五章 1
細かいところまで、ネチネチと隙なく指導してくる。そんなメイベルの礼儀作法の特訓も、どうにかこなした。
ローラ以外の馬でも、駆けながら矢を番えるまではできるようになった。命中率は、まだまだ今後の課題だ。
エリカ騎士団発足当日の行動も、何とか把握できた。
一番問題だったのは、新設騎士団の団長としての挨拶を、残らず丸暗記することだ。
「あのさぁ、ちゃーんと前を見て、挨拶くらい堂々とできないと、出だしからつまずくよ?」
にこやか笑顔のヴァーノンにそう言われては、精力的に努力するしかない。
夜回り番の時も、ベアトリスはブツブツと呟いている。オリオンは常に、笑いをかみ殺している有様だ。そして、見回りが終わると「よかったですよ」などと、必ずひと言感想をくれる。
「うん、まあ、全体的に合格だね。最初はどうなることかと思ってたけど、ちゃんと前日には形になってよかったよ」
明日、三時課の鐘が鳴った後。エリカ騎士団が国王の承認を得て、正式にフロース王国の一騎士団として認められる。それから、王都限定でお披露目があるらしい。
「団長は馬上で、団員は徒歩で、王都の中を練り歩くんだよ。それはいいんだけど、後ろから他の団長も馬に乗ってついていくって、マジで誰が決めたんだろうね」
ヴァーノンの愚痴をサラッと聞き流す。
ベアトリスは先ほど届けられた、真新しい布の匂いがするエリカ騎士の制服を、胸にギュッと抱き締めている。
今までの、見習い騎士の制服ではない。正真正銘、エリカ騎士として身につける制服だ。
「制服も間に合ったね」
マラキアが言うには、二十人で各五枚ならば、三十日もあれば余裕だった。むしろ、別に作らなければならなかったものに、大きく時間を取られたそうだ。
別の何かは、怖くてその場では聞けなかった。だから今でも、それが何かはわからない。
「そんなわけで、君は平気だろうけど、明日は早いよ。今日の予定だった夜回りは、明日の僕と交換だから安心してね」
「そういえば、ヴァーノンさんは誰と組んでるんですか?」
ずっとオリオンと夜回り番をこなしているため、今まで気にしたことがなかった。交代するならば、相手が誰になるかは重要だ。
「僕? 僕は自分大好き病で、ひたすらしゃべりっぱなしのテレンスだけど。ああ、コンビごと入れ替わりだから、そこは安心してね」
「あ、そうなんですか。てっきり、明日はヴァーノンさんがいつも組んでる人と、あたしが夜回り当番なんだって思って」
「いや、多分、コーデルやテレンスと組ませたら、モデスティー伯がマジ怖いから。悪魔どころか、生き物が全部、一斉に裸足で逃げ出すレベルだからね!」
「いくらなんでもそこまでひどくは……」
ない、とは言い切れない。
実子でさえ、罰則として、厳しい自室謹慎があるのだ。他人は、察して余りある。
「だから、今夜はゆっくり休んで、明日は万全の体調で挑むように。ちなみにこれは、僕だけじゃなくて、団長総意の命令だからね」
「はい、わかりました」
元気よく返事をして、のんびりと自室へ引き上げる途中。
(あ、もしかして……明日のこととか、オリオンさんにちょっとでも話して、落ち着くこともできないのかな?)
