台風一過
台風が通り過ぎた後の空は雲の流れが早い。
先程見つけたと思った魚の形の雲はちょっとの間に姿を変えて、今となってはどれが魚だったのかも分からない。
きっと猫の形の雲が食べたのだろう。
今度は……チューリップ、いや、あれは人参か。
男女の間にも風速45メートルの非常に強い台風が通り過ぎた後だった。
きっかけはしょうもない。
本当にしょうもない。
それはどうしようもないことで、諦めるしかなかった。
他に方法が無かったかと言えば嘘になる。
……段ボール。
だが、当然と言うべき男の提案、男の決断は連れの女を不快にさせたらしかった。
女は男よりも数歩先を大股で歩く。
男は間隔を狭めるでもなく広げるでもなく、同じだけの距離を保ちながら女の後ろをついて歩く。
女は両手をぶんぶんと大きく振りながら、ずんずん先へと進んで行く。
男は両手に透明なビニールの買い物袋を提げていて、重いのだろう、両手とも青紫色の血管が浮き出ている。
男の右の袋からは牛乳2本と本みりんとが透けて見え、左の袋からは諸々の食材と6枚切り食パンと6個入りマーガリン入りのレーズンパンと先端が緑色の細長い野菜がはみ出ていた。
「そろそろ機嫌直したら?」
男が言った。
「イ、ヤ」
前を行く女は振り向きもせず、そう答えた。
スーパーからの帰り道、男女は同じやりとりを既に5回は繰り返している。
いつまで続けるのやらと、男は「はぁー」と大きく息を吐く。
ため息。
溜め息。
ぐっと我慢している気持ちとか、あきれた思いとか、手の疲労感とか、男は自分の中に溜まったものが体外に排出されるように、大きく、深く、長く息を吐く。
そして肺の空気が無くなった分だけ、男は大きく大きく空気を吸い込み………………っけほ、けほっ。
むせた。
「っけほ、けほっうっ……けほ、ゴホッゴホッ」
むせた。
「ぇほっごほ、けほっけほっ、ゴホッ」
何か気管に入っただろうか。
「っ、っほ、けほっ、ゴホッホ、ゴホッ」
「……ねぇ、それ、何のアピール?」
「……ッ、ゴホッ……ゴホッ、むせただけっだっよっ、ッホ、ゴホッ」
女は振り向く。
「ねぇ、首に葱、巻いたげよっか?」
「けほっけほっ、絞殺っ、されそうで、怖いわッホ、ゴホッ」
「夕食、卵粥にしたげよっか?」
「っ、あー、はぁー、ゴホッ。風邪じゃねーよ」
男は余程苦しかったのだろう、目尻にうっすら涙が見える。
女はポシェットからハンカチを取り出し、男の涙を拭いてやる。
「……重い?」
「ん、平気」
男はもう同じ質問はしなかった。
男は女の隣を歩く。
先程よりもゆったりとした歩みで、空にはさくらんぼのような雲が浮かんでいる。
男は女の横顔を見ながら、エコバックを持ち歩く決意を胸にした。