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四番街の弓姫は新米団長  作者: 日咲ナオ
第一章 始まり
14/80

四章 1

 午前はガザニア騎士に混ざって剣の訓練。午後はメイベルによる礼儀作法と、これだけは転ばないらしいヴァーノンの、厳しい社交ダンスの特訓。その合間に、オリオンが乗馬練習につき合ってくれる。さらに、三日に一度の夜回りに加え、毎日少しずつ団長としての仕事を教わっていく。

 そんな、忙しいながらも、心地よい充実感に包まれる日々だ。

 厩舎に馬を戻し、ヴァーノンが待つ王城の広間へ向かう途中。

「……って、思わない?」

「そういえば、そうだよね。何でかな?」

 聞こえてきたのは、華やかな少女たちの声だ。時間と場所をかんがみると、恐らく休憩中のエリカ騎士だろう。

 知らず知らず、ベアトリスの足は止まる。すっかり固まってしまって、ピクリとも動かせない。

「ホントに強いのかどうかもよくわかんないし、だいたい、団長って貴族じゃなきゃなれないんでしょ? あの子、どう見たって貴族じゃないもん」

(……あたし、のことだ)

 半数ほどの前で、ガザニア騎士と手合わせをしてみせたことはある。しかし、相手が一切手加減していないことを、証明することは難しい。

 ベアトリスの力量が、他より抜きん出ている。

 そう見せかけるために、裏で申し合わせて一芝居打った。その疑いをきっぱりと否定する材料は、何もない。

 見た目はどこからどう見ても庶民だと、自覚はある。それでも、家柄に関しては、最終的に兄の名を出して、隣に並んでみせればどうとでもなるだろう。

 親子と思われる程度には、兄と似ているのだから。

(兄様の話は、あんまりしたくないんだけどなぁ……)

 母のことも、多くの人に知られたくはなかった。

 身内の威光に頼らず、実力で認めてもらうに。陰に日向に、地道な努力をひたすら重ねる以外にない。

「それに、親が有名な貴族だったら、誰でも団長になれるんでしょ? だったら私が団長になってもいいはずよ。父が知らないだけで、私は貴族の血を引いてるんだもの」

「え、本当?」

「じゃあ、直談判したらあなたが団長になるかもね」

 エリカ騎士たちとは、まだまともに話したことがない。だから、ベアトリスには、声だけで相手を判断できなかった。

 ただ、貴族の私生児がエリカ騎士にいる。

 その事実が、なぜかひどく苦くて。


 偶然耳にしたことが頭から離れず、その後のヴァーノンの特訓は散々だった。

 昨日ようやく、ヴァーノンの足を何とか踏まずに、ワルツが踊れるようになったのに。今日は、初日より踏んだ回数が多いかもしれない。

 いつもと変わらない、にこやかな笑みを浮かべているヴァーノンだが、軍靴でこれだけ踏んだのだ。きっと、少しくらいは痛いはず。

「心ここにあらず、だね。何かあったの?」

 あのヴァーノンが興味本位ではなく、心底心配している声音で問いかけてくる。そのくらい、ベアトリスの顔色は悪い。

 それでもベアトリスは、聞いてしまったことを話せずにいた。

 私生児の彼女に、団長の座を取って代わられると警戒しているわけではない。

 元々、うっかりまともな仕草を見せてしまったことが、団長となった大きな要因だ。ついでに、兄が国の中枢にいると知られたことも、恐らく影響している。とはいえ、所詮は四番街(よんばんがい)暮らしだ。

 もし、一番街(いちばんがい)の王城近くに住んでいるような貴族が、彼女の父親ならば。彼女が団長でも、何らおかしくはないだろう。

 わかっているのに、わけもなくモヤモヤしてしまうのだ。

「悩みがあるなら、誰でもいいから相談してね?」

 覗き込んでくるチョコレート色の瞳は、黙って勝手にため込むのは許さない、と強く告げている。

(でも、まずはあたしが、どうにかしなきゃ)

