第3話 赤
寿々は謎の女にナイフを突きつけられたまま、女が指定した公園の近くでタクシーを降りた。
タクシーから降りた隙に全速力で駆けだそうかと考えていたが、女は降りる前から寿々の腕を両手でがっしりと掴み更に周りから見えないように左脇と袖の間にナイフとぐっと押し付けた。
どう考えてもここから振りほどく事など不可能だった。
とにかく少しでも刺激したら動脈を切られ一貫の終わりなのだ。
「・・・逃がすわけないでしょ」
女は再び小声で寿々を脅した。
女はその細い体のどこにそんな力があるのかと思うほど寿々の腕を力強く鷲掴みにし、脇にナイフを突きつけたまま公園内へと寿々を連れ込んだ。
公園の入り口近くはクリスマスシーズンで一部ライトアップされ、それなりの人が歩いていたが女は寿々をそのまま足早に人気の無い一角まで連れてくると急に立ち止まり、
「さあ史を呼びなさいよ」
と命令してきた。
寿々も公園から史の家が近い事は、かつて史の父親の本を担当していたので良く知っている。
この女はあくまでも史を呼び寄せるために自分を人質にするつもりなのだ。
『冗談じゃない、なんで俺がこんな目に遭わないといけないんだ・・・』
寿々はナイフを突きつけられながらも抵抗するつもりで沈黙した。
しかしそれはあくまでもこの女がただの脅しでナイフを向けているだけだろう、とどこかでそう思っていたからかもしれない。
しかし次の瞬間寿々の左肩に電撃のような衝撃が走ると、女の持っていたナイフがコートを貫通し自分の皮膚を突き破って肉を割いているのを目の当たりにしたのだった。
「え・・・・・・・」
寿々は痛みよりも驚きで頭が真っ白になった。
「早くしろ!!」
そして左肩が急に熱くなり痺れと共にコートから腕を伝って血がボタボタと滴り落ちた。
寿々はあまりの衝撃とショックでゆっくりとその場にうずくまった。
女は呆然としてままうずくまる寿々の鞄を取り上げ、中からスマホを取り出すと無理矢理顔認証を解いて電話をかけ始めた。
「・・もしもし寿々さん?どうしましたか?」
電話の向こうから聞こえてきたその声に女は心の底から喜んだ。
「史君・・・・」
その一言を聞いた途端に史は全身の毛が逆立った。
「今井先輩・・・なんで・・寿々さんの番号から・・・」
今井は4年ぶりに史と話せた事が嬉しくてその場で奇声を上げて喜んだ。
「ヒィィッ・・フェ・・・ふひとくん!!!あっはははっっっはぁあーー!!」
その気の狂った声に史もうずくまる寿々も言葉を失った。
「ふふふ・・・今から、いい~もの見せてあげるから早く駒沢公園へ来てよ。・・・・・・・・・・・・・・・・ま、来ても来なくてもやる事は同じだけどね」
そう言うと女は通話を切って寿々のスマホを放り投げた。
「あっはははははははは!!!!!!」
「・・・・なんでだ・・・俺はあんたに恨まれるような事は何もしていない・・・」
寿々はうずくまりながら女へ小さな声で答える。
すると女はぴたっと笑うのを止め、うずくまる寿々の刺した左肩を力一杯足蹴りして上から睨みつけた。
「!!・・ぅう・っぐ!!」
壮絶な痛みで全身に電気が走る。
「何言ってんの??・・・あたし全部見てたのよ・・・・史があんなに、あんな顔して笑った事なんて一度だってなかった・・・あんな顔で笑うなんて知らなかった。・・・・・・あれはあたしの知っている史なんかじゃない・・・・全部あんたが史を変えてしまったのよ・・・!」
女の言っている事は支離滅裂だ。
寿々にはちっとも理解出来なかった。
「最初は史と一緒に死のうと思った。・・・けれどそれじゃ意味がないってわかったのよ。あたしは史に苦しんでもらいたいの・・・永遠にあたしを想い続けて欲しいの・・・・・だからあんたを殺して私も死ねば史は永遠に私の事を忘れられなくなる・・・クックック・・そうでしょ?」
『だめだコイツ・・・・話をしてどうにかなるような感じじゃない・・・どうすれば』
寿々は地面スレスレまでうずくまり、目の前の左肩から流れ出て公園の遊歩道のタイル地に吹き溜まった自分の血を見ながら次第に気が遠くなってゆくのを感じた。
