仮装とお菓子と悪戯と
そもそも見なければ良かったんだ。目の前でキスしていようが、何してようが。
変なところで休憩してた私も悪いんだから。出るに出れなくなって、何故か必死に隠れてしまった私が馬鹿だったんだから。
でも、あの人だと分かって、何も見ないなんて出来なかった。……まさか、私が密かに想っていたあの人が。ああ、なんて事……。
逃げ込むように、まだ人通りの多いここまでやって来た。未だに心臓はバクバクと激しく脈打っていて、自然と歩きも早くなる。
先ほどの光景が未だに頭をぐるぐると回り続けており、冬が近い夜のものとは違った寒気を全身に感じる。
なんだか現実味がない。足はふわふわして夢のようだ。でもどうしようもなく現実だ。早く家に帰ろう。
そして余計な事など忘れて、ベッドで眠りたい。朝になれば見間違いや夢に思えてくるはずだから。
そもそも私に何か出来る訳でもない。見なかった事にしてしまおう。
だが、人は予想もしなかった事実に出くわすと、周囲への注意が足らなくなるらしい。私の後ろに誰かいるなんて、ちっとも気づかなかった。
「レーラさん」
「……はっ、はい。って、ええ!?」
名前を呼ばれ振り向くと、そこには今現在進行形で続いている悩みの種であるリック君が立っていた。
「こんばんは」
――リック君は私もさっきまで参加していた仮装パーティー用の衣装で佇んでいる。
衣装は吸血鬼に因んだ黒の夜会服に光沢のあるサテンのマント。すらっとした細身で長身の彼にはとても良く似合っている。
そうだ、さっきも同じ事を思いながら眺めていた。
しかし現在前にいる彼の表情たるや。にこやかに、なおかつ有無を言わさぬ笑顔と言おうか。
かけられたのは単なる挨拶なのに、まるで逃さないとでも言われたような気がしてならない。私は思わず息を呑んだ。
まさか私が見てた事に気づいてた? いや、気づかれて、いない、はず……。
「……もう、急に話しかけられてびっくりしちゃった。こんばんはリック君。どうしたの?」
なんとか平静を装うが、いつもより声が少しうわずってしまった。どうか、気づかれていませんように……!
どうしよう、何で声かけてきたの? 怖い、怖い、何でここに?
今は早く無難に会話を終えて、彼から少しでも離れたい気持ちで一杯だ。
この道は夜とはいえ、人通りも多く周りも明るい。
そして、彼の家とは真逆の方角の道である。こんなところで声をかけてくるなんて事以外は今までよく知っていたそのままの彼なんだけど。
……誰にでも優しく、賢い。私にも優しくって、だからいつも憧れていて。まさに理想の男性だった。その彼が私に何かするなんてないよね。
でも、その彼がさっき想像もしなかった事をしていたから、私はこんなに怯えているのではないか!
そんな私の心境を知ってか知らずか、彼はあくまで普段通り穏やかな口調で、微笑みを湛えた顔をこちらへ向けたまま口を開く。
「…………その様子だと、見たよね?」
終わった。終わってた。私、もう家に帰れない。帰られても冷たい状態かな……。
絶望的な一言を聞いて固まる私を前に更に彼は続ける。
「僕が、庭の隅に女の子連れ込んで、血を吸って、そのまま置いて中へ戻ったところまで全部。見てたよね?」
彼は変わらず笑顔で、奇しくも私の膝も既に笑っていた。自分の顔を今鏡で見ることはできないので推測だが、恐らく、顔面蒼白、涙目で恐怖に顔が醜く歪んでいる事だろう。
全部バレてる。どうしよう。この期に及んで知らんぷりは出来ない、か……。詰んだな、これ。
ああ、もし今ここに十字架とか銀の弾丸があったら……。いや、ダメだ。リック君シルバーアクセ好きだし、それで十字架の形のものも持ってた。
にんにくたっぷりのステーキが好物でこの間ぱくぱく食べていたし、これも駄目。
そもそも彼をどうこうするなんて無理だ。だって、悲しいかな。私は彼に惚れてたんだもの。
「レーラさん?」
返事がないので名前をまた呼ばれた。いつものカッコイイリック君。普段なら、あれを見る前なら、こんな冷や汗かきながら見ることもなかったのに。
それでも、こんなに怖くても、やっぱり、くう……カッコイイ……。ギュッと拳を握る。腹をくくるしかないようだ。震える口からなんとか声を絞り出す。
