第1話 依存
12月の2週目
秦史は通う男子高校の職員室へ出向き、昨日届いた指定校推薦の合否の通知を担任と学年主任へと報告をしていた。
「そうかそうか。なにはともあれ無事、合格の通知が届いて良かった良かった!」
定年間近の学年主任は、史の合格通知を受けてとても満足そうに職員室内へ響き渡る大声で喜んだ。
「はい、これも全て先生方のおかげです。本当にありがとうございました」
史は二人に向けて丁寧に頭を下げる。
「まぁ合格してもまだ卒業までは時間がある。慢心せずに存分に学業に励んでくれよ!それから、くれぐれも羽目を外したりして今後の人生を台無しにするような事だけは無いよう、謹んで行動するように!いいな!」
主任はそれだけ言うと史と担任の前からそそくさと離れ、まさに我が手柄と言わんばかりの様子で校長室へと向かったのであった。
担任の吉田が主任を煙たそうに見送ると史へ向かいなおし改めて問いかける。
「それにしても秦?」
「何ですか?」
「今更言うのも何だけど。お前本当に受験してT大目指さなくて良かったのか?」
吉田は本当に残念と言わんばかりの表情だ。
「はい。元より指定校推薦しか興味なかったので。本音を言えば進学にも興味ありませんでしたし」
「お前・・・相変わらずなんだな」
吉田は史の1年と3年の担任を務めてきた。
史が高校に主席で入学して最初の面談の時、吉田は史から一応将来の為に進学はするけれど、正直興味がないのでしなくていいのならしたくないという話を聞いていたからだ。
その後2年の時に史が学校にアルバイトの申請を出した事を聞いて、一番驚いて心配をしたのも吉田になる。
学校としては主席が校外でアルバイトなどして何か不祥事に巻き込まれたら一大事なのだ。
当然簡単に許可をするわけにもいかなかった。
しかし史は学校に対してこれは、校外活動の一環に当たるので評価を著しく下げる事にはならないと説得し、なおかつ土日の休みには可能な限りボランティアや地域貢献の活動に出席するなどの積極的な行動も評価され、学校もそれ以上拒否出来なかったのだ。
しかもそういった行動を後押ししていたのが吉田だった。
吉田は史の類稀なる秀才を当初から歯がゆく思っていたのは間違いない。
勉学へのポテンシャルは勿論技能の才能も誰よりも秀でており、恐らく学校からしても数年に一度いるかいないか、冗談抜きにそれくらい優秀な生徒だったからだ。
それゆえに学校としては当然受験してT大に入学してもらいたかったし、吉田もT大に進めばいつかは史に見合ったレベルの環境で、真の意味で学問を探求する喜びを得られるのではと考えていたからだ。
「・・なんにせよ、合格おめでとう。主任じゃないけれど本当に卒業まで気をつけて過ごせよ」
吉田はゆっくりと噛みしめるように史にお祝いの言葉を送った。
「よ!史!聞いたぞ、合格の通知来たんだってな!」
史が玄関で靴を履き替えていると、小学校から付き合いのある同級生の志田翔真が後ろから声を掛けてきた。
「ああ、何とか合格もらった」
史は喜びよりもとりあえず区切りがついた事への安堵しか頭になかった。
「いいなぁ~!俺も早く受験終わって彼女とデートしてぇ!!」
通常の生徒は来月が大学入試になる。翔真も今はそれに向かって進学塾へ通い日々猛勉強の最中なのだ。当然フレストレーションの塊のようになっている。
「え~じゃあ史はこれからクリスマスも正月も好きな事し放題なのかよぉ~!羨ましすぎる!!」
「いやマジで俺バイトしかやる事ないし、年中行事は特に何もないよ」
史は進学が決まったとは言え、翔真みたいな普通の高校生から羨ましがられるような事な何もないとあっさりと返した。
その返答に翔真も驚き、今まで聞けなかったとばかりに史に近づき耳打ちしてきた。
「てかさぁ・・・今更なんだけど。史ってやっぱ中学の時今井先輩の事があったから男子校へ来たわけ?あれただの噂かと思っていたんだけど・・」
『今井先輩・・・』
