反戦歌(その参)
戦争は、個人の体験に還元すると、時に美談となります
誰もが、人を殺したいわけではなく
大切な人たちを守るために、戦争に参加するからです
でも、戦争は美談ではありません
平時とは比べものにならない異常な環境のもと
多くの人は狂っていきます
死にたくなければ、先に引き金を引く
危険の芽を摘むための正しい選択です
仲間のいのちが大切であればあるだけ
敵のいのちを非情な意思で奪わなければなりません
けれども、人間は弱い存在です
他人のいのちを奪うことには苦しみや悔いが伴います
確かな理由がなければなおさらです
だからこそ、為政者も兵士も理屈を積み上げます
侵略は解放であり
いのちの搾取は自衛の手段で
相手は自分たちと違うものなのだと信じようとします
そして、積み上げた正義のもとに、行為はより残虐になります
自分たちの痛みを最低限にするために、効率よく、最大限のダメージを与える
たぶん、それが戦争です
そこには、美談の中で語られることのない
いのちの搾取が効率で語られる地獄があります
〇人の犠牲だけで、作戦を完了した
敵の犠牲は〇人、味方の犠牲は〇人だから我々のほうが優勢だ
ひとりひとりの死と哀しみは、愛する人たちの中にだけあり
それ以外の人たちには見えなくなるのです
僕自身は、とても弱い人間です
だからこそ、間違いなく狂っていく側の人間です
臆病だから、死ぬことも怖いですが
それ以上に、人を殺すことが怖くてたまりません
殺したあと、正気に戻って生きていくことは
もっと、怖くてたまりません
あれは戦争だった、仕方がないんだと
銃弾で弾けた顔の亡霊たちに
謝罪し続けながら生きていくことが怖くてたまらないのです
では、守らなくてもいいのか
大切なものが踏みにじられていくのを、ただ、黙って見ているのか
そして死んでいくのか
そこまで、お前は傍観者なのか
そうです
僕の思考は、ここで行き詰ります
地獄のような苦しみを覚悟して
他人を殺すことを正義として受け入れ、狂っていくのか
英雄という「人間が偽造した神」を信じて
残虐な行為を正当化するのか
それとも卑怯なまま、愛する人たちも救えずに、自らも死んでいくのか
いくら考えても、答えなどありません
どちらにせよ、死ぬまで苦悩と後悔は続きます
だから、戦争など、けして起きてはいけないのです
僕のような臆病者が
臆病だというだけで
生きていくことに絶望する選択をしなくて済むように
消えることのない罪を背負わなくてもいいように
戦争など、けして起きてはいけないのです
少し前に、いくつかの反戦の詩を投稿しましたが、その頃につくっていて、投稿していなかった詩のひとつです。
起きてしまったロシアの侵略。そのロシアとウクライナの姿が東アジアの別の国々に重なるように思えます。重なってしまえば、やがて、この国も飲み込まれてしまうのでしょうか。