 打てる手がなくなりかけた時。何もかもが、すべて無駄に終わってしまいそうな時。

 そうなってから打ち明けたら、多分この上なく怒られるだろう。それでも、その手前までは、自力で努力してみたい。

「それから、団長間における重大な隠し事っていうのはね、これからの信頼関係にヒビが入るんだよ。それだけは覚えておいてね」

 彼なりに気を配ってくれている。それがわかるから、せっかくの忠告を無駄にしたくはない。

 ベアトリスはかろうじて、わかりました、と声をしぼり出した。


         ‡


「……という話を、小耳に挟んだのですが」

 ベアトリスの乗馬訓練に、楽しくつき合った後。騎士宿舎にいるはずのカーティスを訪ねようと、のんびり歩いている途中のことだ。

 夕食後、明らかに顔色の悪いベアトリスは、早々に席を立ってしまった。彼女の様子に不審を抱いていた全員が残っていたため、オリオンは自身がたまたま聞いた範囲で伝える。

「父が有名な貴族らしいですが、認知はされていないそうです。素性がはっきりしているベアトリスさんより団長に向いている、などと言っていましたが……話し方を聞く限り、ベアトリスさんに代われるとは、到底思えません」

 育ちはそのまま、残らず言葉に出てしまう。

 ベアトリスを団長と決めたのは、家柄だけではない。貴族であれば幼少の頃から身につけている、当たり前の作法や言葉遣い。それを、本人が必要と感じた場面で、サラッとやってのけたからだ。

 そういった作法を、ある程度育ちきった後に一から教える。その難しさは、言葉では到底語れないし、二度とやりたくない。

 その上、顔も知らないだろう父親を、どんな家柄かも知らないくせに吹聴する。そんな人間は、場合によっては徹底した秘密主義を要求される団長ではいられない。

 重要事項をうっかり漏らしたことのある団長は、どんなにさかのぼっても存在していないのだ。

「その子、そんなにひどかったの?」

「私が初めて会った時の、ヴァーノンさん程度には悲惨でした」

「あらまあ……それは、団長になる前の躾が大変ですわね。今でこそヴァーノンはずいぶんとまともですけれど、三歳まで王都の外で暮らしていただけあって、わたくしが出会った頃はスラングや訛りが本当にひどくてひどくて。まともに聞き取れないほどでしたもの。オリオンが会った頃は、とりあえず人間っぽくはなっていた頃かしら? 今でも、ごくまれにスラングが出てくるでしょう? 完全に庶民育ちで、心構えも躾もなっていない山猿以下の小娘では、よりによってエリカの団長は務まりませんわ」

 ベアトリスが、四番街育ちであることは変えられない。ただ、様々なマナーを叩き込んだ兄はもちろん、亡き母も貴族の一員だった。これまでの日常生活の中で、必要最低限の立ち居振る舞いが、ごく自然と身についている。

 言葉遣いに関しても、王都の外や、外に近い場所で育った者よりはずっとまともだ。

 そんな彼女でも、生まれた瞬間から貴族として育った者には、どうしても粗忽に映ってしまう。

 日々徹底的に教育しているのは、いずれ表舞台に立った時のため。彼女が兄の名に、取り返しのつかない傷をつけないためだ。

「それにしても、あのホートン候の孫で、モデスティー伯の妹っていう、どんな貴族にとっても空恐ろしい立場のあの子より上だなんて、ちょっとどころじゃなくって困った発言だね。結果として、庶民ばっかの集まりになったエリカ騎士団の団長に、あの子以上の適任者はいないんだけど」

「そもそもあの子は、顔はともかく、このリナリア騎士団でも団長が任せられる家柄ですわ。何より、わたくしたちが認める団長を、一兵卒がないがしろにしようとしているのですもの。きついお灸を据えなければいけませんわね」

 楽しげに笑みをかわすヴァーノンとメイベルに、オリオンは思わず苦笑をこぼす。

 普段はことさら厳しいことばかり言っている。そんな二人が、存外ベアトリスを気に入っているとわかっていた。

「ベアトリスさんは、こちらに頼る前に、エリカ騎士との話し合いをしようと考えているでしょうね」

「身動きが取れなくなる前に、こっちを頼って欲しいって言ったんだけどね……まあ、それが原因でやたらと僕の足を踏んだことはわかったし、エリカの団長の交代なんてそもそもあり得ないんだし、心配することは何もないからいっかな」

