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四番街の弓姫は新米団長  作者: 日咲ナオ
第一章 始まり
18/80

五章 2

 無事に終わった安堵感で、すっかり気が抜けてしまった。しかし、夜回り番を忘れてはいない。

 忘れることは、できない。

 いつものように、外へ出たらオリオンの手をしっかり握る。もう、完全に習慣となってしまった。

 鍛冶場の裏から外壁に沿って回り、建物の間を縫うように通る。騎士宿舎と王城の間の確認が終われば、今夜の見回りは完了だ。

「今日はお疲れ様でした。立派でしたよ」

「ありがとうございます。でも、実はあたし、緊張してて、あんまり覚えてないんですよね」

 無我夢中で頭に叩き込んでいたことをこなし、気がついたら夜になっていた。だからまだ、何もかもの実感がない。

「非の打ちどころのない、素晴らしい団長でした。思わず見惚れてしまいましたよ」

 手放しで褒められるとくすぐったく、勝手に頬が熱くなってしまう。それを何とかして隠したいが、ランプとオリオンの手で両手はふさがっている。仕方なく、周囲への警戒を怠らない範囲で、顔を下へ向けた。

「できれば、他の誰にも見せず、最初から最後まで私一人で見守りたいほどに素敵でした」

 完璧な不意打ちを食らい、ベアトリスはランプを取り落とした。あたふたと見下ろしたが、火は消えてしまっている。

 落としたランプを拾うが、火種がなければすぐにはつけられない。

「よろしければ、こちらを使ってください」

 オリオンが持っていたランプと、消えてしまったランプを交換したら。また不意を衝かれた時、光源を失ってしまう可能性が高い。

 今夜は月が欠け始めていて、その上やや曇っている。それだけは避けたかった。

「いえ、それはオリオンさんが持っててください。もしかして両方消えちゃったら、やっぱり困りますし」

 少しだけ、次の言葉をつむぎづらい雰囲気が漂う。

 今ここで、どんな話題を出したら。息苦しいこの空気が、綺麗さっぱりなくなってくれるのか。

 必死に考え抜いて、ふと頭に浮かんだ疑問をそのまま口にしてみる。

「あ、そういえば、ちょっと気になってたんですけど……オリオンさんたちって、いつ頃知り合って、いつから団長をしてるんですか?」

「知りたいですか?」

 まさか、確認されるとは思っていなかった。不意打ちの動揺を隠すように、ベアトリスはコクコクと何度も頷いてみせる。

「私が従騎士になったのは、十二歳の時です。見習い騎士にならずに従騎士というのは珍しいらしく、人の目が怖くて非常に苦労しましたね。実際のところ、メイベルさんたちは私と同じ日に従騎士となりましたが、その前は見習い騎士だったそうですよ」

「そうなんですか? っていうかあたし、騎士団の仕組み自体が、あんまりよくわかってないところがあるんですけど」

 各騎士団は、正規の騎士は五十人まで、従騎士は五人までと決められている。引退などで空きができると従騎士が騎士団へ入り、希望などを踏まえて見習い騎士から従騎士を補充する仕組みだ。もちろん、すぐに補充ができないことも何度かあった。

 そのため、人員が不足しているエリカ騎士団では、入団試験に合格できればすぐに騎士になれてしまう。ただし、制服ができるまでは見習い騎士の扱いだ。その間、礼儀作法などの厳しい特訓が待っている。

「慣れれば難しいことはありませんよ。従騎士や見習い騎士の件は、エリカ騎士団が大きくなれば自然と扱うようになりますからね」

「やっぱり、そういうものですよね……やってみないとわかんないし」

 慢性的に人員不足となりそうなエリカ騎士団では、従騎士の心配までは必要ないのかもしれない。けれど、いつかは悩みを抱えてみたい。そんな、ささやかな願望はある。

「それから、団長になった時期ですが、実は同日なんです」

「……え?」

「前任者は老化を理由に引退されたのですが、全員が同じ日に退いたわけです。しかも、後継者をわざわざ指名しましたからね。連日退かれても嫌ですが、同日も十分に嫌がらせと思っています。肝心のお披露目では半分が問題児で、臣民ともにうんざりしたのではないかと」

