第六話 「私は今後、全ての食事を鼻から摂取したいと思います」
あの強烈なお忍びデートの日から一週間……私は一度もアシュレイ様と会っていない。
何故ならアシュレイ様は『今』先代の公爵様から爵位を引き継いでいる最中らしく、手続きが終わるまでまだ数日かかるそうなのです。
アシュレイ様が多忙な今、私に束の間の休息が訪れる――訳がなかった。
「失礼します。お嬢様、ロゼット家のアシュレイ様よりお嬢様宛の花束が届きました」
「……“また”なの? 今日はもう3回目なのよ!?」
メイドが抱える大きなバラの花束、私はそこに付いていたメッセージカードを手に取る。
『愛しのシェリル嬢、貴方の事を考えているとこの花が浮かびました。貴女はまるでこのバラのように可憐で愛らしい。早く会いたいです。アシュレイ』
アシュレイ様、気持ちはとても有り難いのですが――貴方はこの国の花を片っ端から刈り取るつもりですか!?
……もういっそ……このまま花屋にでもなろうかしら?
デートの後から我が家には、アシュレイ様からの花束が毎日『最低』でも2回は届くようになりました。
アシュレイ様はどの花を見ても私が浮かぶようで、我が家は現在――至る所に花が飾られ……もう空いているスペースがありません。
このままでは、この国から『花』が消えてしまう勢いです。
「失礼します、こちらアシュレイ様よりお嬢様宛のお手紙です」
「ちょっと待って、まだ“5通前”のお手紙のお返事も書けていないのよ!?」
アシュレイ様は「隙間時間が取れたら手紙を送りますね」と言っていたのに――どれだけ隙間があるのか、毎日何通も送りつけてくる。
文通って交互にするものだと思っていたんですが……これってもう、完全に『アシュレイ様通信』よね?
しかも毎回8枚くらいはある紙に、びっしりと私への愛が書かれているラブレター。
お、重すぎる。そしてとても怖すぎる。
お母様もミーシャも……それに他の使用人達も、みんなして『この手紙』を羨んでいるみたいだけど……私からしたら恐怖です!
だって返事を書いてないのにずっと届き続けるのよ!?
しかも毎度毎度とても長文で!
代われるものなら代わっていただきたいです。切実に。
私だって最初は一つ一つ丁寧に返していたわ。
でも書いている間に新しい物が届くから追いつかなくて、メイドに代筆を頼んでみたら……何故か一発で気が付かれました。
『貴女を騙る不届き者が居るようです、即刻この世から消しさりましょう』
なんて恐ろしい事を言い出す始末。
――結局私が手紙を書かなければいけなくなってしまいました。
「お嬢様、先程ロゼット公爵家よりお嬢様宛にプレゼントが届きました。差出人はアシュレイ様のようです」
「お嬢様ー! アシュレイ様から――」
「アシュレイ――」
「ロゼット――」
「お手紙が――」
アシュレイ、アシュレイ、アシュレイ……もうやめて!
頭がアシュレイ様でいっぱいになってます!
まだ1度しか会った事が無いのに、片時もアシュレイ様を忘れられる事が出来ません!
物理的に!
頭を抱える私の部屋に、またコンコンコンとノックの音が響いた。
「シェリルお嬢様、ロゼット家の――」
「もう、今度は何が届いたの!」
「“アシュレイ様”がお見えです」
「やぁシェリル嬢、君に会いたくて来ちゃった!」
「はいぃ!?」
――いや、届いたのまさかのご本人ですか!?
何なの彼は!?
お暇なんですか!?
貴方は今、とても忙しいんじゃなかったの!?
「シェリル嬢、今から私とカフェデートに行きましょう! ぜひ貴女に食べていただきたいスイーツがあるんです」
「いや、あの」
「もうお店も予約してます。今日は貴族御用達のお店なので変装も必要ありませんよ! 我が家の馬車もすぐに出発出来るよう、そこに停めてあります」
「えっと……今日は――」
私が断る理由を必死に探している時でした。
「お嬢様、旦那様より『門限は無い』との事です」
「……い、行ってくるわね」
……お父様、それってつまり『断るな』って意味ですよね。
もうお店も予約されてしまってるし、私……行くしか選択肢が無いじゃないですか!
「楽しみだねー。シェリル嬢」
本当に――この巨大ハートさんは!
貴方のせいで私、気が休まらないわ!
◇◇◇◇
公爵家の豪華な馬車の前で、アシュレイ様が私に手を差し出す。
「さぁシェリル嬢、お手をどうぞ」
いや……でも、そのエスコートを受けたら私――思いっきりアシュレイ様の激重ハートにぶつかってしまうんですが!
