残忍な王と結婚したのは人質として差し出されたお姫様でした
ガルノート=バルザビートは戦乱の時代において周辺国家から危険視されるほどに力ある王である。
(公式発表では事故死となっている)先代の王にして実の父親をその手で殺して、己が率先して先陣を切って戦争を繰り返し、たった三年で複数の国を征服して支配領域を何倍にも増やし、十八歳という若さで大陸の半分を支配する大国にいくつかの『警戒標的』と並んで敵に回しては厄介だと評価されている、と言えばその実力もわかるだろう。
獅子のように逆立った金髪に猛禽類のごとく鋭い紅の瞳、常に動きやすく防護面にも秀でた漆黒の鎧やこれまた闇が零れたような漆黒のマントを身につけており、王というよりは傭兵といった風に鍛え上げられた偉丈夫たるバルザビートの若き王は間違いなく歴史に名を残す傑物だ。だからこそ三年前まではどこも警戒していなかったバルザビート王国が大国はもちろん『警戒標的』である帝国や魔法都市や聖地に蹂躙されずに済んでいるのだ。
……ただし、目的を果たすためなら『何でもやる』ガルノート=バルザビートの残忍さは敵だけでなく味方にまで向けられる。彼が不要だと判断すれば長年国に尽くしてきた者であっても容赦なく切り捨てることから敵だけでなく味方までもが恐れる王として有名であった。
そんなガルノートは何よりも効率を優先する。いずれは滅ぼすにしても、今はまだ敵対するべきではないとして大国からの同盟(……とは形だけの、どちらもいずれは裏切ることが前提だと考えているが)の申し出を受け入れ、わかりやすい同盟の証として二つほど年下の大国の姫君を娶ることにも何の感慨もなかった。
七人の姫、その末妹。
その彼女が公的な場には一切出ておらず、調べによると『何か』により大国の王から疎まれており、普段から離宮で監禁同然であったためにどんな人物か詳細が不明であってもそれは変わらない。
妻など単なる記号でしかない。
そもそも最低でも大陸を統一することができなければ自分の血を後世に残すつもりはないので跡継ぎを残すという最低限の役割さえも期待していない。
大国に勝つための力を得る時間稼ぎ。そのための形だけの結婚でしかなく、そこに愛などというものは芽生えるわけがなかった。
ゆえに王の結婚という一大イベントを国内外に告知はしても大々的に祝うこともなく、国民に対して顔見せをすることもなく、何なら結婚したという事実を告知して数日後の今日に姫君と初顔合わせという始末であった。
……結婚の告知をした日には姫君は王城に到着してはいたのだが、次の戦争の準備を優先したがために今日まで顔を合わせるのが遅れたのだ。
そのことに執務室で『火種』に関する報告書に目を通しているガルノートに思うところは何もない。
もしも姫君が現状に不満を感じているのならば姫君自身の手で覆すために行動すればいい。それこそ隣国が攻めてきた時に戦うのではなく自分が生き残ることを優先して降伏しようとした先代の王にして実の父親をガルノートの手で殺した時のように、必要だと感じたならば姫君も剣を手にとればいい。もちろん素直に殺されてやるつもりはないにしても。
と、そこで執務室の扉がノックされ、『陛下、シルア様がいらっしゃいました』とメイドの声がかかった。その声に僅かながら震えが滲んでいることからもガルノートがどれだけ恐れられているかが窺える。
「入れ」
漆黒の鎧に闇が零れたようなマントを羽織った屈強なガルノートは机に広げた書類から目を離さず、そう告げた。
姫君が入ってきたところで形式的な挨拶こそすれど、一度も書類から目を離すこともないだろう。
それくらいガルノートにとって興味のないことだから。
己が娶った女のことであってもそれくらい無感動に切り捨てられるからこそ彼はどれほど残忍なことでもすることができ、結果として複数の国家を滅ぼして戦乱の時代で生き残ることができているのだ。
だから。
だから。
だから。
「へいへーいっ、シルアちゃんの登場だ、とっ、あっぷ、ふぎゃあ!?」
どっぱあーん!! とそれはもう勢いよく扉を開いて、彼女は元気よく声を張り上げた。というか、仮にも一国の姫君だとは思えないほど荒々しく駆け寄ってきて足を滑らせてガルノートが書類を広げていた机に頭から猛牛もかくやと言わんばかりにぶつかったのだ。
