平穏の中で浸食する呪いにつて4
「ニネット嬢、突然の訪問を許してくれ。叔父上の留守は残念だが、君がいてくれてよかった」
ダルトンの采配でサンルームに通されていたセドリックは、ニネットの姿を見ると立ち上がり、自ら歩み寄るように出迎えてくれた。
舞踏会の夜もそうだったが、彼はずいぶんと気さくな性格らしい。国王として、それが正しい姿なのかわからない。前世で知る国王は自分が上に立っていることを、言葉で……そして行動ではっきりと示してくるような人物だった。
セドリックはその対極にいて、それゆえに頼りなさすら感じてしまう。
サンルームにはセドリックのいる場所以外にも、テーブルが持ち込まれていて、いくつかの箱が置かれていた。
ニネットがそちらへ視線を動かすと、彼は嬉しそうな顔になる。
「私からの結婚祝いだ、ぜひ受け取ってもらいたい」
セドリックは得意げに箱を開けはじめ、これがなにかを説明していく。最初のひとつは古い燭台。実用品というよりも装飾品の意味合いが強そうなアンティークだ。
次は真珠のネックレス。カメオのペンダントがついているのは、少し昔に流行したデザインだ。粒の大きさや色味、輝き……よい品ではあるものの、王族がわざわざ贈ってくるような、特別な品でもない。
でも、なにかが引っかかる。
ニネットは頭に痛みを感じたが、顔には出さないようにした。
「そして、これがとっておきの品物なんだ」
セドリックが最後に見せてきたのは懐中時計で、これも古い品物だ。その時計を見た瞬間、手が震えてしまった。
(これは……「お父様」のもの。そして、さっきの首飾りは、「私」のものだわ)
蓋に描かれているのは、蜥蜴と百合。レティシュ家の紋章を幾何学的に散りばめた意匠で、前世の父……レティシュ家の当主が所有していたものだった。首飾りは、エディスが母から譲り受けて使っていたものに違いない。
「……どれも随分古いものですね。なにか……特別な意味があるのですか?」
なんのためにセドリックがこれをニネットに見せてきたのか、今はその意図がわからない。
絶対に動揺などするなと自分に言いきかせ、前世の記憶を持っていないただの令嬢なら、どんな反応をするか必死で考え、応じることにする。
思っていたほど興味を惹かれない古めかしい貴金属に、がっかりしてしまう反応がきっと正解だ。
「なんだ、やっぱり君は叔父上のコレクションまでは知らないのか」
セドリックはニネットの無知をばかにしたわけではないようだ。むしろ知らないことを喜んでいる。
「君は、叔父上のなに?」
「もうじき、妻になる者です」
「でも君はあまりに叔父上のことを知らなすぎる。実はこの懐中時計には、秘密が隠されているんだ。特別に見せてあげよう」
秘密など見せる必要はない、そう伝えようとしたがセドリックの動きのほうが早かった。
セドリックが細い針のようなものを取り出し、上蓋の側面にあった小さな穴に差し入れる。すると上蓋の部品が外れた。露わになった内部には、肖像画が隠されていた。ブルネットの髪の少女……それが誰であるか、ニネットはすぐにわかった。――エディスだ。
「この人が、叔父上の心の中にずっといる。君とよく似たブルネットの髪の女性だ」
セドリックが挑発するように言ったが、彼に対しての警戒はすでに解けつつある。セドリックは幼稚な行動をとっているだけだ。
公爵の想い人は別にいる。ニネットが代替え品であると、彼はニネットにわからせたいらしい。
(公爵が摂政から退くって言っているから、嫉妬しているのね……)
舞踏会の時にニネットに興味を持っているように装ったのも、公爵の興味を惹きたかったからに違いない。
「国王陛下は、公爵閣下のことが大好きなのですね。……私は陛下からなにかを奪おうとしているわけではありませんのに」
ニネットは、あざ笑うように目を細めた。はっきり言ってセドリックのことは怖くない。きっと今日の出来事が公爵の耳に入れば、彼は半べそをかくことになるだろう。多少無礼に振る舞っても、平気だと判断した。
ニネットの分析は正解だったのか、セドリックはかっと恥ずかしそうに顔を赤らめ、横を向いてしまう。彼はまだ子どもだ。年齢はニネットと同じはずだが、精神は熟していない。それとも彼が年相応で、自分のほうが人と違っておかしいのか。
「許してくれ。……叔父上のコレクションなのは、本当だ。もとは叔父上に喜んでもらいたくて、手に入れたんだ」
そして彼は、どうやら救いようはある性格だったようだ。国王という立場で、下の立場の者に素直に謝罪するのが正しいのかはわからないが、人としてはそれほど憎めなかった。
「肖像画を見たことは黙っておきます。公爵様のお心は、公爵様からお話してくれるまで待ちたいので。贈り物は確かに受け取りました。もう、よろしいでしょうか?」
彼を追い出そうとしたのは、わざとではない。さっきから頭の痛みが増していて、平気なふりが難しくなりそうだったのだ。
セドリックがこうして、禁忌となっているはずのレティシュ家のものを入手してきた意味はわからないが、もうどうでもいい。ニネットの興味は、懐中時計の肖像画にばかり向いている。
(お父様が、どうしてあんな細工をしていたの?)