 極度の人見知りゆえにガタガタと震え、ずっと俯いているアマリリス騎士団長。可愛い少女を見つけては、馬から降りて気軽に声をかけにいくベロニカ騎士団長。身動きが取れないほど、紐で馬上に固定されたガザニア騎士団長。

 彼らの後に続いたメイベルとテレンスが、最高に素晴らしい団長に見えてしまったことだろう。

「新しい団長は、半分が不安だ。そんな逸話が残っているらしいですよ」

 オリオンがあまりに楽しそうに笑うから、ベアトリスもつられて笑い声を立てる。

「もっとも、三年ほど前のことですから、まだみなさんの記憶に新しいのでしょうね」

 きっと彼は、何の気なしに言ったのだろう。だが、ベアトリスは瞬時に笑顔を凍りつかせた。

 彼らはたった三年で、団長の職務を難なくこなしている。三年後、彼らのようになれているか。今のベアトリスには、その自信がない。

「日々精進し、この国に欠かせない騎士団となるのでしょう? ベアトリスさんでしたら、できますよ。これからは、エリカ騎士団の話題で持ちきりになるはずです」

 ひょいと顔を覗き込んできたオリオンにきっぱり断言され、顔がカッと熱くなるのがわかった。

 ぼんやりしたランプと月の明かりしかない状況が、こんなにありがたいなんて。

「ただ、ベアトリスさんが注目されると、嬉しい反面腹立たしくもなります。他の方の目に触れさせず、私一人で見つめていたいと思うことがありますから」

「えっ?」

 最初は、オリオンの声がサラッと素通りした。深呼吸をたっぷりと三回はできる時間が経過して、ようやく耳や頭の中で言葉がガンガンと反響し始める。

 それでもまだ、言われた内容がすうっと頭に入ってこない。

「初めは、言動がリサさんに少し似ていたので、気がゆるみました。かくれんぼは、私でも気軽に参加できるようにと、他の子供たちにリサさんが声をかけて始まった遊びなんです。ですから、少しの間とはいえ、ベアトリスさんを『リサさんの娘さん』という目で見ていたことは否定しません」

 淡々とした口調とは裏腹で、つないだ手からわずかに震えが伝わってくる。

 かすかな月明かりに照らされた表情は、どこか不安げで頼りなく。言いたいことがあるのに言い出せない。うまく言葉が出てこない。そんな顔だ。

「ですが、ベアトリスさんはベアトリスさんです。できないことに悩み、考えて解決策を見出し、前に進み続けようと努力しています。瞬きの間に表情を変えるあなた見ているだけで、とても温かで穏やかな気持ちになれるんです。ですから、ずっとそばで笑っていて欲しいと願うほど、私はベアトリスさんを愛しい女性と思っていますよ」

