第2話 正しい世界線
「三枝さん?」
握手を交わした史の左手の薬指にある指輪を見て寿々はまるで時が止まったかのように硬直していた。
「・・・・あ・・・・。えっと・・。よろしく・・・秦・・君・・」
寿々はその言い方で史を呼ぶ事でさえ抵抗を感じた。
あれだけ秦の家を憎んでいたはずが、4年後の史は寿々なしでどうやって乗り越えて来たのだろうか。それとも乗り越えなくても何とかなったのだろうか。
しかしそれ以上に今の史が結婚、もしくは婚約者がいる事の方が遥かにショックだった。
寿々は挨拶を終えると茫然自失のまま黙って席に着く。
『・・・俺、あれだけ史からずっとアプローチされ続けていたからすっかり勘違いしていたのかもしれない・・。そうだよな。俺がいなければいないなりに史の人生はちゃんと回って進むもんなんだよな・・・・』
そして顔面蒼白のままもう一度史の左手を見て思わず
「・・秦君ってまだ大学卒業したばかりだよね・・・。失礼な話かもしれないけれど、指輪してるって事はもしかして結婚しているの?」
と寿々は震える声を必死で抑えてそう聞いてしまった。
すると史は少し照れながら
「あぁ・・。いえ、結婚はまだです。一応年内にとは思っていはいますが。今はまだ婚約中って事になりますかね」
「へぇぇ・・・・。え?大学の同級生とか?」
「ええ。ゼミが一緒だった子で。・・俺恥ずかしながらずっと女性運が悪かったのでまさか大学で意気投合できる相手と出会えるなんて思ってもみなかったんですよ。ってこんな話初対面の先輩に言うことじゃないですよね・・はは。すみません」
そう照れながら本当に幸せそうな笑顔で笑う史に、寿々は凶悪な鈍器で殴られたかのような酷い衝撃を受け、もはや言葉に力が籠らない。
「そう・・なんだ・・・・へぇ・・」
『そうか・・大学に行けばそういう女の子とようやく巡り合えるんじゃないか・・。俺と出会ってなくて本当・・・・・・・良かったな・・・』
寿々はそう思いながらももう涙を抑えきれずに立ち上がると、一人スタスタとトイレに向かった。
そして個室に入って鍵を掛けると、声を押し殺しながら涙が止まらいほど号泣した。
『・・・出会ってなければ全て良かったなんて・・!・・・何で・・・。じゃあ何で俺は史と出会ってしまったんだ・・・・!!だって本当は史は俺なんて呼んでなかったじゃないか・・・!!』
「・・・・・・・ぅ・・う・・・。・・・そう・・か・・・。
先に呼んだのは史じゃない・・・・・・・・・俺なんだ」
寿々はようやくその事に気が付いた。
いつからだったかはわからない。
もしかしたら最初からだったかもしれない。
最初は日向吾を呼んだつもりだったのかもしれない。
でも最初に史の魂を自分に引き寄せたのは紛れもなく寿々本人だった。
寿々は今まで生きてきた中で何度も史の人生の糸を無理矢理引っ張った。
最初は10歳の時。上野で史の母ハンナと出会い、寿々はその時ハンナのお腹の中にいる史と出会った。
次は19歳の時。寿々はK学院大学博物館で。
そして24歳の時。史の父総司の担当になった。
28歳・・・。
いいとよのエレベーターで寿々は史を無意識に引き寄せた。
いずれも寿々にとって人生の転換期ともいえる辛い時期だった。
精神的に疲れ心が弱り、そして寂しくなり、どうしてもその魂に助けて欲しい・・会いたいと強く願った。
故に糸は絡まり捻じれ脆くなり・・・もはや千切れる寸前だ。
史はその寿々に引き寄せられる度に寿々を意識し次第にその存在に呼応するように寿々を求めた。
だから余計に糸は捻じれぐちゃぐちゃに絡まった。
『・・・・ここは、お互いが引き寄せ合わなかった、あるべき本当の俺達の世界線・・・。どちらも誰も不幸にならない。問題は何も解決しないが、それでも決してお互いを求め合わなければ今のように周りの人生を巻き込むことも、それによって悩む事も苦しむ事もない理想とする普通の人生があったはずなんだ・・・・・それでも・・・』
それでも寿々は元の世界に戻りたかった。
例えこの先寿々の糸が切れる事があったとしても。
一度出会って好きになって・・・そして愛し合って。
そうなってからの記憶を全てなかった事になんてどうしたって出来るわけがなかった。