 ヴァーノンは何度も踏まれたような口振りだ。ということは、頑丈な彼にささやかな痛みすら、与えることはできなかったらしい。

 もっとも、オリオンがヴァーノンと出会って十六年が経つが、治癒魔法をねだられたのはたった一度きりだ。それも、常人であれば死と隣り合わせという状況だった。

 社交ダンスの練習で足を踏まれるくらい、たいしたことではないのだろう。まさに適任だ。

「では、あの子がこちらを頼ってきた際には、エリカ騎士たちに、己の立場を骨の髄まで叩き込んで差し上げましょう」

 メイベルは口角をクッと持ち上げた。

 元々、群を抜いた美貌だ。ほんの少し笑みの浮かべ方を選ぶだけで、妖艶さと凄惨さをあっさり同居させられる。

「何しろわたくし、あの子ほど根性のいい小娘は見たことがありませんの」

 ちょいと首を動かした拍子に、張り出した胸元へ、ひと房の巻き髪がパサリと落ちてきた。それをほっそりした指先で、軽く後ろに払いのける。

 珍しく聞いていた様子のテレンスが、わざとらしく身震いしてみせた。

「おお、怖い怖い。メイベルがおかしな方向にやる気を出しているねぇ。エリカ騎士団を崩壊させると、今の山猿は恐らくガザニア騎士行きだろう? あの調子で馬上でも弓と剣が使えるならば、我がコキア騎士団で喜んで引き取るが」

「じきに扱えるようになるかと思いますよ。今日は剣を振ってみましたから」

 ベアトリスの撃ち方では、弓は両手を離さなければ撃てない。片手は手綱から離さずに済む剣で慣れ、それから弓を練習させようと考えていた。

 今日だけで、剣は相当慣れたはずだ。二、三日もすれば、両手を離して馬を駆る練習を始められるかもしれない。

「もうそこまで進んだか。まさに山猿だな。よし、メイベル。エリカ騎士など潰してしまえ。その代わり、山猿は我がコキア騎士団が引き受けよう」

「あら、あの子は我がリナリアで引き受けますわ。見た目は少々……いえ、かなり劣りますけれど、どうにか磨いてみせますわ。何より、あの子が主だって貴婦人の護衛を担当する分には、どこからも文句は出ないでしょう?」

「えー? あの腕だったらこっちに欲しいよ。もう半分くらい団員の名前を覚えてるみたいだし、絶対僕のとこだって!」

 団長であることを要求するから、彼女に対する目は自然と厳しくなる。しかし、一騎士として見れば、すでに問題のない水準まで育っているのだ。

 万一、エリカ騎士団の発足がなくなっても。彼女だけは引き取りたいと申し出る騎士団は、いくつかある。けれど、他のエリカ騎士たちは、育てた労力に見合う対価が確実に得られるとは限らない。まだ、その判断が間違いなく下せるほど、きっちり育っていない。

 明らかに条件外の者も含め、入団試験の受付にはうんざりする長蛇の列ができた。その中の、たった二十人。難関にも見える入団試験に受かったことで、エリカ騎士たちは今、いくらか浮かれているのだろう。

「ではわたくし、明日からあの子の教育と並行して、エリカ騎士たちへの指導を厳しくしていきますわ。あの子が難なくこなしたこともできずに、団長を語る資格などありませんもの」

「あー、いいね、それ。僕もちょこーっと厳しくしようかな。あの子、二日でワルツはほぼ踊れるようになっちゃったし、他も形になっちゃったし、剣はオーソン任せだし。あとはメイベルお得意の分野に慣れてからだから、今はすっごく暇なんだよね」

「二人とも、ほどほどにしてくださいね。ベアトリスさんがエリカ騎士団の団長を務めることは、モデスティー伯が誰よりも望んでいることなんですから」

 嫌がらせのように徹底的にいびり抜いて、騎士団をひとつ崩壊させるのでは。そう疑いをかけたくなる二人に、オリオンはしっかりと釘を刺しておいた。


 三日ごとの当番のため、階段を下りて外へ向かう。その最中、オリオンはぼんやりと、ずいぶん昔のことを思い出していた。

『この子がベアトリスよ。生まれて半年過ぎたところなんだけど、すっごくすーっごく可愛いでしょ? もう、さすが私の娘!』

 見るからに、とても小さな赤ん坊だ。はしゃぐ彼女の腕の中で、スヤスヤと安らかで心地よい寝息を立てている。癖のない亜麻色の髪はやわらかく、わずかな空気の動きに合わせてフワフワと揺れた。

