三章 3
「いいですか? シンティア王女には絶対に、死んでも知られないようにしてくださいね? あの王女はとにかく口が軽いので、気がついたらあの人が行方不明だと、王都中の人間が知ることになりますからね?」
そう、ウルスラに何度も繰り返し念を押された。ベアトリスは浮かない顔のまま、シンティアとともに茶を飲んでいる。
代わりの騎士を立てたウルスラは、オーソンたちに合流して情報収集をしている。彼女が一番、その手のことに向いているらしい。ぜひ貸して欲しいと、オーソンとオリオンに頼まれたからだ。
その分、人員調整が難しくなったため、代わりとして外を固める騎士を増やしてもらった。
本来、今日が休日だった者には、後々、他者ともめない程度の特別な何かを支給することになっている。恐らく、滅多に手に入らない、珍しい菓子類になるだろう。それも、他の騎士たちに取り分けられるような。
その報賞は、救出した兄に手配してもらうつもりだ。
「……ねえ、ベアトリス。何か心配ごとがあるのかしら?」
「え……」
「戻ってからずっと、沈み込んでいるでしょう? 何か、あったの?」
顔に出さない。それがまったくできない性分だ。わかっているのに、うまく取り繕うことができない。
そのくせ、あからさまな嘘もつきたくない。
とんでもなくわがままだ。その自覚は、十二分にある。
「……私的なことで、少し嫌なことがあっただけです。ちゃんと、切り替えないといけないのに……難しいですね」
「嘘をおっしゃい。あなたが『少し』嫌なことがあった程度で、そこまで落ち込むものですか。今まで、前向きなことしか言っていないでしょう? そもそも、わたくし、あなたが落ち込んでいる姿を見た覚えはなくてよ」
ピシャリと言い切られて、ベアトリスはゆるゆると視線を落とす。そこには、太ももの上でギュッと握られた、両の拳がある。
今すぐ探しに行きたい。この手で見つけ出したい。
そう思っているのに、自分は動くことができず、すべて他人任せだ。
頭の隅では、シンティアの警護があるのだから仕方がない。それがわかっている。けれど、感情は一向に納得していない。
一刻でも早く見つかって、無事な姿を確かめて、とにかく安心したくてたまらない。
誰にも吐き出すことのできない感情が、体の中でグルグルと激しく渦を巻いて、出口を探している。
「わたくしは、誰かにうっかり話してしまうかもしれないから、今のあなたの悩みも愚痴も聞かないわ。その代わり、わたくしも、今のあなたの負担にしからならないことは、できるだけしないつもりでしてよ。ですから、オリオンでもオーソンでもレーニア王子でも、あなたが素直に話してしまえる方に、すべて残さずさっさと打ち明けてしまいなさい」
泣いたことが明白なベアトリスの顔に、シンティアは一切触れない。
ニッコリ微笑んだシンティアは、真っ直ぐベアトリスを見つめている。
「迷いも不安も困惑も、何もかもすっきりさせたいつものあなたが戻ってくるまで、わたくしはいつまでも待っていますわ」
「え……」
「だって、わたくし、あなたとはずっと仲良くしたいと思っているの。あなたと個人的なお友達になれたら、これからが楽しくなりそうでしょう?」
真顔に戻って、わずかに不安げな色を宿して。シンティアは胸元でそっと両手を重ね、ベアトリスの反応を待っているようだ。
「えっと……でも、あたし、この国から出ること、多分ないですよ?」
エリカ騎士団の団長として、何日も留守にすることは難しいだろう。可能性があるとすれば、この国の王女や、王妃の護衛としてつき従う時だろうか。
とはいえ、国外に出る機会は、それほど多くない。
「普段は手紙でいいでしょう? それから、あなたがここから離れられないのでしたら、わたくしがあなたのところへ押しかけるわ。他に何か、問題があって?」
「え……っと」
改めて問題点を聞かれると、取り立てて思いつかなかった。
強いて言えば、シンティアの言葉どおりにできるのか。そこが疑問である点くらいだろうか。