それはもう思い切り、黒を基調としたそれなりに大きな机が浮かび上がるほどに。
「なっなんだ!?」
思わずガルノートが顔を上げるのと、彼女がにょきっと机を跨ぐように上半身を乗り上げるのは同時だった。
純白のドレスの、銀髪碧眼の小柄な美女であった。
姿だけなら聖書の中に記されている白銀の妖精がそのまま飛び出してきたかのように美しい……のだが、どうにも見た目に反して纏う空気がズレていた。
神話の妖精のように神聖な美しさを纏っていようとも、素直に彼女を美しいと評するには抵抗があるのはお姫様とは思えない登場の仕方だったからか。
鼻と鼻とが触れ合いそうなほど至近でぶつけた額を赤くして、妖精というよりは悪童といった風に快活に笑って大国の七番目の姫君はこう言った。
「どうも、シルア=リルフォンスでっす。あ、今はシルア=バルザビードだった! とにかくこれから夫婦としてよろしくねっ☆」
「お、おう」
敵国の首都を焼き払い、炙り出した王族をその手で斬り殺した時だって表情を変えなかった残忍な男が狼狽えていた。
大国の七番目の姫君。
公の場には一切出ていないほどには蔑ろにされていながら、バルザビード王国のことをある程度の期間は懐柔したいがさりとて下手に出過ぎたいわけではない大国の思惑に見合う『そこまで重要ではない王族という記号』を満たしている都合のいい姫君であるからと結婚とは名ばかりの人質として差し出されたというのに、どうしてこんなにもテンションが高いのか。
もっと悲壮感なり憎悪なりあってもよくないだろうか?
少なくともガルノートが同じ立場であったらこんな風に明るく笑えるとは思えない。
思えないのだが、現に目の前でニコニコ笑っているのだから反応に困る。
「いってて。なんか頭が痛くなってきた……っと、なになにそんなに見つめちゃって。あ、もしかして見惚れちゃってた? かなかな、だよね、私ってばかわいすぎるもんねっ。てれてれ」
「……なんだ、こいつ……?」
「さっきも名乗った通り、超絶かわいいシルアちゃんだよっ! ふっふん!!」
自軍の五倍もの敵軍が攻めてきた時も、敵軍に砦を囲まれて食糧が枯渇した時も、魔獣の群れに襲われて自軍が壊滅しかかった状態で敵軍に遭遇した時だって迷うことなく即断していたガルノートであるが、正直に言ってこういう時どうすればいいのか見当もつかなかった。
本当、なんだこいつ???
ーーー☆ーーー
と、混乱しまくって仕方なかったというのにだ。
「さあ、初夜と洒落込もうよべいべーっ☆」
どうにか謎に元気な姫君との初顔合わせを終えて、自室に戻ったガルノートを出迎えたのは自分の部屋で休むよう言って帰したはずのシルアだった。
それも、
「……、何で人質同然に娶られた女が真っ裸でしかも仁王立ちで待ち構えてやがるんだよ」
「仮にも妻となったからにはきちんと役割を果たさないとだからねっ。というわけで、さあさあ!!」
「ちょっ、待て待て待て! 飛びついてくるな、俺は別にお前をどうこうするつもりはないんだって!!」
慌てて飛びかかってきた姫君の両肩を手で押し留めるガルノート。基本的に距離感の近すぎるシルアはガルノートの顔を下から覗き込みながら首を傾げていた。
「どうこうするつもりはないって……初夜は? 若き王の欲情を超絶かわいいシルアちゃんにぶつける展開は???」
「そんな展開はない」
「えー」
「いや、何で不服そうなんだ? 普通今日初めて会ったばかりの男に身体を許すとか嫌だろ」
「でも、私ってばかわいいからガルノートさまが我慢できなくなるのも仕方ないかなーって。そうそう、そうだよ、本当は今すぐ貪り尽くしたいんだよねっ。いいよいいよ、許してあげるからキュートでビューティフルでエクセレントでフルーティーな私の身体を好きにしちゃっていいよっ」
「好きにしないから、とりあえずその色々と剥き出しなのを隠してくれ」
言って、ガルノートは羽織っていたマントをシルアの肌が隠れるように押しつける。……その際にあらぬ方向を向いていたのは男として最低限の礼儀であり、改めて考えると若い異性の肌が目の前にあることに思うところがあったわけではない。ないったらないのである。
「ガルノートさまは変わっているね」
「それ、お前にだけは言われたくないな」
