竜殺しのふたり
竜殺しの聖剣に選ばれた姫と、その鞘に選ばれた騎士テオ。
二人の間に愛こそあれ、テオは「愛あればこそ、おれはそばにいてはならない。」とその関係性を是としなかった。
姫との同行をやめ、一人で竜神退治の旅を続けるテオは、どこへと向かっていくのか。
愛あればこそ、おれはそばにいてはならない。
その信念がおれと姫をどうしようもなく切り裂いた。
竜殺しの聖剣に選ばれた姫と、その鞘に選ばれた騎士として、旅をしてきた。
竜神を討ち取るまでの、誓いのもと、ともに歩んできた。
絶大な力を発揮する聖剣の使い手と、過剰なほどに魔力を供給し聖剣を休ませる対の鞘の使い手として、歴代のかれらと同じように愛もあれば情もあった。
旅路は過酷なものであったけれど、好きあっていたのも事実だった。
竜神を討ち取ったのちも、ともにそばで過ごそうとひそかに誓い合っていた。
姫を幸せにしたいと思った。幸せでいて欲しいと思った。
そして、それができるようなおれではないと、思い知った。
眼前に迫るは小竜の群れ。かわるがわる繰り出される攻撃をひたすらにいなしながら、後悔のような思考は途切れ始める。
徐々に押し込まれつつあるけれど、隙の多い奥の手はまだ使えない。使うのなら、せめてこの付近の小竜すべてをひきつけきれていなければならない。
右手の鞘で竜の攻撃をまとめてはじいた隙に、左手で小剣を投擲し、遠くの竜の注意を集める。
遠くの竜の目にあたり、注意がこちらを向く。
「よし」
数が増して苛烈になる攻撃の密度に、そろそろ耐えきれなくなり始めた。
「考え事ばかりもしていられない」
姫との長かった旅路のなかで、捌ききれなくなるタイミングというのも掴めるようになった。
ここから、およそ呼吸みっつ分。
息をひとつ吸って、鞘に過剰に魔力を流し込める。左腕から魔力が吸い取られ痛みが迸る。
呼吸ふたつ目に、竜の攻撃をいなしながら、鞘は赤く赤く光を放って。
みっつ目の呼吸に、鞘の限度を超えるほどの魔力の暴走を合わせて。
鞘を振るう。
極光。轟音。それから爆風。
鞘にむりやり過剰に流し込まれた魔力の暴発は、俺の鎧や硬い竜の鱗すら貫いて。
屍を九つ、作り上げた。
呼吸を十数えて、おれはようやく爆心地で起き上がった。
わかっていたように、鞘が失った分を補填するべく、じくじくと魔力を吸い上げる。
幼い頃からの鍛錬で慣れてはいるものの、その痛みは到底無視できない。
近くの落合地点「枝垂れ木の横穴」に向かうべく足を動かすも、十分に歩けているとは言えなかった。
一帯の竜の注意を引けたのでこんなに隙だらけでボロボロでも襲撃自体はない。
おれはこれしか有効打を持っていないが、これですら群れの主には有効打となりうるかどうかどうかもわからない。
姫の剣の突破力があればと、思いかけ、思考を止める。
そもそも、それを手放したのはおれ自身だ。
「あと少し、あと少し繰り返せば、全て終わる……。龍神さえ討ち果たせば、姫も……」
うわ言のような言葉が唇から漏れる。鞘が強引に魔力を搾り取っていくのだ。意識すらも引っ張られていくようだった。
一度に大量の魔力を失った時に、急激にごっそりと持っていかれる。
聖剣を納刀した時、それからこうして暴発した時に、茨が生えたように、体を刺しまわる様な痛みに襲われる。
その茨がすべて引き抜かれていくような気持ち悪さも入り混じる。
予定通り、「枝垂れ木の横穴」にたどり着いた時には、もう意識も途切れ途切れになりつつあった。
そして、本当に意識が途切れる寸前、脳裏をよぎるのは姫の涙だった。
あの日、姫はひどく悲しそうにしていた。
竜の大群が辺境の村を襲っていた日のことだった。
姫は龍殺しの剣の絶大な魔力消費と鋭利すぎる切れ味で群れの主を屠り、おれはその補助に回っていた。注意を集め、魔力を補給し、時折攻撃し、そして姫がトドメを刺し続ける。
辛くも主を追い払い、戦いは片付いた。
戦場の跡地、爆心地になったところで、姫は絞り出すような声で泣いていた。
「どうして傷つけ続けねばならないの……」
途切れそうな声で泣き崩れる姫を前に、かけられる言葉は多くなかった。
