二章 2
シンティアは、いつまで滞在する予定なのか。
それをまったく聞いていなかったことに、エリカ騎士たちから問われて、ベアトリスは初めて気づいた。
「そういえば、この日から、というのはメイベルさんに聞きましたけど、いつまで、は聞いていないですね」
「ちょっと、団長……夜間警護の担当者、そのうち完全に夜型になっちゃいますよ? 逆転しちゃうと、彼女たちが後々つらいですよ?」
最近ウルスラは、よく話し相手になってくれる。指摘はもっともなことばかりで、しかも的確だ。
ついつい頼りがちになってしまう。
「そうですね……次に会った時、シンティア王女に聞いておきます」
もうすぐ日が落ちる。これから、夜間警護担当のエリカ騎士と入れ替わるのだ。ベアトリスは一度部屋へ戻り、夜回り番をこなすことになる。
それから夜間警護の様子を見て、就寝の予定だ。
今日辺り、他団からの襲撃があるのでは、とほのかに期待している。
そもそも、今日は三日ぶりの夜回り番だ。襲撃への期待がなくても、足は知らず知らず浮かれてしまう。
階段の、最後の一段に力強く足をかける。グッと踏み込んで体を持ち上げた。
凄惨な微笑みを浮かべるメイベルと、顔を上げた瞬間に遭遇し、ベアトリスは声にならない悲鳴をあげた。思わず足を下げてしまい、階段を踏み外して落ちかける。
「危ない!」
メイベルに腕をつかまれ、かろうじて落下は免れた。膝や脛を強かに、思い切り階段に打ちつけたくらいは、可愛いものだ。
「いたっ……あ、ありがとうございます、メイベルさん」
「いいえ、わたくしが悪かったの。少々面倒なことが起きたものだから、つい顔に出てしまって……ごめんなさいね」
「治癒!」
騒ぎを聞いて部屋から出てきたのか。はたまた、最初からそこにいたのか。いきなり現れたオリオンが、さりげなく魔法を使う。
ジンジン、ズキズキと痛んでいた足は、あっという間に痛みが消えた。
「わぁ……治癒の魔法ってすごいですね!」
「本当にごめんなさいね……」
しょんぼりした様子で謝ってくるメイベルに、ようやく、治癒の効果を実感するには痛みが必要だと気づいた。ベアトリスは慌てて、空いている左手をブンブン横に振り、もう謝ることはないと伝える。
「あ、あたしが大げさにびっくりしたからいけないんです! メイベルさんは、ちっとも悪くないと思いますよ」
階段を上がりきったところで、まさかメイベルが、壮絶な微笑みを浮かべているなんて。想像もしていなかったのがいけないのだ。
これからは、テレンスやコーデルと行き会うことも、きちんと想定しておかなければ。
「苛立ちが顔に出てしまうだなんて、わたくしもまだまだね。これから少し、城へ行ってきますわ。ただでさえ、シンティア王女という厄介ごとがあるというのに、あのわがままは……」
低く囁かれたメイベルの声は、いつもの中性的で艶やかな雰囲気が一切ない。
「オリオンとベアトリスは、これから夜回り番でしょう? しっかりと見回りをしてちょうだいね。最近、離宮方面で夜中に人影を見たという、少々おかしな噂を聞いたものだから」
「へぇ……離宮なんて、今、シンティア王女と侍女さんたちしかいませんよね? 青の離宮は、外を他団の騎士たちが警備してくれているけど……いくら何でも、他の離宮まで、出歩いたりしないですよね?」
離宮同士は、それなりに距離を保っている。外の警備に当たる騎士たち同士では、多少の交流があるかもしれない。だが、離宮の住人たちは、わざわざ互いに歩み寄らない限り、接触する機会はまずないだろう。
そもそも、今は、シンティアとその侍女たちしか滞在していない。
もし、青の離宮付近以外の場所で、怪しげな人影を何度も見かけるのであれば。それは明らかに、通常では考えられない不測の事態だ。
場合によっては、詳細を調査する必要がある。
「夜中って言っても、幅がありますよね……いつ頃なのかな?」
「明け方に近い頃だそうよ。といっても、まだ日が昇る前だから、ベアトリスが散歩に出るよりずっと前の話ね」
「そうなんですね。でも、ちょっと早起きしたら、確認するくらいはできそうですよね」
接触し、交戦するかどうか。それはわからない。けれど、人影が警備の騎士かどうかは、見れば判断できるはずだ。
