五章 2
無事に終わった安堵感で、すっかり気が抜けてしまった。しかし、夜回り番を忘れてはいない。
忘れることは、できない。
いつものように、外へ出たらオリオンの手をしっかり握る。もう、完全に習慣となってしまった。
鍛冶場の裏から外壁に沿って回り、建物の間を縫うように通る。騎士宿舎と王城の間の確認が終われば、今夜の見回りは完了だ。
「今日はお疲れ様でした。立派でしたよ」
「ありがとうございます。でも、実はあたし、緊張してて、あんまり覚えてないんですよね」
無我夢中で頭に叩き込んでいたことをこなし、気がついたら夜になっていた。だからまだ、何もかもの実感がない。
「非の打ちどころのない、素晴らしい団長でした。思わず見惚れてしまいましたよ」
手放しで褒められるとくすぐったく、勝手に頬が熱くなってしまう。それを何とかして隠したいが、ランプとオリオンの手で両手はふさがっている。仕方なく、周囲への警戒を怠らない範囲で、顔を下へ向けた。
「できれば、他の誰にも見せず、最初から最後まで私一人で見守りたいほどに素敵でした」
完璧な不意打ちを食らい、ベアトリスはランプを取り落とした。あたふたと見下ろしたが、火は消えてしまっている。
落としたランプを拾うが、火種がなければすぐにはつけられない。
「よろしければ、こちらを使ってください」
オリオンが持っていたランプと、消えてしまったランプを交換したら。また不意を衝かれた時、光源を失ってしまう可能性が高い。
今夜は月が欠け始めていて、その上やや曇っている。それだけは避けたかった。
「いえ、それはオリオンさんが持っててください。もしかして両方消えちゃったら、やっぱり困りますし」
少しだけ、次の言葉をつむぎづらい雰囲気が漂う。
今ここで、どんな話題を出したら。息苦しいこの空気が、綺麗さっぱりなくなってくれるのか。
必死に考え抜いて、ふと頭に浮かんだ疑問をそのまま口にしてみる。
「あ、そういえば、ちょっと気になってたんですけど……オリオンさんたちって、いつ頃知り合って、いつから団長をしてるんですか?」
「知りたいですか?」
まさか、確認されるとは思っていなかった。不意打ちの動揺を隠すように、ベアトリスはコクコクと何度も頷いてみせる。
「私が従騎士になったのは、十二歳の時です。見習い騎士にならずに従騎士というのは珍しいらしく、人の目が怖くて非常に苦労しましたね。実際のところ、メイベルさんたちは私と同じ日に従騎士となりましたが、その前は見習い騎士だったそうですよ」
「そうなんですか? っていうかあたし、騎士団の仕組み自体が、あんまりよくわかってないところがあるんですけど」
各騎士団は、正規の騎士は五十人まで、従騎士は五人までと決められている。引退などで空きができると従騎士が騎士団へ入り、希望などを踏まえて見習い騎士から従騎士を補充する仕組みだ。もちろん、すぐに補充ができないことも何度かあった。
そのため、人員が不足しているエリカ騎士団では、入団試験に合格できればすぐに騎士になれてしまう。ただし、制服ができるまでは見習い騎士の扱いだ。その間、礼儀作法などの厳しい特訓が待っている。
「慣れれば難しいことはありませんよ。従騎士や見習い騎士の件は、エリカ騎士団が大きくなれば自然と扱うようになりますからね」
「やっぱり、そういうものですよね……やってみないとわかんないし」
慢性的に人員不足となりそうなエリカ騎士団では、従騎士の心配までは必要ないのかもしれない。けれど、いつかは悩みを抱えてみたい。そんな、ささやかな願望はある。
「それから、団長になった時期ですが、実は同日なんです」
