第6話 秦史
秦史という少年は実に不思議な人物だ。
見た目だけではなく、その考え方・性格・所作全てにおいて普通の高校生とはかけ離れていた。
史の実家は神奈川県のとある有名な神社の宮司を代々務めている。
父の名は秦総司。歳は49になる。
総司もまたその神社の宮司であり、そして都内のK学院大学の神道文化学の準教授でもあった。
母親はスウェーデン人で物理を専門とした科学者だ。
その昔総司がゲストで参加した『日本神話から読み取る物理学』というシンポジウムで当時留学生として参加していた母親と出会いその後日本で結婚をし、翌年に史が生まれた。
しかしながら二人の結婚は秦の本家から酷く詰られ、史を出産したばかりの母親はその後日本から追い出されるようにして母国へと帰っていった。
史は母親を追い出した秦家を憎んでいた。
勿論それを止めることも出来なった父親も同じくだ。
小さい頃から本家の祖母に厳しく育てられ、作法や武芸、舞学なども一通りやらされた。
それだと言うのに少しでも失敗があればすぐにお前は混血だからと見下され一緒に暮らしていた本家の従妹からも毎日の様に馬鹿にされ続けた。
祖母が母を追い出したという事は物心ついた時には親族から隠される事なく大声で聞かされていたので、ちょっとした親族の集まりでは父親の総司が大学の仕事で不在になる事もあり、そんな時はもはや見世物のように扱われその度に史は一人涙を流し秦家への恨みを募らせたのだ。
小学生になると史は何度も家出を繰り返し、その度に祖母に酷く叱責された。
そして小学校2年生のある時、もう家に帰らないと心に決め実家から少し離れた山の中にある廃神社で3日間過ごすと言うことがあった。
廃神社の周りには何もなく時々二ホンジカだかの野生生物が近くまでやってくる以外は誰とも遭遇する事がなく、史はその時生まれて初めて自由になったのだと心から喜んだのだ。
そして廃神社に来たその日の夜、それは起こった。
夜ただただ静まり返った社殿の中で一人上着を掛けて横になっていると、社の周りを誰かが歩いているような足音がして目が覚めた。
最初は昼間見た二ホンジカが来ているのかと思ったのだが、どうも音が違う。
ザッザッザッザッ・・・ある一定の速度で反時計回りで何周も何周も社の周りを歩いているのだ。
あまりに気なった史は社殿の扉を少しだけ開けて外の様子を観察してみたが、扉から2メートルくらい離れた場所を足音だけが何度も何度も通り抜けていくだけだったのだ。
しかし史は不思議と怖くはなく、ただソレを見てやろうと必死に何時間も扉の隙間から外に目を向けた。
どれくらい時間が過ぎたのかはわからない。
その内疲れからか少しだけ瞼が落ちてきたその時。
史は初めてその姿を捉える事ができたのだ。
瞳の奥でぼんやりと紫色に光る輪郭がまるで透視したように社の周りを歩いている姿が脳裏に浮かんだのだ。
ハッして目を見開く。しかしやはり目を開けるとそこには何もなくただ足音だけが辺りに響いている。
史はもう一度扉に手をかざし集中して目を閉じた。
するとやはり頭の中に社の周りを歩く紫色に発光する何かが浮かび上がってくるのだ。
それが何なのかは分からなかったが、史はどうやら目で直接視ることは出来ないが人ならざるモノを第六感で感じ取る事が出来るのだとその時初めて自覚したのだった。
その後捜索願いが出されていた史は3日後地元の消防団に保護され、また大嫌いなあの家へと戻されることになった。当然祖母は烈火の如く怒り狂い、史は暫く学校に行く以外は家に軟禁されるようになった。
それを見かねた父の総司は本家の猛反対を押し切り、当時勤めていた大学の近くにマンションを借り史を無理矢理実家から引き離し、そこからは二人で暮らすようになったのだ。
だが史の崩れた心と断ち切られた家族の繋がりは当然ながら修復は不可能であった。