「いいこと? ベアトリス単独ではダメでしてよ? どうしても確かめたいのでしたら、オーソンとナイジェルに頼んで、二人にも同行してもらいなさいな」
一人では見逃すかもしれない。複数だった場合、かえって危険に陥る可能性もある。だが、オーソンとナイジェルがいれば、防御はできないが、攻撃手段は豊富だ。
単独で行動するより、不安は圧倒的に少ない。
「あ、そうですね。そうします」
うんうん、と頷くベアトリスに、オリオンが何か言いたげな顔をして、結局何も言わずに、そっとため息をついた。
‡
襲撃のなかった夜が明けて、いつもの早朝散歩を終わらせた後。ベアトリスは急ぎ足で青の離宮へ向かった。
これから警護に当たる騎士と、夜番の騎士が交代するのだ。そしてベアトリスは、起き出してきたシンティアと朝食を食べる。
朝一番の担当者は、隣室で食事を取る決まりらしい。そう、最初にシンティアに言われた。
後にメイベルたちにも確かめたが、交代時間によってはそういうこともあるそうだ。
「あの、シンティア王女。確認したいことがあるのですが、王女はいつまで滞在されるのですか?」
あらかた食事が終わった頃を見計らい、ベアトリスはサクッと切り出す。
昨日の今日で聞き忘れたとあっては、エリカ騎士たちに合わせる顔がない。
「決まっていないわ。わたくしが帰ると決めた日が、帰国の日でしてよ」
「そうなんですか……じゃあ、夜番の騎士も、ちょっと考えないといけないですね」
夜に強いのは、決して悪いことではない。しかし、完全に夜型になってもらっては困るのだ。通常の生活において、夜を基本に活動することはないのだから。
かろうじて夜に起きていられそうな騎士は、いただろうか。現在、昼に警護している顔触れの中から、できると思われる者を選んでいく。
(……ミランダと、ウルスラは、できるかも。あと、三人は……)
「ちょっと、ベアトリス!」
むにっと頬をつねられ、ハッと我に返ったベアトリスは、シンティアを恐る恐る見上げた。
「団長として、団員を考えることは大切よ。でも今は、わたくしの話を聞いてちょうだい」
「は、はい!」
椅子に座り直して、ベアトリスは体の正面にシンティアをとらえる。
「ねえ、ベアトリス。あなた、婚約者はいないのよね? 少しくらい、気になる殿方はいらっしゃらないの?」
「……気になる、ですか?」
意味がつかめず、知らず知らずベアトリスの首は大きく傾く。
たとえば、ヴァーノン。彼の転びようはハラハラするし、見ていて心配になる。テレンスも、日がな一日鏡を見てはうっとりしているのだ。どちらも、気になるという点では間違いない。
あとは、ナイジェルか。朝会うと、いつもオリオンの話題を出す。他に話すことがないのかと、少しばかり気になっていたところだ。
「ちょっと、ベアトリス! 真っ当な人間かどうか気になる、といった問題ではなくてよ? 異性として意識できる男性がいるかどうかを、わたくしは聞いているの」
「あ……そうなんですね。あたし、普段見ていて、ちょっと変わった人たちを思い浮かべてました」
「薄々、ベアトリスの考えるのはその辺りと思っていましたけれど……まさか、本当にここまでひどいだなんて……」
ヨロヨロ、とテーブルに手をついて、額に強く指先を押し当て、シンティアは大きなため息をつく。
(こういった話が気になる子って、だいたい好きな人がいるのよね。で、いろいろ話して盛り上がって、ワイワイ楽しみたいらしいから……)
ベアトリスには向いていない話題ではあるが、話を聞くだけならいくらでもできる。親身になって、相づちを打つのも、恐らく可能だろう。
「ひょっとして、シンティア王女には、好きな方がいらっしゃるんですか?」
きっかけを作ったら、さまざまに話してくれるかもしれない。
単に、そんな軽い気持ちで。ベアトリスは、その程度の覚悟で何気なく話を振ってしまった。
「……わ……」
バッと顔を持ち上げたシンティアは、これ以上染まるところがないくらい、真っ赤になっている。
「わたくしが想う殿方は、ベルギル様だけでしてよ!」
「……えっと、第三王子ですよね? どんな方なんですか? あたし、王族の方ってよく知らなくて」
国王は、エリカ騎士団発足の際に見ている。髪や目の色がメイベルと同じだと思ったことは、まだ記憶に新しい。