今日まで嫌になるほど練習してきたが、それでも不安は尽きない。
失敗したら? その時は、どうやって取り返せばいい? もし、挨拶を間違えてしまったら? 取り返しのつかないことになったら、どうしよう。
階段をひとつ上るごとに、後ろ向きな考えがひとつずつ頭を過ぎる。
『大丈夫ですよ』
微笑んでそう告げる、オリオンの穏やかで優しい声が無性に聞きたくなって。
最後の段に重い足を置いた時、ドアが開くかすかな音がした。
「ベアトリスさん」
このところ、聞き慣れたこの声に名前を呼ばれると、急にあちこちがむずがゆくて落ち着かなくなる。そのくせ、話をすると、妙にすっきりするのだから始末が悪い。
「今夜は会えないので、少し話ができたらと思いまして」
ニコッと微笑む、いつしか見慣れてしまった姿。
気づけばいつの間にか、彼が顔を背けることもなくなっていた。あまりにジッと見つめてくるので、耐えきれなくなって、逆に視線を外してしまうくらいだ。
エリカ騎士の入団試験があった頃は、他の騎士団は入団からひと月以上が過ぎていた。それでも、アマリリスの新人騎士には、話しかけられても悲鳴を上げていたらしい。
団長たちが口をそろえて言うのだから、間違いないだろう。
そんな人に、いったいどんな変化が起きたら、たった三十日足らずでここまで豹変するのか。想像すら難しい。
「……あたしも、ちょっとオリオンさんと話したいなって、思ってたとこなんです」
実際に考えていたことを、今さら取り繕っても仕方がない。
抱えている不安を吐き出して、ゆっくり眠って、明日は自分らしく過ごしたいから。
「全部、聞かせてください」
当たり前のように目線を合わせる黒い瞳に、心臓がぴょんと跳ねた音がする。どんどん息苦しくなって、必死に顔を背けて。
何か話さないと、と気ばかり焦ってしまう。
「あの、失敗したらって思うと、怖くて。どこでどうやって取り返そう、とか、そもそも取り返しがつかなかったらとか。頑張って覚えたのに、挨拶を間違えたら、とか。さっきなんて、階段を上るたびに嫌なことばっかり考えちゃって」
「失敗してもいいんですよ」
自分の耳を疑って、思わずオリオンを見上げる。
新設された騎士団の団長が、いきなり失態を見せるなんて。
そんなことが、許されるはずが、ない。
「団長も人間ですから、失敗くらいありますよ。テレンスさんや私でも団長が務まっているんですから、安心してください」
励まそうとしているのはわかる。だから、引き合いに出されたテレンスは、勢いで頷いてしまうのだが。
「オリオンさんは、団長らしいと思いますよ? ちゃんと人の話を聞いて、間違ってたら違うって言えて。最初の人見知りにはびっくりしましたけど、面倒見もいいですし」
精一杯、褒めたつもりだ。けれど、オリオンの表情はスッと暗くなる。
褒め足りなかったのだろうか。そんなことを考えていたベアトリスに気づいたオリオンは、初めて見る諦観混じりの笑みを浮かべた。
「従騎士であれば、一年後には何とか顔を見て会話が成立します。しかし、さらに接点の少ない見習い騎士となると、彼らに関わる雑務は副官頼みになってしまいます。私が団長に就任した当初は、当時の副官が団長と思っていた見習い騎士ばかりでしたよ」
短く吐き出された重いため息に、すべてが集約されている。そんな気がした。
「テレンスさんも、上手く扱わなければ、話すら聞いてくれない方ですから……コキア騎士団もやはり、副官頼みでしょうね」
「馬のこと以外、何を話しても、テレンスさんは聞いてるようで聞いてないですよね」
まともな反応があるのは、馬の話題と彼の美貌について。あとは、団長同士で話し合って決める重大な物事くらいだ。
あれほどに話の通じない人間の副官など、誰も進んでやりたがらないだろう。運悪く貧乏くじを引かされた、と思われているかもしれない。
幸い、エリカ騎士団は、すぐに見習いや従騎士を有することはない。そもそも、団員自体が規定の半数もいないのだ。
けれど、いずれ、人員が増えた頃に問題児の団長が誕生したら。その時の副官は、しなくてもいい苦労を、渋々背負い込むことになる可能性が高い。
かといって、廃団になっているかもしれない遠い未来を、ベアトリスが憂いても何ができるわけでもない。
「それから、ここだけの話ですが」
オリオンが声を潜める。