「ねえ、本当にいいの? 超絶かわいいシルアちゃんを抱き放題なんだよ? しかも今なら……ええと……初回無料のおまけつき!! あ、いや、何回目でも夫婦の営みにお金が発生することはないんだけどねっ」
「だからそういうことはしないから変な気を遣うな。もう夜も遅いし、自分の部屋に帰って休んでくれ」
「…………、変なの。まあ、ガルノートさまがそれでいいならいいけどね」
小さく、滲むような笑みがシルアの口元に広がる。
これまでも笑顔ではあったが、どこか違うと感じる笑みが。
そうやって静かにしていれば目が離せないほどに美人なのにと、そんなことは思っていても決して口にしないが。
「あ、もちろん抱きたくなったらいつでも声をかけてねっ。シルアちゃんのかわいさに悩殺されて我慢できなくなるのはこの世に生きとし生ける男の子なら仕方ないことなんだしねっ」
ぶんぶんと手を振って騒がしく部屋から出ていくシルアを見送って、ガルノートはこれから大変になるのではと額に手をやっていた。これなら軍勢に突っ込んで敵兵を殺しまくるほうが遥かに気楽というものだ。
ーーー☆ーーー
翌日。
朝早くに忍び寄る気配に目が覚めたガルノートは飛び上がると同時にベッドに置いていた剣を抜き放っていた。そうして反射的に迎撃に移行しながらも、頭の隅には疑問もあった。
気配の主は暗殺者にしては身のこなしも何もかも素人同然だった。
王の部屋に踏み込むことができた襲撃者にしては実力が見合わない、とそこまで考えて、まさかという心地で剣を止めて、気配の主を見ると、そこには予想通りの相手が立っていた。
すなわち妻となったシルアが。
当の彼女は夫から剣を向けられ、それこそ後少しガルノートの判断が遅ければ首を刎ねられていたというのになぜか目を輝かせていた。
「わあっ、今の全然見えなかったよっ。さっすがガルノートさまっ!」
「普通怯えるなり、怒るなりしないか?」
「何で???」
神経が図太いのか、単に何も考えていないだけなのか、シルアは『あ、そんなことよりっ』と言いながら両手を合わせ──
「馬鹿っ、腕を上げるな! 怪我したいのか!?」
「おっと、危ない危ないっ」
本当に危ないと思っているのか、シルアは刃が腕に当たる寸前だったというのに笑顔を浮かべていた。そのままこんなことを言い出したのだ。
「それよりガルノートさまっ、一緒に朝ご飯食べましょう! 何せ夫婦なんだから一緒の食卓を囲むのは当然なのでっす☆」
「……、はぁ。好きにしてくれ」
色々と言いたいことはあったが、朝からこの女にまともに付き合っても疲れるだけだと了承するガルノート。もしも時間を巻き戻せるのならば、何が何でも断っていただろうが。
何せ誰も予想しないだろう。
食事が運ばれてきた途端に複数の国を『何をしてでも』征服し、支配領域を広げてきた残忍なる王の膝に座ってくるなどとは!!
「なんだ、これは?」
「夫婦なら膝に座って食事というのが普通だよねっ」
「いや、普通じゃないと思うぞ」
「もちろん食べさせてくれるよねっ? 『あーん』って声をかけるのを忘れずにお願いしまっす☆」
「そもそも膝に座らせている時点であり得ないというのに『あーん』とかやるわけないだろ!?」
「えー」
「えー、じゃない!!」
額に手をやろうとして、ガルノートは気づく。
食事の際には給仕を担当するメイドたちが近くにいるのが当然であり、この珍妙な光景もバッチリ見られているということに。
「……ッッッ!?」
ガルノートは別に意図して他者を威圧しているわけではない。あくまで効率的に、最も早く確実に目的を達する方法を選んでいくと必然的に残忍な手段を選ぶことになり、またそれを部下にも要求するからこそ恐れられているだけだ。
なので『恐ろしい支配者』を演じることで部下が逆らえないようにしている、などといった効果を狙っているわけではないので内心恐れていようが舐めていようがやるべきことをやってくれればどう思っていても気にしない。
……と、今まではそう考えていたが、これをどう思っていても気にしないで片付けるのは違うのではないだろうか?
メイドたちの目が『もうあんなに仲良しになっているんですね』とか『意外と好きな人には甘々なんですね』とか言いたげな温かなものに変わりつつあるのを放っておくのは本当に何か違うのではないだろうか!?
