表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/21

予期せぬ求婚について4

 リュカ・オベール公爵の婚約の報は、翌日には一気に世間に知れ渡った。


 まだ国王の許しも得ていないだろうに、新聞の一面を飾り賑わしている。


『オベール公爵は、ニネット・マズリエ嬢を薔薇の精霊と見間違えた』


 入手した記事の一文を読み上げて、ニネットは思わず額を押さえる。どうやら二人の出会いは、事実のとおり先日の舞踏会となっているようだ。ただ、合っているのはその部分だけで、ほかはすべて捏造されていた。


 舞踏会で一目惚れをした公爵が、ニネットにダンスを申し込んだ。しかし、奥ゆかしい性格らしいニネットは注目をあびたくないと一度は拒否をしてしまう。諦められなかった公爵は、庭に連れ出して月明かりの下でダンスを踊った……という内容になっていた。


 情報もとは「公爵の側近」というが、それらしき人物はあの夜も、そして昨日も近くにいた気配はない。それなのに、二人の舞踏会での出会いが子細に書かれている。どう考えても、公爵自ら手を回して書かせた内容だった。


 かなりやりたい放題だ。


(そういえば、国王と公爵の関係って……どうなっているのかしら?)


 エディスが死んでからの一年間の出来事を調べてみると、おかしな点がある。セドリックの父親であるジェラルドと王母となったロザリーの関係。それにセドリックの出生に関するものだ。


 ジェラルドはエディスの死後、数カ月で病死している。先代の死をもって次の王の治政がはじまるのだが、半年かけて準備する戴冠式を待つことができなかった。


 ジェラルドは病を患いながらも、国教会に願い出てロザリーとの婚姻を整えたとされている。公表されないまま国王の妻になり、その国王が逝去した。ロザリーが王太后ではなく、ただ「王母」と呼ばれる理由はここにある。


 セドリックはジェラルドが死んでから生まれてきた、生まれながらの国王だ。奇跡の存在と賛美されているが、空白の期間にリュカは国王とならず、摂政となった経緯もよくわかならい。


(公爵様に直接尋ねれば、教えてくれるのかしら?)


 気にはなるが、それは危険な行為でもある。彼に自分がエディスの記憶があると悟られたくはないから。 


 いずれにしても公爵はニネットの記憶にある、あの少年のような純粋な人ではないことはわかる。抜かりない情報の操作から、油断ならない面を感じている。



   §



 国王セドリックに挨拶をすることになったのは、それから数日後のこと。公爵から届いた手紙によると、話は通してきたから、挨拶だけしてほしいということだった。


 ニネットは朝から慌ただしく準備に追われていたが、舞踏会の時に比べれば、昼間のほうが気楽な面もある。貴婦人の昼のドレスは、もとから肌の露出を控えめにする決まりがあるので、ドレス選びに苦労することがないのだ。身に付ける宝石も、夜よりずっと抑えたものでいい。


 この日も母に手伝ってもらい、衿の高い若草色の清楚なドレスに着替え、迎えにきた公爵家の馬車に乗り込んだ。王宮までやってきたところで扉が開くと、そこで公爵が待っていてくれた。


 彼の手を借りて、馬車を降りる。顔を上げれば、今日も荘厳な宮殿がそこにそびえ立っていた。


「緊張しているのか?」


「緊張せずにいられるほど、私は図太くはありません」


 これから案内される場所は「謁見の間」だ。あの場所で、かつての国王に手ひどく扱われた記憶もすでに取り戻している。できれば近付きたくない場所だった。


 建物の中に進んでいくと、どんどん足が重たくなっていく。ニネットは、頭のなかで自分の名前を呪文のように唱えた。


(私は、ニネット・マズリエ。……エディスではない別の人間)


 今、ここにいるのは稀代の悪女という虚構の下に埋められた、哀れな令嬢ではないのだ。しっかりしなくては。


 たどりついた両開きの大きな扉。広がっているのは、記憶にあるとおりの、黄金で装飾されたきらびやかな場所だった。


 玉座に座るのは、セドリック国王。そして、高官と思わしき幾人かの家臣だ。

 ニネットは、この場に王母ロザリーがいないことに安堵した。


「二人の結婚を認めよう。すべて公爵のしたいように」


 彼からの言葉は、たったそれだけだった。セドリックも公爵も、舞踏会でのやりとりのように、くだけた態度ではなかった。今は国王と臣の上辺だけのやりとりだ。


「国王陛下に感謝申し上げます」


 ニネットは公爵の言葉に合わせて礼をする。国王への挨拶は、たったこれだけで終わった。




 偶然なのか、王母ロザリーの姿を目撃したのは、謁見の間を出て回廊までやってきたときのことだ。

 別棟の二階の窓から、じっとこちらをみつめていた。


 舞踏会でのロザリーは、自分が一段高い場所にいる人間であることを自覚した、自信に満ちあふれた女性だった。しかし、今の彼女は違う。


 じっと、見つめているのはニネットではなく、公爵のことのようだ。


(怯えているの? 公爵様に?)