「ヴァーノンさんは、団長のお披露目の際、派手に落馬しました。もちろん、ケガはありませんでしたが……やっとのことで乗せて、いざ歩き出そうとしたところで転がり落ちたものですから、もう一度乗せて紐で馬にくくりつけて、どうにか終わらせました。おかげで、しばらくの間は、ヴァーノンさんの話で持ちきりでしたよ」
その頃、オリオンはすでに団長だったのだろうか。
会話の中で「昔から」といった類の言葉はよく出てくる。とはいえ、ベアトリスは、彼らの過去をほどんと耳にしていない。
何歳頃から親しくしていたのか。いつ、どんなきっかけで知り合って、どの順で団長になったのか。それ以外でも、個人的なことはほとんど聞かされていないに等しい。
「ですから、お披露目で失敗しても、何ら問題はありません」
前例があるから、ちょっとした失敗は目をつぶる。そうしなければ、過去にさかのぼって罰則を考えなければならない。
それは確かに、どう考えても無理がある。
「明日は、ベアトリスさんらしくいればいいと思いますよ」
相変わらず、厳しいことを言わない人だ。
それが嬉しい時もある。しかし、きつい言葉から逃げる人間だと思われているようで、無性に寂しくなることもある。反面、どこか冷静な自分が「違う態度を取られたら、それはそれで寂しい」気がすると訴えるのもまた、まぎれもない事実で。
コロコロと転がっていく感情が、自分のことなのによくわからない。手に負えない、先の読めない、厄介な生き物のようだ。
「私たちも、できる限りのフォローをしますから、心配はいりませんよ」
顔を背けず見つめてきて、穏やかでやわらかい微笑を浮かべる。そんなオリオンは、初対面の時には想像もできなかった。
見慣れた今でも、変化の理由は知らない。
知りたいような、知ることが怖いような、不思議な気持ちが心を占めている。
「じゃあ、明日の夜回りは、たっくさん話を聞いてくださいね」
「もちろんです」
こんな約束ひとつで、心臓は妙に浮かれてしまう。胸がふわりと温かくなって、それがじんわりと全身に広がっていく。
このままベッドに入れば、朝までしっかり熟睡できそうだ。
「おやすみなさい」
優しい声に背中を押されて、ベアトリスは自室に入る。
チェストの上に新品の制服を置く。月明かりがほのかに差し込む部屋の中を、少し浮かれた足取りでベッドに向かう。
目をつぶっていても歩ける程度には、この部屋にも慣れた。
ベッドの端に腰かけ、それからゆっくり倒れ込んで、そっと目を閉じる。
(明日には、名実ともに、エリカ騎士団の団長になるんだよね……)
まだ、実感は湧かない。
エリカ騎士団としての任務が与えられれば、嫌でも立場や立ち位置を覚えていくだろう。きっと、感慨にふけるのはそれからだ。
それ以上の考えごとをする暇もなく、ベアトリスの意識はゆるゆると眠りの中へ落ちていった。
‡
いつもの時間に、変わらず目を覚ました。
(……もう、朝なんだ)
ドキドキと弾む心臓を、上から両手で押さえる。部屋の外に用意されたぬるま湯で顔を洗い、チェストの上に置いた制服を手に取った。真っ白な生地に金の縁取りが、少しだけ目に痛い。
着替えを済ませ、気分を落ち着かせようと散歩に出たところで、朝を知らせる一時課の鐘が聞こえた。
職人棟の入り口脇で、オーソンとナイジェルが並んで待っているのも、いつもと変わらない風景だ。
制服が似合うと褒められ、他愛ない会話を交わしながら散歩を終えた。変わらないはずなのに、やはり心臓は落ち着いてくれない。
食堂できちんと食事を済ませた後。一度部屋に戻って、挨拶の原稿をじっくり確認する。剣と弓、矢筒をきちんと身につけていることを確認してから、おもむろに部屋を出た。
今日の集合場所は訓練場だ。三時課の鐘が鳴った時には、すでに準備万端でいなければ。
厩舎で待っているテレンスの元へ急ぐ。メイベル、オリオン、コーデルはすでに乗馬しており、ヴァーノンは紐で厳重に固定されている最中だ。
「お子様よ、今日の馬はルークだ」
「ルーク、今日はよろしくね」
テレンスが連れてきた鹿毛に声をかけ、鬣をそっとなでる。鐙に足を置いて、勢いをつけて背に乗った。
「絶対に下を向くな。何があっても前を見ていろ」
「わかりました」
暴言を吐かれようとも、蔑む視線や言葉を投げつけられようとも。今日は一日グッと胸を張り、顔を上げ続けていたい。