自分勝手な望みだとはわかっていた。
だって自分さえ我慢すれば史は余計な苦しみに苛まれなくても済むし、自分だって鬼神の縄を解く事もなくそのまま寿命を全うする事もできたかもしれない。
でもどうやったってそんな事は叶いそうになかった。
寿々はきっとどの世界線に行ったとしても何度でも史の魂を呼んでしまうに違いない。
そして史も呼ばれたら絶対に寿々の事を必要としてしまうのだ。
だからこそこの正しい世界線は本当に理想的で残酷すぎた。
寿々はその日どうやって仕事をしてどうやって帰宅したのか分からなかった。
気が付けば梨華が待つ自分のマンションへ戻って来ていた。
「・・・・・・・・・」
梨華は妊娠中の不規則な睡眠時間なせいでソファの上でブランケットを掛けスヤスヤと眠っている。
寿々はその前にゆっくりと膝をつき床に座った。
「・・・・梨華・・。ごめん・・・」
寿々は思わず眠る梨華に謝った。
自分の気持ちが最初から梨華にちゃんと向いていなかった事を本気で心から謝罪した。
そして
「・・・ごめん。全部俺のせいだ・・・。俺の弱さが正しい世界線を捻じ曲げたから・・。だから君がそんな姿になって・・・そのせいで知念さんも死んだ・・・・」
寿々は顔を覆いながら涙を流し謝罪した。
「・・ようやく思い出してくれた?」
いつの間にか寿々の目の前にはあの顔の真ん中がぽっかりと穴が開いた子供が寿々と梨華の間に立っていた。
寿々はその姿を直視する事も出来ず
「ごめん・・・ごめん・・・全部俺のせいだ・・・。本当にごめん・・・」
と謝り続けた。
「本当はね・・・わたしこうやってママとパパの子供として生まれてきたかったよ・・普通の人間の子供として生まれたかったの・・・」
寿々はそれを聞いても泣きながら謝るしか出来なかった。
「・・・・ごめん・・なさい・・。本当に・・・・」
「でもパパは・・・ううん。パパじゃないね。わたしはもう別の存在として魂を消費されてしまってるから・・・。寿々・・・。寿々が史の魂と出会い選んだ時点で世界は変わった。わたしは魂を召喚され人工的に次元を操作する化け物にされてしまった・・・・。そして私は政府の配下として不要な人間を吸い込み次元の狭間に落とし続けるしか出来なくなってしまった。だから寿々の記憶を都合良く消させたのも、あの時あの場所で寿々ではなく知念が代りに犠牲になったもの全部・・・寿々の為の因果なんだよ・・・・。わたし、あの時寿々に触れて一瞬にしてそれが分かった・・・。何故ならばわたしが本来あなたの娘になるはずだった魂を持っていたから・・。だから寿々は救われたんだよ・・・全部因果なんだよ・・・」
「・・・・そうだ・・。俺の世界は俺にとって都合が良すぎた・・・。皆が俺を生かすために犠牲になっている・・・。全部俺が生きているせいで・・・皆が不幸になっている・・・・」
寿々は顔を覆いながら床に伏せた。
「・・・・だったら。この世界にずっといようよ・・・」
その子は悲しそうに寿々に寄り添った。
「・・・・・・・」
寿々は答えることが出来なかった。
「ここは次元の狭間にある並行世界の記録だけど・・・。それでもここで魂を最後まで費やす事だって出来るよ?暫く過ごせばここが本当の世界なんだってそう思えてくるし。・・・元の世界だって正直こことそう変わりはないんだよ。この世には真実の世界線なんてあってないようなものなんだから。わたしはもう本当の人間の子供にはなれないけれど、少なくてもその気分だけは味わえるはずだから」
そう言われたけれど、寿々にはとてもじゃないけれどここで暮らしていける自信なんか一つもなった。
史が他の誰かと幸せに生きるのをただ見守ることしか出来ないこの世界で人として生き続けるなんて出来るわけがない。
その先にあるのは・・・・自ら命を絶つ未来しかあり得ないからだ。
「もし苦しくて無理だったら、もう一度わたしが記憶を取ってあげるから・・・。ね?ここで一緒に3人で暮らそうよ・・・・」
その子は伏せる寿々の背中に優しくもたれるように寄り添った。
「・・・・・俺が君を救えるとしたら・・それしか方法はないの・・・?」
と寿々が質問をするとその子は
「・・・・・・・・・・・・・」