史はその名前を思い出し身震いをした。
「・・・いや、全然関係ない。・・じゃ俺駐輪場だからまたな」
「・・おう!また」
史は翔真と別れると校門左手の駐輪場へと向かった。
『確かにその名前は聞きたくなかったな・・・』
そう思いながら駐輪場の端に停めた自分の自転車を見ると、何やらハンドルに引っかかっている白い物体が見え史は急に表情が険しくなった。
近づくにつれそれが小さいポリ袋に何かがパンパンに詰まった状態であるのがわかる。
史は恐る恐るその袋の中身を確かめてみると。
そこには大量に切られた髪の毛が詰め込まれ、その上に血液のような赤文字で
【おめでとう】
と綴られた紙が一枚入っていた。
午後5時半
史はバイト先のいいとよ出版の駐輪場へ自転車を停めると、地下のアガルタ編集部へと足早に駆け込んだ。
「お疲れ様です・・・」
声のトーンがいつもより低く明らかに元気がない様子をすぐに察したのは、ちょうど入り口の脇にいた編集長の最上だった。
「ん?史君お疲れ様」
最上はいつもの様に史に声を掛けると心配そうに史の顔を見つめる。
「?・・・・・」
史も最上の返答に余程顔に感情が出ていた事に気づくと、すぐに平静を保つように切り替え。
「あ、編集長。僕、無事大学の合格通知が届きました。本当に色々とありがとうございました」
と深々と頭を下げた。
「そうか~!良かったねぇ!おめでとう!!とりあえずこれで一安心だね!」
とまるで我が子の様に喜んでくれる最上に、史もようやくほっとした気持ちを取り戻した。
「史、合格通知来たの?良かったじゃん!おめおめ~!!」
最上との会話が聞こえていたのか丸が机から立ち上がって駆け寄ってきた。
「ありがとうございます」
史も普段丸と話すといつも最終的にギスギスしてしまうのだが、今日はそんな雰囲気もなく素直に感謝を告げられたはず、だったのだが。
「じゃあW大学って事は私の後輩になるっていうことでしょ~?頑張れよ!後輩!」
やはり丸は一言二言余計な発言が多いのだ。
「・・・ま、丸さんとは学部違いますけれどね」
とそのいつもの雰囲気に史はスンとした。
史は編集部内を見渡し三枝寿々がいない事に気が付くと、
「ところで、今日寿々さんは・・?」
丸へ寿々の所在を聞く。
「あ~三枝は今日は後藤と一緒に外回り行って、多分そのまま直帰するんじゃないのかな?」
「そうですか・・・」
史は寿々にもちゃんと合格の報告をしたかったし、今日は嫌な事もあったのでどこかで寿々に一言褒めて貰えたらきっと少しは気持ちが楽になるのでは、と正直期待してしまっていたのだ。
その明らかに残念そうな雰囲気がだだ洩れしているのを、いつもならすぐに気づいて余計なちゃちゃを入れるのがの丸の悪い癖だ。
しかし最近の史は本当に寿々に対して並々ならぬ異常な依存を天然でやっている事に、丸は僅かながら危険だと感じる事もあり。ここ数日は下手に煽らないように気をつけて過ごしていたのだ。
「ま、明日1月号の発売日だし、一応出れる人だけで忘年会みたいなのするからさ。ちゃんと史も入れる店を中嶋が予約してくれてるはずだから、その時にゆっくりと三枝と話せばいいじゃん?」
珍しく丸が史を煽らずに優しい言葉を掛けているにも関わらず、史にはその言葉がほとんど届いていない様子だった。
「そうですね・・・」
そう言うと、史はぼんやりとしたままいつもの定位置である応接ソファへと向かい、あまり仕事に身が入らないままノートパソコンを取り出し電源を入れた。
午後9時を過ぎるとすっかり編集部から人もいなくなり、史も特にそれ以上進める作業もなかったので帰り支度をして立ち上がると、エレベーターで1階に上がり帰宅するために駐輪場までゆっくりと歩き出した。
12月の空気はすっかり冬の様子を見せ、見上げた夜空に吐き出す息が白い事に気づくと史は何だか急に色々な記憶が蘇ってきた。
史はこの時期が一番嫌いだった。
