第2話 幽霊団地
秦史と三枝寿々はタクシーと電車を乗り継ぎ、本社から約50分程離れたとある郊外の公営団地群へとやってきていた。
移動の途中、史から特に記事の説明もなく「現場に行ったら説明しますよ」とだけ告げられ、その間心霊やオカルトへの不安で胃をキリキリとさせられていた寿々は現地に着く頃にはすっかり疲弊しきっていた。
一人慣れた足取りで高校生らしい軽快な歩幅でスタスタと進む史に続き、少し遅れてげんなりとした表情のアラサー男子寿々は猫背気味に歩きながらふと周囲に目を向けた。
そこには特別珍しいわけではないが様々な年代を感じられる団地の建物が道から道へとどこまでも続いている。
通りを挟んで左を見ればそこには比較的新しく作られたであろう高層階の先進的なデザインの団地。右を見ればやや老朽化が見られる平成中期に見られた様な少し凝ったデザイナーズタイプの中高層階の団地が建ち並んでいる。
途中学校帰りの小学生や中学生とすれ違ったりと、なんら不気味な雰囲気を一切感じられない穏やかな日常がそこにはあった。
季節は11月初旬。朝夕少し肌寒さを感じるものの、その日の日中は見事な秋晴れで風も心地良くどこからともなく香ってくる金木犀の匂いに寿々は少しだけ癒されたのであった。
暫くして二人は大通りから右に折れ、更に団地の内部へと入ってゆく。
すると徐々にだが先ほどの穏やかさとは明らかに違う印象のなんとも言えないノスタルジックな光景がそこには広がっていた。
こちらの団地は相当な年季が入っている。
建物と建物の間の道では数人の小学校低学年の子供たちがボール遊びをしているかと思えば、他の一角では携帯機で対戦ゲームをしている高学年の男の子も見られる。
さながら昭和か平成の世にタイムスリップをしたのではないか?と思わせるような錯覚さえ感じられた。
史は歩くペースを変えず先行して団地の中心にある小さな公園へと入っていった。
寿々もようやく速足でそれに続く。
公園のベンチに背負っていたバックパックを置くと史は公園をぐるりと回りはじめた。
『はぁ・・・。もういちいち話しかけるのも面倒くさいな・・』
寿々は史の行動に干渉せず一人ベンチに腰をかける。
史はしきりに団地の上の方を気にしているようで。色んな棟を見上げては何かをメモ帳に書き記していた。
今時の高校生がアナログなメモ取りをしている光景はある意味新鮮である。
しかし寿々はそんな光景にも一切興味を示さず一人ベンチで項垂れたままだ。
しばらくすると下を向いた寿々の前にスッと月刊アガルタが差し出された。
「なんだ?」
「寿々さんはアガルタを読んだ事ありますか?」
「え・・・。まぁざっくりとは・・・。っていうか下の名前で呼ばないでもらえるかな?ぶっちゃけ失礼だぞ?」
「確かに自社の発刊している出版物全てを読むのは無理ですよね。でも、アガルタを読まない理由は偏見があるからじゃないんですか?」
「いや、ていうか秦君は人の話を聞かないタイプなのかな?」
史はバックパックを挟んで寿々の隣に座るととあるページを開いてそれを突き出した。
「?・・・・・『幽霊団地の真相を徹底調査・ポルターガイストに霊能者が続々と集結』・・・」
寿々は突き出されたその記事に渋々目を通す。
よく見れば記事は2000年に書かれた記事のようだ。当然その当時の事をまだ幼かった自分が知るわけもない。
その記事によればG県のとある町の公営団地で次々と奇怪なポルタ―ガイスト現象が多発し、怯えた住民が耐えかねて自治体でお祓いを依頼するも全く効果はなく、その一連の出来事の噂を聞いた新聞社が取り上げた事によって報道番組にまで波及し、全国から霊能者が続々と集まり「この場所は昔処刑場だった」やら「霊道を塞がれているように建てられているのが原因だ」やらと根拠のないホラ話をしてはメディアやその視聴者までもが謎解きに沸く相当な大騒動になった事が事細かに書かれていた。
「・・・・ま、オカルトが好きな人ならば興味を持つ記事だろうけど」
