三章 4
ヴァーノンが不意に顔を向ける。
「それにしても、君がオリオンに勝つなんてね」
「あたしが思ってたほど魔法がすぐに来なかったし、母様が教えてくれた技がなかったら、きっと勝てませんでした」
どんな位置からだろうと、的確に同じ場所を狙う。これができるように鍛えられていたからこそ、かろうじてオリオンの魔法を打ち砕けたのだ。身軽に避けられるのも、自警団で狭い路地や屋根の上を走り回り、兄の剣をかわす術を磨いたからだろう。
日々の訓練さえ忘れなければ、極端に腕が落ちることはまずあり得ない。
「後ろに飛びながら矢を番えて引く、なんて、最初は母様しかできないって思ってました。でも、慣れたら平気でできるんですよね。別のとこから同じ的を狙うのも、なんだかんだでできるようになりましたし」
「何かすごく軽ーく言ってるけど、そんな芸当ができるのは多分、今は君だけだから」
不思議そうに首を傾げるベアトリスに、目をすがめたメイベルがヴァーノンの言葉を引き継ぐ。
「リナリアに弓を扱う者が二名いますけれど、どちらもあなたのような芸当は持っていませんの。せいぜい、隠れて狙いをつけて、相手の足や腕を射貫く程度でしてよ」
「あと、メイベルでさえ、オリオンの足止め魔法は三回目に捕まるから」
「ヴァーノンは二度目で捕まるんですのよ。それにしても、よくあれだけ避けられること。つくづく、あなたは山猿ですのね」
実際に戦った感触として、オリオンは相当手強いと思った。だから、ベアトリスとしては、事実を言ったに過ぎない。
そのついでに、母の英才教育を思い切り自慢したくなっただけだ。
母に教わった技がなければ。十分な本数の矢を用意していなかったら。実のところ、オリオンの防御には手も足も出なかっただろう。
「メイベルが山猿と言うなら、乗馬は案外すんなりいくかもしれないねぇ」
「じ、乗馬?」
テレンスにいきなり振られた話題を、オウム返しする。
今まで一度も乗馬の話など出ていないのに、なぜ急に。
「団長はパレードに強制参加させられることもあるから、馬に乗れた方がいい。欲を言えば馬上で戦えるのが理想だが、オリオン以外は残念な結果になっている」
「ってことは、オリオンさんって、馬に乗ってても魔法が使えるんですね」
背中を向けて震えてばかりの姿からは、とても想像できない。
しかし、先ほど戦った印象から思い浮かべれば。できるだろうな、と納得できてしまうから不思議だ。
「まあ、武器の都合で馬上戦が苦手なメイベルはともかく、だ。ヴァーノンはもう終わっている。あれは何度見ても、眩暈を起こす最悪さだ。馬に対する冒涜に他ならない」
「しょうがないでしょ。人間、苦手なことのひとつやふたつあるって。誰もが、テレンスみたいに何もかも完璧ってことはないんだから」
肩をすくめるヴァーノンの表情には、悪びれた様子はかけらもない。
「じゃあ、今から乗ってもらおうか。乗馬は、この僕が徹底的に指導してあげよう」
心底嫌そうに顔を歪めたヴァーノンを無視し、テレンスはさっさと訓練場を出て行く。呆れたため息をついたヴァーノンは、渋々といった体で後を追う。メイベルは、コーデルの頭を軍靴の先で突いていた。
ヴァーノンを追うべきか、ここに残るべきか。ベアトリスは逡巡する。
「わたくしはこれを叩き起こして連れて行きますから、あなたはテレンスについて行きなさいな」
軍靴の踵でコーデルの後頭部を小突くメイベルに従い、ベアトリスは急いで訓練場を飛び出した。
(……いない?)
辺りを見回してみるが、近くに人影はない。
この短時間で、テレンスたちはいったいどこへ行ったのか。
「ベアトリスさん、こちらです」
いると思っていなかった人物の声に驚き、ベアトリスは必死に悲鳴を飲み込んだ。
「オ、オリオンさん……」
「先ほどは、取り乱して申し訳ありませんでした。これからテレンスさんの乗馬指導らしいので、私が案内します」
大きく顔を背けてはいるが、昨日までのように背中を向けようとはしない。その事実に安心したベアトリスは、笑顔で「お願いします!」と頼んでいた。
オリオンに先導してもらい、ベアトリスは訓練場と城壁の間にある厩舎へ向かう。近づくにつれ、馬の嘶きに混ざる話し声が聞こえてくる。
「テレンスさんは、コキアの団長だけあって馬の扱いに長けています。上手く乗れれば文句は言わない人ですから、わからないことはどんどん聞いてみてください。それから、早めにすべての馬の名前を覚えてくださいね。それぞれの名前を正しく呼べないと、テレンスさんに何時間もお説教されてしまいますから」
「……わかりましたけど、本当にテレンスさんも変わってますよね」
返事をしたところで、厩から馬を三頭引きつれたテレンスがやってくるのが見えた。馬の後ろにはヴァーノンがいる。
一頭は芦毛で、別の馬は栗毛、もう一頭は鹿毛だ。どの馬も賢そうな顔をして、大人しくテレンスに従って歩く。
「さあ、山猿よ。どの子がいい?」
名前があるのに『山猿』呼ばわりが気に触った。だが、目の前にいる馬の大きさに、一瞬で憤りを忘れてしまう。
ふわふわと揺れる鬣。見上げる顔には、愛嬌のあるつぶらな瞳。両腕を力の限り広げても、鼻の先から尻尾まで、とても届きそうにない。