「……え?」
「前任者は老化を理由に引退されたのですが、全員が同じ日に退いたわけです。しかも、後継者をわざわざ指名しましたからね。連日退かれても嫌ですが、同日も十分に嫌がらせと思っています。肝心のお披露目では半分が問題児で、臣民ともにうんざりしたのではないかと」
極度の人見知りゆえにガタガタと震え、ずっと俯いているアマリリス騎士団長。可愛い少女を見つけては、馬から降りて気軽に声をかけにいくベロニカ騎士団長。身動きが取れないほど、紐で馬上に固定されたガザニア騎士団長。
彼らの後に続いたメイベルとテレンスが、最高に素晴らしい団長に見えてしまったことだろう。
「新しい団長は、半分が不安だ。そんな逸話が残っているらしいですよ」
オリオンがあまりに楽しそうに笑うから、ベアトリスもつられて笑い声を立てる。
「もっとも、三年ほど前のことですから、まだみなさんの記憶に新しいのでしょうね」
きっと彼は、何の気なしに言ったのだろう。だが、ベアトリスは瞬時に笑顔を凍りつかせた。
彼らはたった三年で、団長の職務を難なくこなしている。三年後、彼らのようになれているか。今のベアトリスには、その自信がない。
「日々精進し、この国に欠かせない騎士団となるのでしょう? ベアトリスさんでしたら、できますよ。これからは、エリカ騎士団の話題で持ちきりになるはずです」
ひょいと顔を覗き込んできたオリオンにきっぱり断言され、顔がカッと熱くなるのがわかった。
ぼんやりしたランプと月の明かりしかない状況が、こんなにありがたいなんて。
「ただ、ベアトリスさんが注目されると、嬉しい反面腹立たしくもなります。他の方の目に触れさせず、私一人で見つめていたいと思うことがありますから」
「えっ?」
最初は、オリオンの声がサラッと素通りした。深呼吸をたっぷりと三回はできる時間が経過して、ようやく耳や頭の中で言葉がガンガンと反響し始める。
それでもまだ、言われた内容がすうっと頭に入ってこない。
「初めは、言動がリサさんに少し似ていたので、気がゆるみました。かくれんぼは、私でも気軽に参加できるようにと、他の子供たちにリサさんが声をかけて始まった遊びなんです。ですから、少しの間とはいえ、ベアトリスさんを『リサさんの娘さん』という目で見ていたことは否定しません」
淡々とした口調とは裏腹で、つないだ手からわずかに震えが伝わってくる。
かすかな月明かりに照らされた表情は、どこか不安げで頼りなく。言いたいことがあるのに言い出せない。うまく言葉が出てこない。そんな顔だ。
「ですが、ベアトリスさんはベアトリスさんです。できないことに悩み、考えて解決策を見出し、前に進み続けようと努力しています。瞬きの間に表情を変えるあなた見ているだけで、とても温かで穏やかな気持ちになれるんです。ですから、ずっとそばで笑っていて欲しいと願うほど、私はベアトリスさんを愛しい女性と思っていますよ」
真っ直ぐ目を合わせ、何もかも吹っ切ったように微笑んだオリオンの言葉。ひとつ染み込むたびに、ベアトリスの頬は次第に赤みを帯びていく。
もう、誰の目にも、紅潮しているのがはっきりわかるだろう。
自覚できるくらい、顔も手も熱い。
「今すぐに返事をください、と言うつもりはありません。待つことは苦になりませんし、ベアトリスさん自身が納得して出した答えであれば、いつでも受け入れますから」
顔が熱くて、頭がクラクラして。何も考えられない。指一本、動かせない。瞬きも呼吸も、できているのかわからない。
「では、見回りを終えてしまいましょうか」
いつもは引っ張ってあげないといけない人なのに。