一国の王女という立場の今は、彼女の思うとおりに行動できるかもしれない。だが、いずれは嫁ぐ身だ。その後は、さすがにこれまでどおりとはいかないだろう。
その時はその時。そうすっぱり割り切ってしまえるなら、確かに問題はなさそうだ。
「ない……ですね」
パアッと、シンティアの表情が明るくなる。
本当に根が素直で、優しい王女だと、ベアトリスはしみじみ思う。
「ね? ですから、わたくし、国へ戻ったらあなたへ手紙を書きますわ。あなたもお返事をくれるでしょう?」
「はい。シンティア王女からのお手紙、楽しみにしていますね」
「それでは今すぐ、あなたが抱えている悩みを誰かに打ち明けてきてちょうだい」
「え……えっと、それはできません」
ベアトリスが答えたとたん、シンティアは大きく目を見開いた。
言いたいことが多すぎて、言葉がうまく出てこない。そんな表情で、シンティアはまじまじとベアトリスを見つめる。
「……あなた、わたくしの言ったことを聞いていましたの?」
「はい。ですが、今あたしが抜けると、シンティア王女の警護に支障が出ます。ウルスラさんがいてくれたら、そこまでじゃないんですけど……ちょっと他に借りていかれちゃったので」
外の警護には、元々アマリリス騎士団から防御の得意な騎士を昼夜一人ずつ、貸してもらっている。他にも、とっさに賊を追える俊足自慢や、夜目の利く者など、各騎士団から貴重な人材を借りているのだ。
ウルスラの代わりに、と、今はさらに豪華になっている。
だが、一度中に入られてしまうと、外の騎士たちには手が出せなくなってしまう。女性騎士以外は青の離宮内に入ってはいけないと、国王から厳命されているためだ。
入り口なり、窓なりを突破された時は、エリカ騎士頼みになる。
人材が乏しいゆえに、できる限り、ベアトリスはここを離れるわけにいかない。
(あ……)
エリカ騎士を邪魔に思う存在について、ふと思い浮かんだ。
女性だけの騎士団を設立するきっかけは、メイベルを女性と信じていた貴婦人たちからの苦情だ。
実際の事務手続きなどは、すべてモデスティー伯がこなしている。入団試験に合格した者を騎士とし、ベアトリスをエリカ騎士団の団長にすること。それも、国王の承認より早く、モデスティー伯が確認して認めているのだ。
この状況で、青の離宮内でシンティアに危害が加えられた場合、エリカ騎士団だけの問題ではなくなる。騎士団設立を認めた者たちへ、糾弾する機会を与えてしまう。
国政に関する権利を、ほぼ一手に集めている。そう言っても過言ではないモデスティー伯自身に対し、妬みは尽きない。また、公明正大の言葉そのもので、甘い処罰は行わないため、恨みも存分に買っている。
エリカ騎士団の建前とは裏腹に、モデスティー伯を引きずり落とす機会を狙っている者は、数知れない。
(兄様を探すために、情報を得るために、団長たちが不在がちになる……普段と違うことで、団員も多かれ少なかれ不安を感じるはず……それが、狙いなの?)
青の離宮の警護が甘くなり、いつしか隙が生まれるように。これから先もまだ、さまざまな罠を仕掛けているのだろうか。
(うん、そうよ。こんな時だからこそ、あたしはいつもどおりにしてなくちゃ。泣くのも、心細くて寂しかったって抱きつくのも、兄様が見つかってから)
ふわりとしたやわらかな笑みを浮かべたベアトリスに、ジッと黙って見守っていたシンティアがホッと息を吐く。
「吹っ切れたようね」
ベアトリスはこくりと頷く。
兄が無事に見つかった暁には、本気で心配したことを切々と訴え、自分からたっぷり甘えにいくつもりだ。
‡
夜も明け切らぬうちから移動させられ、鍵がかかるわけではないここに、好んで押し込められている。
あれから数時間が経過し、退屈もしているし、心配ごともいくつかあった。何度も何度もちらつく泣き顔が、嫌でも不安と焦燥を煽ってくれる。
ノックもなく、そっとドアを開けて入り込んできたのは、一人の少女。その影に隠れるように、まだあどけない少年がコソコソと、くっついて入って来た。
室内のソファに座っていた男性が、そちらをチラッと一瞥する。