「……からな」
目的のためなら敵だろうが味方だろうが鮮血と死の底に沈めてきた残忍な男は普段通りの怯えに好奇心が混ざったメイドたちへとこう言った。
「これは、あれだ、とにかく違うからな!?」
その後、メイドたちの目がどうなったかは語るまでもないだろう。
ちなみに『あーん』はガルノートのプライドにかけて一度だけで勘弁してもらったが、結局食べ終わるまでシルアは彼の膝の上に座っていた。そんな彼女を力づくでどかそうとしなかったからこそメイドたちの勘違いは加速したのだが、そのことにガルノートが気づくことはなかった。
ーーー☆ーーー
ガルノート=バルザビードは敵兵の首を並べて、挑発を繰り返すことで敵軍が怒りに駆られて砦から飛び出してきたところを罠にかけて始末することも最善であれば即断するほどには残忍な男である。
誰もが恐れる残忍な王。
大陸統一という野望のためならば『何でもやる』自分が善人の類ではない自覚はあるので恐れられることも嫌われることも許容している。他人がどう思おうとも、進むと決めた道を逸れるつもりは毛頭ない。
だから大国の姫君を娶ると決めた時も、人質として差し出される彼女の気持ちなど考えてもいなかった。
また、あくまで結婚したという事実に価値があり、姫君自身には何の価値もない。ゆえに結婚という形式さえ成立すれば後は無価値な姫君のことなど適当に飼い殺しにすればいいと考えていた。
だからこそ。
姫君という存在が結婚後の生活においてこんなにも影響を及ぼすとは想像すらしていなかった。
『ガルノートさまっ、王都でお散歩デートしましょう☆』などと誘われて、護衛の関係など適当な理由をつけて王たる自分がそう気軽に城の外に出るのは無理だと答えれば『だったらお家デートといきましょうっ』と言われてガルノートの自室で一日相手をさせられたり。……一緒にチェスをしたり有名な英雄譚を題材にした本の感想を交わすのはガルノートも想像してなかったほどに楽しいと思えたが、ベッドに引き摺り込んでくるシルアを窘めるのは魔獣に丸呑みされた時よりも大変だった。
『ガルノートさまの誕生日って今日なの!? もうっ、何で早く教えてくれなかったのよっ。ようし、今すぐ誕生日パーティーと洒落込みましょう!!』などと言い出して、庭師からコックから近衛騎士から宰相からとにかく王城中の人間を巻き込んでどんちゃん騒ぎを起こしたり。……シルアに頼まれて今夜は無礼講だと許可はしたが、それにしても一発芸を披露しますとはしゃぐ騎士団長やら自慢の歌声を響かせる大臣やら仮にも王妃相手に肩を組んで踊り出すメイドや女騎士やら、いつもはピリピリしている王城内があれだけ騒がしくなったのは間違いなく好き勝手しながらもいつの間にか多くの人間と友好を深めていたシルアの影響だっただろう。
『ガルノートさまっ、目のクマが凄いことになっているよ!?』などと騒いでいたのは次の戦争の準備のために奔走していて疲れ切っていた時だったか。『ようし、ここは私の癒しパワーを見せる時だねっ。あ、こらっ、今日はもうお仕事終わりだよ!!』と言って、無理矢理に膝枕されたところまでは辛うじて覚えている。あまりにも疲れていたからか、そのことに何か感じる暇もなくすぐに眠っていたが。……なぜか起きた時にシルアが『だっだだっだきつっ、ガルノートさまがっ、悪くない、うん、悪くないよっ!!』と真っ赤な顔でくねくねしていたが、なぜかは今もわかっていない。
『ガルノートさまっ、手を繋ごうよ!』などと手を差し出してきたのは王城内を歩いていた時だったか。断ったら断ったで別の面倒ごとに発展するかもしれないからと手を繋いだまでは良かったが、どうしてだかヒュドラを迎え撃った時よりも心臓が暴れていた。……それはそれとして、行き交うメイドやら騎士やらが前のように騒ぐでもなく普通に受け入れているくらいには王城内の日常だと思われていると気づいて何とも言えなくなったが。
『ガルノートさまっ、今日は結婚して一ヶ月の記念日なんだよっ』などと言ったかと思えば、無理をするのでも演技するのでもなく、本当に屈託のない笑顔で『ねえガルノートさま。私ね、ガルノートさまの妻になれてすっごく幸せだよっ』と伝えてきた。……その後にシルアが抱きついてきて、それをメイドに目撃されて、残忍な王として怯えられていたのはどこにいったのか微笑ましげな話題として広がっていったのもいつものことである。そうすんなりと受け入れている時点でかなり毒されているのだろうが。