「私の事はお気遣いなく。お先にどうぞ、アシュレイ様」
「えっ!? いや、レディより先に乗るなんて出来ません。遠慮なく、お手をどうぞ? それとも馬車よりも、馬に相乗りの方が良かったでしょうか……今からでも」
「馬車大好きだわー! すみませんアシュレイ様、私緊張して手汗が凄いんです! だからエスコートは大丈夫ですー! お先に失礼しますねー」
「そ、そうですか」
あ、危なかったわ!
アシュレイ様と馬に相乗りなんて死んでしまいます!
それよりも……いくらうちの馬車より広いとは言え、アシュレイ様の頭って絶対にこの馬車より大きいわよね?
……アシュレイ様が乗り込む時、どうなるのかしら?
……って、待って!?
乗り込む時って、頭から入るじゃない!
……終わった。あまりにも短い人生でした。
エルテナ様……来世はどうか、セミにでもして下さい。
せめてもの抵抗で、私は精一杯両手を前に付き出した。
私の手が、アシュレイ様の巨大なハートに触れた、その時でした。
――ふわっ
思ってたより、柔らかい?
『うわぁあぁぁあ! シェリルが今日もかわいすぎる! 久々のシェリルだ、会えて本っっっっっ当に嬉しい! どうしよう今すぐ抱き締めたい。めちゃくちゃ小さい手だったな……俺が全力で守ってあげたい。ねぇもう本当に好きすぎるんだけど……どうしよう? 早く俺の婚約者になってくれないかなぁ……あぁ、もう好き。本当に好き。好き好き好き。だーい好き。キスしたい』
「……シェリル嬢? お顔を隠されてるようですが、どうかされましたか?」
「な……なんでも、無いです」
……な、な、なんなのこれ!?
ハートって、触れたら相手の気持ちが分かってしまうの!?
……アシュレイ様って……どんだけ私の事が好きなんですか!
突然の爆弾に、私は馬車が到着するまでの間……一言も喋れませんでした。
あ、あと。アシュレイ様のハートは、馬車を突き抜けてました。
◇◇◇◇
「到着したようですね」
先に降りるアシュレイ様、当然――
『シェリルの為に喜びそうなお店を沢山探したんだ……喜んでくれるだろうか? いやそれよりも手、手、手、手! 今度こそシェリルの小さな手に触れたい! その為だけに一週間寝ずに手続きや書類を終わらせたんだ! お願い、断らないでシェリル!』
「もしよろしければ、お手をどうぞシェリル嬢」
……こ、断り辛い!
あんな心の声を聞いた以上……アシュレイ様が一週間も寝ずに頑張ったなんて知ってしまった手前、めちゃくちゃ断り辛いじゃないですか!
……アシュレイ様のバカ。
私は恐る恐る彼の手に触れてみる。
瞬間、久しぶりの発光にまた目が焼かれる。
「うっ!……すみません。ありがとうございます」
「いえ。お気になさらず」
この眩しさ、何だか懐かしいわ!
どうしたって私の身体は、アシュレイ様の大きすぎるハートに重なってしまう――だから。
『うわぁあぁぁあ! ち、小さっ、シェリルの手! 柔らかいっ……想像以上だ。こんなふわふわでやわやわで……壊れない!? もういっそ……このまま連れ去って、教会で式挙げちゃおうかな』
はい!?
ゆ、誘拐するつもりですか!?
ちょ、誰か助けて下さい!
後半の不穏な言葉に、私は慌てて手を引っ込める。
「も、もう結構ですわアシュレイ様!」
「おや、そうですか? 気を遣わなくても良いのに……では中に入りましょうか」
……この人、心の声はこんなに騒がしいのにどうして平然としていられるのよ!?
バクバクと心臓がうるさく鳴っているまま、私はカフェの中に入りました。
◇◇◇◇
店内に入った瞬間、周囲の空気がわずかにざわめいた。
「えっ、あれ、アシュレイ様じゃない!? 今日も格好いいわ!」
「まぁ、本当! それよりも……隣の女の子は誰なの!?」
「あんな甘い笑顔向けられて……うらやましいわ!」
……視線が痛いです!
四方八方から突き刺さってます!
それにしても……アシュレイ様って、笑ってたんですね。
今、初めて知りました。
ごめんなさい、周囲の皆さん。
あなた方には格好いい貴公子に見えても、私にはピカピカ光るハートにしか見えてません。
そんなに羨ましいなら、今すぐ代わっていただきたい。
当のアシュレイ様はと言うと……周囲の声なんか一ミリも聞こえてないかのようで。
私に何が食べたいかを聞くと、スマートに注文を済ませているようです。
「楽しみですね、シェリル嬢!」
「え、えぇ……」
本当に……強い心臓ですよね。色んな意味で。
そうしているうちに注文していたスイーツが届いた。
「さあ、シェリル嬢。お口を開けて? “あーん”してください」
「はい!? いや、何でですか!? 自分で食べられますって!」
「いいえ。私はあなたに“あーん”したいのです。というか、させてください」
「む、無理です! そんな事……!」
アシュレイ様のハートがブルーになっていく。
分かりやすく『しょんぼり』してるわ!
