第1話 松下
2月初旬
この日は日曜日であったが、寿々と史は先週末に起きた現代妖怪の記事を依頼していた朝霧からのトラブルの件で三軒茶屋にある雑居ビルを訪れていた。
「ここ・・・有名なポルタ―ガイストが起こるビルじゃないですか・・・」
史は雑居ビルを見上げそう呟いた。
「ええ!?ポルタ―ガイスト??」
寿々はそう言われて途端に怖くなり体をぐっと縮ませた。
「寿々さん・・・相変わらず心霊ダメなんですね・・」
史は今だに全く心霊に慣れない寿々を少しばかりうんざりしている様子だ。
「大丈夫にはならないっつの!!」
寿々のその堂々と怖がる姿を最近は可愛いとも思えるようにはなったが、正直仕事に支障が出るので本当にいつかは心霊をもう少し怯えなくなりますように。と史は心の中で願った。
そしてふと左手を上げそのビルの中を透視する。
ビルの中が透けて浮かび上がり俯瞰するように中の様子が視てとれた。
するとビルの中は至る所に黒や紫、赤、黄色・・・とにかく種類豊富な目に見えない人ならざる存在がうようよと蠢いているでないか・・・・・。
史もかつてないレベルの幽霊ビルで正直驚いた。
と同時にとても興味が湧いたのだが・・・・・。
「・・・で、何が視えたんだ??」
隣で怯えるこの男の事を考えると本当に中に入れていいものか急に不安になった。
『まぁ・・・でも寿々さんって素で幽霊視えるわけじゃないんだよな。確か裸眼だと視えるって言ってたし』
「・・・・とりあえず大丈夫そうなので中入りましょう」
と史はスタスタとビルへと入っていってしまった。
「え?大丈夫なんだよな??本当に??」
寿々も怯えながら後を追う。
松下の会社はビルの一番上7階とのことだ。
ビルを入って通路突き当たりのエレベーターが開くと二人は乗り込んだ。
寿々は前情報のおかげですっかりビビり散らかしているせいなのか、いつもより史との距離が近くなっていた。
怯えた草食動物の様に明らかな緊張をしている寿々を見下ろし史は。
『まぁこれはこれでありだな・・・』
などとその時は暢気な事を考えていた。
エレベーターが7階へ着くと通路がL字に広がり、降りて左すぐが松下の映像制作会社との事だった。
史は扉の前に来ると、インターホンを鳴らす。
安っぽい乾いたチャイム音がした後すぐに中から扉が開き松下が出てきた。
「おお、史。久しぶりだな」
松下は相変わらずな雰囲気で人を見下すような目で史を見るとその後ろにいた寿々に
「三枝さん久しぶりです!またお会いできて光栄です」
と気持ちの悪い笑顔で話しかけた。
「・・・お久しぶり・・です」
と寿々も一言だけ返す。
「は?松下さん何で寿々さんと面識あるんですか?」
史は挨拶もせず松下が寿々と会っていた事にいきなり切れ気味に質問する。
寿々は去年の忘年会に乗り込んできた事をあえて史には話していなかった。
「・・・へぇ・・・・まぁ入れよ」
そう言われて二人は事務所の中へと入った。
中はワンルームのやや狭い間取りだが、半分を仕切って撮影スタジオとして利用しているらしい。
ブル―バックや背景用の呪物の様な悪趣味なオブジェが沢山飾られている。
「・・・・・」
寿々はその雰囲気にすっかりビクビクしてしまい、とてもじゃないけれど以前松下に会った時のような堂々とした態度は取れそうになかった。
「俺、去年のアガルタの忘年会に乗り込んだんだよ。あれ?誰もそんな事言ってなかったのか??はぁ~冷たい奴らだなぁ、長年一緒に働いていたってのに」
松下は撮影スタジオの反対側にある大きな楕円テーブルの椅子に腰を掛けた。
「・・・座れよ」
と二人にそう指示すると、目の前で煙草に火をつけ吸い始める。
その臭いに史も寿々も眉をひそめた。
「・・・・・で?うちの朝霧の件だけど。ちゃんとこっちが提示する金額で雇ってもらえないならばアガルタの記事を書かせるわけにはいかねぇのよ・・・」
と松下は初手から完全なケンカ腰で話してきた。
「・・・アガルタの原稿料は松下さんも知ってるでしょ。それで今まで朝霧さんとも仕事してきたんですから。それを今になって変えろって言うんですか?」
史は松下に負けじと凄みを出して言い返す。
しかし松下はそれを鼻で笑い