──姫君という存在が何か影響を及ぼすことはない。あくまで大国の姫君を娶ったという事実が重要であるのだから、などと今にして思えばとんでもないことだ。
シルアがやってきてからガルノートは振り回されっぱなしだった。
そして、それも悪くないと思っていることを、他ならぬ彼自身が信じられなかった。
まあ、それはそれとして少しは大人しくしてほしいとも思うのだが。
今も『今日こそガルノートさまを悩殺してやるんだから!』という声が部屋の外から聞こえていた。そうして部屋に入ってきたシルアは着ていた純白のドレス(いつの間にか一瞬で脱げるよう改造済み)を勢いよく脱ぎ捨てて、びしっと指を突きつける。
キメ顔で、言い放つ。
「さあ、覚悟することね、ガルノートさま!! 今日こそ年貢の納め時だよ、べいべーっ☆」
「ああもうっ、三日に一度はスッポンポンになるのいい加減やめてくれよな!?」
そうやって服を着る着ないで一悶着あるのも日常茶飯事になっていた。
ーーー☆ーーー
「や、やっと落ち着いたか……」
攻城戦力として使われているゴーレムを単騎で撃破した時だってそこまで汗だくにはならなかったくらいには息も絶え絶えなガルノートだった。ゴーレムを生み出した、今や魔法都市の重鎮になっている魔法使いだってまさか自分が生み出した最高傑作を粉砕するよりも脱衣姫君を大人しくさせるほうが大変だと思われているとは想像もしていないだろう。
件のスッポンポンプリンセスは渋々服を着て椅子に腰掛けていた。その視線がベッドに向けられていることには気づいていたが、ガルノートはもちろん突っ込んだりしない。下手に触れても不毛な争いしか起きないのは目に見えているからだ!!
「しかし、俺がどんな人間かわかっていて、お前もよくやるよな。同盟の証として差し出されたとはいえ、お前の身の安全は保証されていない。何せ同盟なんてのは時間稼ぎのための建前だからな。最悪お前が斬り殺されたからといって都合が良くなるまでは大国のクソッタレどもが報復に乗り出すこともないだろうしな。だったら下手に怒りを買わないよう大人しくしているものじゃないのか?」
いくらシルアが破天荒で能天気だとしても自分の立場くらいは理解しているはずだ。そして、ガルノートという男がどれだけ残忍な行いをしてきたかも。
怒りを買えばその場で斬り殺されることもある。そういう考えに至らないとは到底思えないのだが。
「うーん、そうかもだけど、それでも人生楽しまなきゃ意味ないじゃん。自分を押し殺して、息を潜めて、やりたいことを我慢して、そんなんだったから私は生きながらに死んでいたんだよ。だけど私は『外』に出ることができた。ひとりじゃなくなった! だったらもう無理だよ!! 例え本当に殺されることになろうとも、もう二度と生きながらに死んでいようなんて思えないよねっ!!」
「……、そうか」
彼女が大国で暮らしていた時にどんな扱いだったのか、どうして好き勝手できないなら殺されるほうがマシだと思えるほどに至ったのか。それは、詳しく聞かずとも声に込められたもので感じ取ることはできる。
だからこそガルノートは何も聞かずに頷くに留めた。
全部言いたくなったら彼女のほうから言ってくれるだろう。
「だから、だからねっ、私は感謝しているんだよっ。こんな風に考えられるのも『外』に出ることができたからで、つまりガルノートさまが私と結婚してくれたおかげなんだから!!」
「別にお前のために結婚したわけじゃない」
「だとしてもだよっ。『滅国の女』とか何とか、変な占いのせいで閉じ込められていた私が『外』に出られたのはガルノートさまのお陰なんだから!!」
おそらくはシルア以外の人間が同じ経験をしていればこんなに軽く話すことはなかっただろう。大国の王がその理由を徹底的に秘匿してシルアを離宮に監禁していたのだ。『滅国の女』というものにどういった意味があれど、その扱いがどれだけ悲惨だったかは想像に難くない。
自由なんてものは一切なかったはずだ。それこそ『ひとり』というのは比喩でも何でもなくそのままの意味のはずだ。
それでも、だ。
シルアは笑う。