だが、他の王族には、まだ会ったことがない。実のところ、王子や王女が何人ずついて、どこからどこまでが王族なのか。他にはどんな国があり、どれだけの王族がいるのか。ベアトリスにはいまだに、何ひとつわかっていなかった。
団長としての勉強が不十分なところに、エリカ騎士団としての任務が与えられてしまった形だ。
「それはもう、素敵な方ですの。わたくしが何を言っても、いつも笑って許してくださるわ。わたくしが少しくらいわがままを言っても、ニコニコ笑って聞いてくださるの。本当に大人でいらして、わたくし、いつも自分が子供になってしまったような気がして、時々恥ずかしくなるのですけれど……」
頬を染めて、もじもじと恥じらう姿が、普段のシンティアとはかけ離れている。ツンとすましている彼女と違い、今のシンティアは妙に親近感を覚えてしまう。
「あのレーニア王子の兄とは思えないほど、本当に素敵な方ですの」
「そうなんですね。いつか、あたしもお会いしてみたいです。もちろん、シンティア王女も一緒に、たくさんお話したいですね」
きっと、年頃の少女らしい、可愛いシンティアがたくさん見られるはずだ。
そこまで考えてから、ベアトリスは、はたと気づいた。
(……あれ? シンティア王女って、最初に会った時、ヴァーノンさんとレーニア王子って言ったはず……あの時、メイベルさんが一緒だったけど……)
「あーっ!」
思い至ったとたん、無自覚に口から叫びが飛び出す。
驚きに目を見開いたシンティアと侍女たちから、容赦のない非難の視線を浴びせられる。
「あ、あの……ひょっとして、レーニア王子って、メイベルさんのことですか?」
メイベルが男だと知った時の衝撃は、まだ忘れてはいない。
とはいえ、普段のメイベルは、あくまで「永遠に十七歳の乙女」だ。少なくとも、そこから大きく外れた行動は見たことがなかった。
「……ああ、今はメイベルだったわね。昔は、わたくしと会う時には、一応王子に戻っていたのよ。でも、たまに、男装の王女と間違えたわ」
あの美貌は、やはり幼少時から健在だったらしい。
「あれで、本当にあの素敵なベルギル様の弟なのかと、いまだに疑問を覚えるのよ」
「ということは、メイベルさんって、王子様だったんですね」
「剥奪されていないから、まだこの国の第四王子でしてよ」
第四王子。その言葉を聞いても、メイベルとはまったく結びつかない。
ただ、王とメイベルの外見的特徴を、ベアトリスが似ていると思ったのは、決して間違いではなかったようだ。
「四人も王子様がいらっしゃるんですね」
「五人よ。あれの下に、あなたと同じくらいのステラ王女がいらして、さらにその下に末の王子がみえるから……確か、あれは七人兄弟でしてよ」
「はぁ……」
思わず吐息を吐き出しながら、指折り人数を数えてしまう。
(……あれ?)
王子が五人。王女が一人。全員で六人のはず。
「一人、足りませんね」
「ああ、もう嫁がれてしまった姉姫様がいらっしゃるからよ」
「ずいぶん、多いんですね」
「あなたが言う台詞ではなくてよ。あなたこそ、他から兄弟が多いと言われる口でしょうに」
シンティアに突っ込まれて、ようやく。会ったことこそないが、兄姉は大勢いるのだと、ベアトリスは思い至った。
「そういえば、そうですね。会ったことがないので、全然気がつきませんでしたけど」
団長をしている面々も、騎士団にいる者も、基本的に跡継ぎではない。次男以降で、将来の食い扶持に困る人間が大半だ。中には好き好んで騎士団に入った者もいるが、それは希有な例だろう。
もしかすると、単に気がついていなかっただけで、騎士になった兄とは会っているのかもしれない。
「……あれ? オーソンさんって、後を継ぐのに騎士団にいるんですね」
「あなたねぇ……ホートン候は、騎士団に深く関わっていらっしゃるの。その嫡男が騎士団に入らずに、どう関わるつもり?」
「ああ、なるほど! 奥が深いですね」
「本当に、あなたという人は……」
(あ……ひょっとして)
オーソンが跡継ぎということは、母と二人姉弟の可能性がある。
先日は、他にも兄弟がいると勝手に想定して言ってしまった。だがそれは、かえって困らせてしまったのでは。
ベアトリスはふと、そんなことを思う。
(明日の朝会ったら、いないかもしれないおじ様やおば様のことを言ったこと、謝らないと)
それだけを、心にしっかりと決めた。