「えっと……」
馬の顔をしっかり確かめたくて、さらに懸命に見上げる。背中はベアトリスの目線より少し低い位置にあるが、顔は上だ。
ふと、栗毛の馬が見下ろしてきた。目が合う。
「この子でいいですか?」
「ふむ……ローラが認めたから大丈夫だろう」
ローラという名らしい栗毛の顔を、テレンスが真面目な顔でじっくり覗き込む。
「手綱を握って鐙に足をかけ、勢いで乗ればいい。ローラは優しいから、多少のことは目をつむってくれるはずだ」
「はい」
手綱をしっかりと握った。鞍が乗せられている背中をジッと見つめ、左側の鐙に恐る恐る左足をかける。手綱をグッと引き寄せつつ、右足で地面をできるだけ強く蹴って、勢いに任せて体を持ち上げた。
「……っと」
鞍の上に座り、右手でローラの鬣をなでる。一本一本ががっちりして固そうな見た目に反して、ふんわりとやわらかい。
「ローラさん、よろしくお願いします」
承諾するようにローラが嘶く。
何だか無性に嬉しくなって、ベアトリスはローラの首にギュッとしがみついた。
「では、山猿はそのまま、ローラの首にしがみついていろ。乗馬訓練では他にやることのないヴァーノンに引いてもらい、馬に乗る感覚に慣れるんだ」
「うん、そうだね。引くのは慣れてるから任せて」
「オリオンとこの僕が補助しよう。オリオン、いいか?」
「はい。では私は、フィッツに乗ります」
鹿毛の手綱を受け取り、オリオンはひょいと馬の背に乗る。それを見届け、テレンスは槍を持ったまま、軽々と芦毛にまたがった。
テレンスの槍は、刃の根元に羽根のような突起がある。コーデルの槍と違い、突起は剣の鍔に似た形状だ。それをどこかに引っかけることも、誰かにぶつけることもなく。当たり前の顔で、流れるような動作でたやすく馬に乗ってしまう。
(わぁ……)
さすがは、騎馬のみで構成されているコキア騎士の団長だ。見事な手綱捌きでベアトリスの横を颯爽と駆け抜け、城壁の手前でクルッと向きを変えて戻ってきた。
「向こうまで引いて、戻ってきてくれ」
「了解。じゃあ行くよー」
首が置いていかれた直後に前のめりになり、ローラの首に鼻をしこたまぶつける。右手は離さないようにしつつ、ヒリヒリ痛む鼻を左手で押さえた。
手荒い、と文句をつけようとしたら、いきなり立ち止まる。当然、勢い余ってまたローラの首に顔から突っ込む。この繰り返しだ。
「ヴァーノンさん、真面目にお願いします」
隣に並んでいるオリオンが苦言を呈するが、ヴァーノンは素知らぬ顔で再び歩き始める。補助する、と言っていたはずのテレンスは、辺りを自由に駆け回っていて話にならない。
何度も顔をぶつけ、ようやく城壁までたどり着いた。
思わず安堵の息を吐いたベアトリスに、申し訳なさそうな表情のオリオンが並ぶ。
「痛いところはありますか?」
鼻も額も顎も痛い。だが、悪いのはヴァーノンであってオリオンではない。そこを混同して責任を問うほど、子供ではないつもりだ。
「平気です。ヴァーノンさん、手綱をください。一人でやってみますから」
強引に手綱を取り上げる。けれども、馬に乗るのは初めてのベアトリスでは、動かす合図さえわからない。
「手綱を握ったまま手を前に出して、足でローラの腹を軽く蹴ってみてください」
オリオンの助言どおりにすると、ローラはゆっくりと歩き始めた。とたんに、横から出てきたオリオンの手が手綱をつかむ。彼の何気ない手綱さばきで、ローラは大きな円を描いて向きを変えた。
馬に乗ったまま並んで、隣の馬の手綱を触る。それをあっさりやってのける彼に、知らず知らず感嘆のため息がこぼれた。
「止まる時は、両足で馬体を挟んで手綱を引いてください。止まったら力を抜いてあげてくださいね」
「あ、はい」
練習と思い、その場で試してみる。
あまりきつく締めつけても、と控え目に挟んだ。同時に手綱をグッと引き絞る。しばらく歩いてから、ローラはゆるゆると足を止めた。
「もっとしっかり力を入れて、馬体を締めても大丈夫ですよ。ローラさんですから察してくれましたが、他は止まってくれない可能性があります。何度か乗るうちに感覚はわかると思いますから、毎日時間を作って乗りましょうか」
難しいこと、できそうにないことは絶対に言わない。だからこそ、ちょっと頑張ってみようかな、と考えてしまう。
(団長ってやっぱり、人の扱いがうまくないとダメなのかな?)
テレンスやコーデルの団長ぶりはまだ見ていない。けれど、普段は顔も合わせないオリオンでさえ、こういう時は団長らしく映る。
何十歩も先を歩いている彼らに、少しでも早く追いつきたい。
弓はもちろん、剣の腕も上達させなければ。それから、モデスティー伯爵の末妹だと知られた時に、恥ずかしくないだけの礼儀作法も必要だ。
覚えなければならないこと。やらなくてはいけないこと。そのために必要な努力を惜しむつもりは、ベアトリスには一切ない。
(エリカ騎士団に守られるなんて不安、なんて言われないように、頑張らなきゃ!)
ベアトリスは改めて決意を固める。
とりあえず見られる程度には馬に乗れるよう、毎日欠かさず練習をしようと決めた。




