第1話 パラレルワールド
3月4週目
「・・そういうわけで。三枝君には色々と業務内容の変更をお願いしたいと思ってるんだ」
その日最上は会議室に寿々を呼び、4月からの編成について詳しい話をしていた。
「・・・・そう・・なんですね・・」
寿々は色々な変更についてショックを隠せなかった。
最上に言われたのは、
ひろせよしひろの呪物蒐集禄の担当を後藤へ戻すという事。
それから4月から入ってくる新入社員の教育担当がメインになるという事。
そしてそれに伴って月末で史の教育担当の終了。
という事だ。
「僕はやっぱり史君の教育を見ていて君はそういう対応がとても丁寧だし向いていると思っているんだよ。アガルタはここ数年新入社員が来る事がなかったけれど、去年は松下君以外にもそれ以前に一人辞めてしまっているのもあってね。今月いっぱいで菊池君が辞めるのも含めて人数が激減していたから新入社員が二人も来るのはとても喜ばしい事だけれど、それだけ手も足らなくなるんだ。だからこそ適任者が求められているんだよ。・・新入社員の一人は中嶋君に打診しているから三枝君と二人で何とかアガルタの編集部員とし立派に育て上げて欲しい・・・。お願いできるかい?」
最上にそんな言われ方をされたら寿々だって当然嫌だなんて言えるわけがない。
暫く黙り込んで考えた後
「・・・・・・・わかりました」
と元気なく答えた。
会議室から戻った寿々は大きなため息をつきながら席についた。
すると右隣りの史が
「・・・・どうしたんですか?」
と心配そうに聞いてきた。
寿々は何だか一気に疲れたような顔をして
「・・・・来月から新入社員の教育担当を打診されてしまったよ」
と何だかとても残念そうな顔で言うものだから史も既にその事は最上から聞かされていたものの。
「そうなんですか??・・・じゃあ俺の教育担当は・・・」
とやや大袈裟な雰囲気で聞き返すと、寿々は自分のショックの方が大きいせいかそのリアクションには気づかず
「今月いっぱいでとりあえず終了とのことだ・・・・」
と本気で辛そうな顔をしながら答えた。
「今月いっぱい・・・ですか・・・」
史はそう言いながらも騙しているわけではないが寿々に対してごまかしている事に物凄く心を痛めた。
「それにひろせさんの担当も、もう一度後藤さんに戻すって言われたよ。なんでも後藤さんも急に手が空いたらしく、ひろせさんと長い付き合いだからかまた担当に戻ってくれって言われたらしい・・・はぁ・・・。俺やっぱり知識薄いから付き合い方マズかったんだろうなぁ」
と顔を覆いながら天井を仰いだ。
「・・・・そうなんですか・・・」
史はそれについても、最上が知念の事をこれ以上寿々に触れさせない為に後藤に打診したことを聞いている。
最上も史も、事情を知らない編集部の全員がもはや寿々の為に状況の対応に追われていたのだ。
しかしその事を寿々が知ったらどうなるんだろうか・・・・。
史は正直その事全てを知ってしまった時の寿々の精神状態の方が気になって仕方がなかった。
その日家に帰って来てからも寿々はずっと元気がなく、史は心配になり何とか元気になってもらいたくて前に作ってかなり気に入ってもらった白だしのつゆに卵を溶いたうどんを作ったのだが、それも食欲があまりないのか進まない様子だった。
「・・・あまり無理しなくていいですからね。残り俺食うので」
いつもならひろせとコンビの淵本の動画を見ながら楽しそうに夕飯を食べていたのだが、今日はどうもそんな気分になれないのかテレビもつけずぼうっとしたっきりだ。
「あ・・いいや大丈夫。全部食うよ」
そう言いながら止まっていた箸を動かし寿々はうどんを啜った。
何となくだが最近は史が食事を作り、寿々が片付けをするというのが日課になりつつあった。
その後も寿々はずっとぼうっとしながら片付けをしていたので史も気にしながらも食後の読書をしていると。
「・・・なぁ、何だかやっぱりスッキリしないよな・・。俺がお前の教育担当終わるの・・」
と寿々は皿を洗う手を止めながらキッチンからそう話しかけた。
史も読書に集中できずに本を閉じると
「そうですね・・・。正直俺もまだ一人前とは言えないですし。何よりももっと寿々さんと一緒に企画を考えてレイアウト決めて取材して記事を載せて・・・まだまだそうやって一緒にやっていきたいとそう思ってます」
「・・・・・・・・・」
史にそう言われて寿々は暫く沈黙し
「・・・だよな。俺もそう」
そう言いながら再び食器洗い始めた。そして