 それほど距離が近いわけではないが、窓越しにも彼女の表情が不気味に見えた。生気のないような、幽霊のような顔だ。


 歩みを止めることがなかったので、やがてロザリーの姿が見えない場所までやってきても、ニネットは彼女のことが気になり、それ以外のことを気にしていなかった。


 はっと気づいたのは足下が、それまでの磨かれた大理石の床から、でこぼことした灰色の石畳の道に切り替わったときだった。

 

 公爵に導かれるまま歩いてきてしまったが、行きと違うルートだったようで、馬車がある入り口ではなく、庭園のほうにやってきてしまったようだ。


「もしや、あの庭に行かれるのですか?」


 奥へ進めば、黒い薔薇の庭に繋がる。彼はまたそこに行くつもりなのかと不安になった。


「あの庭には行かない。どのみち呪いを解くのは結婚後になる。遠回りしたのは、ただ君との時間を引き延ばしたかっただけだ。……どこかで誰かが、私達を見ているかもしれない。仲睦まじいところを見せつけておくのもよいだろう」


 公爵は途中から歩みを止めて、ニネットに内緒話をするように耳の近くで囁いてくる。近くに人は見当たらないが、もし人に目撃されていたら、まるで恋人同士の語らいのように見えるだろう。

 公爵がはじめた内緒話に便乗し、ニネットも背伸びをして彼の耳元近くで、小さな声で話しかけた。先ほどの謁見でどうしても気になっていたことがあったからだ。


「あの……どうして、王母様は公爵様を恐れているのですか?」


 婚約者同士の甘やかな話は、二人の間ではまだ成り立たない。立ち入ったことではあるが、ニネットが本当に公爵夫人になるのならロザリーと公爵の今の関係について、きちんと知っておきたかった。


 公爵はこの質問に嫌な顔を見せなかった。それどころか内緒話をやめて、はっきりとした口調で答える。


「なにかとてつもなく後ろ暗いことでもあって、いつ私に殺されるか怯えているのだろう」


「公爵さま!」


 ニネットは思わず、公爵の唇に自分の手をあてた。

 この宮殿の中で高貴な人の生死に関する事柄を堂々と口にするなんて、豪胆を通り越して馬鹿げている。もしあの垣根の向こう側に誰かが潜んでいて話を聞かれでもしたら、それだけで罪に問われるだろう。


 ただ、これではっきりした。公爵の立場は相当に強いものであると。


「私はあなたのことを、なにも知らない……」


 エディスだった頃の関係とあまりに違ってしまい、思わず吐き出した。

 あの頃の彼は、幼い自分の無力さを知り嘆いている純粋でけなげな子だった。


「私に関して興味を持ってくれるのは嬉しい。聞きたいことがあればなんなりと質問をしてくれ」


「では……お返事は小声でお願いしますね。公爵様の敵はどなたで、味方はどなたですか?」


「敵か……。あの女……ロザリーはたいしたことはできない。それよりも離宮にいる王太后が危険だ。あの人は残っている人間のなかでもっとも憎むべき相手だ」


「憎いのですか? ……だってあなたの」


「実の母親だが、憎い。いや……実の母親だからこそ憎い。君を失望させただろうか?」


「いいえ、よほどの理由がおありなのでしょう」


「国教会。そして廷臣のほぼすべても味方ではないな。そして、私の味方は……そうだな、君のことは信頼している。君のご両親もできれば味方に入れておきたい。君が好いているのであればね。公爵家の家令や使用人達も大丈夫だ。きっとこれからの君を支えてくれるだろう」


「国王は?」


 そこで公爵は急に顔をしかめる。


「それは君が気にすることではない。セドリックに興味を持つ必要はないよ」


 そっけなく彼が言った真意がわからず、ニネットは首をかしげた。相当な不仲なのだろうか? 先日のセドリックは、公爵に対して親しげに話しかけていたように見えたので、少し気の毒に思えてしまう。気持ちの一方通行ほど、悲しいものはないから。


 想像すると知らずに複雑な気持ちになった。それが顔に出ていたのだろうか? 公爵は不本意だと顔をしかめる。


「いや、勘違いしないでくれ。十歳も年下の甥をいじめてなどいないから。君は私の婚約者だ。ほかの男に興味を持つなということだ」


「……は、はい。かしこまりました」


 声がうわずっていた。どういう心理でそんなことを言うのか想像してしまったのだ。


「命令ではない。これはお願いだ、ニネット」


 公爵がニネットの名を、親しげに呼ぶ。これも円滑な婚姻をすすめるための作戦なのだろうか。嫉妬心を見せられ、名前など呼ばれたらどうしたって落ち着かない気分になる。


 十年間狭い世界で空っぽだった心が、急にこの人の手によって満たされていくような気持ちだ。


 前世とは違う感情を彼に抱いてしまいそうで、少し怖くなった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