第1話 責任者
1月の3週目
その日いいとよ出版の代表取締役社長、権田原時子は会社役員一同と共に社長室にて新年の厄払いの祈祷を受けていた。
いつもは応接として使われているスペースには立派な祭壇を設け会社の繁栄を願い皆一様に神妙な面持ちで祝詞を賜っている。
そしてその祭壇の前で祈祷をあげているのは史の父秦総司だった。
全ての祝詞が終わり、総司に促され一人一人順番に玉串を祭壇に捧げる。
そして総司が儀式を締めると会社役員はそのまま会議室へと移動していった。
「秦先生・・・本当にいつもお世話になります。これでいいとよはこの一年無事に過ごせることでしょう・・」
黒のパンツスーツでカチッと身を固め、身長はそこまで高くはないもののヒールを履いて伸びた背筋と美しい見た目はとても今年還暦を迎えるようには見えない。
そんな権田原時子は片付けをする総司にそう言って挨拶をした。
「いいえ、私の方こそいいとよ出版さんには大変お世話になっておりますので!それに私にはこういう事でしか恩返しも出来ません。ご心配事などあればいつでもまたお声がけください!」
史の父、秦総司は普段は都内の大学で神道文化学を教える准教授として勤め、更に週末は神奈川の実家で宮司を務めている。
年は今年で49歳。身長は180㎝と高く、しかし普段からデスクワークが基本な為気が抜けるとすぐに猫背になってしまう。
顔は流石に史の父親なだけあり端正ですっきりとした美しさがある。顔立ちなどは本当に史と似ているのだが、どうも自信のなさそうな態度と腰の低さで5割程勿体ない印象を受けがちだ。
総司は祝詞をあげていた時とはうってかわって今は若干おどおどとした雰囲気で社長の時子への対応に手こずっている様子だった。
そこへノックがされアガルタ編集長の最上が入ってきた。
「失礼します」
そう言うと最上は時子にまるで軍隊の上官に対する程の仰々しいお辞儀をする。
「最上。・・・最近地下の方で色々と騒がしくしているそうじゃないですか?」
最上は頭を上げずにそのまま
「・・・・はい」
とだけ答えた。
「頭をあげなさい・・」
時子は最上に命令するように言うと今度は振り返り、総司に向き直った。
「秦先生?」
総司は急に時子に呼ばれてドキっとして冷や汗が額ににじみ出てきた。
「・・・・はい?」
「先生のご子息の身の回りで、最近色々と物騒な物事が起こっているようですけれど。ご存じでしたか?」
総司はそう言われ昨年末の史のストーカー事件を思い出し、父親として本当にいたたまれない気持ちで更に冷や汗が出て来た。
「・・はい。その節は本当にご迷惑をおかけしまして・・・」
「ではそのご子息の事件でわが社の社員が怪我を負った事も勿論ご存じですよね?」
時子にそう言われ総司は動きが止まった。
「・・・すみません。それは本当に知りませんでした・・。」
総司は警察の話しで史のストーカーが捕まって傷害罪で逮捕されたという事と、史からではなく最上から史は怪我を負っていない事しか本当に聞いていなかったのだ。
だからまさかその件でいいとよの社員が怪我をしていたなど今日まで全く知りもしなかった。
「え・・最上さん?」
総司は青ざめた顔で最上を見た。
「最上は何故秦先生にその事を黙っていたのです?」
時子はカツカツとヒールを鳴らしながら社長机へと向かい椅子へと腰を掛けた。
「・・・すみません。息子さんにどうしてもちゃんと自分で話したいと言われたもので・・・」
と言うとまた時子に向かって頭を下げた。
「・・・・・」
総司は呆然としている。
「・・・わかりました。ではその事については改めて責任者同士できちんと話をつけなさい」
そう言うと時子は机の上で両手を合わせ、険しい顔をして話し出した。
「最上?・・・地下がちょっと騒がしいくらいでは私は何も言いません。・・・ですが正直あまり度が過ぎる不祥事が続けばいずれ編集部の存続も考えなければならない事は理解した上で今後とも業務にあたるように・・・」
「・・・はい」
最上も表情を変えず丁寧に頭を下げる。
「では先生をお部屋にご案内したら、お見送りまで頼みましたよ」
そう言われ最上と総司はそのまま社長室を後にした。
アガルタ編集部では正月明けの進行という事もあり、来週の校了を前にいつも以上に慌ただしい日々が続いていた。
篠田や中嶋、後藤はライターとのやり取りで日中から出たり入ったり。そう思ったらまた外に出て行ったりと、とにかく誰かしらがバタバタと動き寿々も校正の山と担当の呪物蒐集禄の記事待ち。そして来月号から始まる心霊写真検証のページと目まぐるしい日々が続いている。
寿々はようやく修理に出していた眼鏡が直り、慣れないコンタクト生活から愛用の金縁眼鏡に戻った事で少しだけ落ち着きを取り戻していた。