でも、私は負けません。鋼の意思で絶対に譲らな――
「私……一週間も寝ずに頑張ったのに」
「一回だけですからね!? あ、あーん……」
恥ずかしすぎて涙が出そうです。負けました。
「良いんですか! ありがとうございますシェリル嬢。本当に生きていて良かった……貴女は本当に可愛すぎる……」
ま、眩しい!
目が開けれません!
ぎゅっと目を瞑った私の口に、甘さが広がる。
「きゃあああぁああぁあ! アシュレイ様のあんな笑顔、私初めてみましたわ!」
「誰か、今すぐ画家を呼んで頂戴……あれは国宝よ! 今すぐ保存しなくちゃ!」
「アシュレイ様ぁあぁ! 私にもその笑顔を向けて下さいませぇえ」
……周りがうるさいです。
本当にアシュレイ様ってどんな顔なんですか。
光が少しおさまったのを確認して、ゆっくり目を開けると……ハートが黄色に輝き、一回り大きくなっていました。
せ、成長した……!
しかもカラーチェンジしてる!
もしかしてアシュレイ様――『喜んでる』んですか?
「夢が一つ叶いました、本当にありがとうシェリル嬢! あの……もう一つだけ、私の我が儘を聞いてくれませんか?」
「ま、まだあるんですか?」
「はい……その……“私にも”お願いしても良いですか?」
「え?」
「シェリルに“あーん”されてみたいです。ぜひ、私にもください。もうそれだけで、私はこの後どんな事が起きても頑張れます」
「……え、ええと……因みに断ったら?」
……アシュレイ様のハートがみるみる内にブルーになっていく!
だって仕方無いじゃないですか!
どこに口があるのかが分からないんですって!
「ねぇシェリル……どうしても、ダメですか?」
うっ……プルプル震えて何か水みたいなのが出てきたわ!
も、もしかして――泣いてるの!?
さっきより大きいから、いっぱい傷付いてるみたいに見えちゃうじゃないですか!
「わ、わかりました! します、しますから……だからしょんぼりしないでください!」
アシュレイ様はさっきまでブルーだったのが嘘のように、また鮮やかな黄色に変化する。
本当にわかりやすいですね!
「いきますよ……」
「はい!」
どの辺かしら……?
そもそも、この人は今目が開いてるのかしら?
首の付け根からハートが生えてるせいでどこからが顔なのか分からないわ!
普通の人間なら……ここら辺だと思うのだけど。
もし、アシュレイ様がめちゃくちゃ首が長い人だったらどうしましょう?
「シェリル嬢ー? まだですかー?」
――いま声が『ここら辺』から聞こえたわ!
「えい!」
私がスプーンを差し出したその瞬間――
「……あの、シェリル? なぜ、私の鼻に?」
――いやあああああああ!
――やってしまったわあああああ!
「ご、ごごこ、ごめんなさい、て、てて、手元がくるっ、狂って、しまって」
鏡を見ていないけれど、分かります。
私は今滝のように汗をかいてるし、青ざめてるはずです。
「そんなお茶目なところも大好きですシェリル嬢。貴女に食べさせてもらえるなら、私は鼻からでも幸せです……貴女がここが私の口だと言うのなら、私は喜んでこれから鼻で食事をとる事にしましょう」
「すみません、すみません、本当にごめんなさい、お許しください!」
涙目で平謝りする私に、アシュレイ様は楽しそうに声をあげて笑った。
「冗談です。そんなに思い詰めないで下さい。でもお茶目な所も好きなのは本当ですよ?」
優しげな声に、ハートが黄色と赤色の点滅を繰り返す。
アシュレイ様は……本当に、怒って無いんですね。
私なんかより遥かに身分が上な貴方に対して、凄く失礼な事をしてしまったのに。
そんな私の事を嫌いにならないなんて。
……どうしてアシュレイ様はそこまで私の事を?
「……あの、アシュレイ様。ずっと気になってたんですが……どうして私なんですか? 私達まだ二回しか会ったこともないのに……アシュレイ様は最初から好意を向けて下さってますよね?」
……ハートの点滅が消え、彼は静かに言った。
「やはり……覚えていませんよね。私たち、昔……会ったことがあるんですよ」
「え……?」