「第一お前まだ一人で載せられる記事作れてないもんな!俺がそれを教えてあげなくてどうするんだっての・・。てか俺その為にアガルタに呼ばれたのに・・・」
そう怒りながら食器をガシガシと洗っているとその皿が手から滑り落ちシンクの中で音を立てて割れてしまった。
「ちょっと大丈夫ですか・・?そんな状態なら俺やりますから・・」
と言いながら寿々の元へと近づくと寿々の右手が皿の破片に当たったのか泡の上から血が滴り落ちていた。
「・・・・怪我してるじゃないですか・・。ほらもう俺代わります」
そう言いながら寿々の手を洗い流すと、寿々が黙り込みながら悔しそうに涙を流していた。
「・・・・泣かないでくださいよ・・。仕方ないじゃないですか・・」
史は寿々の手をタオルで拭きながら出血を抑えようとそのまま抑えた。
その光景を史はまるでオシラサマの時の逆だなこれ・・・。と懐かしくもあり、しかしそれと同時にやるせない気持ちでいっぱいになった。
寿々は史に手を抑えられながら、左手で眼鏡を取ると涙を拭う。
「・・はぁ。もう何なんだろうな・・・。記憶が欠けてる事とか知念って人の事忘れてる事とか・・・。本当俺どうしたって言うんだろう。そのせいで編集長にも皆にも気を遣わせてるし・・。ひろせさんの担当外されたのだって絶対にそのせいだし・・・」
史は寿々のその言葉に胸が苦しくなって動きが止まってしまった。
「・・・史。お前全部知ってたのか・・」
「・・・・・・・・」
史は寿々のそう言われてもうどうしようもなくなり、そのまま衝動的に寿々を抱きしめた。
しかし寿々は
「・・何でだよ・・。前に俺達ちゃんと話さないと絶対に悪い方向に行くんだって話しただろ!何で・・それでも黙っていたんだよ・・」
抱きしめらえながら寿々は悔しそうに抵抗しながら訴える。
史はそれでも寿々を離さずに
「・・言いましたよちゃんと・・・。でも寿々さんの記憶がないなら俺だってあの日何があったかなんて分かるわけがないじゃないですか・・・。それでも・・欠けた記憶が絶対にいい記憶なはずないってわかってたらそんな事言えないでしょ!・・俺にとっては寿々さんが何よりも大切なのに・・・」
「・・・・・・・・・・・・知念さんって人・・・・・死んだのか・・?」
寿々は史の胸で抵抗を止めそう呟いた。
史は泣きながらそれに返答はせずそのまま寿々を更に強く抱きしめた。
その後寿々は一人で考えたい、と言ってそれまではずっと一緒のベッドで寝ていたが、その夜はお互い自室で休む事にした。
史はおおよそ2週間ぶりに自室の固い床に布団を敷きその上で寝転がった。
『・・・もし寿々さんの記憶が戻ったらどうなるんだろうか・・・。既にメンタルが限界に来ているって言うのに、これ以上あの人が悲しむだなんて俺だって耐えられない・・・』
そう思い、流れる涙を懸命に抑えようと仰向けまま両手で顔を覆った。
史は寿々を守らなければ、という強い使命感だけが先行し、自分だってそんなに強いわけでもないのに無理して色々な重荷を背負い過ぎている事に気づいていなかった。
正直寿々よりも史の方がもはや限界だったのかもしれない。
寿々はパーテーション越しにリビングの方を向き、ベッドで一人で横になりながら眠れずにただぼやけた世界を眺めていた。
『・・・・・記憶を取り戻さないと。たとえそれが辛い記憶だったとしても。でないと俺これ以上壊れた存在のままこの世界にいる事なんてとてもじゃないけれど出来ない・・・』
するとふと背後に何か妙な違和感を覚えた。
「・・・?」
そしてゆっくりと振り返る。
「・・・・・」
しかしそこには何もなく、いつも通りのクローゼットだけのぼやけた視界が広がった。
「・・・・・・・・・・」
だが寿々はそこに何かがいる様な気がしていた。
こうやって眼鏡を取っているのに何も視えないのだからそれは幽霊とは違うのかもしれない。
あまりに気になったので少し体を起こし、その気配を感じる場所に手を伸ばした。
すると
指が触れたその先がチリチリっと微弱な静電気が走ったかの様な感覚があった。
良くは見えないのだが、どうもその静電気の様な反応に触れた部分がまるで液晶モニタが壊れた時のようなチラつきに見えたのだ。
「・・・・何だ?」
寿々は不思議になってヘッドボードに置いた眼鏡を掛ける。
すると目の前に顔の真ん中がぽっかりと空いた奇妙な子供がそこに立っていた。
「・・・・・・・・」
いつもの寿々ならば大声で悲鳴を上げていたことだろう。