旅の途中で、何度か見かけてはその度に「龍神を倒しましょう、共に。ずっとそばにいます」と励まし続けてきたが、もはや限界のように見えた。
その晩、切り出したのはおれからだった。
「ここで、お別れといたしましょう」
この言葉だけが口をついて出てきた。
「もう、無理でしょう。こう傷付いてまで、進むことが必要とは思えません」
おれ自身でもわかるほど、悲しみが乗った言葉だった。
姫はしばらく黙ったのちに、暗い声で返事をした。
「……そう。今までありがとう。どうか、幸せに。
気をつけて。……今までありがとうね。」
彼女は傷つきながらも、どこかほっとしているようでもあった。
「テオの旦那ア、こんなおっかないところを待ち合わせにするなんてもうやめましょうや」
商人のリーチェの訪れに、失っていた意識を取り戻す。
「それにしてもマァたこんなぼろきれみたいにしてしまいまして。毎回そこそこいい品をおろしているんですけどねぇ」
体は傷薬があればそこそこは回復するものの、鎧と服ばかりはそうもいかない。
ボロボロの服をどけて、傷薬を塗り始めるおれをよそに、リーチェは小言を並べ続ける。
「あたしゃ商人ですから、買ってくれるなら文句は言いませんけどね。それでもものに愛着ぐらいもってほしいもんですよ」
隣でリーチェは商品を並べ始める。手荷物には爆心地で拾ったのか竜の鱗すら見え隠れしていた。
「……愛着で姫が救えるなら、いくらでも持つ」
「……少し前から思っちゃあいましたけどね、あの姫さんとなにかあったんですかい。前まであれほど一緒にいたというのに」
「さあな、それより約束のものは?」
「さあなじゃありませんよ……いえ、仕入れはそれはばっちりでっせ。とびきりの鎧、仕入れて来ましたとも」
黒光りのする硬質な鎧。鞘の爆発を幾度耐えれるかはわからないが、十分頑丈そうに見えた。
「助かった。次はここで頼む」
お代と、地図を指さして、次の落ちあい地点を決める。
「次って、もう竜神の棲家の真ん前じゃないですか。いい加減命の危険がですねえ」
「お前ができない配達があるか?」
「簡単にいいますけど、あっしでもなければ何回死んでるかわかりませんよ? まったく。姫さんにお会いもできなければ割にあいませんよ。お似合いの姫さんと旦那だったのにまぁ」
「……もはやそういうものではない」
怒気をはらんだ言葉に、リーチェは怖気ずく様子もなく返す。
「こいつぁ失礼しました。でもね旦那、独りで何とか出来るとは思わないほうがいいですぜ」
あっしが傷薬をつけなければ、背中なんてもうぼろぼろですぜ、と言われてしまうと何とも言えない。内側だってズタズタでしょうに、とすら重ねられる。
「そうだとして、姫とともにはいられない」
「なにかあったんで?」
「ただ、限界だっただけだ」
相手が竜であっても、たとえそれが使命であっても。
傷付けることに傷ついているように見えた。その力に、心が見合っていないように見えた。
もし彼女が聖剣に選ばれなければ、虫一匹ですら殺さないような生活を送っていたのだろうと思う。
どれだけ数をこなそうともそれに慣れることはなかったように見えた。
いつだって勝利のあとは沈んでいるようだった。その姿が気高く、好ましいと思った。
だからこそ、おれがいてはならないのだと思う。
おれが、おれが鞘が姫の聖剣の補給線でさえなくなれば、姫の聖剣がただの鉄塊になれば、姫は使命を捨ててしまえるのだから。
「ほう、それでお別れになったと。大変なもんですね」
鎧を装備し終えて、ふと一息をはさむ。
「大変か……。いや、ただ竜神を倒すだけだ。あと一歩、あと一歩だ。ここまできた。ようやくすべてが終わる。使命も責務もすべておわって、ようやくおれは」
「姫様の前に立てる、というのであれば、旦那はいささか姫を見誤ってやいませんかね」
「なんと?」
「あっしは商人ゆえ、取引相手の秘密は守るものです。ですがこれくらいは友情としてまけときましょう。
姫さんが、いまも旦那の後ろに立ちすくみ続けているとでも」
