第11話 イチジャマ
屋上から下の103号室に向けて手をかざし意識を集中させ史は部屋の中を透視した。
しかしそこには昨日見た当間の部屋の輪郭しか見えず、部屋の中には誰もいないようだった。
『おかしい・・・本当に今このF棟には誰もいないのだろうか?』
そう思い史はもう一度F棟のすべての部屋を隅々まで視てみる事にした。
すると301号室。
昨日寿々が幻覚を見たのと同時に史も透視よって蠢く漆黒のモヤを確認したその部屋の中心に誰かが座っている姿が視えたのだ。
「寿々さんいました!301号室です!」
「301?当間さんが??」
史は更に意識を集中させその人物をクローズアップしてゆく。
そこには昨日見た時とはまるで別人のように、ボサボサの白髪で顔を覆い鬼の形相で一心不乱んに何かを唱える当間の姿があった。
「フヒヒヒヒィ・・!!こっちを覗く事が出来る力があるとはねぇ!!!」
史はその当間の声が直接頭に響き渡り、同時にゾワっと悪寒を感じた。
「当間さんに透視がバレました!!」
「なんだって!?」
すると屋上の空気が一変し、床から黒い塊が勢いよくグニャグニャと盛り上がったかと思うと3体の黒い影がそこに出没したのだった。
一体は細長くゆうに2メートルを超え、一体は1メートルも満たない小さい影、そしてもう一体はそれよりもやや大きいが腹のあたりで何かを抱えているよう盛り上がっているように見えた。
「3体?・・・やはり一家心中と関係あるんですね」
史は寿々の前に出て自分で何とかしようと考えあぐねていたが、正直複数体となると本当に太刀打ちできるか不安しかなかった。
「ああ・・・間違いないと思う。當間の名前を見てもしかしてとは感じていたのだが。當の字は当の旧字体なんだ。だから当間さんは本当の名前は當間でこの団地に来てからずっと読み方を偽っていたのではないかと・・・・」
寿々は引っかかっていた点と点が線で繋がったかのように思えてきた。
当間の家の玄関で見たゲジゲジの死骸。玄関には沖縄の写真のカレンダーが飾られ、シューズボックスには貝の魔除けの置物が置かれていた。
「つまり当間さんは當間康夫の・・・」
「恐らく母親」
そこまで話したところで2メートルある巨大な高い黒い影がズズズズと二人に向かって襲い掛かり頭のような部分を振り被ったかと思うとそのまま二人めがけて振り下ろしてきた。
史は寿々をひっぱりその場から素早く身を交わし何とかその攻撃から逃れる。
黒い影の頭は床にぶつかった途端に霧の様に散るのかと思ったが、予想に反してゴン!!!という鈍い音を出して屋上の床にボーリングの玉程の穴を開けた。
「・・・マジかよ。完全に物理攻撃・・」
寿々はそれを見て顔面蒼白になった。
「沖縄には『イチジャマー』という生霊を飛ばす呪術師がいると聞いた事があります。そのイチジャマーは時には虫を使役して人を襲い、場合によっては命を奪う事もあるとか・・・・」
「イチジャマー??当間さんがそれだって言うのか」
「多分・・・。その力を元々持っていたのかわかりませんが、とにかく人を呪う力を持ってこの団地にやってきたのは間違いなさそうです」
2メートルの影はゆっくりと頭を持ち上げると再びズズズっと二人に向かってきた。
『せめて寿々さんだけでもどこか安全な場所に避難させられたらもう少し動けるのに・・・』
史はこのままでは自分だけでなく、どちらもただの怪我だけでは済まないとそう感じていた。
「史・・何か作戦を考えよう。俺めちゃくちゃ震えが止まらないけれど、このままでは本当に生きてここから出られないかもしれない・・・そんなの絶対に嫌だ」
「僕も絶対に嫌です!」
史と寿々が耳打ちしているのを見て、一番小さい黒い影から歌声が微かに聞こえてきた。
『・・・・うふむらうどぅんの・・・・・かど・・・なかい・・・
・・・耳ちりぼーじぬ・・・たっちょんどぉ・・・・
いくたい・・・いくたい・・・たっちょやびが・・・・
・・・・みっちゃいよったい・・・たっちょんど・・・・・・・・』
『フフフフ・・・・やすおぉ・・・・・』
史は3体の動きが一瞬鈍ったのを見計らうと2メートルの影を引き寄せるように一歩前に出た。
寿々はそれを確認すると少しだけ身を引き、後ろにある貯水タンクへと向けて走り出した。
『いらなん・・・しーぐん・・・むっちょんど・・・
・・・・ないちゅる童・・・耳グズグズ・・・・