「だからさぁ。俺はそういうライター達を低賃金でこき使うようなアガルタの体制が嫌で辞めたんだよ。俺はライター達をちゃんとしたコンテンツとして扱わない出版業界に嫌気がさしたわけ。あいつらの生計を立てさせ、これからもいい記事や取材をバンバンやってもらいたい、あいつらにはそのポテンシャルがあるからそんな安い原稿料じゃ書かせられねぇんだよ!」
松下の話しを聞いて寿々は少しだけ思う所はあった。
確かにアガルタの原稿料は他と比べて高いとは言えない。
基本取材費も最低限しか出せないので場合によってはライター達は自腹を切って取材をする事になる。
原稿料でいくらかは補えても恐らくそれでプロとして生活していくのが大変なのは明らかだった。
「松下さん。とりあえずは希望する金額の見積りを頂いて検討させてもらってもいいですか?ここで俺らが判断出来る事ではないので。あと今後松下さんの所のライターさんたちに仕事を依頼をする場合の契約事項など詳しく書いた約款も併せて頂けると助かります」
と寿々も真顔で松下に話す。
すると松下はフッと一瞬笑うと後ろの机からA4の茶封筒に貼った書類一式を机にポンと置いた。
寿々はその封筒を開け中の見積書を見る。
その原稿料の金額は今までの倍近くになり、とてもじゃないけれどその条件をこのまま飲むのは難しそうだとすぐにそう思った。
アガルタを辞めた後、松下は付き合いのあった心霊・オカルト系の著名ライターをごっそり囲いこの会社を作ったのだ。
業界でもこの手のディープな内容をきちんと書いてくれる人材はとても貴重だ。故に松下の事務所を通さないと今後朝霧を筆頭に色々なライターに仕事を依頼する事も難しくなるのは正直アガルタにとっては痛手だった。
「でもまー・・・正直言うと俺はそこまでアガルタとギスギスしたくはないんだよ」
と急に手のひらを返したように話す。
「はぁ?」
史はその反応に嫌悪感を見せた。
この1週間、朝霧の件で色々と頭を悩ませていたのに急にそんな事を言われたらキレて当然だ。
「三枝さん・・・だから前に言ったでしょ。アガルタとのコラボをやりましょうって。うちの動画チャンネルとコラボして記事を毎月連載させて頂けるのならば、原稿料は今まで通りで構いません。うちのチャンネルもアガルタの名前を使えれば箔が付くし広告収入も増えていくことでしょう。そうすればライター達の収入も増え生活も今よりかはマシになる。取材費も捻出できればもっと面白いネタをどんどん出せるようになるってわけです。どうです?誰一人不幸にならない!素晴らしい提案だと思いませんか??」
松下の提案は確かに理想論ではあるが、寿々は正直その話には乗り気ではなかった。
正直に言って松下のチャンネルはまだ開設したばかりだ。何年も動画配信をしている有名な心霊系チャンネルと比べてもネームバリューがない。
とてもじゃないけれどそんな事が叶うはずないのだ。
史は何か言いたそうにしてるが、寿々の立場を考えてぐっと言葉を押し殺した。
「・・・ひとまずは善処します。とだけ言わせていただきます」
寿々も苦い顔をして一度問題を編集部といいとよに持ち帰らなければならなかった。
寿々と史はそれだけ言うと立ち上がり事務所を出ようとしたのだが。
「あ!」
と松下がそれを遮った。
「俺いい事思いつきましたよ三枝さん~!」
と松下は急に寿々に近づいてきた。
寿々は松下に染み付いたの煙草の臭いに顔をしかめる。
「今から実際に心霊ツアーへご招待します。当然このツアーの内容は記事にして公開して頂いて構いません。勿論無償でご提供します。うちが提供する心霊コンテンツに少しでも価値があると認めて頂けたならば是非とも持ち帰って交渉材料としてください」
寿々は松下の言っている意味が分からなかった。
「心霊ツアー・・・?」
「そうです。気づきませんでしたか??このビルはこの界隈ではポルタ―ガイストや霊障が起こるビルとして有名なんですよ。勿論この部屋でも怪現象は昼だろうが夜だろうが頻繁に起きます。是非ともそれを取材してどれだけうちの提供する企画に価値があるかその目で確かめて下さい」
と松下は大真面目な目で寿々を見つめた。
寿々は一瞬にして顔が青ざめ。
