第2話 公子
史は一人渋谷から電車に乗り込むと逗子にある生家、秦家のある白菱稲荷神社を目指した。
時間にすれば1時間程度。
駅から出ると史は10年ぶりに訪れるその街にやはり嫌悪感で押し潰されそうになった。
街がどうとかではない。
そこで過ごした9年間の苦しみが沸々と蘇ってきたからだ。
幼少期から父の総司は大学の仕事でほとんど家にはおらず、祖母には毎日厳しく叱責され。それこそ2歳児ぐらいから事あるごとに一人で座敷牢に押し込まれた。
始めは毎日大声で泣いていたと思う。それでもそのうちその状態に慣れ始めどんどんと心が荒み泣いても仕方のない事だと。泣くのも面倒くさい、泣くだけ無駄だと・・そう思うようになった。
5歳の頃にもなればそれが当たり前なのだと自分に言い聞かせ、しかしながら普通に暮らす他の同い年の子供達とその家族を見ては心から妬まずにはいられなかった。
通わされた幼稚園では当然周りと馴染めず、またハーフである事を理由に何かと要らぬちょっかいを掛けられては喧嘩をし、やはりその度に祖母からは気絶するほど殴られそのまま座敷牢に押し込まれる。
そのうちに史はどんどんと心を失いかけた。
「・・・くそ・・・」
史は走りながらも嫌な記憶が次から次へと頭の中に溢れ返り、いつもなら絶対に息切れなどしない距離なのにまるで体中の力がこの土地に奪われていくかのように息を切らせた。
顔は青ざめ冷や汗が止まらない。
本当に心からムカついてもいたし、そんな最悪な感情を蘇らせているこの場所と、あの家が許せなくて今すぐにでも全てをぶっ壊してやりたい衝動でいっぱいになっていた。
史は頭だけは冷静なのに心と体はその正反対に、恐怖と怒りと怨念で溢れ返り全身の震えが止まらなかった。
『・・・俺・・・もしかしたら本当にやばいかもしれない・・・』
震える手を見ながら史は皮裂村の宗教施設『御光の母』で正気を失った時の事を思い出した。
今まさにこの時点で史は正気を失い、またあの時のように呪力が暴走する一歩手前まで来ていたからだ。
そしてその震える手をぐっと握りしめると、縋るように寿々を想った。
「・・・はぁ・・・はぁ・・・・・まだ・・・こんなところで・・・気を失ってなんかいられるかよ・・・・」
と小さく呟き、史は奥歯をグッと噛みしめ一度両手をパシン!と合わせると大きく呼吸をする。
その溢れかえる呪力を何とか循環させて、〝祓〟つまり浄化のエネルギーへと変換させようと寿々を想い強く願う。
『・・・そうだ。俺の家の、俺の人生の清算をするんだ。そのせいで寿々さんを巻き込んだ事を・・忘れてはいけない。絶対に・・・・あいつらの思い通りにだけはならない・・・。そうでないと寿々さんを助ける事は絶対にできない・・!』
「・・・・ふぅぅ・・・・」
息を大きく長く吐き、そうやって気の循環を数分間だけ行うと次第に震えが嘘のように治まってきた。
ゆっくりと目を開く。
すると先ほどまで禍々しく金色に光輝いていた史の瞳は元の灰色の瞳へと戻っていた。
「・・・・・よし」
そう言って意を決すると、史はもう一度白菱までの道を走りだした。
座敷牢に入れらた寿々は目の前の迦音の姿を目にして絶句した。
迦音の首に巻かれた太い蜘蛛の糸。
そしてその糸を巻いたであろう30㎝近くもある見た事もない大きさのジョロウグモが迦音の首から後頭部にかけてガッシリとその頭を掴んでいる。
「・・・迦音さん・・・それ、本当に君のお母さんが使役しているの・・?」
寿々はその姿があまりにも酷くて思わず憎しみで溢れ返りそうになった。
『・・なんで実の娘にこんな酷い事が出来るのだろうか・・。それだけ迦音さんのことを嫌っているとでも言うのだろうか・・・。いや、違う。嫌いとかの概念ではない。本当にただの強迫観念でしかないのか・・!』
迦音はどうしようもなくその場に再びへたり込む。
「・・・私は終わるまでここで寿々さんを見張るように言われている。だから終われば私も寿々さんも解放されると思う・・・。でも・・・私は全て終わったら自首するつもり・・」
