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デシヴィアの檻  作者: 中雅
1章
3/3

消えた神話 前編

たとえ、我らが悪意なき狂気に滅ぼされようとも、我らが素は汝が内に。

よって、我々は命を賭し、ここに王国を築く。


【ティルゲンの神話ー始まりの章よりー】   







「ロイエ・フェアラート! 貴様、アレを何とかしろッ!」


 黒髪に碧眼、ややキツそうな目が印象的な少年が、激しく机を叩く。その席に座って本を読んでいたロイエは、思わず猫背を正して少年を見上げた。同い年で同じ教室、よく知った顔だ。


「今日は何したんだ、イギアさん……」


 ロイエは少年を見上げたまま、独白のように呟く。内容は聞かなくても、だいたい想像が付いた。「アレ」が何を指しているのか、なぜこのクラスメートが激昂しているのか、それをなぜ自分に言ってくるのか。その原因は、ロイエの幼馴染みだからに他ならない。

 ロイエ・フェアラートの生活に、平穏という文字はない。国民全員がほぼ顔見知りなこの国でも、国王や大臣に次いで、国家規模で有名な幼馴染みがいるからだ。しかしそれは、決して良い意味での有名ではなかった。ロイエの幼馴染みのイギア・ラーゼンは、とにかく問題を起こさせたら世界一というぐらいに、次から次へと災難を引き連れてやってくる。災難というか、本人が引き起こしているのだから、正しく言えば人災なのだろう。

 さらに問題なのが、本人は悪いことをしたという自覚がないことだ。自覚がないためか、何を言っても奇行を改善するには至らず、結果として、イギアの保護者代わりであるロイエに苦情が舞い込んでくる。ただ、家が近所で歳が近いというだけで、ロイエはイギアの尻拭いをさせられることになってしまった。物心ついたときにはもう、謝罪の文句だけは完璧に会得していたような気がする。

 しかし、一番悲しいのは、そんな幼馴染みを持ってしまったために、大抵のことには驚かなくなってしまったことだった。お陰で最近は、ロイエに対する視線の半数以上が、同情から奇異なものを見る目に変わってきた。イギアと一緒にしないで欲しいと、声を大にして言いたいところだが、残念ながら彼はそれほど肝が据わっているわけではない。物事を冷静に受け止められるだけで、基本的に小心者な彼は、常に巻き込まれるだけ巻き込まれ、事態を収拾するために走り回る毎日だ。たぶん、今日もそうなるだろう。

 どうやら、そんなイギアの標的になってしまったらしいクラスメートは、物凄い勢いで、彼女の素行に対する苦情を捲し立てている。


「普通に話してたかと思ったら、急に人の服を剥いだのだ、あの小娘がッ! 恥というものを知らんのか!」


 同級のグランツ・フリーレンは、大臣を父に持ち、家柄よし、頭脳明晰、おまけに顔もいいという、羨ましい境遇の持ち主だ。性格は少し傲慢な部分も見られるが、文句のない才色兼備。そのため、特に女子からの人気が高い。

 よく見れば、彼の学校指定のコートはよれよれで、微妙に布地が伸びている。自慢の黒髪は乱れ、目を血走らせながら肩で息をする姿は、哀れというか少し面白い。このグランツが、こうまで取り乱すほどの恐怖だったのだろう。公衆の面前で、いきなり服を脱がされそうになるなんて、普通は想像もしないし、やろうとも思わないのだから、無理もない話だ。

 しかし、そんな常識など、イギアの本能の前では無意味だった。動機はどうであれ、グランツを脱がしてみたいと思ったが最後、次の瞬間には躊躇せず行動している。グランツのよれよれのコートは、イギアに取られまいと戦った形跡なのだろう。あのイギアから死守したという点において、称賛されるべき功績だと、ロイエは思った。


「それは大変だったね、グランツ。でも、あのイギアさんに襲われて、それだけの被害で済んだのはさすがだなぁ」


 ちなみに、イギアが服を脱がせるなどの迷惑行為に走るのは、男女問わず美形限定である。最近、グランツの被害率が高いのは、気に入られている証だ。迷惑にしかならない好意もあるものだ。


「全力で抵抗したに決まっている! あの小娘、どこにあんな力があるんだか……!」


 忌々しく舌打ちするグランツ。イギアは同じ年頃の少女に比べると、非常に小柄だ。その小ささから、イギアは常に三~五歳ほど年齢が下に見られる。十七歳と言っても、初対面でそれを信じられる人は少ない。黙って大人しくしていれば、小さくて可愛い少女なのだ。確かに腕力はないが、その体格を生かした素早さは学内一を誇るし、筋力を効率的に使うため、見かけとは想像もつかない馬力を発揮する。外見で騙され、侮っていると、グランツのように、予想もつかない強襲に遭う。