頼もしく先導する背中を、ただジッと見つめるしかできなかった。
‡
ベアトリスがエリカ騎士団の団長に就任して、あっという間に十日が過ぎた。
団長には、書類仕事もつきものだ。団員の訓練状況に、支給品の使用状態。どんな訓練をして、何を行ったか。すべて事細かに記して、モデスティー伯に提出する必要がある。
書くのは毎日だが、届けるのは一週間分をまとめてもかまわない。
そう言われていたから、ベアトリスは週に一度、顔を見せるついでに書類を届けに行っている。慣れない仕事が多いため、まだ毎日出向く時間が取れない。
今日は兄に、手ずから焼き菓子を食べさせてもらった。手土産として残りの菓子をもらい、弾む足取りで自室へ戻る途中のことだ。
「あ、ベアトリス、ちょうどよかった。あのさ、週イチでいいから、訓練に顔を出してくれない? うちの団員たちが、もうマジうるさくてウザくて」
以前はあまり名前を呼ばれたことがなかったが、正式にエリカ騎士団長となってからは変わった。同等の立場になったと、彼らなりに認めてくれているのだろう。
「そういえば、団長の仕事を覚えるのに必死で、剣の訓練はサボってましたね。じゃあ……えーっと、明日あたり、時間を作ってちょこっと顔を出しますね」
「マジで? ありがとう。もう、オーソンを筆頭に「エリカの団長は来ないのか」って毎日毎日……マジでいい加減、聞き飽きた耳が腐ってズルッと落ちそうだったんだよね」
「そ、そんなに?」
確かに一時は、訓練のために団員状態だった。立場が変わってもなお熱望されるほど、知らず知らずすっかり馴染んでいたようだ。
「おかげでこの後は黙らせられるよ。マジでありがとう」
笑顔で手を振ったヴァーノンを見送っている最中に、トントンと肩を叩かれた。振り向き様に、紫色が目に入る。
「メイベルさん、何かあったんですか?」
「できれば数日のうちに、リナリア騎士に顔を見せてあげて欲しいんですの」
「リナリア騎士もですか?」
思わず呟いて、ついでにため息がこぼれる。
この調子では、それなりに関わって縁のあった騎士団に、ことごとく顔を見せに行かなければいけないかもしれない。
「手間をかけさせてごめんなさいね。庇護欲をそそる、それはそれは可愛らしいエリカの団長に心ゆくまで、じっくりと隅々まで癒やされたいそうですの。渋々願いを叶えてあげたら、全員の性根を徹底的に叩き直す予定ですわ」
「あ、いえ、食事時でもいいなら、いつでも行きますけど。それ以外だと、エリカ騎士団のこともあって、あんまり自由な時間がなくて」
「ええ、食事中に襲撃してかまいませんわ。今日の夕食は一番ですから、都合が合えばお願いしてよいかしら?」
今日のエリカ騎士の夕食は、確か二番だ。顔を見せ、明日の連絡を済ませてから、自分の食事を取る。その後で書類仕事をいくつかこなせばいいだろう。夜回り番は明日だ。
「わかりました」
その時不意に、このところの夜回りを思い出す。
戸惑いや緊張で、まともにできているのか怪しい。それが、どうにもふがいないのだ。
「あの、メイベルさん」
気がついたら呼び止めていた。しかし、うまく話を切り出せない。
「今日の夕食を、わたくしとあなただけで食べましょう。ヴァーノンたちは、女同士の秘密の話があると、追い払っておきますわ」
首を軽く傾げた側の目だけを、パチンとつぶってみせる。メイベルは、それっきり振り返らずに歩き去った。
メイベルが表情を読んで、采配を振ってくれたことに感謝する。そして、機転の利かない自分自身が情けなくて、悔しくて。
(あと三年で、あたしもメイベルさんみたいになれるのかな……?)
