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第十三話 「苺を見ると……」


「アシュレイ様……確かに“いくらでも”とは言いましたが、流石にもう離れていただけませんか!?」


 ベッドの上で、私はぷるぷると肩を震わせながら訴える。


「嫌です。まだ、シェリルが足りてない」


 そう言うと、アシュレイ様は背後から私を抱きしめ、私の肩にぐりぐりと頭を押し付けてくる。


 かれこれ一時間くらいはこの状態じゃないかしら!?


 それに、アシュレイ様……先程からずっと、心の声が駄々漏れなんです!


 私の首筋にあたる、ふわふわとした柔らかい髪の毛の感触と共に伝わってくるのは――甘ったるい心の声。


『あー。シェリルシェリルシェリル……可愛い……良い匂いする……大好き……愛してる……』


 ――そろそろ、恥ずかしくて死にそうです!


「アシュレイ様……いい加減私のお話を聞いてください」


 顔を真っ赤にして身をよじる私に、アシュレイ様は「わかった……でもシェリル、あともう少しだけ……ダメ?」と子供のように甘えてきた。


「っ……そんな可愛い声でおねだりしても、駄目な物は駄目です! 約束でしょう?」


 アシュレイ様の事を好きだと言葉にしてから……この方の行動の全てが、可愛いと思ってしまう。


 このままでは駄目だわシェリル、誘惑に打ち勝つのよ!


「もうそのままで良いので、聞いてください。リアム様はマリーを含め、使用人達から嫌がらせを受けています」


 私の口からその名が出た瞬間、アシュレイ様の動きがピタリと止まった。


「……え? どういう事なの……シェリル?」


「まだ真実かは分かりませんが、リアム様の口から“この屋敷の人達から冷遇されているんだ”と聞きました。それに……頂いた手紙にもそれらしい内容が書かれていました」


 瞬間、部屋の温度が僅かに下がる。


「……リアム様はその嫌がらせの主犯がアシュレイ様だと勘違いしてらっしゃいます。だからこそ、アシュレイ様の婚約者である私に……あの様な行動を取られたのではないでしょうか? アシュレイ様への復讐……意趣返しとして。本当は私の事など好きではありません」


 私の話を黙って聞いていたアシュレイ様が重い口を開いた。


「……俺に復讐したくなる程……リアムはマリー達に何をされていたんだ?」


 ――アシュレイ様が怒ってらっしゃるわ!?


 背後のアシュレイ様からは、とても冷ややかな怒りを感じる。


 低く呟かれたその声からは、先ほどまでの甘さがすっかり消えていた。


 私を抱く腕の力が、わずかに強くなっていた。


「あの、恐らくですが……甘いものが苦手なリアム様に、マリー達はわざと甘い物を出しています。そしてこれはまだほんの一部……復讐をしたくなる程なのだから、きっと他にもあるに違いありません」


 おずおずと告げる私に、アシュレイ様が怪訝なトーンで返す。


「……俺の目の前で、堂々と嫌がらせをしてたって事? もしそれが事実なら……俺はリアムに誤解されるのも無理はない、か」


「えぇ。あくまで私の予想ですが……アシュレイ様は私の言うこと、信じてくださいますか?」


「……他の人が言っていたらきっと半信半疑だったと思う。でもシェリルの言うことなら、俺は信じるよ」


 アシュレイ様のハートは、変わらず優しい色で溢れていた。


 ……本当に、信じてくださっているのね。


「ありがとうございます。あの……これからリアム様の元へ、共に真相を確かめに行きませんか?」


 私の言葉にアシュレイ様は優しく頷く。


「そうだね。シェリルとの時間が終わるのは悲しいけれど……俺も誤解されたままなのは悲しい。特に今回のは、陰湿だ」


 そう、あまりにも悪質だわ。まだ私の予想だけれど……恐らく間違いないはず。


 主に仕えるべき使用人が、主人にこのような嫌がらせをするだなんて。


 もしリアム様が注意しよう物なら――我が儘や好き嫌いが激しいと、ありもしないデマを言い触らすのでしょう。


 ただでさえ出自の事で肩身の狭いリアム様……味方が居ないと思っている以上、黙って耐えるしか無かったのではないかしら?


 あまりにも幼稚で、そして陰険だわ。そもそもリアム様は何も悪く無いじゃない!


 出自の事だって……前公爵閣下の責任でしょう!


 私の中で沸々と怒りがわいてくる。


「アシュレイ様……今回の件、私に任せてくれませんか? 差し出がましいお願いなのは承知ですが、私どうしても許せないんです!」


「別に良いけど……シェリルは何を企んでるの?」


「内緒です。でも、絶対に変なことは致しません。どうか信じて見ていてください」


「わかった。好きにして良いよシェリル。全ての責任は俺が取るから」


「ありがとうございます!」


 任せて下さいアシュレイ様!