「正直言うとね、最初は王の妻としての責任は果たすから好きに生きることを許してねって気持ちもあったんだよ。初夜だなんだ言って、責任を果たして、価値が生まれればそう簡単には捨てられないだろうってね」
だけど、その笑みは今まで見たことのないもので。
ボロボロで、暗くて、らしくなくて。
見てられないと、そんな笑顔は似合わないと、いつものように何も考えずにお気楽に笑っていてほしいと、そう思った。
「それでも、いつまでも好き勝手はできないだろうなーって諦めもあったかな。だから大人しくしよう、ってのはもう嫌だったから、こうなったら後でどうなってもいいやって吹っ切って徹底的に好き勝手やることにしたんだよ。だから、うん、跡継ぎを残すことも期待されず、王妃としての価値なんて全くない私がこんなにも好き勝手やっても許してくれるとは思ってなかったよ。お陰で調子に乗って色々はっちゃけ過ぎちゃったところはあるかも。まあ、いつまで経っても抱いてはくれないんだけどねっ。そこだけは徹底しているんだもんなぁっ!!」
「ふん。責任を果たさないとなどという理由で嫌々身体を許されてもな。お前はお気楽に、好きなことをしたいだけして笑っているほうが俺としても……なんだ。悪い気はしない」
「そ、そうなんだね。え、えへへっ。だからかな、うん、だからだと思う」
シルアは笑う。
だけどそれは先程までのものと違っていて、そう、いつも見てきた能天気でお気楽で、だからこそ惹かれるそんな笑顔だった。
「だからねっ、とっくの昔に責任を果たすためとか何とかそんな理由じゃなくなっていたんだよねっ」
「……ん?」
「だーかーらー! とっくに私はガルノートさまのことを好きになっているってこと!! わかったらさっさと抱けよこんにゃろーっ!!」
「なっ、待て、なんでそんな話になっている!?」
「何でも何も、気づいたら好きになっていたんだもん!! だったらベッドイン一択だよね☆」
「いや、いやいや、はぁ!?」
「おらおらぁっ! 女の子にここまで言わせたんだから男を見せるべきだよねっ!!」
「ちょっ、まっ、落ち着けって!!」
本当にシルアがやってきてから振り回されてばかりだ。
この気持ちをどう呼べばいいか、今はまだうまく言葉にできそうになかったが。
……ちなみに第二ラウンドも何とか凌ぐことができたが、こんなことなら魔獣の群れに単騎で突っ込むほうがよっぽどマシだと、ガルノートはこれまで誰も見たことのない表情で額に手をやっていた。
ーーー☆ーーー
シルアは『外』に出れるとは思っていなかった。
憎悪を埋め込むために苦しめなどと意味のわからないことを言いながら血塗れになるまで痛めつけられることもそう珍しくなかったくらいに苦痛しかなくとも、諦めて受け入れてしまっていた。
だけど彼女は『外』に出た。
ガルノート=バルザビードの妻になった。
だったら好きに生きてやろうと決めた。例えその結果、殺されようとも、もう二度と何も諦めたくなかったから。
──夫婦というものは、家族というものは、どれだけ憧れようともひとりでは手に入れることはできない。だから『あそこ』ではどうやっても手にできないものだった。
それが、気がつけばシルアの手の中にあった。
もちろん政略的なものであることは理解している。だけど、例え恋愛小説のようなキラキラしたものではないとしても、ハリボテのつくりものだとしても、少しくらい堪能したってバチは当たらないだろう。
王の妻としての責任を果たせば処分されるにしても時間は稼げるかもしれない、という打算があったことは否定しない。好き勝手してやると決めたとはいえシルアとしても別に死にたいわけではなく、ゆえに跡継ぎを残すというものは義務感と打算に駆られてのことだ。だから『それ以外』は見逃してほしいとそう願って。
それが始まり。
およそキラキラしたラブストーリーとは言えず、もしかしたら心のどこかにはどれだけ取り繕ってもずっと憧れてきた心踊る気持ちにはなれないだろうなと諦めにも似た気持ちもあったかもしれない。
だけど、だ。
ガルノートはシルアを完全に拒絶はしなかった。どこか呆れながらも、振り回されながらも、決して無理矢理押さえつけるようなことはなかった。
どれだけシルアが好き勝手に暴れても、それでもガルノートはなんだかんだ言いながらも最後まで付き合ってくれた。
ガルノートの隣にいると、それだけでシルアは心が暖かくなって幸せだと感じるようになっていた。