「そんな・・。そんな事したら迦音さんただでは済まなくなるじゃないか!」
「でももう全てを終わらせるにはそれしかないの・・。私が自首すれば、この家は全員何かしらの裁きを受ける事になるわ。・・でもそれでいいのよ・・。こんなのおかしいもの。全員が罪を償うべきなのよ」
寿々は迦音のその言葉に何も言い返す事が出来なかった。
『確かに罪は償われるべきだ・・。しかしそれをすればもはやこの家は全てを失う事になるだろう・・。当然史の事を思えばそうするのが正しいのは分かっている・・。でも・・・本当にそれしか道は無いのだろうか・・。遺恨を残さずに解決する方法はあり得ないのだろうか・・・』
そう思いながらも寿々は自分みたいな部外者が本当にそこまで首を突っ込んでもいいものか・・、それについても悩んだ。
『どのみちここにいる以上史と話しをする事すらできない。・・・何とかして会って話して史がどうしたいのかだけは確認しなくては・・・』
午後8時半
史はようやく因縁の白菱稲荷神社の参道前に辿り着いた。
「・・・・・・・」
そして10年前と変わらないその光景を目の当りにし、再び手が震えている事に気づく。
前に寿々に座敷牢の話しをした時に、もうだいぶ乗り越えられている、と言ったものの、いざこうやってこの場所に戻ってくるとやはりまだ完全には乗り越えられていないのだと、嫌でも気付かされる。
史はもう一度胸の前で両手を合わせ深く息を吐き出す。
「・・・・ふぅ・・・」
そして今一度目の前の真っ白い大きな石造りの鳥居を睨むと一歩前に足を踏み出した。
この時間の参道には誰もおらず、辺りを埋め尽くす竹林が史を脅すように囁いていた。
どうも周りの空気が重い。社殿へ近づく程にその重さが増している。
自分が酷く緊張しているせいもあるが、確実にそれだけではない雰囲気が境内を厚く覆っていた。
『・・・結界か?』
確信はないが史は何となくそう感じた。
それは誰かが・・・・・いや間違いなく伯母の公子だろう。
公子が張った結界。恐らく史が入って来たのを察知する為、それからこの中へ誰も入れさせない為の厚い結界がそこに存在している、史はそう思った。
参道を抜け左に手水舎を、右に社務所を通り抜けると目の前に拝殿が佇み、その前に白い玉砂利が広がる。
そして裏参道からの石畳から一人の影がふらりと姿を現した。
「はは・・・待ってたぜ、史・・・」
「・・・汐音・・・」
従兄弟の汐音は既に暗闇中に煌々と黄金の瞳を光らせ、すぐにでも襲い掛かろうと待機していたようだ。
そしてゆっくりと獲物を狙う獣の様に白い息を吐きながら汐音はその背後にまるで蛇のように蠢く邪気の縄を張り巡らせた。
その中の一本がスっと方向を変え汐音の手の内に落ちるとまるで縄鏢のような形状になった。
汐音はその縄鏢を持つと腰を低く構える。
「・・・そんな事をしても無駄だ汐音。お前の攻撃など俺にはもう当たらない!」
そう言って史は右手を前に突き出す。
「・・は・・・どうかな」
汐音はその縄鏢を全身を使って振り回すとそのまま史に向かって走り出した。
「っアァァアアアア!!!」
振りかぶった縄鏢が勢いよく史めがけて襲い掛かった!
「!!」
史は目を見開いたままその先に着いた鋭いクナイのような鏢を右手に込めた銀色に光る〝祓〟で受け流すように交わしそのまま呪力の縄を掴み取る。
そしてその勢いで汐音を引き寄せようと呪力を込めた左手で縄を思いっきり引っ張った。
「!」
汐音はその瞬間に即座に自分の縄を切り落とすと、体勢を整え直す。
「・・・あっぶねぇなぁ」
汐音は薄っすらと不気味い笑い、すぐに邪気の縄を作ると今度はまるで獲物を捕らえる為の網を編んだ。
「ははは・・・もう逃げられねぇぞ!」
そして再び遠心力を使いその網を史に向けて覆い被せようと放り投げる。
「何度やっても無駄だ!!」
史は右手を引き〝祓〟の気を溜めると銀色の波動をその空中に開けた網に向けて一気に放った・・・・。
が。
その瞬間祓で浄化された汐音の網が消えかかる中、突き上げた史の右手をどこからともなく飛んできた蜘蛛の糸の束が覆い尽くした!