でももし今ここで意識を失えばその直後にそのまま滅多刺しにされるかもしれない・・・・。
寿々はそんな瀬戸際でひたすら自分の血溜まりをただただ見つめた。
ふと辺りから音が一切消え静寂に包まれた。
顔を上げると目の前で女が音も無くこちらを睨むようにしてゆっくりと揺らめいている。
辺りを見回してみても遠くで車のライトだけが流れ、しかしその音も一切しない。
ただ公園の木々だけがそよそよと擦れ囁いていた。
寿々は一瞬、また幽霊団地の時の様な金縛りにあったのかと思ったがどうも違う。
今回はちゃんと手も動くし首も上げられる。
つまりこれは金縛りではないのだ。
そして再び自分の腕から流れ出た血溜まりを見た。
すると・・・その血の中からプカリと紐で括られた小さな赤い箱が浮かび上がってきたではないか・・。
しかもその赤い箱は耳の奥で聞こえる自分の心臓と同じ鼓動で脈打っている。
静寂の中微かに箱からは声が聞こえてきた。
耳を澄ますとそれは赤ん坊の泣き声だ。
寿々は何でかわからないが、突然その紐を解かないと!という焦燥感に襲われた。
そうしないと助からない・・・・・。
そう思ってしまったからだ。
ふと顔を上げると女が目の前まで迫って来ていた。
女は音もなくゆっくりと寿々をめがけてナイフを振りかぶった。
寿々は急いで血溜まりから浮き出た赤い箱の紐を解き放った。
そして震える手でその箱を開けようとそした次の瞬間。
けたたましい程の犬の鳴き声と老婆声の念仏が耳のすぐそばで響き渡り、その音の大きさに驚くと思わず箱から手を離して耳を覆った。
とその時、ナイフを振りかぶった女が寿々目の前から近くの芝生の方まで一瞬にして3メートルほど吹っ飛んだ。
同時に辺りの音が元に戻り女が悲鳴をあげて地面に落ちてゆくのを目にした。
「・・・・・・・」
その光景に唖然としているとすぐ横に史が立っている事に気が付いた。
史は間一髪のところで女に体当たりをして吹き飛ばしたのだ。
史はそのまま吹っ飛んだ拍子に手から落ちたナイフを反対の方へ蹴り飛ばす。
そして寿々の元へと駆け寄ると
「寿々さん意識ありますか?僕がわかりますか??」
と声を掛けてきた。
一連の事があまりにも一瞬すぎて寿々は理解するまで数秒かかった。
「・・あ・あぁ・・・まだ意識はある」
「すぐに警察と救急車が来ますからもう少しだけ我慢していてください」
そう言うと史は再び立ち上がり女の方へ向かった。
「よせ史!」
鬼の形相で今井を見下ろす史。
今井はゆっくりと起き上がると芝生の上に足を広げたまま座り再び奇声を上げて泣きながら笑い始めた。
「はっ・・ははははははははあははっははは!!!んぐ・・・・ぐぐぐぐ」
そして大声で笑っていたかと思うと急に顔をくしゃっとさせ、ワンピースのポケットからもう一本の折り畳みナイフを取り出し自分の喉元めがけて勢いよく突き上げた。
「!!!」
寿々は思わず目を逸らしてしまったが、史は今井が突き上げようとナイフを握った手を長い脚で器用に蹴り飛ばし、ギリギリのところで今井の自死を食い止めたのだ。
気づくと公園の入口にパトカーと救急車が入ってきていた。
そしてそれからほんの数十秒足らずで今井は警察に取り押さえられ、茫然自失のままパトカーに乗せられてそのまま連れていかれたのだった。
深夜2時
救命救急センターに運ばれた寿々は左肩の治療を終えて待合席へと自力で歩いて出てきた。
暗がりの病院の長椅子の一番端で史が椅子の上で膝を抱えるようにしてうな垂れている。
寿々は史に近づくと史がゆっくりと頭をあげた。ちらりと見えたその目は真っ赤に腫れている。
寿々はあまり力の入らない右手で史の頭をくしゃくしゃっと撫でた。
「出血はそれなりにあったけれど、傷口は3㎝深さ1.5㎝と思ったより軽傷で済んで良かったよ。特に入院も必要はないけれど、明日また来いってさ」
寿々は史の横に腰を掛けると、
「・・・・俺・・・・・正直言って今、人に頼んで寿々さんを無理矢理アガルタに呼んだ事をめちゃくちゃ後悔してます・・・」