幼少期の生まれ育った家で受けた酷い仕打ちだけでなく、その後都内に引っ越して自由になれた後もこの時期に同級生がクリスマスや正月を当たり前の様に家族と過ごしているのを、まるで別世界の事のように思っていたからだ。
あれは自分の世界ではありえない事なのだ。
だから寂しがる必要もない。一人でいい。最初からずっと一人だったのだから、と。
しかし最近の自分はどうだろうか。
三枝寿々という存在にすっかり依存しきっているのは史自身でも良く分かっていた。
でもそれは恐らく自分の前世が寿々の飼い犬だったから当たり前なのだ、とどこかで言い訳の様にして甘えていたのも否めない。
正直寿々と仕事をしていていると、時々これは本当の自分なのか?と疑ってしまうほど何の迷いもなく素直に話し、何よりも今まで生きてきた中で一番と思えるほど毎日が楽しいと感じていたからだ。
それが駄目だとは思わない。それでもいいじゃないかと今は本気で思う事もある。
ただそれゆえにやはり空しくなるのも当然なのだ。
自分は寿々の家族でもないし、ましてや飼い犬なわけでもない。
『・・・・・いっそ本当に犬だったらマシだったんじゃないだろうか』
今までの史だったらそんな馬鹿げた考えを思いつく事は絶対になかっただろう。
駐輪場について自分の自転車のワイヤー錠を解き、自転車を動かそうとしてそれに気が付いた。
何故か後輪も前輪もパンクしているのだ。
今までこんな事は一度もなかったのでこれが自然に起きたパンクでない事はすぐにわかった。
暗がりの中スマホのライトを点けタイヤを確認する。
するとすぐに原因がわかった。
見れば前輪にも後輪にも釘が刺さっているではないか。
史はすぐに立ち上がり回りを見渡した。
下校時のあの不気味な髪の毛と血文字もそうだし。今日起こっているこれら全部が自分への嫌がらせである事は明白だった。
史は回りに人の気配がない事を確認すると、とりあえず証拠を残す為にタイヤの釘を写真に収めゆっくりと後ずさりをした。
犯人が誰かは分からないが・・・・
いや、心当たりが無くはなかった。
信じたくはないが一番可能性のある人物が。
史は会社ビルの玄関近くまで戻ってくると、先日オシラサマに切られた傷口が残る左手をかかげ周囲を透視した。
まだ手の傷が完治していないせいなのかわからないが、いつもより透視できる範囲が狭い。
しかしもしその人物が近くに潜んでいるのならばきっと見つけられるはずなのだ。
じっくりと可能な範囲を隅々まで集中して透視をしてみたが、近くにそれらしき人物を見つける事はできなかった。
『自宅までは6キロ程度。交差点を考慮しても走れば30分以内には着けるはず』
史は途中で何か嫌な事が起きないように祈り、そのまま急いで自宅まで駆けだした。
制服姿である事からそこまで動きやすいわけでもなかったが、中学生の頃から暇さえあれば山へトレイルに行くのが趣味の一つでもあった史の身体能力は、成人男性の平均速度よりかは上回っている。途中いくつかの交差点で足止めをされその度に戦々恐々としながらも、約20分ちょっとで自宅付近まで辿りつくと速度を緩め再び辺りを見渡した。
『会社付近にいたとすればまさか追いつけはしないだろう・・・』
そう思い少しだけ足早に自宅マンションのエントランスに入り、自宅のロックを解除し中へ入ろうとしたその時。
背後に嫌な気配を感じ後ろを振り返った。
そこには瘦せ細り肩までのボサボサの黒髪で顔を覆い、白いフリルのワンピースを着た一人の女が手に包丁を持って立っていたのだ。
その姿に史は見覚えがあった。
『今井先輩・・・・・』
今井は少しだけ顔を上げるとニタァと笑い包丁を両手で握りしめ狂ったように駆けだしたかと思うとその刃を史に向けたまま突進してきた。
史は二三歩後退する。
今井のその異常な表情が迫り狂う中とにかく1秒でも早く自動ドアが閉まる事を祈った。
あと一歩分。
ドアが閉まるのが遅かったらきっと間に合わなかっただろう。
自動ドアは今井の突進を遮る様にギリギリのところで閉ざされたのだった。




