最後の欠片について(第一部・終)
オベール公爵領は、王都より北の方角にある。
冬期は雪が降ることもあるが、暖冬の今年はまだ積もってはいないということで、公爵は新年の祝いを待たずに領地に向かうことを決断した。公爵領までは、馬車で一週間ほど。ニネットにとっては生まれてはじめての旅だ。
心配されていた体調も、このところ悪化する気配はなかった。無理のない旅の日程、立派な馬車、そして夜には身体を休めることができる、きちんとした宿。ニネットに合わせた計画により、一行は予定通りの日に領地までたどり着くことができた。
馬車に乗っている間、公爵はオベール公爵家についてたくさん話をしてくれた。
貴族は基本的に、領地を持っている。その領地で取れた作物などから発生する税の一部が収入となっているわけだが、オベール公爵家には税収以外にも大きな収入源があるのだという。
「バーレイ商会?」
「そうだ。そこは私の代理人が経営している商会だ。聞いたことはないだろうか? ユスタ王国の人間なら今は子ども……失礼、大げさだった」
おそらく公爵は、子どもでも知っていると言いたかったのだろう。しかし、途中で言葉を切り慌てた様子で訂正をはじめた。
「いいえ。そういえば、お伝えしていなかったかもしれませんが、私は知識に偏りがあります」
いくら前世の記憶が足りない部分を補ってくれているとはいえ、ニネットは「十年以上外に出ていなかった引きこもり」だ。興味のある本はかなり読んでいたが、どうしたって偏りがでてしまう。
「当然だ。むしろその環境で、賢くまっすぐ育ったのは奇跡に近い。君が持っていないものは、これから簡単に補えるものばかりだ。わからないことは、使用人達が必ず助けてくれる」
「はい。そうおっしゃっていただけて安心しました」
公爵は呪いを解いたあとの離婚を、おそらくまったく考えてはいない。こういう彼の言動は、純粋にエディスではなく今のニネットを必要としてくれているようで、嬉しくなる。もし自分が彼の役に立てるのならば、ずっと一緒に……。
湧き出た願望は、そう長くは隠せない気がしていた。
§
呪いを解く儀式を決行すると公爵が告げてきたのは、オベール城到着から一週間後のことだった。
少しだけ雲がかかる冬空の中、ニネットは公爵に連れられて城の西側に広がる森の中に入っていった。
ニネット以外に、ダルトンとガーランドが同行している。
(私が倒れたら、運ぶのが大変だからかしら?)
彼らに対しては秘密を持たなくていいとは聞かされているが、悪魔に直接関わる行動をとるのに、他人を同行させたことは意外だった。
エディスが死ぬ直前だったのか前だったのかわからないが、リュカが悪魔を呼び出した瞬間は夢でかすかに覚えている。あれが現実に起きたことなら近くにいたら危険ではないのだろうか。大地が汚染されてしまうかもしれない行為なのだから。
ニネットの懸念は当然、公爵だってわかっていたことだ。しばらく歩いて行ったところで、公爵は一度後ろを振り返り、ダルトンとガーランドに命じた。
「お前達はここで待て。……ニネット、この先は二人で行こう」
「公爵様……しかし」
ダルトンは公爵に忠誠を誓う人物だが、この時待機をためらうような素振りを見せていた。
「なにも言うな。あとのことは頼む」
「かしこまりました、ご主人様」
ダルトンは深々と礼をして、見送ってくれた。前回会った時に明るい雰囲気だったガーランドにいたっては、今日は不機嫌そうで終始無言だった。
いつもと違う二人に、ニネットは不安を覚えながらも、公爵に手を引かれ先へ進んでいく。公爵が「ここだ」と言って立ち止まったのは、森が開かれた場所だった、そこには人が手を加えて平らに割った形跡がある石版が置かれている。ちょうどニネットが片腕を伸ばしたくらいの直径の石版だ。
「ニネットは、私の向い側に立ってくれ」
それまで手を繋いでいたから、離れてしまうのは不安だった。でも公爵は必要があってそう言っているのだから、従うしかない。
「石に、なにか意味があるのですか?」
呪いを解くのはどこでもできる。確か以前はそう言っていたはずだが、なかなか大がかりな準備をしていたようにも見える。
「土の大地では、効率が悪いんだ。すぐにわかるよ。さあ、呪いの終わりをはじめよう」
公爵はどこかから小さなナイフを取り出し、突然自分の手の平に突き立てた。
「なにを?」
止める暇もない予期せぬ彼の行動に、ニネットは慌てるが、公爵はそのままでいるようにと手で制してきた。その手から、血が滴り落ちてくる。
傷は浅くない。どうしてためらわず、自分を痛めつけることができるのか。
「大丈夫だ。狂ったわけではない。悪魔との契約を書き換えるための、ただの手順にすぎない」
「契約を書き換えるのですか? どんなふうに?」
「こんなふうにだ」
公爵は、自分の血を使って石版に文字を描きはじめる。土では効率が悪いといった理由は、血文字を書きやすいかどうかにあったのだ。
(……これ、夢で見たかもしれない)
エディスが、死の狭間で見た光景に似ている。ニネットが持つエディスの記憶の、その部分だけが今でも曖昧なのだが、そのせいかいつもの頭痛がはじまってしまう。
「ニネット、聞いてくれ。私は悪魔と契約し、魂を巡らせ、追うために贄の呪いをかけた。君を見つけ出した今、その呪いは不要だ。しかし願いを叶えた対価は払わなければならない。呪いを解いたら、かけた者の身にそれは返ってくる」
術を完成させたのか、公爵は顔を上げた。そうして、ニネットが理解できない呪文のような言葉を呟くと、血文字が赤く光り出す。嫌な予感がした。
「ニネット、どうか幸せに」
「公爵……様?」
「これは自分の罪の後始末にすぎない。そうして君には、ありあまる富と最高の地位を……」
「なにを言ってるの?」
ニネットは理解したくなかった。確かにおかしいと思っていたのだ。どうして公爵は、あれほどまでに先に結婚することにこだわったのか。もっと深く追及しておけばよかった。
彼は最初から、ニネットにかけられた呪いの続きを、ほかの誰でもなく自分が請け負うつもりだったのだ。
その「最初」とは、いつから?