 今こそ、私のこの『謎の力』の出番よ!


 今はまだ「私は人の考えていることが分かるんです」とは言えない。


 それにリアム様にはハートが見えなかった。


 けれどメイド達には明確な悪意のハートが見えていたわ。


 今までの事も全部含めて……そこから考えられる私の予測。どうすれば、彼女達の悪事を暴けるのか。


 私の中で1つの流れが閃いた。


「アシュレイ様、今すぐリアム様の元へ行きましょう!」


「えぇ、“私”の可愛い弟を頼みます。シェリル嬢」


 猫被りモードのアシュレイ様と共に、私はリアム様のお部屋へと向かった。





◇◇◇◇





 扉を開けた先では、リアム様が優雅にソファに腰かけ、本を読んでいた。


 近くに控えている使用人達からは、相変わらずの敵意が見える。


「待ちくたびれました兄様……あれ、義姉様と更に仲良くなって帰ってきたんですか? 残念だなぁ」


 クスクスと笑うリアム様からは、悪びれる様子が一切感じられない。


 でもどこか悲壮感が浮かぶその顔は、少し痛々しくも感じてしまう。


 ……相変わらず、ハートは見えないわ。


 リアム様の頭上を凝視する私をよそに、アシュレイ様は落ち着いたトーンで返す。


「……リアム、兄様達と少し話そうか?」


 アシュレイ様の問いに、リアム様は涼しい顔で微笑んだ。


「ええ。僕もゆっくりお話をしたいと思っていました。どうぞ、お掛けください」


 促されるまま座る私達の元へ、マリー達がお茶を持って来た。


 今日はショートケーキなのね。


 ……今、リアム様の瞳が揺れた?


 ……それにカップを持つ手が震えている気もするわ。やっぱり、何かあるはず!


 相変わらず、マリーがリアム様へ向けるハートからは凄まじい敵意が溢れている。


「リアム様、こちらどうぞ」


「……ありがとう」


 マリーが優しく微笑んだのを見て、私は勢い良く立ち上がり彼女の頭に軽く触れた。


「あら貴女……埃が付いてますわ。動かないで?」


「え?」


 分からないなら貴女のその心に、直接聞けば良いんです――棘の正体を教えてちょうだい!


 瞬間、雪崩れ込む耳を塞ぎたくなるような醜い声。


『はぁー。今日も相変わらず憎らしいわ! 大嫌いな苺を見ても顔色一つ変えないなんて……本当に気持ち悪い』


『アシュレイ様と違って卑しい身分の癖に、上品ぶって……甘いものが苦手みたいだし、もっと紅茶にお砂糖を入れてみようかしら?』


『アシュレイ様とお話出来るから、こんな奴の世話をしてるってのに……アシュレイ様ったら私が居るのに、どこかの馬鹿女を婚約者にしちゃうんだから!』


『でもアシュレイ様から一番信頼されているメイドは私。お手をつけられる日も近いわ! そしたらこんな女もこの紛い物も、すぐに追い払ってやるんだから!』


『……ムカつくから、今日もお風呂はお水にしようかしら』


 ……あら。あらあらあら。


 その醜すぎる心の声に、私の中の何かの糸がプツリと切れる。


 ……随分とまぁ、大層なお口ですわね。


 リアム様への暴言やとても悪質な嫌がらせ……ここまでくれば、立派な虐待よ!


 ――絶対に、絶対に許せないわ!


 それに“私の”アシュレイ様への横恋慕、加えて私の事を馬鹿女呼ばわりした事……どれ程の大罪かしら?

 

 心の声が聞こえるのが私だけで良かったですね?


 アシュレイ様が聞いていたら、貴女……頭と身体が仲違いする所でしたよ?


 自身の過ち、ちゃんと償っていただきます!


「……取れたわ」


「あ、ありがとうございます」


 私は怒りが顔に出そうになるのを必死に抑え、優しく微笑んだ。でも拳には力が込められる。


「ねぇ貴女……リアム様にお仕えしてからどれくらい経つのかしら?」


「えっと……リアム様の専属となったのは一年前ですが、公爵家には五年前よりお仕えしております」


「まぁ。とても長く働いてくれてるんですね! 素晴らしいわ!」


「お、お褒めいただき光栄でございます……お嬢様」


 怪訝そうな顔で、マリーが答える。


「でもおかしいわ! 五年も公爵家に仕えていながら……ましてやリアム様の専属となっていながら、どうしてリアム様の苦手な物をお出ししているのかしら?」


「!?」


 驚くマリーの顔には、明確な焦りが見えた。


「あら? アシュレイ様の婚約者になったばかりの私ですら知っているのに……まさか貴女、リアム様が苺が苦手だとご存じないのかしら? それともわざとお出ししてるの? だとしたら――」