黙り込んでしまった。
そして小さく体を震わせながら
「・・・・救えない・・・・もう二度と救えない・・・ただこうやって次元の狭間から並行世界の夢を見る事だけが救いなの」
と悲しそうに答えた。
寿々はゆっくり起き上がるとその子をしっかりと抱きしめた。
「ごめん・・・」
そう寿々が呟くとその子は急に小さな子供のように大声で泣き喚いた。
「うわぁぁぁぁぁん・・・!!嫌だよぉ・・ここにいたいよぉ!!戻りたくない・・お願いだからここに一緒にいてよぉぉ!!」
「・・・一緒にいてあげたい・・けど。ここじゃだめなんだよ・・。ちゃんと戻って君の分も俺は責任を取らないといけない・・・」
寿々はそう言って優しく頭を撫でた。
それでもその子は泣き止まなかった。
「・・・俺もやる事全部やったら会いに行くから。また会えるから・・・。また・・・・」
そうやってぎゅっと抱きしめ続けていると、次第にその子の泣き声がどんどんと遠ざかってゆくのが分かった。
そして最後はまたチリチリジジジ・・・という電子的な響きにも似た音を聞いたかと思うとその子は寿々の腕の中からすっかり消えていなくなっていた。
「・・・・・・・・・・・」
目を開けるとそこは元の世界のリビングだった。
丁度向こうの世界で見ていたソファの場所にはいつも通りの本棚が置かれている。
すると背後から扉が開く音が聞こえた。
「・・・・・どうしたんですか?こんな真夜中に」
その声はいつもの史の声だった。
「・・・・・・・」
寿々はまるでゾンビのようにゆっくりと史に手を伸ばし・・
「?」
史は良くはわからないが、寿々を受け入れようと膝をついて手を差し伸べた。
そして寿々は涙で顔がぐしゃぐしゃになったまま史にしがみ付き。
「・・・・・ごめん・・・・・全部思い出した・・・・」
と振り絞る様な掠れ声でそう答えた。
その翌日
寿々は朝からいつも通りのテンションで、特に昨日の夜も深夜の事もすっかり無かったかのような雰囲気で史に話し掛けてきた。
「・・・俺やっぱり週末に知念さんの実家行って線香あげてくるよ」
「え?沖縄にですか?」
「うん・・・」
寿々はトーストを頬張りコーヒーで流し込む。
「だって俺のせいで知念さんが亡くなったようもんだから・・・。俺がちゃんとあいつらを説得出来ていればまだ生きていたかもれないのに・・・」
記憶を取り戻してからの寿々は想像以上に冷静に見えた。
しかしいつもながら寿々のその大丈夫そうな態度は史にしてみると不安しか感じないのだ。
「じゃあ俺も一緒に行きます」
と言うと
「はは・・・大丈夫。心配してくれてありがとう。でも今回は俺一人で行きたいんだ」
と少しやつれた顔でそう答えた。
その後二人は出勤し、電車の中で寿々は
「・・・いつか沖縄もゆっくりと行ってみたいよなぁ・・」
とポツリと呟いた。
「そうですね。沖縄だけじゃなく九州も四国も中国地方も。それこそ東北、北海道まで沢山ネタになりそうな怪異や伝説伝承、それから考古学や神話が沢山ありますからね」
「ああ。そういうの仕事関係なく行ってみたいよな!」
「行ってみたいじゃなく、絶対に行きましょうよ」
「ああ。絶対に行こうな」
寿々は史ににっこりと笑ってそう約束をした。
そしてその約束だけで寿々は幸せだった。
たとえそれが叶う事がなかったとしても。
その希望があるから今日もまた生きて行ける。
この世界線が例え間違っていたのだとしても
史を引き寄せたのも好きになったのも間違いだったとしても
やはり寿々にとってはそのどれも後悔はなかった。
しかし責任はとらなければならない。
この責任だけは絶対に守らなければならない。
自分の運命と向き合い。ちゃんと清算をして・・・・・・・そして。
寿々は隣で歩く史をにっこりと笑顔で眺めた。
「どうしたんですか?」
史は何だか困った顔をしている。
しかし寿々はそれには何も答えずまた前を向くと静かに笑った。
そして
『・・・・最後にはちゃんと。俺から解放してやらないとな
だからあともう少しだけ・・・・。このままでいさせて欲しい・・・・』
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