目標が遥か彼方で、近づいているのかもわからない。
けれど、最低でも、三年後に今を振り返った時。確かに成長していると、胸を張れるようになっていたかった。
晩課の鐘を聞きながら、騎士宿舎の食堂で、食事中のリナリア騎士たちに顔を見せた。しかも、同じ時間帯のベロニカ騎士たちまで混ざり、騒然と混沌の入り混じった空間にしてしまった。
他の騎士団とはこの後、入れ替わりで食事の時間になる。時間がきっちり決まっている食事を遅れさせたり、満足に取れないまま寝かせたりするわけにはいかない。何より、妙にはしゃぐ彼らが何となく怖くて、ベアトリスは早々に食堂を辞した。
しばらく時間を潰してから、エリカ騎士に明日の連絡を伝えに向かう。今度の同席騎士団はコキアで、これまた騒がしくて困らされた。当然、エリカ騎士の一部は、露骨に不機嫌な顔を見せている。
取り囲もうとするコキア騎士を振り払い、団長用の食堂へ足を運んだ。約束どおり、メイベルの姿しかない。
ベアトリスの顔を見るなり、メイベルはかすかな苦笑を浮かべた。
「ベロニカどころか、コキアまでうるさかったそうね」
「あ、はい。ちょっと驚きました」
この調子では、あまり縁のなかったアマリリス騎士たちにも、大いに騒がれるのではないか。そんな、拭いきれない恐怖がある。
「さ、座りなさい。向かい合わせと隣と、どちらがいいかしら?」
「隣で、いいですか?」
「かまいませんわ。いらっしゃい」
メイベルの左側の椅子を引く。そこへ座ったベアトリスに、少し冷めたスープがスッと差し出された。
「本当は温かいうちがおいしいのですけれど、今日は仕方がありませんわ。あなたの憂いを取り除くことも、騎士団同士の関係を円滑にするには必要不可欠ですの。もちろん、わたくしが心を痛めている時には、話を聞いて欲しいと思っていますわ」
「あたしでよかったら、いつでも」
「でも今日は、あなたの話でしてよ」
すらっとした長い人差し指で、つんと額を突かれる。
嫣然と微笑んだメイベルが、静かにスープを食べ始めた。彼女にならい、ベアトリスも並ぶ食事に手をつける。
いつもと変わらない量を食べ終えたところで、メイベルが「どんな悩みがあるんですの?」と切り出してきた。
「えっと、ですね……」
個人的なことだから、非常に話しづらい。どうまとめていいのか、どうしたら簡潔に伝えられるのか。それにすら、うじうじと悩んでしまう。
名前を出さずに、たとえ話のように言えば。けれど、何も練っていないから、途中でうっかり事実を口にしてしまうかもしれない。
「大方、オリオンのことでしょう?」
いきなり核心をつかれ、ベアトリスは全身を硬直させた。言ってしまったも同然だ。
明らかに動揺もしたし、顔にもすべて出ていたのだろう。メイベルが、苦笑いの混ざった息を小さく吐き出す。
「あなたは全部顔に出ますの。このところ、オリオンに対してぎこちないことも、ため息の回数が増えたことも、わかっているんですのよ」
「……見て、わかるくらい出てました?」
「他人に興味のないテレンスですら、ベアトリスはどうかしたのか、と聞いてくる程度には出ていましたわ」
自分自身と馬以外は眼中にない、と言っても過言ではない。そんなテレンスにまで、心配されるとは。
オリオンに『愛しい女性』と言われた時以上の衝撃だ。
「わたくしは、オリオンとも長いつき合いがありますから、何があったのかはだいたいわかっているつもりですわ。とはいえ、答えはあなたの中にしかないのですから、急ぐ必要はありませんの」
「それは、わかってるんですけど……ああいうこと、今までなかったから。本当に、よくわからないんですよね」
誰かに好き嫌いを聞かれれば、その時までのつき合いで判断して結論を出せる。ただ、それが愛情なのか、それとも別の感情なのかと聞かれると、答えに窮してしまう。
自分自身のことなのに、何もかもわからなくなってしまうのだ。
オリオンのことも、好き嫌いで表現すれば「好き」の部類だ。この好意が、メイベルやヴァーノンに感じるものとは違うことは、薄々わかっている。けれど、母や兄に対するものとは違うのかが、よくわからない。
「ゆっくり考えなさいな。オリオンは気の長すぎる男ですもの、きっと、いくらでも待っていますわ」
頭を軽く、二回叩かれる。それが、乱暴に払いのけたいほどではないが、決して気持ちのいいものではなかった。