 ちょっとでも触ったら、たやすく壊れてしまいそうだ。

『あら、触っても平気よ? 抱っこもしてみる?』

 慌ててフルフルと首を横に振る。

 指で小さな拳を一回突くくらいなら、何とか頑張ってみたかもしれない。

 しかし、加減を間違えてつぶしたら。逆に、力を抜きすぎて落としてしまったら。そんなことを考えると、抱き上げるなんて怖くてできなかった。

『じゃあ、せめて触ってあげて? 私がしっかり抱いてるから、大丈夫よ』

 実行するまで、絶対に逃がさないから。

 微笑む彼女の表情はそう語っている。拒否という選択肢は、当然あるはずがない。

 恐る恐る指を伸ばし、キュッと握ってうんと小さくなった手に、そっと触れてみる。妙にプニプニしていて、あまりにも馴染みのない感触だ。

『やわらかい、ですね』

『でしょう? この手に指をギュッてされると、それだけで幸せになれちゃうの!』

 ただ抱いているだけでも、十分幸せそうなのに。さらに幸福感が増すのだろうか。

 もう一度だけ、控え目に突いてみる。その瞬間、パッと目を開けたベアトリスがほんのり笑う。

 エメラルドを濃く暗くしたような色の瞳に、ふうっと吸い込まれる。そんな気がした。

 固まっていると、指をギュッと握られる。意外と力がいい。少し痛いくらいだ。

『あら、オリオンくんが気に入ったの? この年でそんなに見る目があるなんて、さすがは私の娘ね!』

 上機嫌の彼女が優しくあやすうちに、ベアトリスはまた眠ってしまった。

 ふっくらした頬はかすかに上気し、気持ちよさそうな寝息がやたらと眠気を誘う。

『もうすぐ、従騎士になるのね。そうしたら、こんな風に気軽に会えなくなるわ』

 すでに従騎士として、アマリリス騎士の制服が支給されている。今日、それを着て訪れたのは、次の機会がないかもしれないと思ったからだ。

 安全で快適な空間だけに閉じこもっていた自分に、いろいろなことを教えてくれた女性。どうしても彼女に、やっと新しい世界へ踏み出した自分の姿を見て欲しかった。

『とっても似合ってるわ。でも、何だか、知らない男の子みたいで、ちょっと寂しいかな』

 姉のように思っているが、焦がれる想いは抱いていない。赤ん坊を抱き、全身で幸せだと歌っている彼女を見ても、特別な感情は一切湧かない。

『ねえ、オリオンくん。あなたがいつか、この子ともう一度出会った時……』

 彼女の声は震えている。

『この子を、私の娘っていう目で見ないでね。私の影を、背負わせないで。この子を『ベアトリス』という一人の人間として、扱って欲しいの』

 『二番街(にばんがい)弓姫(きゅうき)』と言えば、誰でもわかってしまう。弓を教えるつもりらしいが、知っている人間が見れば、弓を教わった相手も察せられる。

 それは決して、すべてがベアトリスのためにはならないだろう。

『それができるなら、この子を好きになってあげて。できたらずっと、そばにいてあげて……』

 彼女は、精一杯の抵抗はしたものの、部分的には諦めてしまったから。娘には、思うとおりに生きて欲しいに決まっている。

『プラシダ様も、いいですよね?』

 問う形だが、どう聞いても承諾をねだっている。わかっているから、問われた側は素直に頷く以外にない。

『遅くても、そうね……十二までにプラシダ様に預けます。基本は私が躾けておきますから、社交界に出す時は、プラシダ様が立派な淑女に鍛えてくださいね』

 そう、彼女ははかなげに微笑んで言った。



 先の見えない闇から救い出してくれた彼女と、当初のベアトリスは、まったく結びつかなかった。けれど、ふとした拍子に、彼女を思い出させる行動を取る。

 そうして懐かしい思い出に、ひっそりと浸らせた後。ベアトリスは彼女らしい言動で、目も心も奪いにかかるのだ。

 陰口を聞いたこと。それが原因で、社交ダンスの練習中にヴァーノンの足を踏んだだろうこと。心配しているみんなに、聞いたことを話してしまった事実。

 それらを伝えると、ベアトリスの軍靴に、何かがぽたっと落ちた。

「ふ……っく」

 人気がなく静かな月明かりの中。懸命に声を殺して泣く姿が、あまりに痛ましくて。

 気がついたら、彼女の頭をなでていた。小さな彼女への力加減は難しく、うまくできたと思えるまで、十回は滑らかな髪を触っていた。

 途中から、気持ちのいい手触りにばかり、気を取られていたかもしれない。

 その合間に、今の彼女にどうしても伝えておきたいことを、必死で言葉にしていた気がする。


 まさか、十七年も経って、あの瞳にもう一度吸い込まれることになるとは。これまで一度たりとも、想像もしてみなかったから。

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