「……うん、見てたよ。ちょっと人に酔って休んでただけで、隠れてた訳ではないんだけど、気づいたら近くまで来て私に気づいてないみたいだし、どうも出づらくなって隠れるしかなくて……」
「へぇ? あんな暗い所で? 今まで悪いと思って言わなかったけど、レーラさんって少し変わってるよね。そこが僕の好きなところでもあるんだけど」
「……そうなんだ」
最後の言葉はこうなる前に聞きたかった。心の底からそう思う。心なしか彼の目が光って見えてきた。
「見ようと思って見てたんじゃないけど、リック君が、女の子と来て抱き合って、……キスして。その後多分、血を吸って、相手が白くなって倒れた後その子を木の下に隠して去るまで、見てた」
「ばっちり全部見ていた、と。そして今は?」
「私は、その後荷物だけ取りに戻って、途中で抜け出して帰ってるところ……」
「バレてないと思った?」
「……うん」
「残念だね」
だって、二人共こちらへ一度も目を向ける事はなかった。そして私も、最初は単純に恥ずかしいから隠れていて、途中からはバレたら私も血を吸われて殺されると思って命懸けで音も立てずに隠れていたし。
彼に引っついて私のいた暗闇に来た女の子。見かけたことのある程度で一度も話したことはない娘であった。
その子と彼がいちゃつき始めてショックだったのだが、その後、もっとショックな光景を見るとは。怖くて確認なんてしなかったけど、多分彼女はもう……。
しかし、どうして分かったんだろう?
いると思わなかった吸血鬼なんて化物がいる以上、下手に考えずそのまま「彼が、吸血鬼だから」。それでいいのかもしれない。
「あの娘、今日のパーティーにあれだけ連絡していたのに、お菓子を持ってこなかったんだ。それで僕から悪戯されただけ。ああ、悪戯だけで済んでないか。血も、命も貰っちゃったから」
「え、それだけで?」
彼がいたずらっぽい笑顔で話してくれた内容は、その爽やかさとは裏腹に残酷なものだった。
確かにお菓子持ち込みの仮装パーティーだと、幹事やリック君達中心メンバーから散々聞かされ、私はその通り持っていった。そんなパーティーにお菓子を持ってこないで参加するのは少しどうかと思う。
ただ、命を取られる程では決して無い。なのに、リック君はそんな理由で……こんな人だなんて思わなかった。吸血鬼である事よりもそちらの方がショックだ。
「レーラさんは流石。お菓子、ちゃんと持ってきてくれたね。あのチョコ、美味しかったよ。その魔女の格好も似合っていて、とてもかわいい。でも、見られちゃったんじゃ、しょうがないか。……僕も辛いよ。こんな事になって」
パーティー中も、あの女の子の血を吸って倒れる姿を見つめている時も、彼女を隠している時も、そして今も。ずっと笑みを浮かべていた彼の表情が、この時初めて曇った。
普段からあまり暗い表情は見せず、ニコニコしている彼が、こんな表情するんだ。私が、この後血を吸われて死ぬ事に対して……。
一瞬、私の心に熱い火が投げ込まれたかのように燃え上がった。
「怯えないで。大丈夫、全然痛くないから」
と言っても、目の前に迫る死は冷たくて怖い。すぐに恐怖で心は再び埋め尽くされ、全身が震える。逃げたい、けど足が、身体がうまく動かない。
彼は優しく私を捕まえ、そっと震える手を握る。彼に触れられるのは嫌じゃなかったな。ただ、ああ、本当の終わりだ。
私はその瞬間を見つける自信がなくて、精一杯目を背ける。彼は更に近づき、私の耳元に彼の吐息が触れる。そして……
「ドッキリ大成功」
と囁き、私の耳に軽くキスをした…………えっ?
背けていた顔を正面に戻すとリック君が満面の笑みでこちらを見つめている。
「あはっ、瞬き忘れてるよ、レーラさん。キョトンとしてる君もかわいいね」
なんて言いつつ、そのまま額や頬にもキスしていく。それよりも、ドッキリ、大成功って一体、何?
この状況が全く理解出来ない。頭がショートしたようだ。そんな私の、キスへの反応の無さにムッとしたのか、私の頭をペシペシ軽く叩く。どうやら彼は困っているようだ。
すると、向こうからぞろぞろとまだパーティー中であろう仲間たちが出てきた。皆一様に笑っている。
その中には、先ほどリック君に噛まれて倒れ、死んだはずの彼女もいるではないか!