その声を掻き消すかのように剣と硬質な竜の爪が交錯する音が響いた。
「……だれが戦っている? リーチェ、隠れていろ」
嫌な予感が、背筋を這いまわった。鞘を握りしめて、音のする方へ駆け出す。
横穴から出ると、大きな竜の影がさした。きっと群れの主に匹敵する。
その足元には人影が一つ。
「まさか……」
そんなわけがなかった。もう聖剣に魔力は充填できない。だから戦えないはずなのだ。見間違いであるはずだ。
それでも、視覚ははっきりとそのなつかしい姿を捉えた。
魔力すら尽きて、光をまとわなくなった剣を振り回している姫の姿が、そこにはあった。
「私はまだ頑張らないといけないの、独りで竜神を屠れなくて
どんな顔をしてテオを迎えに行けるというの?」
姫は、そう、叫んでいるように聞こえた。
「姫ッ」
我知らず、駆け出す。
「テオ!?」
驚きの言葉が返って来るも、続く言葉は静かなものであった。
「下がりなさい」
その言葉に、思わず足が止まる。
「あなたはもう、退いた身でしょう。安全なところまで下がりなさい」
「しかし、魔力が」
今も竜の爪と打ち合い続けている聖剣は、かつての輝きなど見る影もなく、鈍く光っていた。
こうして言葉を交わすのすら時間の無駄になりそうで。
こうして悠長に過ごしているうちに取り返しのつかない傷を負ってしまいそうで。
その恐怖が、おれを後押しした。
「時を稼ぎます。下がってください」
近寄るおれを、手で制止するのがみえた。
でも、止まれない。
強引に姫と爪の前に割り込んで、
小規模な鞘の爆発で、距離を稼ぐ。竜の爪が弾き飛ばされたのが見えた。
その爆風の反動すら利用して、姫の左手をつかんで、先ほどの横穴へと転がり込んだ。
横穴に転がり込むと、もうリーチェの姿はなかった。
逃げ足の速さに感心しているところに、姫の声が刺さる。
「……どうしてこんなところにいるの」
ひととき戦場から抜け出したからか、姫の口調は前のようにやや砕けたものに近づいていた。
それでいて、冷たさもまとっていた。
「それはこちらもです、どうして鞘もなしに、こんなところにまで……」
「……傷つける覚悟を決めたのならば、傷ついたものが立ち去るのを許容しなくてはならない。
傷から逃げることを承知しなければならないと思っていたのです」
「姫?」
姫が何を言っているのか、よくわからなかった。
傷つけることに傷ついていたのは、姫の方だろうに。
「……テオのことを言っているのです。
私は、もうテオから差し出されるものを受け取りません。
戦いのために、テオから、何も奪い取りなどしません。
だから、下がっていてください。
もう、貴方を傷つけ続けて戦うのなんて、嫌なんです」
「お待ちください、おれが、ですか」
「そうでしょう。テオがここで、お別れといたしましょうと言ったではありませんか。
もう、無理でしょう。こう傷付いてまで、進むことが必要とは思えませんとも言ったではありませんか」
「違います。それは姫が」
「私が、ですか?」
不機嫌になった。こうしてしまったらまずいと経験上、わかっている。
「いえ、言ったのは私ですが」
慌てて否定するも、その温度は低いままだった。
「そこを変えようとしているのでなければいいですが、私がなんなのでしょう」
「姫が、傷ついているのに、無理に討伐の行軍を進める必要もないと」
「……なんだ、そっか言葉が足りなかったのね、私たち」
「……わかりません、姫。姫は傷つけることに傷ついていたように、見えていましたが」
「私も、テオがいやになったのかと思った。だから、私一人で戦おうしたんだけどね」
ひとり得心したかのように姫は続ける。
「誤解はといておきましょう。いくら聞き分けの悪い私と言っても、
抑えるところは抑えているつもりです。生き物たる以上、喰わねば生きていけない。
無理に譲れば踏み込まれる。守るために、毅然と倒さなくてはならないことはわかっています
そこから逃げるようなことは、しません」
「しかし、姫は戦いののちに……その、涙を」
「……それは。嫌だったの。
何より嫌だったのは、貴方を傷つけることよ」
「おれ、ですか?」