しかし顎鬚の方はまだ綺麗に生えそろえるのが難しく、休みを跨がないと無理そうだと今はまだ諦めていた。
「三枝?そのゲラ終わった?」
丸からせっつかれチェック済のものだけをまとめ、
「あと少しなのでとりあえず終わったもの戻します」
そう言って丸の所まで行くと
「あと、例の心霊写真検証の記事。まだ終わってないみたいだけどどうなの?」
と聞かれ
「あとは史がやっているページ待ちなんですけれど・・・まだ色々と悩んでいるようで。もし間に合わなそうなら週末以降は俺が変わろうかと思ってます」
「うん。まあそれならばいいんだけど。史もまだまだこういう作業慣れてないだろうからさ。やらせるのはアタシも大賛成なんだけど逐一確認して、ダメそうならすぐにフォローしてやってね」
と丸は今までずっと分かっていて黙っていてくれたのだろうが、締め切り間近という事で一応とばかりに寿々に念を押した。
「わかりました、大丈夫です」
寿々はもう木曜日になるので今日史が出社したら付きっきりで見てやらないといけないかもな、とちょっとだけ不安になってきた。
本当は極力口を出さないで作業が順調に行けばいいと思っていたのだが。やはり初めての誌面となるとそう簡単にはいかないし、何よりも史は正直レイアウトやデザインのセンスが思った以上にない。ただ放置してやらせてしまえばとてもじゃないけれど載せられるようなページにならない可能性もあるのだ。
寿々は時計を見て時間を確認した。
午後3時半
あと1時間もすれば史が学校を終えやってくるだろう。
それまでに他の作業を終えないと、と思い寿々は再び席に戻ろうとしとその時、
「三枝君!忙しいところ悪いけどちょっといいかい??」
編集部の入口で最上とその横にもう一人見覚えのある男性が立っていることに驚いた。
「秦先生!!!」
寿々は急いで入口に駆け寄る。
編集部の一同も寿々のその声に驚き、皆手を止めそちらを注目した。
「あ、お忙しいところすみません・・・。私史の父、秦総司と言います。息子が大変お世話になっております。」
と総司は小さな声で猫背を更に丸くして全員に向けてお辞儀をした。
寿々は最上に連れられて史の父総司と共に会議室へと入り、編集部一同はその異様な光景に注目したのだがアクリル板で仕切られた会議室は最上によって全てブラインドを下され隠されてしまった。
「え・・・どうしたんですか??」
寿々もどうも二人の様子がおかしいので急に緊張して仕方がない。
ブラインドが全て閉められ外から中の様子がわからなくなると
史の父総司は急に床に膝をつき、寿々に対して土下座をした。
「三枝君!!本当にすまなかった!!」
「ええっ!!ちょっとやめて下さい!なんで秦先生が土下座なんてするんですか??」
寿々も急の事で酷く驚き、頭をあげない総司を無理矢理にでも起こそうとして床に座った。
「君が史を付け回していた相手から刺されていたなんて・・僕本当に今日まで全然知らなくて・・・もうどうお詫びしていいいのか・・」
総司は頭を下げながら半泣き状態で寿々に必死に謝罪した。
「いやまぁ、だってあれは事件・・と言うか史君だって被害者なわけですし・・・。まさかあのタイミングで俺の方に来るだなんて誰も予想出来なかった事なので。本当今はもう傷も良くなってますからそこまで気にしないでください」
そう言いながら総司の肩に手をやると総司もようやく頭を少しだけ上げ
「・・それでも僕はいつまでたっても史の親として失格で・・・本当に情けない・・・」
と正座をしたまま本気で悔しそうに床を見つめ呟いた。
「先生、とりあえず椅子に座って話しましょう。謝罪は十分頂きましたので」
と寿々がにっこりと笑いながら話しかけると、ようやく総司も立ち上がり椅子へと座ってくれた。
総司と寿々が隣り合わせで会議室の椅子に腰を掛けると、今まで黙っていた最上も対面する席に座り
「三枝君。僕からも謝らせて欲しい。僕も史君がちゃんと自分で秦先生に話したいと言う言葉を信じ。知らなかったとはいえ結局秦先生への連絡が遅くなってしまい本当にすまなかった・・」
「編集長まで本当に大丈夫ですから・・・」
寿々は改めて今日になってこんな大事になるとは想像すらしていなかったので、本当に困惑したのと同時に一気に疲弊もしていた。
「三枝君・・・史が僕に説明できなかったのもこうやって謝罪が遅れたのも全部僕のせいなんだ・・」
総司はまだ半泣きのまま説明をし始めた。
「・・事件後は史も部屋からほとんで出て来なくて・・僕も事が事だっただけに無理に聞くこともできず。また年末は僕がずっと大学の研究所にいて家に戻れていない上に、正月は史はスウェーデンへ。僕は実家の神事で・・と、本当にまともに話をする時間もなく今日になってしまった・・・。だからこれは全部僕の責任なんだ」
