二章 1
少し足早に、ベアトリスは城内を歩いていた。目的地は、もちろん兄の仕事部屋だ。
しんと静まり返った廊下に、かすかな靴音を響かせて。ベアトリスはズカズカと、誰もいない廊下をひたすら突き進む。
目的のドアを、グッと握った拳で二回、トントンと軽く叩いた。
「入っておいで」
名乗る前に、入室の許可が出る。
(兄様って、本当に叩き方で誰かわかってるのね)
だが、許可はもらったのだ。遠慮なく、堂々と、ベアトリスはドアを開け放つ。スルリと室内に滑り込んで、後ろ手にドアをそっと閉めた。
「兄様、お聞きしたいことがあります」
「オーソンはリサの弟だ。黙っていたのは、オーソンに問題があってだな……」
目をキッとつり上げ、唇をギュッと引き結んでいたベアトリスは、とたんに拍子抜けしたような顔を見せる。
「お前がエリカ騎士になって、団長になると決まった後、わざわざ教えてやったんだ。そうしたら、ここで大泣きされてな……絨毯を取り替えるはめになった」
「……ガザニアの副官の、オーソンさん、ですよね?」
思わず確認してしまう。
精悍で、いかにも物語の騎士らしい雰囲気の彼と、大泣きしたという姿が、まったく結びつかない。
「ああ、そのオーソンだ」
確認が取れたことで、とりあえず想像は意識の外へ放り投げる。
まずは、確かめておきたいことを残らず、知らなければ。
「ってことは、あたしが母様の娘ってこと、とっくに知ってたんですよね?」
「知ってはいたが、しばらくの間、叔父と名乗る気はなかったらしいぞ。いきなり湧いた血縁としてでなく、同じ騎士の立場で馴れ合いたかったとか何とか、くだらないことを言っていたからな」
彼の言い分にも一理ある。ベアトリスは、そう思ってしまった。
最初から叔父と知っていたら、騎士としての接し方がわからなくなっていたかもしれない。それならば、後から事実を知った方が、まだ対処の仕方を考えられるだろう。
「ああ、ちなみに、オーソンがリサの弟と知っている者は、他団長を含めて、騎士団にかなりいるぞ」
「……何で、そんなに知られてるんですか?」
「リサの訃報が届いた時、オーソンが宿舎で、人目もはばからず大泣きしたからだ」
もはや、何も言うことはできなかった。
オーソンという人は、あまりに感情が高ぶると、激しく泣いてしまうのだろう。そう考えるしかない。
そんな人が、天真爛漫という言葉の似合うあの母の、弟だとは。
見た目も性格も、どうにも二人が結びつかない。ベアトリスは知らず知らず、こてんと首を傾げていた。
「……それでよく、あたしと初めて会った時、泣きませんでしたね」
「ヴァーノンに不意打ちを食らって、怒りが先に立っていたらしい。宿舎に戻った後、やはり泣いたらしいぞ」
聞けば聞くほど、オーソンに対する見方が変化していくのを自覚する。
これ以上、オーソンの印象を、微妙な方向へ変えたくない。
そう考えて、ベアトリスは、オーソンに関する質問をやめることにした。
「じゃあ、兄様。兄様はどうして、あたしに剣を教えることができたんですか? 普通の貴族って、ここまで実戦的には習わないって聞きましたけど」
ベアトリスが問いかけると、珍しくモデスティー伯が視線をフッと逸らす。
窓の外を見ているふうで、はるか遠くを眺めているような。不思議な色の瞳を、彼はユラユラと揺らしている。
「……リサを守りたかったんだ」
ボソリと呟かれた言葉の意味が、きちんと把握できなかった。
いくつか瞬く間、懸命に考えて。護衛に頼らない形での、自力の警護だと、ようやく思い至る。
力があり、技があれば、一人で守りきれるのでは。
かつての兄は、そう考えたのだろう。
「結局、当時の俺では、すべては守りきれなかったが……お前に剣を教えられたんだ。オーソンに剣を習ったのは、無駄ではなかったな」
聞きながら、ベアトリスはまた首を傾げる。
(兄様の剣と、オーソンさんの剣は、あんまり似ていないけど……)
師弟関係にあると、特徴的な癖が出ることが多いらしい。
コーデルは、先代のベロニカ騎士団長と癖がそっくり同じという。それゆえに、他団長に負け続けているそうだ。
「オーソンに教わったのは、より実戦的な戦い方だ。型はまったく別だろうな」
「ああ、そうなんですね」
ベアトリス自身、剣を教わってから、自警団で戦い方を磨いてきた。さまざまな動きを見てきた結果、今は少なからず、最初の型が崩れて面影が薄れているだろう。
「まあ、オーソンを泣かせてでもはっきりさせたいなら、これから直接聞いてこい。宿舎の一階の最奥にある個室だ。もっとも、途中から泣いて、まったく話にならんかもしれんがな」