寿々は自分でもかなりセンスのないコメントを返したと思った。けれど、本気でこの記事の内容もこの事件も滑稽に思えたのでそれ以上の感想などあるわけもなかった。
「これは僕が生まれるずっと前に起きた騒動になりますが、寿々さんはこの一連の一体何がここまで注目されるきっかけになったと思いますか?」
「きっかけ・・・?そりゃあ、ここに書かれているとおり怯えた住民の噂を新聞が取り上げた事でメディアが殺到し一躍大騒動となったんじゃないのか?」
「それは文面だけを要約して解釈したにすぎませんよね?」
「いやいやだってそうとしか書かれていないじゃないか・・・」
寿々は史の意図が全く読めなかったし、正直読み取ろうともしていなかった。
しかし史はまるでスイッチが入ったかのように饒舌に語り始める。
「実は今回の特集を始めるきっかけになったのがまさにこの2000年初頭に起きた幽霊団地の記事だったわけですが。この騒動がやたらと大きく騒がれたおかげでその後似たような幽霊団地の事例を耳にする事はすっかり減ってしまったようなんです。前任者の先輩は僕よりそういった団地怪異や事故物件への取材や知識も豊富で2ヵ月前初めてネットでここの噂を聞きつけて来た時はそれはもう意気揚々と取材の段取りを決め、先月こちらで取材を始めるまでは特に大きな問題もなく『幽霊団地』というのはただのネット上の噂話程度でしかなかったのです。しかし・・・」
急にベラベラと話始める史に寿々は正直ドン引きしてはいたものの、流暢に話す彼の美声をどうも聞き流す事も出来ず、思わず制止するのも忘れそのまま耳を傾けてしまった。
「驚く事にこの取材を始めてからすぐにとある一棟だけまるで夜逃げでもするかのように次々と住民が退去していってしまったんです。信じられますか?たった1ヵ月で9室の住民が退去してしまったんですよ。全部で20室あるうち入居していたのは13室だけというのにです。そこで例のG県の幽霊団地の一件ですよ。かつてその団地に各地から霊能者が集結してより一層騒然とする中、その建物で起きたのが全室の扉にお札が貼り付けられるという迷惑行為です。実は先月ここの団地でも同じ事が起きました。しかしそれだけが原因ではなく実は以前からまことしやかに噂されていた『黒い影』を深夜全室の住民が目撃するようになったそうです。その『黒い影』は夜23時過ぎに棟の4階全ての廊下をズルズルと音をたて徘徊していたそうで、一人の住民は誰かの悪戯だと思いその影が自室の前を通過すると同時に扉をあけて確認をしたところ廊下には人影など見当たらず、そして扉に1枚のお札が貼られていたそうです。まぁ通常お札と言えば魔除けのお札かと思うじゃないですか。でも実際貼られていたのがコレです」
そういって史は学ランの内ポケットから1枚のお札を取りした。
寿々は史の話を聞いてすっかり凍りついていた。そしてその取り出した1枚の札に触るのを躊躇い、手を出さずにゆっくりと覗き込む。
「実はこの呪符は通常ならば魔除けとして使われる図符なのですが、それが反転書きされているんです。つまり鏡文字ということですが。するとこれを扉に貼り付けるという行為はどういう意味になると思いますか?」
「まさか・・・逆の効果がある、って言いたいのか?」
「その通りです。外側からは邪気が通り抜けられるように。また扉の内側から邪気が出ないように、そういった意味合いで書かれているようです。」
そう言うと史は再び平然とその札を学ランの内ポケットへとしまい込んだ。
「住民の大半は勿論その時点ではほとんどは真に受けてはいませんでした。ただ実際『黒い影』を目撃している事もありそれまでただの噂だと思っていた心霊現象が急に信憑性を増してしまったのです。更にここに住んでいた住民の多くが年配の方ばかりでしたのでかつて2000年の幽霊団地騒動でメディアが大きく取り上げた数々の怪異や心霊体験の話を記憶している方も数名いました。そんな中とある住民が過去にあった一家心中の幽霊が再び出現したのではないかと騒ぎたてると噂はたちまち広がりついには恐怖でパニック状態が連鎖し、あっという間に退去者が続出したというのがここ最近までの出来事になります」