「あのような蛮行、許されていいものか! そもそも、貴様の躾がなっていないせいだぞ、ロイエ・フェアラート!」


 怒りの矛先が変わってきたようだが、これもいつものことだ。イギアの被害に遭うことが多いせいか、ただでさえ、ロイエはグランツに敵視されている。幼馴染み家の教育方針に関わった記憶はないが、ロイエは眉をハの字にして、ひたすら「すいません」と「ごめんなさい」を繰り返した。相手が興奮している状態では、反論する方が逆効果だと、今までの経験から学んだことだ。

 眉をハの字にして、適当に相槌を挟みながら、ロイエは紫色の空を見上げるのだった。



「ロイエちゃん、空って何色なんだろねー」

「は……? 見ての通り、今日も紫色してるじゃないか。それよりイギアさん、今日は、ヴィヒトさんに襲い掛かったんだって? 配達途中のパンが全部ダメになったって、怒ってたよ……」


 学校の帰り道。何を考えたのか、イギアは突然持っていた鞄を投げ捨て、木によじ登り始めた。彼女がそうした突発的な行動に出るのは慣れている。大方、フルフトが目当てだろう。ロイエの予想通り、イギアは枝に生った緑色の実をもぎ取り、幹に腰かけたまま頬張っていた。十何年幼馴染みをやっていて、ようやく気付いたことだが、どうやらイギアは自分の欲求に正直なだけのようだ。今、目についたフルフトの実が食べたいから、木に登った。シンプルな答えである。落ちたら危ない、枝が折れたらどうしよう、などという考えは、きっとイギアの頭の中のどこを探しても見つからないだろう。とにかく、思い立ったら、人の迷惑も省みずに行動してしまう。しかし、迷惑をかけていることは自覚しているらしく、散々やりたいようにやってから、胸を張って謝罪されたことが何度かある。その意思が本当にあるのか、微妙な態度だが。

 イギアに襲われたパン屋のヴィヒトからの苦情は、やはりロイエの元に届いている。恐らく、見かけたから抱き付いただけだとは思うが、イギアには手加減というものがない。物凄い勢いで走ってきて、そのままの速度で飛び付いたなら、それは襲撃に等しい。その辺りは、ご近所で、イギアとロイエを小さい頃から知っているヴィヒトにも分かっているが、売り物をダメにされ、さすがに文句の一つでも言いたくなったのだろう。


「えー? 紫って、見たまんまだしー」

「そりゃあ……どこからどう見ても、紫色だからね」

「だからー。こっち側じゃなくて、向こう側から見たら、ひょっとすると違う色してるかもですよ?」


 イギアは目を細め、空を仰ぐ。

 雷に打たれたことはないが、ロイエは似たような衝撃を覚えた。その言葉で、自分たちが檻の中にいるのだと、改めて気付かされた。所詮、檻の中にいる自分たちは、その外側のことなど何も分からないのだ。ここから見える空が薄紫色をしていても、それが外の世界も同じだなんて、この王国の誰にも言えやしない。確かめることができないだけで、それはただの空想ではなく、現実味を帯びた想像になる。


「あ、でも檻は透明っぽいから、紫に近い色だね、きっと!」

「…………向こう側……」

「青とか……意外とフルフトみたいに緑だったりして! うーん、一度見てみたいなー」


 イギアの明るい声と、フルフトの実を齧るしょりしょりと言う音が耳に届いて、素通りしていく。ロイエは口の中で、何度も「向こう側」という言葉を繰り返した。 


「う? ロイエちゃん、どしたの?」


 急に大人しくなって、ぶつぶつと呟くロイエを心配したのか、イギアは木から飛び降りて、ロイエの顔を下から覗き込む。口の周りが、フルフトの汁でべたべただ。


「うん……僕も見てみたいよ、向こう側」


 既に条件反射で手拭いを取り出し、イギアの口の周りを拭く。ロイエでなくても、イギアには世話を焼きたくなる何かがあるようだ。外見の幼さがそうさせるのかも知れない。年頃の少女とは思えない、恥じらいの欠片も見当たらない言動も手伝っている。締まりのない笑顔で礼を言う幼馴染みを見ながら、ロイエは深く考え込む。