史はそう言って再び腕の中に顔を伏せた。
「俺・・・・・生まれ育った家で祖母や親族から酷く蔑まされて育って、父親もほとんどそばにいなかったから小さい頃からずっと一人だったし。いつの間にか自分は一人でも全然平気な人間なんだとすっかり勘違いしていました・・・。アガルタの人たちもそうだけど、団地の特集からずっと寿々さんと一緒に仕事していて本当に嘘みたいに毎日が楽しくて。・・・・・でもそれが一瞬にしてなくなる事もあるんだと思ったら、一人になることがこんなにも怖いだなんて・・・ちっとも知らかなった・・・・」
寿々はその言葉を聞いて史の『複雑なんですよ』の意味を理解した。
同時にやはり境遇が愛犬の日向吾と重なり、自分も日向吾が亡くなった時の事をふと思い出してしまった。
「・・・前に俺、子供の頃犬を飼っていたって言っただろう?名前は日向吾って言ってさ、生まれてから10年以上人間から虐待を受けてようやく保護された犬だったんだ。最初会った時は本当に怯えて近づくことすらできなかったんだけれど。あの頃の俺は日向吾と何となく話が出来るような気がしていて毎日色んな事を話したよ。それから約5年間、日向吾と過ごした毎日は本当に楽しかった。でも9歳の時、別れは突然やってきた。
日向吾は日に日に食事の量も減り、最後はほとんど眠るように過ごした。
母からそういう時期なのだと聞かされ、でも俺は日向吾と別れたくなくて毎日毎日天に向かって日向吾を連れていかないでと強く願ったよ。
しかしその願いも虚しくその後日向吾は静かに息を引き取った。
あの日程悲しくて辛かったこともないだろう。
自分はまた置いていかれたんだとそう思った。
父も日向吾も何で自分を置いて死んでしまうんだろう・・・・。
母もきっといつか・・・・皆自分を置いていってしまうんだ。
そして自分は一人になるんだ・・と・・」
『今の史は本当にあの頃の自分そのものだ。
境遇は違えど皆どこかでそういった感情を抱えて生きている』
「確かに一人になるのは本当に辛い・・・。でも史が今それに気づけた事にはきっと意味あるんだと思う。それにいつかはそうなるのだとしても・・・・・それは今じゃないだろう?」
「・・・・・・・・」
寿々の言葉に史はハッとさせられた。
「現に俺はまだ生きているし、せっかくこれだけ頑張ってオカルトや超常現象を勉強しているんだからそんなに簡単にアガルタを辞める気もないよ。そりゃあ企画を考えるのは本気でノイローゼになりそうだけれど・・・」
寿々は史の方を向くとにっこりと笑い、
「今の俺にも史は必要だし、きっと呼ばれた事には何か別の意味もあるんだと思う。でないとこ~んなに酷い目にあってもそれでもお前と一緒に仕事をしたいだなんて思えるわけ無いだろう?」
それを聞いて史は目をゆっくりと瞑るとようやく笑みがこぼれた。
「あ、そうだ。何だかんだで史とチャットアプリ登録してなかったよな。やっぱ何でもいいから使える様にしておいた方がいいと本当今回色々と実感したよ」
「じゃあ、あとで申請送っておきますね」
史はタクシーに乗り込む寿々を見て、
「やっぱり送っていきましょうか?」
と心配そうに聞いた。
「大丈夫だって!・・・・あ~でも明日は休むと思うから企画書、あとで共有フォルダに入れておくから・・」
「それこそ心配しないでください。明日で二学期が終わるんで、午後から会社に行ったら全部完璧に仕上げておきます」
「・・あ」
「?」
「それと遅くなったけど。史、大学合格おめでとう」
「・・・・ありがとうございます」
そう言うと史は小さくはにかむように笑い、寿々のタクシーが見えなくなるまで見送った。
12月24日
寿々は先日ようやく通った企画2本を進めるため再び無い知識を補うように必死にネットや本を漁りひたすら勉強の日々を送っていた。
「って言うかさ・・・・今更だけど、何で通った企画がこの2本なんだ??」
寿々の目の前には〖現代妖怪実話録〗と〖徹底検証スマホ心霊写真〗という企画書の2本が広げられている。