「いやぁ・・・別にそれは今日じゃなくても・・・いいかなぁ・・」
などとしどろもどろになる。
史も
『まずいな・・このまま松下さんの口車に乗せられ寿々さんが心霊ツアーなんかしたら交渉以前に恐怖で気絶してしまうかもしれない』
と先ほど視た人ならざる存在の数々を思い出し急にどうしようかと本気で悩んだ。そして
「寿々さん。松下さんの言う事に乗らなくていいですよ。とりあえず今日は引き上げましょう」
と助け船を出す。
寿々もそれを聞いて少しだけ安心し
「ああそうだな。・・・じゃあその提案はまた後日という事で・・」
と言ったところで
「ああ??史ちょっとお前黙っとけよ!俺は三枝さんに話してるんだよ。いいかバイトは口出すな!」
と史を睨み指差した。
「バイトは口出すな」はアガルタにいた時に何度となく松下に言われた言葉だ。
史は数か月ぶりにその言葉を聞いて本気でキレる寸前だった。
寿々はそのやり取りを見てこのまま交渉が編集部に戻る前に決裂することだけは何としても避けたかった。
「わ・・・わかりました!・・・」
寿々は全くもって本意ではなかったが、松下の提案を受けざるを得ないと返事を返してしまった。
すると史も不安になり寿々を説得する。
「何言ってるんですか?今日それを受ける必要はないんですよ?今日は話しをしにきただけなんですから」
と必死に止めようとする。
「だからぁ史!!」
とまた松下が史を押さえつけようとすると
「松下さん!・・・提案は受けますから史にそういう言い方をするのやめてもらえますか?あなたがアガルタにいた時の史は確かにただのアルバイトだったんでしょう。でも今あなたはもうアガルタの人間じゃない。だからそういう態度でうちの編集部員を見下すのだけは許せません」
寿々は心霊ツアーへの恐怖はあるものの、必死に毅然とした態度で松下に抗議した。
その発言を聞いて松下は薄ら笑う。
「はは・・・ふふふふ」
寿々と史はその松下の笑いに同じ嫌悪感を抱いた。
「な~んか・・・・三枝さんも史も・・・・気持ち悪いな」
寿々はその言葉にドキッとし、言葉がすぐに出て来なかった。
「大体何で史は三枝さんを名前で呼ぶんだ?お前の教育担当だろう?その馴れ馴れしさ尋常じゃないぞ。・・・・まるで三枝さんに惚れているみたいですんげぇ気持ち悪い・・・」
その言葉を聞いて寿々はさっき史に従ってすぐに帰らなかったことを酷く後悔した。
「だったら何だって言うんですか。松下さんに何か支障でもあるんですか?」
史は隠す気もなく本音を言った。
「ちょ・・史!?」
「は?・・・ははははははは!!おいおい嘘だろう??お前マジでそうなの??・・・まさかそっちの方だったとはねぇ。・・・てか三枝さんだってのもびびるけど、それより教育担当にそういう感情抱くなんてマジで夢見すぎだろう??はは、まさかお前がそんな恥ずかしいやつだったとはなぁ!」
松下はひとしきり史を馬鹿にすると腹を抱えて大笑いした。
その間史は一切表情を変えず松下を睨みつけた。
「は~腹痛・・・っ、大体三枝さんだってそんなのいい迷惑だろう?ねぇ三枝さん?」
と急に寿々に話しを振るものだから寿々もこの展開をどうやって切り抜ければいいのかと頭をフル回転させた。
「俺は・・・」
そう言ったところで史が寿々の話しに割って入る。
「当然でしょ。俺の一方的な感情なんでいちいち寿々さんにそんな事聞かなくてもいいんですよ」
史は寿々を庇い何も喋らせないよう遮った。
「へぇ~・・・・・・」
また松下の「へぇ~」だ。
寿々は以前松下が言っていた「俺は驚くほど勘のいい男なんですよ」という言葉を思い出した。
確かに松下は人間関係の色々な事への直感能力がずば抜けているのは確かなようだ。
ただそれ故に誰も松下に深入りしたがらずにアガルタ編集部の誰もが今までコンタクトを取ろうとも思わなかったのかもしれない。
「まぁクソ笑ったし。お前の事なんてどうでもいいや・・・・」
松下はそう吐き捨てると。
「・・・じゃあとりあえず三枝さん。まずは手始めにこのフロアにある空テナントへと行きましょうか。是非ともちゃんと動画を回して現象を逃さないようにお願いしますよ・・・」
と松下は先頭に立って事務所のドアノブを回した。




