第十一話 「アシュレイ視点~嫌な予感~」
俺、アシュレイ・ロゼットは……遂に、遂に成し遂げました。
超絶可愛い最愛の天使との“婚約”と言う素晴らしい功績を!
え、夢じゃないよね?
まだ心が浮わついていて、正直ずっと現実感が無い。
◇◇◇◇
あの日――シェリルが馬車の中で少し恥ずかしそうに、婚約の返事をしてくれた時には、嬉しすぎてそのまま天に召されるんじゃないかと思った。
ずっと応援してくれてたリアムや、両親にも早く紹介したくて――シェリルが俺の家に挨拶に来る日が待ち遠しくて仕方無かった。
正直生きてきた中で、今が一番浮かれてると思う。
何ならもう、この世界中の人達に叫んで回りたい。
それくらい、本当に嬉しかった。
夢みたいに幸せだった。
あの時までは――
「僕と文通仲間になっていただけないでしょうか?」
……は?
弟、リアムの突然の爆弾発言。
何故か賛同するシェリル。
……何で?
シェリルは優しいから、だからリアムを放って置けなかったのかな。
リアムもリアムで、差別や偏見を持たない人はシェリル以外に出会った事が無かったから……だからだろうか?
きっと、沢山寂しい思いをしてきたから。
わかる。二人の気持ちは理解出来る。
でも何故か、胸がざわめいて仕方なかった。
きっと、愛しいシェリルが……弟だとしても、俺以外の『男』と関わる事に嫉妬してしまってるんだろう。
やっと婚約に頷いてくれたのに、心が狭いと思われたくない。
シェリルに嫌われたくない。
俺は自分の心のモヤモヤを無視して、無理やり飲み込んだ。
……本当に、信じて良いんだよね?
ねぇ、シェリル。
……これから沢山デートしたら、この謎のモヤモヤも、ほんの少しの不安も消えるよね?
きっと。
◇◇◇◇
そんな俺を嘲笑うかのように、そこから執務が忙しくなった。
もう何日もシェリルの顔が見れてない。
ほんの少し会えないだけで、シェリルのいない日常が土砂降りの天気のように感じる。
あの太陽のようにキラキラと輝く優しい笑顔が見たかった。
会いたい。今すぐシェリルに会いたい。
でも、二人の未来の為にも……公爵としての政務を頑張ろう。
全てはシェリルの笑顔の為。
今後俺の妻となった彼女が、幸福な日々を過ごせる為。
そんな俺を唯一支えているのが、シェリルと毎日欠かさず交わしている手紙だけだった。
◇◇◇◇
山のように積み上げられた書類、そこで作業する俺の元にリアムがやって来る。
「兄様、何か僕にお手伝い出来る事はありませんか? お茶でも淹れましょうか?」
「大丈夫だよ。ありがとうリアム」
「……最近とても忙しそうで、僕は心配です」
「お前は本当に優しいな」
えへへと笑うリアムの顔を見て、この前のざわめきは俺の勘違いだったんじゃないかと思う。
こんなにも人を思いやれるリアムだ……きっと深くは考えなかったんだろう。
全ては俺の考えすぎ。そう思う事にしよう。
そんな時、コンコンコンとノックの音が響いた。
……また仕事が増えたのか?
溜め息が出そうになりながら、俺は返事をする。
「失礼します。こちらリープル家のシェリル様からアシュレイ様宛の手紙――」
予想外の嬉しい報告に、俺は勢い良く顔をあげた。
「シェリルからか!? 早く、早く見せてくれ!」
丁度、少し休憩にしたかったんだ。
シェリルの事以上に、俺に大切な物なんて無いんだから。
はやる心を必死に落ち着かせながら、侍従から手紙を受け取ろうとした時だった。
「……と、リアム様宛の手紙です」
トレーに置かれている手紙を受け取ると、その下にもう1つの封筒。
「え……? そ、そう……だよな」
どくり、と強く心臓が脈打った。
足元が抜け落ちそうな感覚がする。
動揺する俺とは裏腹に、リアムは満面の笑みでこう言った。
「義姉様って、いつもすぐに御返事くれますよね! しかも沢山送って下さるし! 本当にお優しい方ですよね、兄様!」
「あ、あぁ」
沢山……?