総司は朝から晩まで大学に勤め、週3で神奈川の実家に戻り宮司を務める生活だ。当然親子の溝が埋まるわけがない。
しかしながら史はそんな事よりもあの地獄の様な家から出られた事ですっかり元気を取り戻し、父親との溝など微塵も気にする事もなくその後小学校3年生で自分の事は全て自分で行い、自立した人生を歩む事になる。
生きてきた18年間子供らしい人生を一度も送れなかったとしても、幼い頃のあの悲しみをを思えば大抵の事は何とでもなったのだ。
高校生になる頃には史の透視の能力はひと際冴え渡っていた。
感覚としては探したい物へ意識を集中させ手をかざすとその物が象徴的な色や形に発光しその場所を知らせるといった感じだ。
それは人でも物でもそうでないモノでもある一定の範囲でならば感知する事ができるのだ。
ただしそうでないモノはいつも消えたり現れたり不安定な動きをする為、必ずしも見つけだす事ができるわけではない。
そしてとりわけ他人の腹の内を透視しようとする場合だけは特に注意しなければならなかった。
史の能力では心の中や思考そのものを読み取る事は出来ないのだが、悪意があればそれが具現化して見えてきたりもする。例えば殺意は刃物などの象徴的な形をして腹の中で黒いモヤに包まれている様子が見えるのだ。
これに気づいた頃、面白半分で何人かの同級生や担任の腹の中を探った事があったが、どれ一つとして気持ちの良いものはなかったのでそれ以降は無闇やたらと他人の腹の中を探るような事はしないように決めていたのだ。
「強引に自覚させようとしても無理か・・・・」
史は呟くと階段へ向かう寿々の背中に向けてゆっくりと左手を掲げ目を閉じた。
瞼を落として意識を集中させると史の頭の中にこのF棟の全体像がまるでシミュレーションでも見るかのように俯瞰図で降りてきた。
そこから自分の手のひらに向けて更に意識を集中させる。
するとぼんやりと輪郭だけ前を歩く寿々が見えてきた。
史は更に寿々の内側へ意識を集中する。
次第に寿々の内側にうっすらと何かが見えた。それは形あるモノだ。
『・・・・四角い・・・箱?』
その箱のような物体はどうやら厳重に縄でグルグル巻きにされて中の様子を伺う事は出来ない。
史は普段ならばこうやって他人を勝手に透視するなんてことは絶対にしない。
寧ろ頼まれてでもしないのだが、どうしても寿々だけは気になって仕方がなかったのだ。
『なるほど。恐らくあの縄を切らないと寿々さんの本来の能力を引き出すのは無理そうだな』
そして勝手に見続けるのをやめようとしたその時、一つ上の階。3階の一番奥301号室で突然黒い物体が発生するのを感じ取ったのだった。
さっき401号室の村田の部屋に黒い影が入り込んだと寿々が言っていた時、村田の部屋の前でその姿を捉えようを右手をかざしたが、あの時は一切何も感じ取れなかったのに。何故か今は301号室に恐らくソレが突然湧いた様に出現したのだ。
史は急に音も立てずとんでもない速さで廊下を駆けだした。
ちょうど階段を下ろうとしていた寿々の真横を足音もなく風圧だけ残して更に3階へと駆け登る。
寿々はその姿に驚き思わず大声を上げそうになったものの、寸で口をつぐみ史の後を急いで追った。
「いきなりなにやってんだよ・・・アイツ!!」
小声で呟き3階の廊下へ上ると左右を確認する。
驚く程の身体能力で史は足音もなくものの数秒で301号室の前までたどり着いており、次の瞬間にはその扉を開いていた。
「はぁ・・・はぁ・・何やってんだよ・・・いい加減にしろよ」
運動神経と体力が皆無な上、今夜は怪異にまで遭ってヘトヘトな寿々は301号室の入口につくと息を切らし、大声を出さないよう史を叱った。
しかし史の方を見ると彼は目を瞑り左手を部屋の中に向けじピクリとも動こうともしなかった。
「はぁ・・?何してるんだよ史?」
寿々は史がかざす手の奥、部屋の中が気になってチラッと史の横から中を覗き込んだ。