ヘイヨー・・ヘイヨー・・・泣かんどぉ・・・
・・・・・ヘイヨー・・・ヘイヨー・・・
泣かんどぉ・・・・・・・・』
寿々は貯水タンクの脚に身を隠したが、当然これで隠れられたとは思ってはいなかった。
ただ元々運動神経もなく、ましてや今は視力もほとんどない状態の自分が前に出たところで絶対に足手まといにしかならないのは明白だった。なのでタンクの脚を盾にしてとにかく可能な限り逃げるしか方法がなかったのだ。
史はデカい影の物理攻撃を何とか避けて身を守っていた。
相手は確かにデカいものの、振りのモーションが大きかったのでそのタイミングを見て避けるだけならば史にとってそこまで難しい事ではない。
次第に2メートルの影が貯水タンクへと近づいてゆく。
そして次の一振り。
史はその場所でギリギリまで引き付けそしてもう少しで掠りそうなタイミングで一気に反対側へ飛び込みその攻撃から逃れた。
するとその一発が貯水タンクの脚に当たり、ひしゃげたスチール製の支えはバランスを崩し上部の水の入ったタンクがゴゴン!という音とともに大きく傾いた。
前後にぐらりと揺れたかと思うと次の瞬間黒い影の方へと向かって水の入ったタンクが落下していったのだった。
ガッゴゴゴン!!!という轟音を発しF棟全体が大きく揺れた。
そしてそのまま黒い影に向かって貯水タンクの蓋が外れ中の水が勢いよく流れ出す。
すると2メートルの黒い影は水に流されて倒れ込み水溜まりに溶けるようにパァっと消えていったのだった。
「やった!!」
タンクの脚場から離れていた寿々はぼやけた視界でその様子を捉えて思わずガッツポーズをせずにいられなかった。
寿々は倒れ込む史に駆け寄ろうとひしゃげた足場を回り込んだその時
「はっさ・・こんな事でどうにかなったとでもうむたが?」
と耳元で囁かれ、振り返るとすぐ目の前に腹のあたりで何かを抱えるもう一体の黒い影が立ちはだかり、そのまま動けない寿々にのろりと近づくとその腹の黒い塊をぐいっと寿々の懐に押し付ける様に乗せてきた。
「・・・・・・」
寿々は恐る恐るそれを見るとそこには全体が青白くパンパンに膨れ目がえぐれた赤ん坊が手の内にあった。
「!!!!!」
『アンギャァアアアア!!ンギャアアアア!!!!』
耳をつんざくほどの泣き声をあげて暴れまわるその赤ん坊を、恐怖で落としそうになったが何故か手からその赤ん坊は離れない。
一生懸命に振り払おうと手を振るも、その度に鼓膜が破れそうな程の赤ん坊の泣き声が寿々を襲った。
『アンギャァアアアア!!ンギャアアアア!!!!』
「やめ・・・・ろ!!!!離れてくれ!!!」
寿々は耳を抑える事も出来ずその場で膝をつき動けなくなってしまった。
史はタンクの水を被りながらも起き上がると他の黒い影の所在を目で探った。
2メートル超えの巨体は水に流されていったが、他の2体がいた場所にも水は溢れており一瞬全部水浸しにできたのかと思ったのだが。
背後を振り返ると寿々が胴体に群がるゲジゲジの塊を払いのけようと必死にもがいている姿が目に飛び込んできた。
「寿々さん!!」
史はとっさにずぶ濡れになった学ランを脱ぐとそれを再び足元の水の中に浸し、その学ランを寿々の腕に覆うように被せひっついて取れないゲジゲジの塊を力いっぱい拭うようにして払いのけた。
ようやく赤ん坊の声から解放された寿々は真っ青な顔のまま肩で息をする。
「大丈夫ですか!?」
思いの外必死な様子で心配する史に内心驚きながらも
「・・はぁはぁ・・・ああ。助かった、ありがとう」
そう答えながら寿々は手に残った大量のゲジゲジの死骸を一生懸命払い落した。
二人は満身創痍で残る黒い影を見つけようと必死に目を凝らす。
しかし屋上のどこにもその姿が見当たらなかった。
史は手をかざし透視の力を使って屋上にまだ潜んでいるでいるかもしれない生霊を探してみたが、どうにもその姿を捉える事ができない。
『もし今ので本体を潰せていたならば扉が開くはず・・・』
そう思い史は急いでもう一度扉へ駆け寄りドアが開かないか力いっぱいノブを回した。
しかし相変わらずドアノブはピクリとも動かず、まだ下には下してはもらえないようだった。
「開かないか?」
寿々も駆け寄り一緒にドアを開けようと脚をかけて力いっぱいに引っ張った。しかし上手い事手に力が入らず滑ってドアノブを動かす事すらできない。
