明日のアラームを止められるなら
人生の「長さ」と「中身」を巡る、少し切実な独り言です。
100億円か、寿命30年延長か。
この問いを初めて目にしたとき、
私は少し考えてから「寿命30年」と答えそうになった。
若いころは、時間こそが何より大切だと思っていた。
お金は失っても取り戻せるが、過ぎ去った時間は二度と戻らない。
三十年あれば新しい人生を始めることもできる。
やり直しのきかない人生だからこそ、
時間には何より価値がある。そう信じていた。
だが今の私には、100億円のほうが切実だ。
六十を過ぎた今も、朝は六時半に家を出る。最低時給に近い仕事だ。
それでも行かなければならない理由がある。
住宅ローンが八十近くまで残っている。
年金だけでは返済が追いつかない。
だから働く。体が動く限り、働き続けるしかない。
もちろん仕事そのものが嫌いなわけではない。
だが、毎朝アラームに起こされ、眠い目をこすって支度をし、
決められた時間に決められた場所へ向かう生活を続けていると、
ときどき考えることがある。
これは本当に、自分の時間なのだろうかと。
寿命が三十年延びた自分を想像してみる。
九十を過ぎた私は何をしているだろう。
世界中を旅しているだろうか。
新しい趣味に夢中になっているだろうか。
そんな未来もあるのかもしれない。
けれど正直に言えば、私の頭に浮かぶのはもっと地味な姿だ。
年金の額を気にしながら暮らし、ときどき病院へ通い、
季節が巡るのを静かに眺めている老人。
そして、もしかすると今と同じように、
目覚まし時計の音で朝を迎えている気さえする。
それは決して不幸な人生ではない。
だが、その未来の三十年と引き換えに、
100億円を手放すかと聞かれたら、私は首を横に振ると思う。
100億円があれば、明日のアラームを止められる。
住宅ローンを返済しなくていい。
生活費を心配しなくていい。
時間を切り売りするために働かなくてもいい。
何より、妻とポルトガルへ行ける。
彼女がずっと行きたがっていた場所だ。
そのたびに「いつか行こう」と言いながら、
仕事やお金を理由に先送りしてきた。
だが、その「いつか」が必ず来る保証はない。
年齢を重ねるほど、そのことが身に染みる。
もちろん、お金で時間そのものを買うことはできない。
一日は二十四時間のままだし、
人生の終わりをなくすこともできない。
それでも、お金は時間の使い方を変えてくれる。
誰と過ごすか。
どこへ行くか。
何をするか。
その選択を自分で決められる自由を与えてくれる。
若いころの私は、
「どれだけ長く生きるか」が大切だと思っていた。
だが今は、
「どれだけ自由に生きられるか」のほうが気になる。
残りの時間がどれほどあるかは分からない。
十年かもしれないし、三十年かもしれない。
だから私は、その長さより中身を選びたい。
明日もまた六時半に家を出る。
けれど100億円か寿命30年かと聞かれたら、
今の私は迷わず100億円に丸をつけると思う。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




