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平穏の中で浸食する闇について2

「……大聖堂は問題ない。今の国教会に聖なる力を持つ者など存在せず、とっくに形骸化されているそうだ」


 たった今聞いてきたような情報を、公爵は口にする。


「誰……がそんなことを?」


 ニネットはつい尋ねてしまった。


「誰、という表現が正しいかわからない。もし君が己の身体に異変を感じるとしたら、それはすべて己の問題――そう言っている」


 はっきりとした答えが得られず、ニネットの自己責任のように言われるのは不愉快だ。しかも姿を見せずに、好き勝手言っているのならなおさら。


 人ならざるものは、いつもどこに隠れているのだろう。知りたい気持ちもあるが、ここで恐ろしい悪魔を呼び出されても困る。とにかく関わらないようにするのが一番だ。


「呪いを解いていただけるのは、いつですか?」


「結婚式が終わったら、いつでもいいが……領地で行うほうが安全だ。なるべく早く領地に向かおう」


「領地のほうが安全って……? 場所は、どこでもできるのですか?」


 だったらわざわざ領地まで行かずとも、王都で済ませられないものか。ニネットは王都どころか、自分の部屋からほとんど出ることがなかった引きこもりだ。その感覚では、オベール公爵領までの長旅が不安だった。


「可能だが、後始末の問題が発生する」


 公爵は立ち上がり、書斎の本棚から一冊の本を取り出しニネットに見せてきた。


「これは、王家が国教会に秘密で隠し持っていた禁書だ」


 とても立派で、そして古そうな本だった。公爵が中を開きページをめくっていく。興味深く観察していたニネットだったが、書かれている内容はよく理解できない。ところどころ、自分には読めない文字が入っているからだ。


「それは、きっと王宮から持ち出してよいものではないですよね?」


 国教会が認めていない、悪魔に関する記述を王家が所蔵していて、公爵はそれを自分のもののように扱っている。ニネットは、大きな秘密を暴露され驚きを隠せなかった。


「模造品とすり替えてあるし、今は存在すら忘れられているものだ。この禁書には、悪魔と関わる方法が記されている。呪いを解くにはこうやって、大地に文字を描く儀式を行う。……もしかしたら、あの庭のように汚染されてしまうかもしれない。領地ならごまかしがきく」


 確かに王都には、至る所に人の目がある。


「なにも聞かないのだな……」


「……?」


 聞きたいことは、ちゃんと聞いている。ニネットの認識はそうだ。しかし公爵は指摘してくる。


「君の呪いに、私がどう関わっているのか、曖昧なままで気にならないのか?」


「それは……」


 ニネットは、エディスの記憶を持っているから、公爵――リュカが悪魔の手を借りて、ニネットを生まれ変わらせたのだと自然と解釈できた。


 でも彼は、自分が関わっているということしか、ニネットに直接説明してはいない。人は「知らない」ことに恐怖を覚えるもの。知りたがらないニネットのことを、不自然に思ったようだ。


「聞いたら、怖くなってしまいそうなんです」


「……それなら、今はこのままで」


 ニネットのごまかしに、公爵はとりあえず納得してくれた。


(もし私がエディスだと伝えたら、あなたはこの先どうするの?)


 記憶を持っていることを知ったら、彼はきっと喜ぶだろう。


 まるで、自分で自分に嫉妬しているみたいだ。でも確かにニネットには二人の人物がいる。エディスとニネットはまったく同じ存在ではない、少なくともニネットはそう認識している。



   §



 その晩、ニネットは悪夢を見た。


 自分が、あの黒い靄の中に飲み込まれて、大きな獣のような存在にむしゃむしゃと食べられてしまう夢だ。死を覚悟した瞬間、景色は一気に過去へと遡る。


 目に映ったのは、まだ黒に染まっていない頃の五月の庭だ。身動きがとれないのは、エディスが毒に倒れたその瞬間の夢だったから。


『許さない……絶対に許さない、死なせない、殺してやる』


 リュカは何かに取り憑かれたように、夢中で地面に文字を描いていた。止めなくてはいけない。そう思ったのに「私」は声すら出すことができなかった。庭園は昼間の明るさを失って、雷雲のような暗闇に包まれる。


 ほとんどなにも見えなくなってしまったのは天候の変化のせいなのか、それとも自分が死にゆくせいなのか。


『禁書の悪魔よ、……と引き換えに、僕と契約を。エディスを救ってくれ』


 リュカはとても恐ろしいことを口にした。


(待って、リュカ……だめ、お願い待って!)


 心の叫びは、当然リュカには届かない。


 

 ――だったら私が。

 

 沈んでいく意識の中で、最後になにを願ったのか。思い出せないまま、ニネットは目を覚ました。

 

 

 前世の夢を見たときは、決まって涙を流しながら目覚める。これまでニネットは、エディスが物心ついてから死ぬまでの記憶を、ほとんどすべて拾い集めていたと思っていたが、違ったのだろうか?


 今日見た夢は、どこか釈然としないものがあった。


「だめだ……思い出せない。あの時、なにをしようとしたの? なにを願ったの?」


 とても大事なことを、忘れてしまってはいないだろうか? 漠然とした不安が、ニネットを襲う。


(それとも、今日の夢は死んだあとの出来事で、ただの妄想なのかしら?)


 これまでのニネットの記憶では、エディスは毒に倒れ、リュカの目の前で絶命したはずだった。しかし今日の夢では、リュカが悪魔を召喚しているらしい姿まで見ることができた。


 本当に目撃していたのか、昨日の「禁書の悪魔」の話が影響しているのか定かではない。目覚めてから、ニネットとしての意識が強くなって、もう夢を思い出せる気がしない。


 記憶を探るのを諦めたニネットは起き上がったが、身体のだるさと胸の痛みを感じた。ナイトドレスの襟元を覗いて、憂鬱なため息を吐き出す。


 また、黒い痣が大きくなっていた。

 これが呪いだというのなら、ニネットは確実に、深く蝕まれている。

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