「……そうですね。一度、オーソンさんの話も聞いておきたいですし」
軽く頭を下げて、ベアトリスはさっさと部屋を辞そうとして。
「あ、兄様、またしばらく家に帰ってないでしょ? ちゃんと帰らないと、ここに来るの、やめますよ?」
「……善処しよう」
グッと息を詰まらせ、スッと目を閉じた兄を、冷ややかにジーッと見つめながら。ベアトリスは今度こそ、兄の部屋を辞した。
その足で、真っ直ぐ騎士の宿舎へ向かう。開けっ放しの入り口から、迷わず中へ突き進む。
「え……ちょっ……お、おい! エリカの団長が来たぞ! 裸のやつ、絶対出てくんな!」
ちょうど休憩時間だったようで、やや着崩している者も見える。上半身に何も身につけていない者も、ちらほらといるようだ。
だが、ベアトリスは一切気にすることなく、ズカズカと廊下を進んでいく。
兄に教えられた、オーソンの部屋へ一目散に歩く。個室を与えられているなら、話をじっくり聞くには最適だろう。
コンコン、とドアを叩いた。
「オーソンさん、ベアトリスです。お話があるんですが」
「入って……もらうのはダメだな。宿舎の外で話そう」
「わかりました」
答えたベアトリスは、廊下を少し戻る。そこで、オーソンの部屋のドアが開くのを、ジッと待っていた。
部屋から出てきたオーソンは、待っているベアトリスを見て、まずギョッとした。
激怒していると想像していただろうから、無理もない。何しろベアトリスは、ニッコリ微笑んでいたのだから。
オーソンは何も言わず、廊下を歩き出す。ベアトリスは彼に従い、黙ってついていく。
興味津々といった周囲の視線を、容赦なく弾き飛ばしながら。二人は宿舎の外へ出て、ある程度の声を出してもいいよう、塀の近くまで進む。
「……怒ってるか?」
「怒ってます」
ひっそりとしたオーソンの問いかけに、ベアトリスはきっぱりと返す。
「母様の弟で、あたしの叔父様だってこと、今までずっと黙ってたことに怒ってます」
「あー……先に、モデスティー伯に確認したのか」
しっかりと深く頷いたベアトリスは、ジーッとオーソンを見つめる。
「でも、黙ってた理由をちゃんと話してくれたら、許してもいいですよ」
ベアトリスがきっぱりと言った瞬間、オーソンがプッと小さく噴き出した。
その理由もついでに問い詰めよう。そう考えたベアトリスが口を開く前に、オーソンが笑いながら声を出す。
「わかった、わかった。こうも父や姉にそっくりなところを見せられては、俺が耐えきれなくなる」
「……そっくり、ですか?」
自身では、母と似ていると思ったことがほとんどない。けれど、母を知る人は、たいてい母を思い出すと言う。
気づかないところで、実は似ているのだろうか。
「あ、よく似ている。こっちが下手に出るしかない時は、確実に上からものを言ってくるところ。たまに自分の考えに没頭しすぎて、人の話を一切聞かなくなるところ。いきなり口説き文句みたいな、とんでもないことをサラッと言うだろ? あとは、そうだな……疑問が出てくると、確実に解消してくれる人間のところへ、真っ先に突っ込んでいくところもか?」
挙げられた例に心当たりがある、どころではない。口説き文句の部分以外は、まさにその通りだとしか言いようがなかった。
ただ、それはベアトリス自身に当てはまることだ。
記憶にある母の姿と、オーソンの言葉は、どうしてもつながってくれない。
「口説き文句を言ったがために、父は幼いシンティア王女につきまとわれたからな。さすがにそこは、ベアトリスには自重して欲しかったんだが……」
どうやら、あの時シンティアが言った名は、オーソンの父──つまり、ベアトリスにとって祖父の名だったらしい。
「え? でもあたし、そんなこと言った覚えは……」
「言っただろうが。シンティア王女に、初めて警護したのがシンティア王女みたいに優しい人でよかった、って」
「あ……それは言いました。本当のことですし」
真顔できっぱりと言い切るベアトリスに、オーソンが重たいため息を吐き出した。
知らず知らず、ベアトリスの眉根がグッと近寄る。
「あんな『災いの口』相手にそんなことが言えるのは、ラウィーニア家特有の性質が出た人間と、隠すことなんぞ何もないベルギル王子だけだ。いいか? それがラウィーニア特有の、厄介な性質だって言ってるんだ」
「へぇ……じゃあ、オーソンさんもですか?」
「いや、俺は違う。幸か不幸か、どっちかと言えば母側に似たものでな」