先ほど佐藤が言っていた様に部屋の中は空き室の為真っ暗で、更に公園からの街灯が逆光になっていて詳細を捉える事は出来ない。
・・・・・しかし寿々は気になって更に部屋の中を注視した。
良く見ると床に大きい物体と小さい物体が転がっているように見える。
「何だあれ・・・何か・・・」
寿々はそこまで呟いてところでそれが何であるかに気づき、ハッと息をのんだ。
「人が・・・!!」
反射的に部屋の中に助けに入ろうとしたその時、目を瞑ったままの史にガッシリと腕を掴まれた。
「ダメです!絶対に入らないでください!」
「何言ってんだよ!だって中に人が倒れ・・・・」
そう言ってもう一度部屋の中を覗くと先ほどまで見えていた床に倒れる人影は忽然と消えていた。
「・・・・あれ?」
そして次の瞬間キッチンの隣の和室からドスン!という大きな音と共に細長い物体が欄間からぶら下がる様にブンブンとキッチンと和室を宙ぶらりんの状態で行ったり来たりしはじめたのだ。
欄間の部分には紐の様な物が括り付けれており、そこからぶら下がったその胴体は揺られながらもバタバタともがき続けそのうちビクンビクンと手足を何度も大きく痙攣させた。
寿々はそれが何なのかすぐに分かると声にならない悲鳴をあげた。
「ひっ・・・・・!!!!」
逃げ出そうにも先ほどからずっと左腕を強く史に握られて逃げ出す事も出来ない。
「寿々さん・・・何が視えているのかは分かりませんがそれは全て黒い影が見せいてる幻覚です。絶対に動揺して動いたりしないでください。」
「何言ってんだよ・・・だってお前。黒い影が見えているのか?」
あまりの恐怖で今にも泣きだしそうな寿々は口を覆いながらも返答するのがやっとだ。
「いいえ直接視えてはいません。ですが、こうやって瞼を閉じ手をかざすとどこに何がいるのかだけは分かるんです。そして今、この301号室の中に黒い影がいます」
「影?・・・俺には見えないけど。さっきみたいにハッキリとは・・・」
目を閉じた史は301号室の壁全体に漆黒のモヤが上から下へ、下から上へとウネウネと蠢いている姿を脳内ではっきりと捉えていたのだった。
次の瞬間3階の廊下の蛍光灯が305号室の方から勢いよくパンッ!!とはじけたかと思ったらそのままどんどんこちらに向かって立て続けに割れ始めた。
「!!!」
一番手前、301号室前の頭上にある蛍光灯が割れると辺りはより一層暗くなりそしてピタっと突如辺りの虫の音が一斉に止み静寂が訪れた。
史は何かに気づきふいに掲げた左手を天井へとバッと向けた。
『上に!?』
そして目を見開いた次の瞬間。
上階からドタドタドタドタドタ、という棟全体に響き渡る鈍い足音と共にどこからともなく
「ぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああ!!!!!!」
という女性の唸り声が聞こえて来たかと思うとバタン!!!っと真上の401号室の扉がが開き
「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
団地全体に響き渡る程の壮絶な叫び声を上げ、その声と共に4階の廊下から勢い良く女性が堕ちてきたのだった。
その声をそのまま追っていた二人は叫びながら落ちるその人物の大きく見開いた目とばっちり目が合ったかと思うと次に瞬間には下のアスファルトの上にバアンッ!!!!と叩きつけられる音を聞いた。
あまりの衝撃に寿々は史の腕にしがみつきその場で硬直した。
史は寿々の腕を離すと急いで下を見下ろす。
地面では401号室の村田が頭から血を流し、手足を歪に曲げた状態で倒れていた。
すぐさまスマホを取り出すと史は急いで110番へと掛けた。
「救急車を!!はい、飛び降りです。住所は・・・・・」
寿々はその間一切動く事も出来ずただ壁にもたれるとズルズルと力なくその場にへたり込んでしまったのだった。