しかし何故だか分からないが寿々はその存在に全く恐怖を感じなかったのだ。
眼鏡を掛けて普通に見える、逆に眼鏡を外すと見えない・・。
もう既にこの時点で寿々は良く分からなくなっていた。
『どういう事だ・・?幽霊ならば眼鏡を外せば視えるんじゃないのか??』
そう。
すでに寿々がその存在に触れた時点でその空間が・・摂理がおかしくなっていたのだ。
その子供は顔もないに何故か寿々に向けてずっとニコニコとしている。そんな気がした。
まったく悪意を感じないのだ。
そればかりか好意すら感じる。
そう思っているとその子供は
「・・・・やっぱり記憶返して欲しい?」
とちょっと困ったように聞いてきた。
寿々はその質問に
「・・・ああ。返して欲しい」
と素直に答える。
子供は少しだけもじもじと恥ずかしそうな仕草をすると
「じゃあねぇ。・・・ここの中を覗き込んで?」
と言って自分の顔の真ん中にぽっかりと空いた深淵を指差した。
寿々は少しだけ戸惑いもあったが、とりあえずそうしてみない事にはわからないと思い意を決してその子供の深淵の中に頭を入れた・・・・・・・。
と次の瞬間
スマホのアラームが鳴り響き寿々は目を覚ました。
「え・・・!??」
寿々は驚いて飛び起きた。
辺りはすっかり明るくなり、窓の外では雀が騒がしく鳴いていた。
「・・・・・」
寿々は咄嗟に眼鏡を掛け呆然としたまま辺りを見渡す。
確かに今しがたまで深夜だったはずだし、何よりも部屋の中にいたあの奇妙な子供もいなくなっている。
スマホを確認すると朝の8時だった。
「うっそだろ・・俺いつもアラーム6時半設定なのに!!」
そう言ってベッドから飛び起き、昨日あれだけ責め立てる様に言ってしまった史に謝らなければ、と思いパーテションを開けてリビングに出た。
「・・・・・・・は?」
そしてその目の前に広がっている景色に驚愕し動けなくなってしまった。
何故ならば部屋の内装が全く変わっていたからだ。
ソファがあった場所にはダイニングテーブルが置かれ、本棚があった場所にソファが置かれその前にテーブルがある。
「・・・なんだこれ」
その光景に意味がわからないとばかりに眉を潜めていると
「寿々おはよう。朝ご飯できてるよ」
という聞き覚えのある声がキッチンから聞こえ寿々はゆっくりとそちらを見た。
「どうしたの?・・・そんな怖い顔して・・」
そこにいたのは何故か別れたはずの間宮梨華だったからだ。
「・・・梨華・・・。なんでうちに・・・」
寿々は青ざめた顔で梨華にそう聞くと
「はぁ?何それ・・朝から笑えないんですけど・・」
とダイニングテーブルに綺麗に焼けた目玉焼き二つとサラダが乗った皿、それと焼き鮭の皿を乗せながら少し拗ねる様に寿々を睨んだ。
寿々は急いで
『史は!?』
と思い急いでソファ前の6畳の洋間の扉を勢いよく開けた。
「・・・・・・・・」
そこには先月末運び入れた史の机や本棚などは一つも見当たらず、代わりに新品のベビーカーがまだ箱の中に納まったまま色々な箱と一緒に詰まれいていた。
『・・・嘘だ・・何だこれ・・。これ絶対に夢だろ・・。そんなおかしいに決まっている!!』
梨華も流石に寿々の行動が異常だと思ったのか
「もぉ・・本当に朝からどうしたの??おかしいよ寿々。早くご飯食べて仕事行かなきゃでしょ?ほら、さっさと顔洗って着替えて」
そう言われ寿々は自分の震える左手を見ると、左手の薬指には指輪が嵌められていた。
「・・・・・」
そして呆然とした表情のまま洗面台に行って自分の顔を確認してみる。
その姿は特にいつもとなんら変わりもなく、眼鏡に顎鬚、そして変化のない童顔がそこには映っていた。
「何なんだここ・・・何で俺指輪なんかしているんだよ・・。だってこれってつまり梨華と結婚しているって事だろ・・・。じゃあ史は・・・史は一体どこにいるって言うんだよ・・・」
寿々は震えながら顔を洗う。
しかしその水の冷たさも頬を伝う水滴の感覚もとてもじゃないけれど夢とは思えなかった。
寿々は戸惑いながらもとりあず着替えを済ませダイニングテーブルに座る。
「じゃあ食べよ?」
梨華は手を合わせいただきますと小さく言うと朝食を食べ始めた。
寿々は目の前の綺麗でバランスの良い朝ごはんを見てもとてもじゃないけれど食べられそうになかった。
「あ、そうそう」
梨華はそう言うと自分のバックからモノクロの写真が連なったものを取り出した。
「昨日寿々遅かったから見せられなかったんだけど。昨日の妊婦検診のエコー写真。今5ヶ月目だからそろそろお腹も目立ってくると思うんだよね」