「さて最初の質問をもう一度させてください。寿々さんは2000年に起きた騒動の一体何がそこまで注目されるきっかけになったと思いますか?」
「結局・・・それって集団心理とか・・・恐怖による同調。恐らくポルタ―ガイストの一つ一つは科学的にほぼ実証できる事ばかりだと思う。しかしその最初のきっかけは恐らく・・・数人。もしくはとりわけ一人の人物があえて大きく騒ぐ事で恐怖を煽った可能性もある・・・」
その答えを聞いて史は満足そうにそして不気味に笑った。
「最初に言っておきます。もう分かっているかもしれませんけれど。僕は超常現象を確信している方です。基本怪奇現象はありきで物事を捉えています」
『そんなところだろうな・・』
寿々は確かにそれについては想定内であった。
「2000年に起きた騒動は実はメディアによって有耶無耶にされている事が沢山あります。実際多くの現象は科学を持ってすら解明出来てない事ばかりです。メディアは幾らでも都合のいい様に書き換える事ができますからね。室内に現れた幽霊の姿、電源が入っていないのに勝手に風を吹き出すドライヤー。怪音に至っては現象の7割がいまだに証明出来ていません。そして証明できない都合の悪い現象に関しては住民の戯言とし闇に葬ってしまいました。僕はそのメディアの懐疑的な行動が寧ろ世間の心理を煽って事態が悪化したのだと考えています」
「それで?今回こそは霊の存在を証明するとでも言いたいのか?」
「はい、勿論です。というかもう僕の中では既に確証すら得ています。実際前任者の先輩はここで例の『黒い影』を目撃し逃げる途中で階段から落ちて全治2ヵ月の怪我を負った事で退社してしましました。僕はここでその『黒い影』の正体を証明させて特集記事にするつもりです。ですから寿々さんとは正反対の考え方なので今の寿々さんが答えた超懐疑的な回答は到底受け入れがたいです。・・・ですが故に真理の一片を捉えているのも事実だと理解しています。寿々さんは是非ともその懐疑的な視点で全ての心霊現象を見ていて欲しいんです」
「は?何・・言ってんだ??」
寿々はこの目の前の変人高校生が流石に気味悪く思えてきていた。
「だから言ったでしょう?貴方とならきっといい記事が作れると思うって」
史はそう言うとまた元に戻ったかの様にあどけなく笑ってみせた。
しかしそのコロコロと変わる表情に寿々はすっかり不気味さしか感じなくなっていた。
長話をしているうちにいつの間にか日はすっかり西に傾き棟と棟の間から穏やかな夕日が公園を照らしている。
と、ちょうどその時地域の防災無線から17時半を知らせるチャイムが空に鳴り響いた。
道や公園で遊んでいた子供たちが一斉に元気よく別れを告げると方々に散ってゆき辺りは一瞬にして夜へと姿を変えてゆく。
周りの棟では一つまた一つと部屋の明かりがつけられ、その光景を寿々ははまるで異世界に来たような風景だと感じていた。
そして少しだけ遅れてようやく公園の街灯がチカチカという音とともに灯りはじめた。
その一番最初に点いた街灯の向こう側。
寿々はそこの1棟にだけ何故か妙な違和感を覚え、目を離すことができなかった。
部屋の明かりは三つ。明らかに他の棟と比べて灯が少ない。際立った不気味さがその1棟にだけあった。
ゾゾっ、と背筋にまるで鋭利な刃物でも突き立てられたような悪寒が走る。
間違いない。今目の前にあるのが噂の『幽霊団地』だ。
それは史に聞くまでもなかった。
懐疑派の寿々でもそれは十分理解できる。
「そろそろ時間ですね。さ、取材に行きましょう」
そう言うと史は自分のバックパックを担いで目の前に佇む『F棟』の階段入口へと足を進めた。
寿々は
『心霊現象なんかあるわけがない!大丈夫・・・。人為的な悪戯だという証拠を掴めばいいだけだ・・・そうすれば何も恐れる事などない!』
そう心の中で呪文の様に繰り返しながら額に滲む冷や汗をグイっと拭い意を決し史の後を追った。