『・・しまった!』
史はその糸を目視した途端、汐音の攻撃はあくまでも気を逸らさせる為の罠だった事に気づく。
「ほほほ・・・。まあ・・なんと間抜けな犬かしら?・・・」
そう言うと社務所の影から大きな蜘蛛を肩に乗せ、黒いワンピースに黒のつば広帽子の公子が姿を現した。
史は急いで右手を覆う糸を剥ぎ取ろうと必死に呪力を帯びた左手で引きちぎろうとする。
しかし・・
「無駄よ・・・。あんたごときの呪力で私の糸を剥がせるわけがないでしょ・・・」
と言うと公子は史の左手も塞ごうと肩に乗せた蜘蛛を空に放った。
「!!?」
空中に放たれた蜘蛛から容赦なく糸の束が史を襲う。
史はその糸をくらってたまるかとばかりに左手を庇うようにしながら全てを避け続けた。
「はぁ・・・はぁ・・・」
境内の強力な結界の影響もあり、史は体力を急激に消耗していった。
「さあて、いつまで持つかしらねぇ・・・?」
公子は喪服の様なワンピースを軽やかになびかせ史を追い詰めるとその姿を楽しそうに眺める。
しかし汐音はその光景を見ながらもどうも面白くないといった表情だ。
『・・・くそ・・。これだけ不利な立場になっているってのになんであいつから恨みが、怨念が少しも出て来ないんだ・・・・。これじゃ俺の呪力が全然上がらないじゃないか・・・』
汐音は寿々を誘拐して飛び込んで来た史は絶対に溢れるばかりの怨念を宿し、真っ向から自分に恨みをぶつけてくる。そう思っていたのだ。
そうすればこの前祓われた呪力を簡単に取り戻せると思っていたのに。
今必死になって公子の攻撃をかわし続けている史からは、公子への恨みは勿論秦家への恨みすら全く感じない。
汐音にとってこれは完全な誤算だった。
『一体あいつの精神状態はどうなってるんだよ・・』
汐音はどうすれば更に史が嫌な思いをするのかだけしか頭になかった。
しかし史はこの境内に入った時点で寿々が無事であることはすぐに分かっていたのだ。
史は今はもう目を瞑り左手を掲げなくてもこの境内くらいの範囲ならば寿々がどこに誰といるのかすぐに透視できてしまうからだ。
今現在予想していたとおり座敷牢に閉じ込められている事も、ちゃんと無事な事も、そばに迦音がいる事も全部視えている。
勿論この状況はとても有利とは言えないけれど、それでも寿々の無事が分かるだけで史はこの二人を無駄に恨み、力を与える事など全くもって滑稽でしかなかったのだ。
そうしないといつまで経っても秦家の因縁を断ち切ることは出来ないからだ。
そうこうしていると急に公子の手がふっと下り、蜘蛛が再び公子の方へと戻っていった。
「・・・・・・・」
「はぁ・・はぁ・・・・はぁ・・はぁ・・・」
史は全身で呼吸をし、大粒の汗を流している。
公子はその史を冷ややかな眼差しで見ると
「・・・全く。しぶとい犬が。まさかこっちの呪力が尽きるのを図っているとでもいうのかしらね・・?」
と史の心の中を読み取るように顎を上げ見下しながら呟いた。
史の考えは確かに公子の言う通りだった。
とにかく汐音も公子も思う存分やりたいだけ呪力を使わせて弱らせようとそう考えていたのだ。
しかしそれにしても右手の〝祓〟が使えないのは全くもって予想外だ。
どのみちこのままでは呪力を消費させても浄化して呪力を完全に祓う事など出来ない。
『この糸をどうにか断ち切ることさえできれば・・・・』
祓と呪力を合わせればこんなものを切り落とす事など造作もない。
しかしがっちりと指の先までグルグル巻きされて全く気を通す事も出来ない状態の右手では上手こと浄化させられそうになかった。
呪力も使えなくはないが、ここに来るまでの間にそのほとんどを〝祓〟の方に変換させてしまっていたので多少は使えても二人分立ち回るのはほぼ不可能だ。
『どうすれば・・・・』
史は顎から落ちる汗を左手で拭う。
『この糸を剥がすには燃やすか溶かすしか方法がない・・・。』
「・・・そうか」
史は左手を見て何かを思いつくと史は自分の髪の毛を数本引き抜いた。
「・・・?」
公子も一体何をしだすのかと体勢を落とし身構える。
そして左手に乗せた髪の毛を空中に放ったかと思うと重力と念動作用を応用し、その周りの空気を急速に圧縮させるよう空中でググ!!と物凄い速さで握り潰した。
ボウォオオ!!!