白金色のふわふわした長い髪を、ベアトリスと変わらない年頃の少女がふわりと揺らす。薄紫色の大きな瞳が、パチパチと瞬きを繰り返している。
艶っぽさがまったくないことを除けば、彼女はメイベルにそこそこ似ていた。
「ねえ、モデスティー伯。そろそろその気になってくださったかしら?」
「ならんな」
綺麗な真っ白は目に痛いからか。ややくすませた白い壁と、フカフカの絨毯。白いテーブルを挟んだ、二脚の三人掛けのソファ。窓に引かれたカーテンは、ごくごく薄い水色だ。
絵画が飾られていなければ、殺風景で痛々しい雰囲気すら感じるだろう。それほどに暖かみのある色がなく、ひどく寒々しい部屋に感じられる。
バッサリと切り捨てたモデスティー伯は、どっかりとソファに座り込み、無表情で茶を口に含む。
ふてぶてしい、という言葉の似合う態度だが、少女は一向に気にしていないようだ。クスクス笑いながら、少女は部屋の隅にいる少年へ目を向ける。
真っ直ぐでサラサラした淡い金色の髪に、薄緑色の大きな瞳。幼くてあどけない顔の彼は、ふたつの視線を受け止めきれずに顔をフッと背けた。
その様を見て、モデスティー伯はふん、と鼻で笑う。
「わたくしも、弟も、あなたが頷くのを待っているの。あまり待たせると、お父様に言いつけてしまうわよ?」
「勝手にすればいい。その結果罰せられるのはあなた方だ。何しろ、俺を強引に連れ出して、国政を滞らせているんだからな」
「まあ! 強引に連れ出したわけではないでしょう? あなたが、一緒に来てくれたのよ。そこは間違えないでちょうだい」
ぷくっと頬をふくらませて、唇をつんと尖らせて、少女はじっとりとモデスティー伯を見下ろす。
対して、見上げるモデスティー伯の視線は、彼女を見下しているような、しっとりした冷ややかさがある。
「ほお……一緒に来なければ、俺の大事な存在に危害を加える、と脅しておいて、か?」
「そ、それは……」
言いよどむ少女に、モデスティー伯は酷薄な微笑を突きつけた。
予定にあった来客と、予定になかった者。それを知らせてくれた人間に、深く感謝しなければならない。
事前に知らなければ、何も隠せなかった。手がかりを残し、わざとらしく不安を煽ることも、できなかっただろう。
目の前にいる二人は、『大切な存在』が誰か、恐らくわかっていない。自分たちの望みを叶えるために必要だから、利用しているだけだ。
しかし、彼らを煽った人間は違う。
誰に危害を加えられることが、一番堪えるのか。それを熟知している。
(ただし、実行してみろ。俺は絶対に許さない……)
かつて、その時最も大切にしたいと思っていた愛する女性を、策略込みとはいえ、手放すことになった。
容赦なく身を引き裂かれるような、全身をかきむしりたくなる苦痛。実の父親に対して、本気で殺意を覚えた。彼女に触れる手を、その場で切り落としてやりたい衝動を、幾度となく飲み込んだ。
あの日、リサが何をしたのか。結局、聞かないままだ。
ただ、予定を早めて出向いた時には、父親は苦悶に顔をゆがめて息絶えていた。リサはこちらを見て、いつもと同じ微笑みで出迎えてくれた。
『プラシダ様、モデスティー伯が急に胸を押さえて苦しみ出して……私、何もできなかったんですけど……ふふっ、プラシダ様に会えてよかった』
オロオロとしてみせて、不意にクスクスと笑い出す。
あの時リサは、どこかおかしくなっていたのだろう。そうでなければ、恐らく、耐えきれなかったのだ。
世の中を残らず味方にしきれず、迂闊で下手な立ち回りをしてしまった。それゆえの後悔など、もう絶対にしたくない。
今なら、それができるはずだ。
(俺は、二度と手放さないと決めたんだ……)
生まれて半年が過ぎたからと、連絡を受けて見に行ったベアトリスと対面した、その日に。
「じきに、俺が信頼している人間たちが、ここを突き止めるだろう。その前に、過ぎたおいたを謝る言葉でも考えておくんだな」
そのために必要なことは、執務室にすべて残してきたつもりだ。
サッと青ざめた少女を蔑むように眺めながら、モデスティー伯は再び、カップを手に取って茶を口に含んだ。