 ロイエとイギアは、一歳違いの学生である。彼らが暮らす王国では、ある程度の年齢まで学校に通うことを推奨されている。狭い王国には、学校は一つしかなく、二人が通うティルゲン神学校は、その名のとおり、王国設立の経緯が記された『ティルゲンの神話』を学ぶためのものだ。王国の基礎は、全てこの神話に書かれていると言っても過言ではない。既に失われた文字で書かれた神話は、現在でも解読が進められているが、原書の保存状態が悪く、その大半は未解読のままだという。

 よって、この国のものは、誰も知らない。《デシヴィアの檻》に囲まれたこの国の外に、どんな世界が広がっているのか。

 第三者の視点で書かれたであろう、その神話が黙して語らない謎を解明することは、国民の総意だ。子供たちは幼い頃から神話を教えられ、その命題と共に生きていく。限られた国土で生きるティルゲン王国は、絶えず一つの問題に直面しているからだ。

 資源不足。山も川も存在し、動植物にも恵まれた土地ではあるが、増える人口に供給が追いつかなくなる時が、必ず来るだろう。《檻》という仰々しい名ではあるが、水も、風も、鳥すらも通すことができるその檻は、ただ、人だけが拒絶される。檻自身が、意思を持って、選別しているかのように。

 ティルゲン王国は、自分たちを外敵から守る檻に感謝し、同時に破壊することを望んでいる。破壊までしなくても、とにかく外との交流が必要なのだ。仮に、外の世界が自分たちを優遇してくれなくても、このまま檻の中で、緩慢な死を迎えることだけは避けたい。そして、その解決策は、ティルゲンの神話に隠されている。

 ティルゲンの神話には、二つの戦いが記されている。一つは《悪意なき原思》、もう一つは《悪意なき狂気》。神話を記した第三者というのは、ティルゲン王国の始祖ではなく、彼らと共に戦った何者か、である。彼らは協力してこの二つのと戦い、一つは勝利を収め、一つの結末は知れたとおりだ。始祖たちは戦いに敗れたのか、《デシヴィアの檻》を生み出し、逃げるように世界を分断した。デシヴィアというのは、ティルゲン王国に住む一族の呼称で、このことから、デシヴィアの檻は、デシヴィアを救うために造られたものと考えられている。そして、その檻を生み出すために、デシヴィアに協力していた何者かは命を落とした。


《よって、我々は命を賭し、ここに王国を築く》


 ティルゲン王国を現す紋章には、必ずその一文が記されている。王国が、尊い犠牲の元に成り立っていることを忘れないための自戒を含めて。

 ただ、デシヴィアとその協力者が戦っていた二つの敵の、そのどちらにも《悪意が存在していない》という点が、希望でもある。元からそういう一族なのか、基本的に暢気な思考のデシヴィアは、だからこそ、檻を壊すことに心血を注いで来た。外の世界との交流を夢見て。

 しかし、千六百年経った今も、檻を破壊する手段は得られていない。外の世界が存在するということを、夢物語だと思うには充分過ぎる時間だ。神話と名の付くように、とうに滅びた神々の物語だと、諦めに似た感傷を抱いて、それでも神話に縋るしかない。

 そんな国に、生まれてからずっと暮らしていれば、なんの疑問も抱かなくなる。外の世界に憧れ、そして同時に諦めている。ロイエも例外ではなかった。

 イギアの、その言葉を聞くまでは。


「でしょ? 向こう側って、フルフトいっぱい生ってるかなー」


 イギアの頭の中では、檻に隔たれた《こちら側》と、その《向こう側》でしかない。それは、一つに繋がった世界であり、ただ、檻という壁によって分けられているだけ。そんな当たり前のことを、しかし、この国の誰もが忘れていたことを、今更のように認識する。


「沢山生ってるよ、きっと」


 イギアは、大好物のフルフトを腹いっぱい食べたいだけだと分かっていても、声が震えるのを押さえられない。問題ばかり起こす幼馴染みの、こういうところが最大の魅力であることを、ロイエは知っていた。国中に名の知れ渡る問題児は、同時に、国中の人から愛されている。自分に素直であるように、人に対しても同様であること。あるがままに受け入れてしまえること。そして、その視野の広さは、狭い一国に収まらない。この自由奔放な幼馴染みは、長く檻に捕らわれたことで自然と染み付いたデシヴィアの悲壮すら、軽々と飛び越えてしまう。


「僕も見たい――《向こう側》の空を」


 切なる想いを込めて繰り返し、ロイエは紫色の空を仰いだ。

 ロイエが真剣に神話学に取り組み、学者を目指すようになったのは、この瞬間――二年前の、ことだった。



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