「・・なに!!」
公子は史に手から熱圧縮から生み出された勢い良く燃え上がる金黒の呪力の炎が沸き起こると思わず数歩後ずさる。
史はそれを躊躇わずそのまま呪力の炎と右手をパシンと合わせると強く押し当てた。
「うぉおおおおおっ!!!」
呪力は実際の火力とは違うが当然高温のダメージがある。
「ぐっぅ・・・!!」
しかしその痛みと苦しみを耐え、押し付けると少しだけ右手に絡まる蜘蛛の糸が溶けだしようやく右の手のひらが自由になった。
『・・よしっ!』
するとそのまま右手からの祓に変換させ呪力の炎は銀色の浄化の炎へと姿を変え更にゴウッ!!と燃え広がった。
「小賢しい!!」
公子は史にその浄化の炎を撃たれる前に何としても封じようと先手を打つように肩に乗った母蜘蛛の背から蜘蛛の子らを一気に史に向かて放出した。
「!?」
大量の蜘蛛がワラワラと猛スピードで史に迫り狂う。
しかし史は手に込めた浄化の炎を大きく振りかぶり地面に打ち付けるようにして薙ぎ払った。
「ギギ・・!」
蜘蛛の子らは小さい呻き声と共に一斉に銀色の炎に包まれ、一気に浄化させられ塵となった。
「何ですって・・!」
その光景を見ていた汐音は一体何が起きたのか全く意味が分からないといった顔をしている。
公子と汐音は既に大分呪力を消費していた。
汐音はもとよりほとんど戦う呪力を持ち合わせていない。
公子は蜘蛛を他でも使役している。その上結界も張っている。
既にこれ以上戦いを続けるには完全に不利な状況になっていた。
史はこの隙を逃すまい。
そう思いもう一度勢いよく両手をパシィンと大きく打ち合わせた。
すると一気に史の周りに銀色の疾風が沸き起こった。
「・・まずい!!」
公子は急いで糸で浄化を防ごうと肩に乗せるを蜘蛛を上空に放ったが、しかしそれより早く史の右手の掌底が石畳の石に向かって〝祓〟を撃ち放った!!
ブワォォォオオ・・・ッ―――――!!!!
辺り一帯に強いつむじ風のような嵐が吹き荒れる。
その波動は渦を巻く様に境内の呪力を根こそぎ祓い消し去ってゆく。
「きゃ!!!」
公子はその波動に耐えられずその場に尻もちをついた。
手から放たれた蜘蛛もあっけなく祓われ塵となり大気中へと消えていってしまった。
「!!」
汐音も身構えていたが波動の渦から逃れる事が出来ずそのまま浄化を真っ向から浴びる。
すぐに波動は境内の周りを囲む竹林を大きく揺らし、そのまま上空へと抜けるように公子の結界までをもすっかり吹き飛ばして綺麗さっぱり消えて行った。
白菱稲荷神社の境内に突風のような衝撃が走り辺り一帯を駆け抜けると。
半地下にいる寿々と迦音にもその衝撃は伝わり、ガタガタガタガタと建物が大きく揺れ外で嵐が吹いたかと思ったその直後、迦音の首に巻かれた蜘蛛の糸と後頭部に張り付いていたジョロウグモは、まるで銀色の炎に焼かれたかのような輝きを発するとそのまま塵となって消えていったのだった。
「・・・・これは・・・」
「お母様の蜘蛛が・・・まさか」
迦音はその瞬間すくっと立ち上がると急いで持っていた座敷牢の鍵を使って牢屋の扉を開けた。
「迦音さん・・?」
「きっと今のは史の〝祓〟だと思います。一度くらっているので良く覚えています。そして史がお母様の呪力も結界も全て浄化したので蜘蛛がいなくなったのだと」
「そうか・・・史が」
寿々はその存在がすぐ近くにいるのだと知って思わず安堵してしまいそうになった。
「寿々さん、今の内にここから離れましょう」
「・・わかった」
そう言って寿々が座敷牢から出ようとしたその時
「・・・勝手な行動は困りますねぇ・・・・迦音さん・・・・」
「!?」
その声はゆっくりと階段を下りて引き戸の前に立ちはだかっていた。
「・・・お・・・お祖母様・・・・」
迦音はそう言うとその大きな体を一生懸命に小さくさせるように頭を抱え、酷く怯えながら後ずさった。
その姿はまるで反射的に殴られるのを庇う子供のような姿だ。
寿々はその人物を険しい顔でまっすぐに見つめた。
『あの人が・・・史の・・・お祖母さん・・・』
目の前には極めて小柄で細身、白地に灰色の水墨画のような模様が入った着物を来た60代くらいの女性が立っていた。
しかしその目つきは秦家の誰よりも遥かに鋭く・・・。
かつ、その瞳の奥は金色より鈍い赤黒い光を放っていた。