違いのわからない、かすかな不快感。
そこに、何らかの答えがある気がした。
‡
昼食までの間、エリカ騎士たちはまだ、各騎士団で訓練を続けている。たまに確認で赴くが、腕は確実に上がっているようだ。
ベアトリスは午前中に少しだけ、ガザニア騎士の訓練に顔を出した。
「おー、きたきた! 団長に言ってみるもんだなぁ」
笑顔の騎士たちが、あっという間に取り囲んでくる。周囲に突然壁ができる恐怖も、見知った顔ばかりになったらなくなった。
ゴリゴリと音がしそうな勢いで、頭をなでられることも。我先にと、勝負を持ちかけられることも。昔からであったように、当たり前になっている。
「エリカの団長、勝負しようぜ!」
「あ、抜け駆けすんな! オレだって勝負したいんだぞ!」
「早い者勝ちだろ?」
剣の勝負ごときで、ケンカをされても嫌だ。
いつもならそう思って、休憩を入れながら何人かと勝負をする。しかし、今日はどうしてもそういう気分になれない。
「あの、今日は顔を見せに来ただけだから、勝負はちょっと……」
見え透いた言い訳と思わせないためだけに、未処理の書類もどっさり抱えてきたのだ。
実際、昨日のうちに終わらせるつもりだったものが、ちっとも出来上がっていない。今日は夜回り番のある日だから、時間を作って頑張って仕上げなければ。
いつまでも、ズルズルと後回しにはできない。
「それって、夕べ終わらせるって言ってたやつ? じゃあ、早めに片づけた方がいいね。あんまり遅れると、マジでモデスティー伯が怖いし。というわけで、みんな無茶は言わないように。ベアトリスは、団長の仕事にまだまだ不慣れなんだからね」
ヴァーノンが、ガザニア騎士を手であっけなく追い払う。
ぺこりと頭を下げることで感謝を示して、ベアトリスはそのまま王城へ戻る。
自室へ、トボトボと向かいながら。腕にかかる書類の重みと今夜の見回りに、唇から小さな吐息が重くこぼれ落ちた。
夕食後、いつものとおり鐘を聞いてから、そっと部屋を出た。
あの日以来、外に出てオリオンと手をつなぐと、勝手に鼓動が速くなる。時には、耳で脈打つ音が大きく響いて、話がまったく聞き取れないこともあった。見回りの間は、頬も耳も、ずっと熱い気がする。
目を覗き込まれると、なぜかバッと勢いをつけて逸らしたくなってしまう。
「暗いので、足下に気をつけてくださいね」
今夜は月がない。ランプのほのかな明かりだけが頼りだ。
(絶対に、落とさないようにしないと)
どんなに動揺しても、これだけは手放さない。そんな覚悟で、ベアトリスはランプを掲げる右手にグッと力を込める。
「今日は、星が綺麗ですね」
言われて、ふと空を見上げた。
すっかり帳を下ろした暗い空に、小さくて淡い光がバラバラと、無数に散らばっている。
「本当に……」
見惚れてしまって言葉が続かない。
日によって、形や大きさを変える月を楽しむことはあっても。夜ごと、空いっぱいに広がる星に、目を向けたことは一度もなかった。
月がなければ、こんなに明るく輝くものだったなんて。
(オリオンさんといなかったら、きっと知らないままだった)
「……もっと、いろんなことを教えてくれますか?」
言葉が流れ出す。
「メイベルさんやヴァーノンさんも好きですけど、それとはちょっと違う。でも、母様や兄様に対する好きとは、違うのかよくわからないんですけど……たくさんの時間を一緒に過ごしてみたいなって、たった今思いました」
口が勝手に動いたのだから、多分きっと、これが正直な気持ちだ。さらなる何かを伝える術は、あいにく持ち合わせていない。
黙って聞いていたオリオンの目が、ゆっくりと見開かれる。薄く開いた唇は小刻みに震え、発する言葉を必死に探しているようだ。
「だから、オリオンさんのこととか、もっと教えてくださいね」
とたんに浮かべられた、彼のやわらかな微笑から、どうしても目が離せない。
「……ありがとう、ございます。今は、それだけで十分です」
呪縛が解けたのか。ベアトリスは体ごと、くるりと向きを変える。
頬が、やけにカッカと熱い。
(今日は、月がなくてよかったぁ……)
明るかったらきっと、夕焼けより鮮やかに染まった顔を、ばっちり見られていただろう。
「では、見回りを済ませてしまいましょうか」
オリオンの晴れやかな笑顔に手を引かれ、ベアトリスは足を踏み出した。