「何度もあなたの魔力を吸うことに、爆風に耐えることを強制することに。
テオがその痛みに耐えかねたのだと、思ったの。
そうして傷ついているのを、見るのが嫌だったの。
そしてあなたの、その、別れましょうと意思まで踏みにじって、そばにはいられないと思った。
そばにいるためには、そばにいてもあなたが傷つくことを強制しない関係じゃないと、駄目だと思ったの
だから、私一人で竜神を倒してしまえれば、と」
ああ、確かに、リーチェの言う通り。
おれは姫を見誤っていた。姫は聖剣が使えなくなったくらいで、止まるひとではなかった。
どうして傷つけ続けねばならないの、と竜の命で止まる人ではなかったのだ。
「申し訳ありません、姫」
頭を下げる。そばにいながら、その心を推し量り切れなかった自身のふがいなさを悔いて。
「顔を上げて、テオ。足りなかったのは私も」
「……許されるのであれば足りないところばかりの騎士ですが、許されるのであれば改めて、誓いを」
「受け取りましょう。私からも誓いを」
「竜神を討ち取るまで」
「いいえ、竜神を討ち取ったのちも」
「「ともに、歩みましょう」」
二人の誓いは、重なった。
「さて、あの竜だけ討ち果たさないことには、竜神の元までたどり着けませんし、補給だけ済ませてしまいましょう」
剣を貸してください、と姫に頼むも、断られる。
「あなたがいない間ずっと節約してたの。
だから多分、調整が効くと思うの」
そういって、姫が恭しく、そっと剣を持ち上げる。
姫の意向に従って、それにあてがうように、鞘で迎え入れる。
じんわりと、魔力が吸い上げられていくが、覚悟していたよりもその痛みは緩やかだった。
「痛い?」
「それほどでも」
その痛みすら、今は甘く感じられた。しばらく、緩やかな痛みだけが二人をつないでいた。
「ありがとう。これで十分」
姫が打ち切ったのは、いつもよりも全然少ない魔力量だったように思う。
まだ補給をするべきだと言おうとして、姫の目にたしなめられた。
「約束ね、テオが傷つくような無茶は、私が命じたときにだけにして頂戴。
その痛みは、私が責任をもって償います」
「……姫が傷つくようなことは、きっと二度といたしません」
「絶対にしなさい」
「……姫が無茶をしないのであれば」
「それは……うん、絶対は難しいわね」
「なれば、できる範囲で」
二人の背中は、同じ方角を向いていた。
横穴から外に出ると、竜は旋回を続けていた。
改めてみれば、かなり巨大だった。そして、その動きは急峻でもあった。
「来ます」
その牙が、襲い掛かって来る。それでも一人の時よりは恐怖が薄かった。
隣に姫がいればこそ、竜の退治はそう難しくもないように思える。
鞘で爪をはじき、姫が切りつける。
鞘で牙をはじき、姫が切りつける。
決して無理をしないように。決して無茶をさせないように。
一つ一つ丁寧に。思考を重ねて、思惑を共有して。
危機など一つも感じさせないように、安定して竜に攻撃を重ね続ける。しびれを切らした竜が、ブレスを吐こうとしてくる。
「ごめんなさい、テオ。あなたに無茶を頼むわ」
「ええ、姫」
姫の意図を今度は正確にくみ取って、ブレスに対抗するべく、魔力を鞘に流し込む。あかくあかく鞘は光をため込んで。みっつの呼吸ののちに、閃光と爆風を生む。
竜のブレスと混ざり合って、あたり一面に衝撃が走る。それでも、その程度の衝撃と言わんばかりに、姫はまっすぐに駆け出した。竜はブレスの反動で、地に落ちかける。
姫は、まっすぐ、まっすぐその竜に向かって地を蹴り。姫の姿勢のようなまっすぐな剣筋でその竜の巨体を一刀両断にしていた。
すべて終わり、爆心地で二人、寝転びながら。
「無事ですか、姫」
「テオこそ、平気?」
「あなたが傷つくことはなにも」
「嘘」
「ほんとうのことです」
それきり、姫は黙り込んでしまった。
何かを考えるかのようなしばらくの沈黙ののち、
身を起こした姫は口を開いた。
「……やはり私はあなたを傷つける。
それでも隣にいてくれますか」
そんな答えなど、とうに決まっていた。
「あなたとの傷であれば、姫」