寿々は史が父親の事を避けているのも、また総司も不器用がゆえに史に対して異常に過敏になって怯えている事も。本当に全てがかみ合わないこの親子にむしろ同情しかなかった。
「僕は本当に親として失格で・・史には子供の頃からずっと嫌われていて・・。でもそれも当然のことなんだ。僕みたいな人間は親になってはいけなかったんだよ・・・」
寿々は4年前に総司の本の担当をしていた。
その仕事は寿々にとっても特別な事で、雑誌編集だけでなく初めて書籍担当をした一冊でもある。
なので総司がどういう性格なのかもよくわかっていた。
総司はとても不器用で融通が利かない根っからの学者気質であり、また才能があっても酷く自信のない性格で。ゆえにあの時も本を完成させる為にほぼ毎日総司を励ましに自宅へと足を運び、とにかく必死で完成させた事を思い出した。
「先生・・・そんな事言わないでください」
寿々は少し悲しそうに総司にそう言った。
総司は寿々を見てその顔に驚いた。
「史は一生懸命頑張ってますよ?俺も史がどういう幼少期を送っていたとか・・そういう事は詳しく知りません。ですが、それでも今はアガルタの編集者になる為に毎日必死に頑張っています。・・先生が人一倍自信のない方なのも良く知っています。ですが親になってはいけなかったなんてそんな悲しい事決して言わないでください。先生がそうやって自分を否定したら史はどこにも居場所がなくなっちゃうじゃないですか・・・」
「・・・・・・」
総司は寿々にそう言われて俯きながら眼鏡を持ち上げ袖で涙を拭った。
「・・・・そうだね。本当に君には親子してこんなにも世話になってしまって・・・何と言うか君がいてくれて本当に良かったよ」
そう言うとようやく総司もようやく泣き止み顔をあげてくれた。
「先生・・」
「・・?」
寿々は総司が元に戻った事を見てから早々に需要な話題に切り替え提案をする。
「ところでそろそろ史が来ますが・・・・どうします?」
それを聞くと総司は慌てて大きな鞄を抱え立ち上がった。
「い、い、今すぐ帰ります!!こんなところを史に見られたら恐らくあの子・・・金輪際僕と目も合わせてくれないでしょう・・・・」
そう言う総司の顔はとても冗談を言っているようには見えず、本気で怯えていた。
「じゃあ三枝君、僕は秦先生を送ってくるから。戻って来たら僕からも少しだけ話してもいいかい?」
最上は少し意味深に問いかける。
「・・・はい」
寿々も返事をしながらも、何か他にもあるのだろうか?と不安になった。
午後4時半になった頃、編集部に史がやってきた。
相変わらず皆忙しく仕事に集中していたが、
「おつかれさまです」
という史の挨拶に一同が一瞬だけピタっと動きが止まると・・・また再び何事もなかったかのように動き出したのだった。
「・・・?」
不審そうな顔をしながら自分の席へと来た史は
「寿々さん・・・今のなんです?」
と直接寿々へ聞いてきたのだが寿々は内心
『俺にきくな・・!』
と叫んだ。
「ん?・・なんかあったのか?」
感情を出さないよう無表情を取り繕い苦し紛れにごまかしたが・・。
しかし史はまだしっくりときていないようで、首を傾げながら上着を脱いで仕事の準備を始めた。
寿々は総司を見送りに行ったまま戻らない最上も気になるし、史が来るまでに終わらせたかった作業がまだ残っているしで本当に頭の中がパンクしそうだった。
史はPCを起動させるとマイペースに仕事を開始させていたが、正直今日帰るまでには絶対に作業の確認をしなくてはならず。その声掛けをどのタイミングでしようかという課題も寿々の中である意味勝負所でもあった。
するとようやく最上が編集部へと戻って来て
「三枝君!待たせて悪かったね!!」
と入口から入ると足早に会議室へと向かい、寿々へ手を振ってこっちに来るようにとサインを送る。
「今行きます!」
返事をしながらようやく終わったゲラをすべて丸へと渡すとその足で再び会議室へと向かった。
二人は会議室の扉を閉め改めて椅子に座った。
「三枝君。さっきの話もちゃんと謝罪したいんだけど。その他にもゆっくりと聞きたい事や話したい事があってね」
最上も急いで戻ってきたせいか少し呼吸も荒く口調もいつもより早口だ。
「はい・・。どうしましょう時間が掛かりそうですか?」
と寿々も作業が詰まっているので正直に質問をする。
「そうだね・・・じゃあ悪いけど今日8時に上がってちょっと一緒に飯でも食いながら話すとかでもいいかな?」
最上にそう言われ時計をもう一度見た。
8時まで3時間半を切っている。
作業内容を考えるとかなり厳しいと言わざるを得ない。
しかし最上もあえて締め切り前のこのタイミングで話したい事があるという事はそれなりに重要な事なのかもしれない。
寿々はそう考え
「わかりました。じゃあ8時までに何とか切り上げますので・・」
と返事を返した。