いつからかなんて覚えていない。
わかるのはシルアはどうしようもなくガルノートのことが好きになったということだけだ。
『滅国の女』という忌むべき何か。
大国をはじめとした周辺国家との戦争。
大陸は荒れに荒れており、いつ『次の戦争』が始まってもおかしくない。その結果、この幸せな日々が失われる可能性も大いにあるだろう。
だからこそシルアは笑う。
どんな結末を迎えようとも後悔のないように、大切で大好きな夫との思い出をできるだけ多く積み重ねるために。
「ガルノートさまっ。ひとまず抱く抱かないは置いておいて一緒に寝ようよ! 夫婦が別々で寝ているとかそんなのおかしいしね!!」
「馬鹿言うな。そんなことできるわけないだろう」
「えーっ!? なんでなんで!? それくらいいいじゃんっ。何もしないから、ねっ?」
「……だろうが」
「え?」
「一緒に寝るとか恥ずかしいだろうが!!」
「……………………、」
「な、何だよ? 俺だって男なんだから──」
「跡継ぎ残しましょう、ガルノートさまあ!!!!」
「ちょっ、だからっ服を脱ぐなあ!!!!」
……全体的に騒々しい思い出が多い気がするが、大切で大好きな人を前にして冷静にいられるわけないのだから仕方ないではないか。
ーーー☆ーーー
ガルノートとシルアが結婚して一年が経った。
帝国の次期帝王争い、魔法都市の魔力暴走事故、聖地の宗派分断といった多大な犠牲を生み出した混乱に乗じて大国もバルザビード王国もできるだけ利益が得られるよう立ち回った。
それら全ての出来事を引き起こすために裏で『火種』を用意して、燃え上がらせ、どこまでも被害を拡大させたガルノートはここらが潮時だと判断した。
大国もまたガルノートの暗躍には気づいていただろう。その上でこれまでは美味しいところだけを横から奪うために仮初の同盟を維持してきた。
だが、それもここまで。
主だった脅威はいつでも刈り取れる。それをガルノートが喰らって力に変える前にバルザビード王国を滅ぼしてしまえと大国は考えたからこその同盟破棄及び宣戦布告があったのが数日前のこと。
大国の軍勢がバルザビード王国の国境付近まで迫っていた。それを迎え撃つためにガルノートは軍を率いていた。
今日までは細部はどうあれ大筋はガルノートの思い描いた通りに進んでいる。ここだ。全ては大国を打ち破ることができるかどうかで大陸を統一できるかどうかが決する。
そう、今日まで世界を思い通りに引っ掻き回してきたガルノートだが、そんな彼の目の前に予想外が広がっていた。
「何でお前ついてきたんだ!?」
平原に軍勢を展開し、後数刻もすれば姿を現す大国の軍勢と激突するといった時にご丁寧に顔を隠していた兜を脱ぎ捨てたシルアがぶんぶんと手を振っていたのだ。
王妃という立場を鑑みてもこうして王たるガルノートに内密で軍勢に紛れ込む『お願い』が通るくらいにはここ一年でシルアは様々な人間に好かれていた。
悪びれもせずに軍馬に跨ったシルアは強靭な漆黒の軍馬に跨るガルノートへと距離を寄せてくる。
「何でって、バルザビード王国の王妃として国の大事にすっこんでいるってのはあり得ないからねっ」
「今から何をするかわかっているのか? お前の故郷の軍勢を打ち破り、そのまま征服するつもりなんだぞ!? いくら大国の王には冷遇されていたとはいえ、故郷が滅ぼされることに思うところはあるはずだ!!」
「だから私のこと除け者にしていたんだ。だったらお説教ものだよねっ!!」
「な、にを」
「私はガルノートさまの妻なんだよ」
それは、それだけは、力強く真剣に告げるシルア。
真面目な空気も次の瞬間にはふにゃふにゃになっていたが。
「そうだよ、妻なんだよ、えっへへ。だから、だからね、ガルノートさまの進む道こそ私が歩む道なんだよ。というわけで変な気を遣わないでよね。っていうか、そんなの色んな国をぐちゃぐちゃにしてきたガルノートさまらしくないよっ。もっと悪ぅーい顔してえげつないこと考えていたほうがよっぽどらしいって!」
「まったく。そんな男にこんなところまでついてくるとは、馬鹿な女だ」
「ふんだっ。どうせ私はばかだよっ。頭がばかになるくらいガルノートさまのことが好きなんだからね、ばーか!!」
だから、と。
シルア=バルザビードは屈託のない笑顔でこう続けた。
「嫌だって言っても絶対に離れないからねっ!!」
