黒い薔薇が咲く庭について2
一ヵ月後、宮廷舞踏会の日――。
午後になるとすぐに、ニネットの支度がはじまった。届いたドレスを着せてくれたのは、母だ。
普段着ているものと同じように首まで隠れる紫色のドレスだが、肩と袖をレースにすることによって重たさを取り除き、上品な印象に仕上がった。
支度中は汚れないようにケープをして、使用人達が化粧を施し髪を整えてくれる。
最初こそニネットの扱いに戸惑っていた使用人達だったが、家族の関係が良好であることや、ニネットがそれほど気難しく繊細な娘ではないことを認識し、親しみを込めて接してくれるようになった。
今もゆったりと編み込んだ髪に、小さなパールを付けたニネットの姿を見て満足そうに微笑んでくれる。
「お美しいお嬢様。きっとたちまち素敵な殿方から結婚の申し込みがあるでしょうね」
使用人はニネットを褒めてくれただけだ。しかしすぐ近くにいた母は、どこか不安げな表情を浮かべる。
その理由を悟ったニネットは、両親と馬車に乗り込んでから、二人に向かってそっと告げた。
「大丈夫です。失礼のないよう……そして注目を浴びないよう、挨拶だけ済ませたらあとは部屋の隅に隠れています。できる限り誰ともしゃべらず、ダンスの申し込みを受けてもできる限りお断りします」
舞踏会は、年頃の娘にとって結婚相手を探すための重要な場所だ。しかし、誰かと結婚することなど到底考えられないニネットに、もし縁談が持ち込まれたら困ったことになる。母はそのことを不安に思ったのだ。
髪色こそ変わってしまったが、ニネットは美しい母の顔立ちを引き継いでいる。
宮廷舞踏会でわざと地味な服を着ていったほうが目立つだろうと、きちんとした仕立でドレスを作ったが、仕立屋のセンスと腕前が相当だったようで、ニネットの魅力をしっかり引き立ててくれていた。しかしそれはそれで、問題だった。
「お父さま、お母さま、私考えたんです……今すぐは無理ですが、ジャックが大きくなる頃には、屋敷から出て行かなければならないでしょう。その時は、どこか気候のよい田舎で暮らせたら素敵だなって」
いつまでも未婚の姉が屋敷にいたら、弟のジャックの結婚に差し支えてしまう。しかしニネットは、修道院に入ることはできない。だったら首都から離れ、ひっそりと自由にどこかで暮らせないものか。
今のうちから、命じられたこと以上に立ち入ってこない使用人を選定しておけば、それも可能な気がしてきた。
だから今日さえ乗り切れば、問題ない。母にそう伝えたつもりだったが、彼女は小さく首を横に振る。
「違うのよニネット、私は本当は嬉しいのよ。あなたは優しくて、賢くて、美しくて……自慢の娘なの。……痣さえなければ、陛下に選ばれてほしいと、きっと夢を見たことでしょう」
「私は、そんな……大それたことは少しも望んでいません。もし痣がなかったとしても、同じように考えていたはずです」
それはきっぱりと言い切れることだ。王族との婚姻……前世でその座を手にする立場にいた時、いいことなどひとつもなかったのだから。
(それにセドリック国王は、あの人たちの息子よ……考えられないわ)
幼い頃一度だけ姿をみたことがあるセドリックは、前世の仇の子でもあった。もう一度、望んであの魔窟のよう場所に行きたいとは思えない。今夜限りとしたかった。
§
王宮の中に入ったのは、今世でははじめてだ。しかし前世の終わりから十七年ほどしか経過していないため、建物は大きく変わっていなかった。
馬車から降りて建物の中へと進んでいくと、人々の視線が自分に向けられていることがわかった。
皆、マズリエ伯爵家の娘が十一年ぶりに姿を見せたことに、興味があるらしい。
でもニネットはこんなことで心を乱されることはない。慣れない社交会に少しだけ怖じ気づいているような、それでいて楽しみにしていることも隠せない娘を装ってみせた。
ニネットについて興味を持っていたのは、貴族だけではなかった。
「お目にかかれて光栄です。マズリエ家の娘、ニネットでございます」
「まあ、あなたが……」
国王と王母に挨拶にいくと、王母ロザリーはニネットの身体をしげしげと見つめてきた。病気のせいでただれた痕があるという噂の娘に、多少の興味を持ったようだ。
予想していたことだし、エディスとしては因縁のある王母相手でも、流せるつもりでいた。
でもその視線を受けた時、「普通」でいることが難しくなってしまった。それでもニネットは必死に堪える。
「体調はもうよろしいの?」
「……はい。家族に支えられ、ようやく外出が可能になりました」
「そう、よかったわね」
王母はさすがに「そのドレスの下は醜くただれているの?」と尋ねてくることはなかった。だからこそ、もうニネットに用はなかったのだろう。興味が失せたような、わかりやすい表情をする。
その雰囲気を読み取って、マズリエ一家はその場から離れる。ニネットは、この苦痛の時間から解放されたのだ。
「ニネット、大丈夫か?」
「緊張してしまったみたい」
ロザリーと完全に距離が取れたところで、ニネットは胸を押さえる。
いったいどうしたというのか。胸に痛みを感じたのは、さっきロザリーの視線を受けた瞬間からだった。心臓がドクンと大きな音を立てたかと思うと、締め付けられるような痛みが発生した。こんなことは、十一年前の大聖堂以来だ。
(私の痣は、あの人と……なにか関係があるの?)
あの時も、ロザリーと同じ空間にいた。彼女の存在が引き金となって、痛みが発生するのだろうか?だとしたら最悪だ。
あの日から十一年間、ニネットは自分の中のエディスと上手く共存して生きてきた。
それなのにここにきて、エディスの記憶からもたらされる黒い感情に、一気に支配されてしまいそうだ。
(私……あの人が憎い……)
これが「悪魔の愛し子」の本性なのだろうか。復讐したいと、魂が叫んでいる。それこそが、自分が存在する意味であるかのように――。