二人は、そんなにやり取りしているのか……?
シェリルに聞きたい。
でも、器の小さい男だと思われないだろうか。
今のリアムの発言も……わざと俺を煽ってる訳じゃないよな?
まさか。
まさかな。
もしリアムがシェリルの事を好きだとしても――シェリルが選んだのは他の誰でもない、“俺”なんだ。
だから俺は、シェリルの事を。
シェリルと重ねてきた信頼と幸福を。
……本当に、信じてるから。
シェリルは優しいから。
でもやっぱり少し不安だ。
俺から会いに行けないなら、シェリルが遊びに来るのはどうだろうか?
愛しい彼女の顔を見る事が出来たら、この憂鬱な気分も少しはマシになるだろうか?
そう思い立った俺はすぐにシェリルに手紙を送る。
彼女から送られてきた返事の「会いに行きます」と言うたった一文を見ただけで、嘘みたいに一気に心が晴れ渡った。
◇◇◇◇
「最悪だ。すっかり遅くなった」
今日はシェリルが我が家に来てくれるとても大切な日だと言うのにも関わらず、 議会が長引いて遅くなってしまった。
今すぐ、一分一秒でも速くシェリルの所に行かなければ!
俺は緩む頬を必死に抑え、小走りで廊下を駆ける。
彼女に会ったら一番に、ずっとずっと会いたかったと伝えよう。
少し抱き締める位は許されるだろうか?
直接言えてなかった分、沢山の愛の言葉を伝えたい。
無駄に広いこの廊下が、今は煩わしくて仕方なかった。
やっと!
やっとだ!
ようやくたどり着いた応接室のドアの前で、息を整えている時だった。
耳を疑いたくなるような会話が聞こえてくる。
「義姉様、いやシェリル嬢! 兄様が貴女に求婚しているのも、貴女の事が本当に好きだからでは無いんです!」
……は?
これは……リアムの声、なのか?
「兄様は! 僕が……僕が貴女の事が好きだと知って……だから貴女に求婚を!」
……アイツは、今……何を?
確かに俺は、子供の頃はリアムに嫌われても仕方ない人間だった。
でもあれから、やり直そうと必死に――それにリアムも許してくれたんじゃなかったのか?
俺の中で色々な感情がグルグルと渦巻く。
嫌な汗が頬を伝う。
そんな俺を待ってはくれず、部屋の中からは聞きたくなかった言葉が聞こえてくる。
「えっと、ちょっとお待ち下さい。色々と――」
「嫌です! 今までずっと、自分の出自が後ろめたくて伝える事が出来ませんでした。でも、貴女が不幸になる所を見たくない、僕は貴女が好きですシェリル嬢!」
……リアムも、シェリルが好き?
薄々、なんとなくは感じていた。
でもお前は……俺の事をいつも応援してくれてたよな?
「僕はこの家から出たい。できればこの国からも。だから僕と共に、一緒に隣国に逃げて下さい!」
「リアム様、私は――」
シェリルと一緒に……?
何処に、行くって?
シェリルは、俺の――
勢い良く扉を開けた俺が目にしたのは、最愛の婚約者が『他の男』に抱き締められている姿だった。
強く殴られたような衝撃が脳天を突き抜ける。
……何で?
……何で振り払わないんだよ。
……ねぇ、シェリル。
俺、信じてたんだよ?
本当に、本当に信じてたのに。
嘘つき。
騙してたの?
シェリルはソイツが好きだったの?
俺を捨てて……ソイツを選ぶの?
俺の中で、絶望、嫉妬、怒り、悲しみ……色々な感情が溢れかえってくる。
本当は今すぐリアムを殴ってやりたい。
でも、シェリルを怖がらせたくない。
抑えなきゃ。
でも……でもこれは。
俺を見つめるシェリルの、海のように透き通った青色が、困惑に揺れていた。
ねぇ、シェリル。どうしてそんな怯えるような目で、俺を見るの?
何で?
どうして、俺が怯えられてるの……?
俺は……シェリルにとって何?
陸にいるのに、まるで水中にいるように――ただただ、苦しかった。