 真っ直ぐ目を合わせ、何もかも吹っ切ったように微笑んだオリオンの言葉。ひとつ染み込むたびに、ベアトリスの頬は次第に赤みを帯びていく。

 もう、誰の目にも、紅潮しているのがはっきりわかるだろう。

 自覚できるくらい、顔も手も熱い。

「今すぐに返事をください、と言うつもりはありません。待つことは苦になりませんし、ベアトリスさん自身が納得して出した答えであれば、いつでも受け入れますから」

 顔が熱くて、頭がクラクラして。何も考えられない。指一本、動かせない。瞬きも呼吸も、できているのかわからない。

「では、見回りを終えてしまいましょうか」

 いつもは引っ張ってあげないといけない人なのに。

 頼もしく先導する背中を、ただジッと見つめるしかできなかった。


         ‡


 ベアトリスがエリカ騎士団の団長に就任して、あっという間に十日が過ぎた。

 団長には、書類仕事もつきものだ。団員の訓練状況に、支給品の使用状態。どんな訓練をして、何を行ったか。すべて事細かに記して、モデスティー伯に提出する必要がある。

 書くのは毎日だが、届けるのは一週間分をまとめてもかまわない。

 そう言われていたから、ベアトリスは週に一度、顔を見せるついでに書類を届けに行っている。慣れない仕事が多いため、まだ毎日出向く時間が取れない。

 今日は兄に、手ずから焼き菓子を食べさせてもらった。手土産として残りの菓子をもらい、弾む足取りで自室へ戻る途中のことだ。

「あ、ベアトリス、ちょうどよかった。あのさ、週イチでいいから、訓練に顔を出してくれない? うちの団員たちが、もうマジうるさくてウザくて」

 以前はあまり名前を呼ばれたことがなかったが、正式にエリカ騎士団長となってからは変わった。同等の立場になったと、彼らなりに認めてくれているのだろう。

「そういえば、団長の仕事を覚えるのに必死で、剣の訓練はサボってましたね。じゃあ……えーっと、明日あたり、時間を作ってちょこっと顔を出しますね」

「マジで? ありがとう。もう、オーソンを筆頭に「エリカの団長は来ないのか」って毎日毎日……マジでいい加減、聞き飽きた耳が腐ってズルッと落ちそうだったんだよね」

「そ、そんなに?」

 確かに一時は、訓練のために団員状態だった。立場が変わってもなお熱望されるほど、知らず知らずすっかり馴染んでいたようだ。

「おかげでこの後は黙らせられるよ。マジでありがとう」

 笑顔で手を振ったヴァーノンを見送っている最中に、トントンと肩を叩かれた。振り向き様に、紫色が目に入る。

「メイベルさん、何かあったんですか?」

「できれば数日のうちに、リナリア騎士に顔を見せてあげて欲しいんですの」

「リナリア騎士もですか?」

 思わず呟いて、ついでにため息がこぼれる。

 この調子では、それなりに関わって縁のあった騎士団に、ことごとく顔を見せに行かなければいけないかもしれない。

「手間をかけさせてごめんなさいね。庇護欲をそそる、それはそれは可愛らしいエリカの団長に心ゆくまで、じっくりと隅々まで癒やされたいそうですの。渋々願いを叶えてあげたら、全員の性根を徹底的に叩き直す予定ですわ」

「あ、いえ、食事時でもいいなら、いつでも行きますけど。それ以外だと、エリカ騎士団のこともあって、あんまり自由な時間がなくて」

「ええ、食事中に襲撃してかまいませんわ。今日の夕食は一番ですから、都合が合えばお願いしてよいかしら?」

 今日のエリカ騎士の夕食は、確か二番だ。顔を見せ、明日の連絡を済ませてから、自分の食事を取る。その後で書類仕事をいくつかこなせばいいだろう。夜回り番は明日だ。

「わかりました」

 その時不意に、このところの夜回りを思い出す。

 戸惑いや緊張で、まともにできているのか怪しい。それが、どうにもふがいないのだ。

「あの、メイベルさん」

 気がついたら呼び止めていた。しかし、うまく話を切り出せない。

「今日の夕食を、わたくしとあなただけで食べましょう。ヴァーノンたちは、女同士の秘密の話があると、追い払っておきますわ」

 首を軽く傾げた側の目だけを、パチンとつぶってみせる。メイベルは、それっきり振り返らずに歩き去った。

 メイベルが表情を読んで、采配を振ってくれたことに感謝する。そして、機転の利かない自分自身が情けなくて、悔しくて。

(あと三年で、あたしもメイベルさんみたいになれるのかな……?)

 目標が遥か彼方で、近づいているのかもわからない。

 けれど、最低でも、三年後に今を振り返った時。確かに成長していると、胸を張れるようになっていたかった。


 晩課(ばんか)の鐘を聞きながら、騎士宿舎の食堂で、食事中のリナリア騎士たちに顔を見せた。しかも、同じ時間帯のベロニカ騎士たちまで混ざり、騒然と混沌の入り混じった空間にしてしまった。

 他の騎士団とはこの後、入れ替わりで食事の時間になる。時間がきっちり決まっている食事を遅れさせたり、満足に取れないまま寝かせたりするわけにはいかない。何より、妙にはしゃぐ彼らが何となく怖くて、ベアトリスは早々に食堂を辞した。

 しばらく時間を潰してから、エリカ騎士に明日の連絡を伝えに向かう。今度の同席騎士団はコキアで、これまた騒がしくて困らされた。当然、エリカ騎士の一部は、露骨に不機嫌な顔を見せている。