おそらく、エディスが死んだ時からだ。十七年間、そのために彼は生きてきたとでも言うのだろうか。こんな残酷な終わりを迎えるために。
国王を凌ぐ力、それでいて束縛されない自由な立場、それに財産と信頼できる使用人。誰のことも好きにならず、孤独なままで、生まれ変わったエディスの魂を迎えいれる準備を。
「待って……やめて!」
こんなこと、求めていなかった。あの時の彼に、なんの罪があったのだろう。ただ泣いている友人を慰めようと、キャンディを一粒渡しただけだ。
(私が、言ってあげられたらよかった……)
どうか幸せに、あなただけは幸せに――。
あの時、最後の力を振り絞って、そう言ってあげられたら彼は悪魔を呼び出すことなどなかったのかもしれない。雷雲が頭上に広がる。あの時と同じだ。闇の気配が強くなって、赤い目を持つ悪魔がやってくる。
公爵はただ微笑んでいた。なんの後悔もないのだと言うように。それがあまりに悲しくて、ニネットはぽろぽろと涙をこぼした。
「お願い、私を置いていかないで!」
叫び、ニネットがこぼした涙が、ぽたぽたと石版に落ちていく。
直後、光とも闇とも区別のつかないなにかに、ニネットは視界を奪われる。たった今まで起きていたはずなのに、混沌の中に吸い込まれ夢の世界にいるような感覚になる。
天と地との区別がつかない思考の世界を彷徨うニネットは、闇の中から光る小さな石を見つけそれを掴む。それは、欠けていた最後の多くの欠片だ。
(違う。まだ大丈夫。まだ……私は彼を救えるかもしれない!)
かっと、目を見開いた瞬間視界がもとに戻る。急速に、闇が静まりかえっていく。
ニネットの瞳からは、変わらず涙が零れていた。向かい合う公爵は、驚きで目を見開いている。
「なぜ……?」
これは彼の自問の言葉だ。
公爵は、自分の命を代償にしてニネットの呪いを解くつもりだった。失敗すると思っていなかったのだろう。
しかし彼はまだ生きている。代わりに呪われてもいない。儀式は失敗したのだ。それはニネットの呪いが解けていないことを現している。
「随分勝手なことをなさいましたね。公爵さま。……いいえ、リュカ」
「ニネット……いやエディスの記憶が?」
「今はそんなことどうでもいいの! あなたは自分の命を代償に、私を生まれ変わらせた。でも、全部が自分の思い通りになると思ったら、それは大きな間違いです。私のことは私が決める。あなたが介入することはもう二度とできません!」
ニネットは彼に向って叫んだ。あまりにも身勝手な考えに対しての、強い抗議だ。
「私をわざわざ生き返らせたのなら、置いてきぼりにはしないで。そんなこと絶対に許しません。ほんとうに、あきれてしまう」
残された時間はあとどれくらいなのだろう。どうせ人は皆死ぬ。これまでの孤独でつまらない人生なら、未練などないはずだった。
そこから連れ出したのは、公爵だ。彼のせいで、ニネットはまだ死ねなくなってしまった。今死んだら、きっと彼はまた同じ過ちを繰り返す。でも彼を死なせることもできない。それではニネットが寂しすぎる。
§
これは、エディスとしての最後の記憶の欠片。……魂の記憶だ。
リュカは「禁書の悪魔」を呼び出し契約しようとしたが、エディスは密かにそれに介入していた。
『リュカはだめ。私と契約して。望み通り戻ってきたら私の魂をあげるから、私がいない間、あの子のことをそばで守って――』
それがエディスと悪魔が交わした、契約の内容だ。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
次話から第二部となりますが、少しお時間をいただいてから連載を再開させていただきます。




