第十二話 「闇落ちハートを救いたい! 心の叫びの先にあるのは……」
「きゃっ!」
ボスン、と肩からベットに降ろされた私の口から思わず小さな声が出る。
……ここって……アシュレイ様の自室なの?
そこはとても広く一際豪華な部屋。
けれど綺麗に整理整頓されていて、アンティークも気品溢れる物ばかりだった。
……こんな状況じゃなければ、ゆっくり飾られている美術品の鑑賞とかしたかったんですけどね。
私の目の前にいる、恐ろしい様相のアシュレイ様に目を向ける。
こ、怖い怖い怖い怖い!
アシュレイ様の考えていることが全く分かりません!
明らかに怒っているんでしょうけれど……でも、私の知っている『怒りのハート』とは違うわ!
沸騰しているお湯のようにグツグツと煮えたぎるハートが、徐々に迫ってくる。
「……ねぇシェリル?」
その声音はあまりに甘く、鼓膜を優しく撫でるほど穏やかだった。けれどアシュレイ様の見た目が、相反する感情を持っていると告げている。
「君、まさか俺との婚約を破棄して弟と結婚……なんて、言わないよね?」
「ア、アシュレイ様……お、落ちつ――」
「今すぐ答えて? 返答によっては、許さないからね?」
ゆ、許さないって、どうするおつもりなの!?
ハートから飛び出す鋭利な棘に、ジワジワと私は後退りする。
「ま、まさか! そ、そそそ、そんなわけ――」
「うんうん。そうだよね? シェリルは“誰”の婚約者なのか、俺にちゃーんと……教えてくれる?」
私の目の前に、赤と青と黒で出来たマーブルのハートが迫ってくる。
まずい、まずい、まずい!
アシュレイ様、完全に誤解してるわ!?
このままだと……私、何をされるのか分かりません!
どうにかしてこの場を切り抜けないと!
私が必死に思考を働かせている時でした――
「シェリル……黙るってことは……もしかして、答えられないの?」
「えぇっ!? ち、ちが――」
「はぁ……俺とっても悲しいな。シェリルは俺の事……好きになってくれたんだと思ってたのに……全部嘘だったわけ? 俺の事、弄んだの? ねぇ、言い訳があるならちゃんと言ってみてよ?」
――アシュレイ様、完全に何かが壊れてしまってるわ!?
この謎の鎖は何なの!?
私にだけ見えているアシュレイ様の鎖が、異様なハートを更にギチチ、と締め付けた。
今にも破裂しそうになっているそれが、堪らなく私の恐怖を煽る。
「えっ、えっと、誤解なんです!」
「誤解……?」
「そ、そうなんです! 私はリアム様と婚約するつもりなんてありませんから!」
これで……落ち着いてくれるかしら?
私の淡い期待は、アシュレイ様の冷やかな声で無惨にも崩れ去る。
「……ふーん? ねぇ、それ。本当に俺が信じると思ってる?」
「えぇ!?」
「だってそうでしょ? シェリルは口ではそう言ってるけど……行動と言動が伴って無いじゃん」
「そ、それってどういう」
「“アイツ”には抱き締められても振り払わない程、心を許してる癖に……今、“俺”からは逃げてるよね?」
「ち、違っ、それは」
ジワジワと後退していた私の背中は、遂にベットの奥にトン、と当たる。
「――ほら? シェリルの嘘つき」
「あ……」
逃げ場はもう、どこにもなかった。
◇◇◇◇
「いっ……アシュレイ様、お願いですから離して下さい」
アシュレイ様はベットの奥まで私を追い詰めた後、私の両手を壁に縫い付けるように押さえ付けた。
「やだ」
「す、少し落ち着いて下さい! とりあえず座って話しませんか?」
「むり」
……全然聞く耳を持ってくれないわ。
「あ、あの……一度、離れて」
「何で? こっち見て、シェリル」
「それは、ちょっと……」
……刺さらないって分かってても、棘が怖くてアシュレイ様の方が見れません!
視線をそらす私に、アシュレイ様は暫く黙った後、一層冷えた声で囁く。
「シェリルって……全然俺の目を見ないよね」
「……えっと」
私には、アシュレイ様の姿が別物に見えているなんて……今言っても信じて貰えるのだろうか?
私が言葉を詰まらせていた時だった。
「そんなに……俺が嫌い?」
アシュレイ様の弱々しい声が聞こえた。
「なっ! それは誤解です、私は……っ!」
フッと手首を掴んでいた力が弱まり、アシュレイ様が遠ざかる。
ハートでお顔が見えないけれど……もしかしてアシュレイ様……泣いてる?