 取り囲もうとするコキア騎士を振り払い、団長用の食堂へ足を運んだ。約束どおり、メイベルの姿しかない。

 ベアトリスの顔を見るなり、メイベルはかすかな苦笑を浮かべた。

「ベロニカどころか、コキアまでうるさかったそうね」

「あ、はい。ちょっと驚きました」

 この調子では、あまり縁のなかったアマリリス騎士たちにも、大いに騒がれるのではないか。そんな、拭いきれない恐怖がある。

「さ、座りなさい。向かい合わせと隣と、どちらがいいかしら?」

「隣で、いいですか?」

「かまいませんわ。いらっしゃい」

 メイベルの左側の椅子を引く。そこへ座ったベアトリスに、少し冷めたスープがスッと差し出された。

「本当は温かいうちがおいしいのですけれど、今日は仕方がありませんわ。あなたの憂いを取り除くことも、騎士団同士の関係を円滑にするには必要不可欠ですの。もちろん、わたくしが心を痛めている時には、話を聞いて欲しいと思っていますわ」

「あたしでよかったら、いつでも」

「でも今日は、あなたの話でしてよ」

 すらっとした長い人差し指で、つんと額を突かれる。

 嫣然と微笑んだメイベルが、静かにスープを食べ始めた。彼女にならい、ベアトリスも並ぶ食事に手をつける。

 いつもと変わらない量を食べ終えたところで、メイベルが「どんな悩みがあるんですの?」と切り出してきた。

「えっと、ですね……」

 個人的なことだから、非常に話しづらい。どうまとめていいのか、どうしたら簡潔に伝えられるのか。それにすら、うじうじと悩んでしまう。

 名前を出さずに、たとえ話のように言えば。けれど、何も練っていないから、途中でうっかり事実を口にしてしまうかもしれない。

「大方、オリオンのことでしょう?」

 いきなり核心をつかれ、ベアトリスは全身を硬直させた。言ってしまったも同然だ。

 明らかに動揺もしたし、顔にもすべて出ていたのだろう。メイベルが、苦笑いの混ざった息を小さく吐き出す。

「あなたは全部顔に出ますの。このところ、オリオンに対してぎこちないことも、ため息の回数が増えたことも、わかっているんですのよ」

「……見て、わかるくらい出てました?」

「他人に興味のないテレンスですら、ベアトリスはどうかしたのか、と聞いてくる程度には出ていましたわ」

 自分自身と馬以外は眼中にない、と言っても過言ではない。そんなテレンスにまで、心配されるとは。

 オリオンに『愛しい女性』と言われた時以上の衝撃だ。

「わたくしは、オリオンとも長いつき合いがありますから、何があったのかはだいたいわかっているつもりですわ。とはいえ、答えはあなたの中にしかないのですから、急ぐ必要はありませんの」

「それは、わかってるんですけど……ああいうこと、今までなかったから。本当に、よくわからないんですよね」

 誰かに好き嫌いを聞かれれば、その時までのつき合いで判断して結論を出せる。ただ、それが愛情なのか、それとも別の感情なのかと聞かれると、答えに窮してしまう。

 自分自身のことなのに、何もかもわからなくなってしまうのだ。

 オリオンのことも、好き嫌いで表現すれば「好き」の部類だ。この好意が、メイベルやヴァーノンに感じるものとは違うことは、薄々わかっている。けれど、母や兄に対するものとは違うのかが、よくわからない。

