた手つきで開ける。するっと引き抜いた一本を、おもむろに番えた。大きく息を吸い、一気に吐き出す。
それまで怯えがにじんでいたベアトリスの瞳が、スッと凪ぐ。それを見て取った男性は、宣言どおり、木を倒しそうな勢いで蹴った。
ヒラヒラと落ちる葉は、まるで舞い踊るように、不規則に動きを変えた。一枚だけを射抜けと言うならばまだしも数を競うなど、最初からベアトリスに不利な試験だ。
鋭く空気を切り裂く音の直後。男性が蹴った木の幹に、一枚の葉を貫いた矢がざっくり刺さった。さらに風を切る鋭い音は続く。地面や幹、枝に刺さる矢。壁にぶつかって地面に落ちる矢が散らかっていく。
その矢尻はどれも、葉を貫いている。
最後の一枚を貫いた矢は、木の根に刺さった。
「……ふぅ」
知らず知らず詰めていた息を、思い切り吐き出す。それからベアトリスは、剣帯の左腰後ろについた金具に、弓の持ち手をきっちりはめ込む。
始まったら射るのにすっかり夢中で、何枚刺さったかまったく確かめていなかった。だから結果が怖くて、楽しみで、胸がドキドキして落ち着かない。
「……合格だ。文句のつけようがない」
耳の中で脈打つ音が邪魔をして、男性の低い声がよく聞こえなかった。申し訳ないと思いつつ、それとなく首を傾げる。
「あの……?」
「射抜いた数は二十三枚。葉のほぼ中央を貫く精度はもちろん、この時間で二十三枚という速度は、リナリアでも即座に騎士となれる水準だ。馬上でも可能ならば、コキアでもいい」
ぽかんと口を開け、パチパチと目を瞬かせる。そんなベアトリスに、言葉がじっくり浸透していくまで、わざわざ待っていたのか。
しばらく口を閉ざしていた男性は、もったいぶって声を発した。
「実技は合格だ」
大きく口を開けたが声は出ず、ベアトリスはただただ目を見開くしかできない。
「次は面接だ。城の壁に沿って歩いて行くと、広間へ入れるバルコニーがある。そこから中へ入るように」
「は……は、はい!」
ここからが本番。
男性の威圧感についつい敬礼してしまったベアトリスは、キュッと頬を引き締める。
堅牢な石造りの城は、外観は華やかさとはほど遠い。言うなれば、質実剛健という言葉がよく似合う印象だ。
言われたとおりに歩いた先で、ベアトリスはことさら目を丸くした。
張り出したバルコニーには、雨に濡れないよう、張り出した大きな屋根がある。五段の階段は一段一段が低く、真っ白だ。どこもかしこも薄汚れていない。支えることを前提にした手すりは、見た目は少々無骨だ。しかし、近寄れば、丁寧で細かな彫り物が施されていることがわかる。
(ひょっとして、ここ……かな?)
恐る恐る階段を上り、総レースのカーテンがかかった窓をそっと叩く。室内の様子は、一切うかがえない。
中から「どうぞ」と男性の声で返事があった。
どうやら間違っていなかったらしい。ホッとして窓を開けたベアトリスは、顔を引きつらせて思い切り閉める。
(え、えっ? な、何で? も、もしかして幻覚!?)
開けた拍子に、ふわりと揺れてめくれたカーテンの向こう側。ほんの一瞬だったが、目に焼きついているのは、思い思いの姿勢でくつろぐ四人の姿だ。彼らの服は、それぞれ色は違うが、縁取りが金色である点は同じだった。
今度はそっと薄く窓を開けた。指先でちょいとカーテンを避け、わずかな隙間から中を怖ず怖ず確かめる。
二階へ出入りできるらしい左手側の階段の影で、赤色の何かがうずくまっている。さっき覗いた一瞬では、まったく気がつかなかった。右側の階段の手すりには、コキア騎士団長が全開の笑顔でもたれかかっている。左の壁に埋め込まれた暖炉の前では、青い服の男性がだらだらと寝転がっていて。
(うわっ、本当に騎士団長様が勢ぞろいしてる!)
部屋のほぼ中央には、紅茶が五つ置かれた大理石のテーブルが鎮座していた。それをぐるりと囲む、立派で豪奢な皮張りのソファ。窓に顔を向けてにこやかに座っている女性の体は、かなり沈み込んでいる。
この手が触れている総レースのカーテンは、庶民には到底手出しできない値段だろう。全面に敷かれた赤い絨毯も、見るからにふかふかしている。すでに転がっているベロニカ騎士団長と一緒になって、寝転がって肌触りを楽しんでみたい衝動を堪える自信がない。
こんな部屋で、こんな状況で。騎士団長たちと、のんきに気さくに、他愛のない世間話でもしろというのか。
(無理無理、そんなの絶っ対無理! だって、団長してるってことは、家柄も立派な人たちってことだし!)
最低でも、社交界に出ることが許される家柄でなければ、団長にはなれない。たとえ、他の誰より腕が立つとしても、だ。そのことを、ベアトリスは兄に聞いて知っている。
兄の意向とはいえ、十七にもなって社交界に出ていない。そんな小娘が、おいそれと顔を合わせていい類の人たちではないはずだ。
ドアに背を預けている黄色い服の男性が、部屋の隅に向けていた視線を、不意にベアトリスに投げかける。カーテンの隙間から覗いているだけのベアトリスに、いい加減業を煮やしたのだろうか。彼は、ニコニコしながら近づいてきた。
見たところ二十歳そこそこといった彼が、団長を務めているとはにわかに信じがたい。しかし、金の縁取りをまとうのだから、家柄も実力も保証されているのだろう。
「うぁっ!」
彼は途中、何もない場所で足を取られたかのごとく、いきなり転んだ。
ふかふかの絨毯へ、豪快に顔から突っ込んだ彼に、ベアトリスは思わず目を瞬かせる。けれど、彼は何もなかった様子で立ち上がり、再び歩いて目の前で腰を落とす。
目線がほとんど変わらなくなって、ベアトリスはホッと息を吐き出した。知らず知らず入っていた肩の力も、すとんと抜ける。