「ああもう!!どうすればいいんだよ!!」
「はぁ・・はぁ・・・そうですね。やっぱり直接当間さんを止められないとどうにもならないかもしれません・・・今更ですが誰か救援を呼んでみますか?」
「確かにそれも一理あるけど。実際間に合うものか・・・」
「それもそうですね・・。誰か来る頃には本当に殺されているかもしれませんし」
「まじでこんな時に全然笑えないんだよ・・・」
勿論史は冗談で言っているつもりはなかった。
そしてあまりの疲労で目を開けるのも辛くなってきている事にようやく気が付いた。
『やばいな・・・・さっきあれだけ自分が先にくたばればとか思っていたのに。いざ本当にそうなりそうになったらやっぱりそれも無責任な気がしてきた・・・。現状もし自分が先にやられてもその後寿々さんが生き延びる保証なんてどこにもないじゃないか』
息を切らしながら目を瞑って史は自分の胸に手を当てた。
「・・・?」
「寿々さんまだ動けます??」
「?」
「これは一か八かなんですが・・・」
史はそう言うと寿々に自分の学ランを渡し、耳打ちをした。
『フフフフフ・・・・・。何を企んでいるのか知らないけれど。何をしても無駄無駄・・・』
当間は屋上の様子が手に取るように見えていた。
水に溺れたとはいえ、まだ息のあるゲジゲジを介し二人の様子を見る事は容易い事だったからだ。
史は寿々に話し終えるとずぶ濡れのパーカーを腕まくりし、また目を閉じ左手をかざした。
そして屋上の床に潜む当間の生霊の器となっているその一匹を再び入念に探し始めた。
先ほどまで見えていたはずなのに今は何故かその姿を隠してしまっている。
しかし当間からは恐らくまだ見えているのだから絶対にどこかに潜んでいるはずなのだ。
更に意識を研ぎ澄まし、床に溢れた水の中のゲジゲジ一匹一匹までを透視をする。
するとほんのわずかだが水の中を走る小さな青白い光を捉えたのだった。
『いた!!』
しかし史はすぐに動こうとはしない。
もし万が一他の器に生霊を移されたら次はもう探せる自信などなかったからだ。
だからソレが再び現れるのをひたすら待ち続け、とにかく見失わないようにと必死にしがみつくより他なかった。
「そろそろ終わりにしようじゃないか・・・・」
当間は301号室から再び意識集中させ生霊を飛ばした。
史の目の前の水溜まりから生き残ったゲジゲジを寄せ集めた黒い影が勢いよく飛び出てきた。
「史!!そのまま真っすぐこっちに走れ!!!」
寿々は倒れた貯水タンクの横に身を寄せながら史を声だけで呼び寄せた。
史は脳内で捉えた黒い影の核になるその一匹に意識を集中させたまま、寿々の声を頼りに後ろに向かって一気に走り始める。
目を瞑って真っすぐ走るなんて事は普通ならば到底無理な所業だ。
寿々もほとんど見えない視界で史の一歩一歩の足音、風の流れ、その全てに全身の感覚を集中させぐっと息を飲み込んだ。
寿々の目には今は黒い影ではなく、走る史の背後の暗闇から浮かび上がるように鎌を持った当間が襲い掛かってくる姿だけが鮮明に見えていた。
『あともう少し・・・。あと数歩。・・・・あと一歩』
寿々は視界で史の存在を確認した瞬間に合図を出す。
「今だ飛べ!!!!」
史は寿々の声を信じギリギリまで目を瞑り脳内で生霊を捉えたまま、その合図と同時に目を開くとタンクの上へ勢いをつけ高く飛び上がった。
水しぶきが飛び散りまるでそれが目くらましになったのか、追いかけてきた当間の生霊はそのまま開いた貯水タンクの穴の中へと吸い込まれるように入っていったのだ。
それを確認した寿々は生霊がタンクに入ったと同時に蓋を閉めそして史の学ランの内ポケットにしまってあった一枚の札をその上から勢いよく貼り付けた。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
二人は暫く沈黙したあと、顔を見合わせる。
貼り付けた札は〖鏡文字で書かれた魔除けのお札だ〗
中からは魔除けの効果で外には出られないはずなのだ。
「・・・で。この札って本当に効果あるのか?」
「正直それが本当に意味での一か八かですね。・・ただ当間さん本人が書いた札だと思うので、デタラメに書く可能性も低いかと」
すると屋上の扉がギィィィィィという音ともにひとりでに開く音がした。
それを確認すると二人はもう一度顔を見合わせその場にへたり込んだ。