「ゆっくり考えなさいな。オリオンは気の長すぎる男ですもの、きっと、いくらでも待っていますわ」

 頭を軽く、二回叩かれる。それが、乱暴に払いのけたいほどではないが、決して気持ちのいいものではなかった。

 違いのわからない、かすかな不快感。

 そこに、何らかの答えがある気がした。


         ‡


 昼食までの間、エリカ騎士たちはまだ、各騎士団で訓練を続けている。たまに確認で赴くが、腕は確実に上がっているようだ。

 ベアトリスは午前中に少しだけ、ガザニア騎士の訓練に顔を出した。

「おー、きたきた! 団長に言ってみるもんだなぁ」

 笑顔の騎士たちが、あっという間に取り囲んでくる。周囲に突然壁ができる恐怖も、見知った顔ばかりになったらなくなった。

 ゴリゴリと音がしそうな勢いで、頭をなでられることも。我先にと、勝負を持ちかけられることも。昔からであったように、当たり前になっている。

「エリカの団長、勝負しようぜ!」

「あ、抜け駆けすんな! オレだって勝負したいんだぞ!」

「早い者勝ちだろ?」

 剣の勝負ごときで、ケンカをされても嫌だ。

 いつもならそう思って、休憩を入れながら何人かと勝負をする。しかし、今日はどうしてもそういう気分になれない。

「あの、今日は顔を見せに来ただけだから、勝負はちょっと……」

 見え透いた言い訳と思わせないためだけに、未処理の書類もどっさり抱えてきたのだ。

 実際、昨日のうちに終わらせるつもりだったものが、ちっとも出来上がっていない。今日は夜回り番のある日だから、時間を作って頑張って仕上げなければ。

 いつまでも、ズルズルと後回しにはできない。

「それって、夕べ終わらせるって言ってたやつ? じゃあ、早めに片づけた方がいいね。あんまり遅れると、マジでモデスティー伯が怖いし。というわけで、みんな無茶は言わないように。ベアトリスは、団長の仕事にまだまだ不慣れなんだからね」

 ヴァーノンが、ガザニア騎士を手であっけなく追い払う。

 ぺこりと頭を下げることで感謝を示して、ベアトリスはそのまま王城へ戻る。

 自室へ、トボトボと向かいながら。腕にかかる書類の重みと今夜の見回りに、唇から小さな吐息が重くこぼれ落ちた。


 夕食後、いつものとおり鐘を聞いてから、そっと部屋を出た。

 あの日以来、外に出てオリオンと手をつなぐと、勝手に鼓動が速くなる。時には、耳で脈打つ音が大きく響いて、話がまったく聞き取れないこともあった。見回りの間は、頬も耳も、ずっと熱い気がする。

 目を覗き込まれると、なぜかバッと勢いをつけて逸らしたくなってしまう。

「暗いので、足下に気をつけてくださいね」

 今夜は月がない。ランプのほのかな明かりだけが頼りだ。

(絶対に、落とさないようにしないと)

 どんなに動揺しても、これだけは手放さない。そんな覚悟で、ベアトリスはランプを掲げる右手にグッと力を込める。

「今日は、星が綺麗ですね」

 言われて、ふと空を見上げた。

 すっかり帳を下ろした暗い空に、小さくて淡い光がバラバラと、無数に散らばっている。

「本当に……」

 見惚れてしまって言葉が続かない。

 日によって、形や大きさを変える月を楽しむことはあっても。夜ごと、空いっぱいに広がる星に、目を向けたことは一度もなかった。

 月がなければ、こんなに明るく輝くものだったなんて。

(オリオンさんといなかったら、きっと知らないままだった)

「……もっと、いろんなことを教えてくれますか?」

 言葉が流れ出す。

「メイベルさんやヴァーノンさんも好きですけど、それとはちょっと違う。でも、母様や兄様に対する好きとは、違うのかよくわからないんですけど……たくさんの時間を一緒に過ごしてみたいなって、たった今思いました」

 口が勝手に動いたのだから、多分きっと、これが正直な気持ちだ。さらなる何かを伝える術は、あいにく持ち合わせていない。

 黙って聞いていたオリオンの目が、ゆっくりと見開かれる。薄く開いた唇は小刻みに震え、発する言葉を必死に探しているようだ。

「だから、オリオンさんのこととか、もっと教えてくださいね」

 とたんに浮かべられた、彼のやわらかな微笑から、どうしても目が離せない。

「……ありがとう、ございます。今は、それだけで十分です」

 呪縛が解けたのか。ベアトリスは体ごと、くるりと向きを変える。

 頬が、やけにカッカと熱い。

(今日は、月がなくてよかったぁ……)

 明るかったらきっと、夕焼けより鮮やかに染まった顔を、ばっちり見られていただろう。

「では、見回りを済ませてしまいましょうか」

 オリオンの晴れやかな笑顔に手を引かれ、ベアトリスは足を踏み出した。

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