「ち、違います! 苺が苦手だとは存じておりませんでした! 申し訳ありません、すぐにお取りか――」


「お聞きになられましたか、アシュレイ様? あのメイドは主人の好みも把握する事が出来ておりませんわ……他の者をお付けした方が良いんじゃないかしら?」


「……そうみたいだね?」


 私とアシュレイ様の言葉に、マリーの顔はみるみるうちに青ざめる。


「えっ!? お、お待ちください! ちゃんと覚えておりました! 今日は偶々、うっかりお出ししてしまって――」


「うっかり? この前は、苺のタルトじゃなかったかしら?」


「そ、それは」


「それに……リアム様のお風呂を水にしているそうね? それはどういう事なのかしら?」


「!?」


 私の言葉が落ちるのと同時に、空気が凍る。


 その場に居た私以外の目が見開かれた。


「え、な、なんでそれを……!?」


「……シェリル。今、何て?」


 アシュレイ様のハートが、みるみるうちに黒く染まっていく。


「私、たまたまお耳に挟んでしまいましたわ。彼女達が……リアム様のお風呂をわざと水にしている、と。一介の使用人が、主である公爵家の人間にそんな事をするなんて……どれ程の罪になるのかしら?」


「極刑だね」


「お、お待ちください! それはリアム様が自ら望まれて……!」


「自ら、と……ではリアム様に、直接聞いてみようかしら?」


「え、えぇ! そうですよね、リアム様!」


 私達の視線の先……リアム様の顔は驚きに染まったまま、固まっていた。


「リ、リアム様、正直にそうだと言ってくださいませ! このままだと誤解されて私が処分を受けてしまいますから!」


 ひきつった笑顔でリアム様の方を見つめるマリーの声は、震えながらも語気を強めていた。


 ……まるで脅しじゃない。


「リアム、本当の事を言え。兄様はお前の味方だと約束しただろう。私を信じろ」


「ぼ……僕は……えっと」


 戸惑っているリアム様に私は近寄り、その顔を両手で挟んで視線を合わせる。


「リアム様、嫌なことは嫌だとちゃんと口に出して言わなければ、いつまでも……何も変わらないわ! ずっとこのままで良いんですか!」


 私の言葉を聞いたリアム様の目が見開かれると、ルビーの瞳から大きな雫がこぼれ落ちた。


「僕は……苺が、嫌いです。血みたいで……痛いことをされた記憶が蘇るから。甘い物も……好きじゃない……気持ち悪くなっちゃうの。それに……お風呂だって……冷たいと、凄く……痛い、の」


「……リアム様、良く頑張りましたね。偉いです」


 私がリアム様の頭を撫でると、リアム様は大きな声で泣きはじめた。


「……兄様が、僕の為に……僕に優しい使用人を探したって……言ったんだ。だから、僕も、信用して……秘密を話したの! それなのに、それなのに、兄様は本当は僕の事が嫌いだって……これも全部兄様からの指示なんだって、紛い物なんかに味方はいないって……」


 リアム様に対して、そんな事を!?


 あまりの衝撃に私は言葉が出なかった。


 その場にへたりこむリアム様の元へ、アシュレイ様が駆け寄り、そして優しく抱き締める。


「リアムすまない、全部兄様が悪かった! もっとちゃんと見ていれば……おい! コイツらを捕えろ、今すぐ地下牢に連れていけ! 絶対に逃がすなよ!」


「……ごめんなさい、疑ってごめんなさい兄様、でも……僕、誰も信じられなくなって! もう、全部が嫌になって、兄様が不幸になっちゃえって、義姉様の事――」


「もういい、いいんだリアム。気が付くのが遅くなってすまない……ずっと、一人で我慢させていたんだね」


「にいさまぁああああぁあぁ!」


 部屋にやってきた衛兵達に捕えられたマリー達は、口々に「誤解です、お許しください!」と叫んでいた。


 リアム様にハートが見えなかったのは……心が壊れてしまっていたから?


 私の両親のハートは『崩壊した愛』だった。


 けれどリアム様には『愛』そのものが存在していなかったのね……だから、見えなかった。


 もしかしたら今後、リアム様のハートが見えるようになるのかしら?


 いつかリアム様に、暖かなハートが生まれる日が来るように、と……そう願わずにはいられなかった。 

更新遅くなって申し訳ありません!

見事職場でインフルエンザを貰い……今朝までずっと発熱パーティーでした……。

現在流行中との事なので、どうか皆様も、お気をつけ下さい(TT)!

リアムの事……少しだけですが、分かってきましたでしょうか?

次回はリアムの目線のお話になります!

ブクマ、感想、本当に励みになっております。ありがとうございます(^^)

……まだ体調が思わしくないので、次回の更新は気長にお待ちいただけると幸いです。

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