「知りませんよ。現代妖怪の方は俺が提案しましたけど、心霊写真は寿々さんの企画書の束から引き抜いたんですよ?」
冬休みに入り史は朝からアガルタに出社し、席も応接ソファから寿々の右隣へと移動していた。
「・・・あの企画書のファイルは既存の特集をただなぞらえる様に書き出しただけなんだよ・・・。でも何故か選ばれたのは怖い物ばかりで本当に不本意でしかない・・・」
「いいじゃないですか。心霊写真ネタなら特に取材行かなくても記事作れますし、最近は取り扱うコンテンツも少ないのでむしろねらい目です」
史も自分が取材にまだ参加できない事を踏まえて、あえて心霊写真の企画書を他の企画書より丁寧にわかりやすくまとめて出したのだ。
なので通ったというより力技で通したと言っても過言では無い。
「・・・・・」
寿々も他の企画書と見比べながらやたらな熱量を感じる事だけは理解していた。
「はぁ・・・心霊とか本当に慣れないんだよなぁ。むしろ人怖の方がまだ・・」
そう呟く寿々に史は
「絶対に嫌です。人怖は断固お断りです!」
と断言した。
そんな事を話していると二人の後ろから最上がニコニコと微笑みながら
「どうだい三枝君?順調そうかい?」
と話し掛けてきた。
寿々もしどろもどろになりながら
「あ~・・いやぁ。なかなか心霊ネタはどうも苦手で、いい感じの誌面構成が思いつかなくって・・・」
と答えると、
「いやいや、傷の方」
と質問し返された。
「傷ですか?あーまだ5日ですから腕は上がらないですけど。順調なのかこうやって仕事をしてる時はそんなに気にならないから不思議ですよね」
そう答えると最上はきょとんとしてからちらっとだけ隣の史に目をやった。
「ならいんだよ。とりあえず無理はしないで任せられる事はなんでも史君に任せてあげてね。あ、あと今日はクリスマスイブだし、皆早めに上がると思うから二人もあまり遅くまで無理せずに頼んだよ」
そう言うと機嫌良さそうに自分の席へと戻っていったのだった。
午後8時を回ると最上が言った通り編集部は寿々と史を残して皆帰宅してしまった。
「・・・ったく何がクリスマスイブだぁ??・・・リア充のイベントなんてみんな滅んでしまえ!」
と寿々はレイアウトを細かく決めながらぼそりと呟いた。
先日彼女に振られたばかりで内心まだ荒んでいる寿々は、今年はとにかく仕事に全集中して何とか振り切ってやろうと考えていたのだ。
「あれ?寿々さんは帰らないんですか?彼女さんとはどうしたんですか?」
とコンビニから戻った史の空気読めない発言に寿々ははたと動きが止まった。
『そうか・・・そういえば忘年会の時にいなかったもんな』
「・・・・・・史、俺は絶対に今日明日でこのレイアウトを全部完成させるぞ。絶対にだ!」
「え?もしかして振られたんですか?」
史の単刀直入の質問に流石の寿々も傷ついた。
「何で振られたが先に思いつくの?振った可能性だってゼロじゃないだろ!」
「いやゼロでしょ」
「・・・・・・」
「どう考えても」
「・・・お前も酷いやつだな・・・てかアガルタの人達は皆んな酷い。すぐに他人のプライベートをあーだこーだと面白おかしく話題にする・・」
寿々は機嫌をそこねスンとすると仕事に戻った。
「・・いいじゃないですかそれならそれで。俺とこうやって仕事出来てるんですから」
史もどこから出てくるのか分からないが自信ありげにさらっと答える。
しかし寿々はしらけた顔をして
「お前が羨ましいよ。俺もその台詞言えるくらいの容姿だったら今日ここにはいなかったかもしれないに・・」
とぼやくと、
「何言ってるんですか?じゃあ何でその俺が今ここでまだ仕事をしてるって言うんです?」
と史が少し呆れて質問すると、寿々は手を止め史の目を見つめ
「・・・・・そんなの俺と一緒にいたいからだろ?」
と平然と言い放ち、流石の史もその言葉は予想外だったようで図星と言わんばかりに真っ赤にさせた顔を隠すように左手で覆った。
「・・・・・・・何ですかそれ、恥ずかし」
今後の創作の為にも是非!感想と評価へのご協力をよろしくお願いします!