私から少し身体を離したアシュレイ様は、両手で顔を覆うと、小さな嗚咽を漏らしていた。
「……嫌いなら、どうして期待させるような事をしたの? 俺はもう……シェリルとの未来しか考えられないのに」
「ごめんなさい! こんなつもりじゃ無かったんです!」
私の言葉が届いていないのか、アシュレイ様は吐き出すように続けた。
「……ごめん、ごめんねシェリル。好きになってしまって、ごめん。でももう、逃がしてあげれない。諦めて、俺と生きてよ」
アシュレイ様のハートが、ぐちゃぐちゃと混ざりあいドンドン黒に染まっていく。
とても不味い気がするわ!
ごめんなさい、アシュレイ様。
今貴方が何を考えているのかが全く分かりません!
でも、だからこそ――教えて下さい!
貴方の心に触れさせて下さい!
私はアシュレイ様のハートをそっと包み込むように、アシュレイ様の顔を自分の胸に抱き寄せた。
「……えっ」
驚くアシュレイ様の声と共に、雪崩れ込む激情。
『シェリルが好き。本当に大好き。心の底から愛してる。ずっと一緒にいたい、本当に大切なのに……』
『悲しい。苦しい。不安。信じていたのに……それなのに、どうしてなの?』
『ずっと会いたかった。俺にはシェリルだけなのに』
『許せない。リアムも、シェリルも、それに……シェリルに男を近付けてしまった俺も』
『こんな醜い自分が嫌だ』
『どこにも行かないでシェリル。俺だけを見て』
『まだ俺ですら抱き締めたこともないのに、なんでアイツは良いの?』
『ねぇ、シェリル……本当に俺の事好き? 全部、嘘なの?』
……私は、この人を深く傷付けてしまった。
私の腕に力がこもる。
柔らかな髪と、涙の湿り気が伝わる。
「すみませんアシュレイ様。でも、全て誤解なんです。リアム様の腕を振り払えなかった事は……私の落ち度でした。本当にごめんなさい。あの時は頭が真っ白になっていて、身体が動かなかったの。でもこれも言い訳です、貴方の婚約者と言う意識が低かったわ……」
「シェリ、ル?」
「けれどこれだけは知っていて欲しいの。私が貴方の事が嫌いだなんて、絶対にありえませんわ! 私の旦那様になる方は“アシュレイ様ただ1人”ですから!」
「……本当に? 俺は、それを……本当に信じて良いの?」
「ええ! こんな愚かな私ですが……どうか、どうかもう一度信じて頂けないでしょうか! 今後はアシュレイ様を絶対に悲しませないと約束します」
私の腕に、アシュレイ様の手が添えられる。
「これからは不安にさせないように、ちゃんと私の思いや考えを伝えます。だからアシュレイ様も聞いてください」
アシュレイ様のハートに巻き付いていた鎖がボロボロと崩れ落ちる。
真っ黒な棘だらけのハートが元の美しい大きな姿へと戻っていった。
「……シェリルは……俺の事、好き?」
震える小さな声が聞こえた。
私よりも年上で大きなこの方が、堪らなく愛らしく見える。
「はい。大好きですよアシュレイ様」
「本当に?」
「えぇ、何回でも言います。私、シェリル・リープルは、アシュレイ・ロゼット様の事が本当に大好きです」
瞬間、過去最高に光輝くアシュレイ様のハート。
「……シェリル、良く聞こえなかったから……もう一度、もう一度言って?」
「……本当は聞こえてるくせに。アシュレイ様、そんな言い訳しなくても何回でも言いますよ? 大好きです」
「うん、ごめん」
「……少し落ち着いたら、私の話を聞いてくださいますか?」
「わかった、ちゃんと聞きます。だから……俺も抱き締めて良い?」
少し甘えるような声で、窺うように聞くアシュレイ様。その様子に、思わず笑みが溢れてしまう。
「はい。いくらでも、どうぞ?」
私が両手を広げると、アシュレイ様は壊れ物に触れるかのように……そっと抱き締めるのだった。
筆がのりまして……連続更新です!
次回はメインの方を少し進めて、こちらの更新を考えております!
5/21水曜日頃を目安にして頂けたらと思います(^^)
ちょっとヘタレワンコなアシュレイ様の事……ぜひ応援してあげて下さい。
彼のハイスペ、スパダリ具合がまだ出てきておりませんが、今後活躍します!