「……あ、そういえば、あたし、おじい様とおばあ様にお会いしたこともないんですよね。あと、オーソンさん以外のおじ様おば様にも」
オーソンから、彼の両親の話が出て、ふと寂しくなった。
他の血縁者を知らないのは、別にかまわない。けれど、もし、会う機会があるのなら。一度は会ってみたいとも思うのだ。
「機会が欲しいなら、いつか設けてもいいぞ? ただし、相応の覚悟はしておけよ」
ひどく険呑なオーソンの笑みに、ベアトリスは頬を引きつらせながらも、しっかりと頷いていた。
‡
ベアトリスと別れた後、オーソンは騎士宿舎の最上階を目指していた。宿舎へたどり着く前に、たまたま通りかかったオリオンをつかまえる。
「アマリリスの団長、ちょっとお話が」
声をひそめて、人気の少ないところへ移動する。
昔から顔を合わせているから、思い切り顔を背けられることはない。だが、やっとアマリリス騎士団へ入った騎士たちは、不安や不満が多いだろう。
こんな団長で、本当に大丈夫なのか。この騎士団は、まともに動けるのか。
オリオンのひどい人見知りを知った時は、誰もが一度は絶望感にとらわれる。ある意味、無用な悩みだ。実際には、これほど頼りになる団長は、そうはいない。
「何でしょうか?」
「ベアトリスが、祖父母や、父方の親族に会ってみたいと言い出したんだが……どうする?」
「知った以上、会いたいと思うことは、人の心として不思議ではありませんが……いかんせん、相手が……」
「そうなんだよなぁ……あの両親と、モデスティーの一族だろ?」
言い渋るオリオンに、オーソンもすかさず同調する。
何しろ、騎士団の実権をほぼ掌握している夫婦と、国の大半をその手に握っている男の一族だ。
どれほど綿密に対策を練ろうと、必ず何かやらかしてくれるに決まっている。
「補佐する分にはかまいませんが、いろいろと面倒ですよね」
「いっそのこと、細切れにするか?」
「いえ、それも問題が出るかと。そもそも、誰を最初にするんですか? 順番をつけると絶対にもめるでしょう?」
そう。オリオンの言うとおりだ。
誰が一番でも、間違いなく他から文句が出る。やるなら、一度に会わせるしかない。
「こういう時こそ、プラシダさんに頼るといいでしょうね。あの人でしたら、うまく場を作ってくださると思いますが」
「あー、まあなぁ……しょうがない、たまには頼ってみるか。俺にとっては姪だが、あの人にとっては……だしなぁ」
だが、先日、シンティアのせいでベアトリスに隠していたことが知られたと、気の進まない報告をしたばかりだ。これでまた、余計な厄介ごとを持ち込んだと、チクチク嫌味を言われては敵わない。
「そうそう、あの人を頼るってことは、オリオンは確実に巻き込まれるぞ?」
「ああ、それは、ベアトリスさんにつかまった時点で覚悟が決まっていますから」
ヒュッと入ってきた空気に、思い切りむせた。
ゲホゴホと咳き込みながら、オーソンはオリオンの肩をバンバン叩く。
「……オーソンさん、痛いのですが……」
それでも大いに咳き込み、バシバシ叩いていたオーソンだったが。
「いやぁ、悪い悪い。それにしても、そこまで腹をくくってたのか。知らなかったな」
「プラシダさんにも、リサさんとの約束を守ると伝えていますよ。ですから、ベアトリスさん絡みの案件は、どんなことでも受け入れます」
目を忙しく瞬かせて、ぽかんと口を開けていたオーソンは、ふと我に返った。
「じゃあ、これからじっくり、オリオンの覚悟を見せてもらうとするか。俺の可愛い可愛い姪を、任せるに値する男かどうか、俺がしっかりとこの目で確認しないとな」
「望むところです」
力強く、ニッコリと微笑む姿は、他人が怖くて震えてしまい、とても指示を出すどころではない。そんな、ひどく情けない団長の面影などかけらもなく。
もっとずっと幼くて、誰彼かまわず、人間に怯えていた頃の彼でもない。
かつて、姉をどんなものからも守ろうと、たゆまぬ努力をひたむきに重ねていた男。彼を思い出させる、一人の男だ。
「まずは手始めに、アマリリス騎士全員の前で、堂々と演説でもしてもらおうか」
「え……いえ、それは……」
難題に、絶対に怯むとわかっていて、わざと言ったのだ。単なる、腹いせに過ぎない。
何しろ、見ていれば、ベアトリスもまんざらではないとわかるのだ。
(顔はともかく、だ。中身は間違いなく可愛い姪が、俺が立派な叔父さん面をする前に、もう他の男の手に渡ると思ったら、なぁ?)
このくらいの意地悪は、ぜひとも、広い心で許してもらわなければ。