「……、そうか」
しばらく考え込むように目を細めて、息を吐いて、そしてガルノートは口の端を静かに緩める。
やがていつものように屈託のない笑顔を浮かべている彼女の目を真っ直ぐに見つめて、明確にこう言葉にした。
「いくぞ、シルア」
「あ……。うん、うんっ、どこまでもついていくよ、ガルノートさまっ!!」
シルアを戦場に連れていっても弱点が増えるだけで、足手まといにしかならないだろう。それでもガルノートはそばにいてほしいと望んだ。今日この日まで効率的に事を進めて、普通なら手が届かないはずの野望だって叶えられるような残忍な選択肢を選んできた男がだ。
隣で彼女がいつものように笑っていてくれたら大陸だって簡単に統一できると、気がつけばそう思っているのだから、本当シルアには振り回されっぱなしである。
それも悪くないと、そうでないと駄目だと、その気持ちの正体は──
「ああ、俺はシルアのことが好きなのか」
「……っっっ!?」
溢れ出した本音それ自体に恥ずべきことはなかったが、時と場所を考えるべきだった。
歓喜に泣きながら抱きついてきたシルアが『これはもうイチャラブちゅっちゅっ展開待ったなしだねっ!!』と騒ぎ出して、周りの騎士もおめでとう王妃様だなんだと騒ぐものだから大国の軍勢がやってくるまで緊張感も何もなくなってしまったのだから。
何なら大国の軍勢とぶつかる時もここ一年で(王妃だというのに度々王城を抜け出して好き勝手やっていて)すっかりバルザビード王国に馴染んで人気者になっているシルアの喜びの涙に触発されて『王妃様が気兼ねなくイチャラブちゅっちゅっできるようあいつらぶちのめしてやるぜえ!!』『はっはぁーっ! イチャラブちゅっちゅっ前夜祭だこらぁっ!!』とか何とか変な士気の上がり方をしていたのだった。……そのお陰で絶望的な戦力差を覆して大国に勝てたのでは、と全部終わってから振り返ってみるとあながち間違いとも言えず、これまで真面目に暗躍してきたのは何だったのかとガルノートは言葉にできず唸りながら額に手をやったのだった。
ーーー☆ーーー
バルザビード王国軍は王妃のためにと燃え上がった士気から生じる怒涛の勢いとシルアと結婚することで得た一年という時間で仕込んだあらゆる細工でもって大国を攻め落とした。
『なぜだ……。虐げられ、憎しみに囚われた「滅国の女」は手当たり次第に繋がりを引き裂き、破滅を誘発して、国を内側から滅ぼすはずだ。そうなるよう徹底的に傷つけたはずだ! なのに、くそ!! こんなことなら欲張らずにシルアが生まれた時に殺しておけば──』などと口走った大国の王を斬り捨てて、『滅国の女』などという世迷い言に関与した者はどれだけ優秀だろうが利用価値があろうが効率を無視して容赦なく処分して、ガルノートが大国に代わって大陸の半分の支配権を得た。
それから程なくして大陸の全てを支配して、歴史上初の大陸を統一した王として君臨したガルノート=バルザビードは民衆にこう評されている。
大陸を統一した覇王なのに王妃にいつも振り回されているところが可愛げがあって親しみやすい、と。
「……、何でこうなった? 俺は残忍な王だと恐れられていたはずだぞ!?」
「別にいいじゃん。恐れられるより親しみやすいほうがいいよっ」
「いやまあ変に反発されるよりは統治もしやすいが、それにしてもこれは、なんというか、反応に困る」
「まあまあ、そんな気にしないっ。私の夫が嫌われるよりは好かれるほうが気分がいいしねっ」
そんなことより!! とやけに元気にシルアはこう切り出した。
「そろそろだと思うんだよねっ」
「待て、シルア。何で脱ぎ出す?」
「それはもちろん夫婦の営みに洒落込むためだよ!!」
「またお前はそうやって……そんなに焦らなくても逃げやしないから、せめて最初はキスとかその辺から順序立てていくべきだろう」
「え……? それって、つまり!?」
「あの時、俺はシルアのことが好きだと言ったはずだぞ。だから、なんだ。待たせて悪かったな」
言いながら、ガルノートはシルアの唇に己のそれを重ねた。たったそれだけでこんなにもドキドキしてそれ以上に幸せな心地になれるのかと静かに噛み締める。
……『きゃあきゃあキスだよきっすだよーっ!!』と騒ぐシルアのせいで余韻に浸ることもできなかったが、そんな彼女のことを好きになったのだから仕方ないだろう。