前だけを、見続けたい。
ルークに前進の命令を出し、訓練場で集合しているエリカ騎士たちのところへ行く。全員が緊張した面持ちだ。ベアトリスも、手綱を握る腕がかすかに震えている。
三時課の鐘が鳴り響く。出陣の合図だ。
徒歩に合わせて馬を繰る練習はしてきた。
(大丈夫、ちゃんとできる)
大きく息を吸い込んで、ふうっと一気に吐き出す。
「みなさん、ついてきてくださいね」
歩き出してから、軽く振り向いて後方を確認する。一糸乱れぬ、とは言えないが、それなりに様になったエリカ騎士たち。彼女たちの後ろに、団長たちが続く。
ルークとは、馬上で剣を振る練習しかしたことがない。けれど、今のところは大人しく、言うことを聞いてくれている。
王城の敷地から出たところで、肘を張り、右の拳を握って胸に当てる。城下では、騎士の礼を取ったままで進む決まりらしい。このこともあり、片手でも馬を操れるように練習させられたのだ。
城門の外には、もう一つ塀がある。
王城と街の間に、土がむき出しになった広い空間がある。真っ直ぐ抜けられる一番街と二番街の境から遠い人々は、基本的にここを通って王城へと訪れる。だが今回は、素直に直進して街へ出ればいい。
一番街と二番街を分ける道。そこへ出たとたん。
「ばんざーい!」
突然の歓声に、驚いて歩みを止めかける。すぐに気を取り直し、にこやかな笑顔を作った。ひたすら前を見据えて、ルークを歩かせ続ける。
「エリカ騎士団、ばんざーい!」
真横や後ろからだけでなく、前方からも歓呼の声が届く。
視界の端に入る人々の表情からは、嫌々といった負の感情は感じられない。誰もが純粋に、心から歓迎しているようだ。
まだ、こうして温かく迎え入れてもらえるようなことは、何一つしていないのに。
『エリカ騎士団』という存在が勝手に大きくなって、期待だけが高まってしまったような。そんな恐怖を感じる。
一番街と二番街の間を真っ直ぐ抜け、外郭の手前で右に折れた。しばらく進み、一番街と三番街の境を北上し、また右に折れる。二番街に入るまでは真っ直ぐ抜け、今度は二番街の外周を回った。これを三番街、四番街でも繰り返す。
「ベアトリス、頑張ってね!」
「弓姫、決まってるよ!」
いつの間に知ったのだろうか。四番街に入ったところで、居並ぶ自警団の面々が声をかけてくれた。手を振り替えしたいところだが、グッと我慢する。その代わり、普段と変わらない笑顔を彼らに向けた。
ここまでうまくいっていることを、感情に任せて台無しにはできない。
四番街も回り終えたら、再び王城へと戻る。城の前で整然と整列し、国王の承認を受けなければ、エリカ騎士団にはなれないからだ。
「全員、整列!」
ベアトリスは馬上で、エリカ騎士たちは地上で、騎士の礼をきっちり取り直す。この時ばかりは、団長が馬上にいても不敬とはされないらしい。
初めて見た国王は、癖のある白金色の髪と、柔和な薄紫色の瞳が印象的だった。
「フロース王国国王の名において、新たな騎士団の誕生を宣言しよう。騎士団の名はエリカ騎士団。団を象徴する色は白だ。その清き色のごとく、麗しき貴婦人方の護衛を専門に請け負う騎士団となれ」
「はい!」
屋外であることを考慮し、全員が自然と声を張り上げる。
「エリカ騎士団、総勢二十名。団長はベアトリスに任命する」
「ありがたく拝命いたします!」
頭を下げると、国王が遠ざかっていく気配を感じた。
ここからが本番だ。
ゆっくりと、頭を持ち上げる。一度固く目を閉じて、ゆるゆると開く。
「新たな騎士団として、今日、エリカ騎士団が新設されました。私たちは日々精進し、護衛した方々に安心し、喜んでいただける騎士団を目指します。そしていずれは、このフロース王国に欠かせない騎士団となれるよう、努力を重ねる所存です。ご同席のみなさまには、私たちの決意を記憶に刻み、着実に進んでいる時には激励の言葉を、望む形から遠ざかっている時には厳しいご指導を、どうぞよろしくお願いします」
さすがに、スラスラと滑らかには言えなかった。だが、詰まることも、言葉を忘れてしまうこともなく、無事に終えることができた。
それが、何より喜ばしい。
晩春の暖かな風が一陣、さらりと吹き抜ける。
それはまるで、エリカ騎士団の新設を歓迎しているようだった。