「……もしかして、みんな、嘘?」
「あ、やっと気づいた。だから、ドッキリ大成功だって」
「ドッキリ、って事は……私、死ななくていいの?」
「もちろん」
「リック君は吸血鬼じゃ……」
「みーんな嘘だよ! イエーイ! ビックリした!?」
突如肩を掴まれたのでそちらを見ると、今日のパーティーの幹事だった。異常に高い相手のテンションに急についていけるはずもなく、おどおどしていると逆側からまたぐいっと、今度は腰を掴まれ誰かの胸に引き寄せられる。引き寄せたのは、リック君だ。
「やめろよ、まだよくわかってないんだから」
「そのよく分かってない子にここぞとばかりにキスしまくってたのは、一体どこのどなたでしょうか~? スケべ! いやらしい!」
「レーラさん、大丈夫?騙してごめんなさいね」
心配そうに顔を覗いてきた、さっき見たあの彼女は、死人のように白い顔……ではなく、健康的な肌色だ。包帯風のドレスは土や草でドロドロだったが。
「ああ、顔、それとも噛まれた痕? あれはちょっと仕掛けがあってね。まぁ簡単に言うとお化粧なんだけど。……それより私、この町の小さい劇団に所属していて、今回リックから誘われたのよ。『ハロウィンでドッキリついでに告白するから手伝ってくれ』ってね。もう分かる? パーティー参加者みんな知ってるしグルよ」
「えっ、えええっ!?」
私の反応にまわりのみんながどっと笑った。うっそ!? みんなグル?
しかもさっきの幹事の言い様だと皆知ってたし、パーティーから抜け出した後もずっと見てたの?
それに今、彼女はハロウィンでドッキリ、の後告白と言っていた? そんな、嘘でしょ!
「あ、あのいちゃついてたのも演技よ。単なる知り合いだから、安心してね」
そう言って頭を撫でてくれた彼女は、私を抱えたまま立っている後ろの彼をつつく。
「ほら、ここまでして、先に手まで出しちゃったのにまだ言わないの? 皆その為に集まったんだからさっさと言いなさいよ。さっきみたいに好きなところ、みたいなまどろっこしい言い方じゃなくてハッキリとね!」
バンっと背中を叩かれた彼はそれにあわせて私から離れた。そしてポリポリと顔を掻いて、少し恥ずかしそうに周りを見回した。
その周りから「早くしろー!」「こっちは心も体も寒いんだよー!」と野次が飛ぶ中、彼は私の前で跪いてこう言った。
「君の前では良い奴に見せたくて、優しく出来てもなかなかそれ以上に踏み込めなくて、ハロウィンに皆や君を巻き込んでこうでもしないと素直に告白さえ出来ない。こんな僕ですが、付き合ってくれますか?」
なんだか数分前とは別の意味で夢みたいだ。こんな事になるなんて思ってもみなかった。彼だけではなく、皆が私を見ている。返事、しなきゃ。
ふわふわした足取りで家に辿り着く。ポーっとのぼせた頭のまま、鏡の前で顔を確認。……我ながらニヤけている。
あの状況で断りにくいのは別として、リック君の事は吸血鬼だとしても、悪戯で人を殺すような性悪だとしても、嫌いになれなかった時点で私の心は決まっていた。その心の通りの返事をした後、また会場へ戻って今度はお祝いパーティーが始まった。
もちろん、隣には彼がいて、素の彼はこうなのだろうか。人目をはばからず、まさにキスの嵐だった。首から上ならほとんどキスされただろう。
鏡を見ると、つい先ほど彼の唇が触れたところも確認してしまう。……リック君に、キスされた。恥ずかしいけど、嬉しい!
帰りは彼に家の前まで送ってもらったし、その道中、『あんな短い間で人が死ぬほど血を吸えるかー!そんな事出来たら吸血鬼も苦労しない!』なんて言って、私を笑わせてくれた。
そうして最後、別れ際にキスされた首すじをチェック……あれ?
そこにはポチッと小さな赤い痕が数個あった。痛くも痒くもない。とはいえキスの痕でもない。その痕はまるでドラキュラの映画で見たような、犬歯が強く差し込まれたかのような噛み痕。
そっと触れると、赤い痕は少しえぐれていて、おそらく穴になっている。
『大丈夫、全然痛くないから』
そう言っていた彼の声が、再び聞こえてきた気がした。
タイトルはflower fish(http://nanos.jp/flowerfish/)様のお題を使用しています。