前世の父親は、冷たい人間だった。愛情がまったくなかったとまでは思っていないが、娘が未来の王妃に選ばれるよう厳しく教育し、魔窟のような宮廷に送り込んだのだ。婚約者に選ばれてからは、どんなに苦しくとも、弱音を吐き出しても、助けてくれることはなかった。
そんな人が、肌身離さず持っていた懐中時計に、娘の肖像画を忍ばせておくなんて思えなかったのだ。
(だめよ……考えるのをやめなきゃ)
過去と現実の区別がつかなくなるのは、よくないことだ。頭痛だけでなく、朝から抱えていた胸の痛みが一気に増して、立っているのもつらい。
「ニネット嬢……やはり気分を害してしまったのだろう? それとも具合が? ……確か、あまり身体が丈夫ではないと聞いている」
セドリックにも不信に思われてしまう。彼は心配そうな顔になり、ニネットに近づいてきた。
「大丈夫ですから――」
放っておいて、そう伝えようとしたが最後まで言い切ることができなかった。ゴホゴホと咳き込みだしたニネットの、口を覆った手に血が付着している。
(イヤだ……あの時みたい)
前世の自分が死んだ時と似た状況に、怖くなる。でも今回は毒を盛られたわけではないというのも、なんとなくわかっていた。これは呪いの弊害だ。
「ニネット嬢、なにが?」
「私に近づかないでください!」
警戒からつい大きな声を出してしまったから、余計に苦しくなる。呼吸困難に陥ったニネットは、ついにその場に崩れ落ちた。
「ニネット様!」
出入り口のあたりに控えていてくれたはずのアンが、異変に気づき慌てた様子でやってきてくれた。アンがいてくれたら大丈夫。そう安堵するのは、まだ早かった。
セドリックが近くにいて、彼はニネットを介抱しはじめたのだ。
「吐いたものを詰まらせるといけない。喉元を緩めてあげないと」
セドリックはニネットのブラウスのボタンに、手をかけた。すかさずアンがそれを拒んでくれる。
「お待ちください。陛下といえどもこれは!」
「命に関わるかもしれない。ここにいる人間が黙っていれば醜聞になどならない。優先すべきことを間違えるな」
もしニネットが普通の女性だったら、彼を見直し感謝していたところだが、普通ではないニネットにとっては最悪の事態だ。
セドリックはアンの制止を振り切って、ニネットのブラウスのボタンを上から外していった。不幸中の幸いだったのはニネットが胸の苦しさから、痣のある部分をしっかりと抑えていたことだ。
「ニネット嬢、そんなに強く服を握りしめたら、あなたの手が傷ついてしまうぞ」
優しく言い聞かされても、聞こえないふりをする。この手の力を緩めてしまったら、セドリックに薔薇の痣を見られてしまうから。
どうか、どうか――。
アンは王太子には逆らえない。セドリックを止められる人は一人しかいない。ニネットは必死で祈った。
「――いったい、なんの騒ぎだ?」
公爵の声が響き渡る。彼が帰ってきたのだ。人の帰りをこれほど待ち望んでいたことが、今までにあっただろうか。
「こう、しゃく……さま」
「エディス!」
私はエディスではないのに。ニネットは公爵にそう言いたかった。でも、彼が来てくれたからには、もう大丈夫だと安堵する気持ちのほうが勝ってしまう。
(……お帰りなさい)
ニネットは、アンに代わって公爵が自分の身体を支えてくれたところで、目を閉じて意識を手放した。