梨華が見せてきたのは胎児のエコー写真だ。
そこにはくっきりとその姿が写っている。
「まだ性別が分かるのは先だけれど。私はやっぱり一人目は女の子がいいなぁって思ってるんだ」
と幸せそうな満面の笑みでそう話した。
寿々はとにかくこの世界が現実でない事を祈るより他なかった。
例えこれが夢でなかったとしても、きっとどこかに現実に戻る方法があるはずだとそう信じずにはいられなかった。
結局朝ご飯には全く手を付けられずに寿々は仕事の鞄を肩に掛けると
「今日から新しい編集部なんでしょ?なんだっけ?えっとアガルタ?なんか寿々には向いて無さそうだけどめげずに頑張ってね」
と梨華が玄関でそう言って見送ってくれた。
玄関の扉を閉め、寿々は身動きできずに暫くその場で固まった。
しかしそうやっていても何も変化が起きるわけもなく。
とりあえずもう一度スマホを取り出して画面をチェックしてみた。
『日付・・・・203X年5月1日。・・・そんな俺4年以上も飛んでいるのかよ』
寿々はもやは何もかも分からなくなっていた。
昨日まで一緒にいたはずの史はいないし、4年も時が過ぎ32歳になってるし別れたはずの梨華と結婚して子供まで出来ているし。
この世界は一体なんだって言うんだろうか・・・。
そんな精神状態だというのにも関わらず社畜っていう生き物は悲しいかな、まるで帰巣本能のように会社へと向かってしまうのだった。
寿々はトボトボといいよとに入ると下の階へのボタンを押し、エレベーターを待っていると。
「お~三枝!!」
後ろから声を掛けられ、振り返った目の前には大和編集長の真崎がいた。
「おはようございます真崎編集長」
「ん?なんだ元気がないな?やっとあれだけ希望していたアガルタに今日から異動だって言うのに何だその暗い顔は??」
「俺がアガルタの異動を希望?」
「何言ってんだよ!お前4年以上毎回希望届け出してようやく叶ったんじゃないか!とにかく夢が叶ったんだから下行っても頑張れよ!俺もいつかアガルタの編集長になれるようまだまだ希望を捨てずに頑張るからさ」
そう言うと真崎は先に上に向かうエレベーターに乗って行ってしまった。
そのすぐ後に来た下行きのエレベーターに乗り込むと寿々は更に気が沈んできてしまった。
「どうせアガルタも俺の知らないアガルタなんだろうなぁ・・・」
そう言って地下1階のエレベーターを降りると廊下を更にトボトボと歩き編集部の中へ入った。
「おはようございます・・・・えっと・・。三枝です」
そう言って編集部内を見渡す。
すると入ってすぐの席にいたはずの丸の場所には誰も座っておらず、その奥に長髪だった篠田が短髪になって座っていた。
更にその奥に知らない女の子。そのはす向かいの史が座っていた席にも誰もいなかった。
反対を見ると副編の吉原、後藤、そして中嶋とその横に知らない男子。
その向かい側の席に浅野と左奥の席に高橋。
そして会議室前に最上という席になっていた。
知らない社員はいるものの丸と史がいない以外はそこまで変化は無さそうだ。
すると最上がニコニコとしながら近づいてきて
「やあ三枝君!やっと来てくれて嬉しいよ。さ、とりあえず皆に挨拶してもらおうかな」
「・・・初めまして大和から異動になりました三枝と言います。・・その・・。あまり超常現象とかには造詣がないので・・・。どうぞ皆さまのご指導をよろしくお願いします・・・」
寿々はもう本当に何もかもが嫌になってしまっていた。
こんな世界から一刻も早く逃げ出したかった。
皆知っているのに知らない人達ばかりだ。
「じゃあとりあえずそこの席に座ってもらおうかな」
最上が差したその席はいつもの自分の席だった。
「・・・はい」
寿々は暗い顔のままいつもの席へと向かう。
そしてその隣の席を見た。
するとその席のPC画面がついているのに気づき寿々は思わずドキっとした。
「戻りました」
そう言って編集部に入ってきたのは
「・・・史」
そう紛れもないあの秦史だった。
寿々はその姿を見ただけで思わず泣き出しそうになったが・・・。
「ああそれと三枝君、伝えてたと思うけど、異動してすぐで申し訳ないが。君の最初の仕事は今年入社したこの秦君の教育担当になるから」
と最上に言われると4年経って社員になった史は寿々の前に来てにっこりと笑い
「初めまして三枝さん。これからどうぞよろしくお願いします」
そう言って差し出した史の左手の薬指には指輪が嵌められていた。




