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【前編】舌戦、VSグルメ王!

「おフランスのワインは…Fです」


彼がそう言うと、あちこちから歓声が響きわたった。目隠しをし、AからLまでの12のワインの産地を見事に当ててみせたのだ。一問も落としてはならないという過酷な企画であったが、彼はこれをやり抜いた。まるで自然体、あたかも当然のことのようにこなしてみせた。


彼の名は設楽 京平。日本では彼を知らぬ者などいないであろう超有名人だ。今やその名は世界中にとどろき、Shitara(シタラ)といえば神の舌を持つ男を誰もが連想するほどだった。


「あーあ、美味いもの食べてるだけで金が貰えるんだからいいよなあ」


軽井沢はソファーにもたれ、高級牛肉を食べながら愚痴った。


「何も考えずただ食べてるわけじゃない。彼は舌の上で食材と戦っているんだ。それも凄まじく繊細で複雑な戦いを」


「お前に何が分かるんだよ」


ハンサムな色男はマイ箸を取り出すと、高級牛肉をつまみ食いした。


「おい」


軽井沢を尻目に、色男は彼の世界へと入っていく。目を閉じて、まるで何か崇高な調律に耳を傾けているかのような、恍惚とした、それでいて洞察に満ちた表情を浮かべている。彼の言葉を借りるなら、彼はいま戦っていた。舌の上で、高級牛肉と複雑かつ繊細な勝負を戦っていたのだ。



「ねえ、なに食べてるの?」



そこに入ってきたのは里奈だった。彼女は自称大学生で、素性も年齢も分からない。しかし確かなのは、そのうら若い見た目とは裏腹に誰もが羨む大富豪であるということだった。働いているわけでもなく、普段ずっと気ままにしているので誰も金の出所を知らないが、とにかく彼女は並外れた大金持ちだった。


「ああ、田山がさ、勝手にお前の牛肉を食べてるんだよ」


田山と呼ばれたのが、あのハンサムな色男だった。彼は小麦色に焼けた肉体美の持ち主で、彫りが深く長身で筋肉隆々としたその姿は見る者に古代ギリシアの彫刻を思い起こさせた。


「えーっ、そんなのよく食べられるね。とっくに腐ってるよ」


里奈がそう言うと、途端に田山の顔が歪んだ。手で口もとを押さえながら、一目散に駆け出していく。


「で、何の話してたの?」


「いやあ、設楽京平が羨ましいなと思ってさ」


「設楽って、あの神の舌を持つ男ってやつ?」


「美味いもの食って金が貰えるんだぜ、楽しくないわけがない」


「そうかなあ」


しばらくの間を置いて、軽井沢が言った。


「俺もなれたりして」


「え?」


「俺も美食家になれたりして」



「確かに俺はただのニートだよ。だけども、結局どこかに居場所はあるもんなんだよ、人間ってさ」


「その居場所ってやつが、俺の場合、人より見つけにくいところにあるってだけなんだ」


「だから、こういうマイナーなところを責めるべきだと思うんだ、こと俺のような人間はね」



「ご高説どうもありがとう」


「待て!」


里奈がそっけなく言うと、軽井沢はすっくと立ち上がる。里奈の背はモデル並みに高く、手足の長い彼女の横に立つと軽井沢のスタイルの悪さがいやでも強調される。


「別に断るなんて言ってないでしょ。いいよ、協力してあげる」





しばらくして、東京の一等地にとある学校が完成した。カミノシタ育成所と呼ばれたその学校は、ただただ美食家の輩出を目指す特化型の施設だった。凄まじい熱量で展開された宣伝広報活動によって、一期生は二桁の大台に乗った。10人だった。



「このワインの産地は?」


「いいですか?酸味の塩梅が蜜柑の品種を見分けるための取っ掛かりになります」


「今日はチーズについての講義をします。まずは歴史についてですが…」



一期生の舌は、世界中からかき集められた豊富な食材と優秀な講師陣たちによって瞬く間に洗練されていった。言うまでもなく、軽井沢と田山も一期生の一人であったが、もうそこには腐った高級肉に気付かないような馬鹿舌の面影もない。立派に成長した、“戦える舌”がそこにはあったのだ。



「一期生の皆さん。あなたたちが初めてここにやってきたとき、私は正直戸惑いました。こんな人たちが美食家になどなれるのかと」


「だけど、謝らせてください。あなたたちは私の心配をよそに立派に育ってくれました」


「ですから、これからはあなたたちを一人前の美食家として扱います。その舌の確かなことは私が保証しますから、今までの成果をすべて、このトーナメントにぶつけてください」


その言葉をもって、ついに学内トーナメントが開幕した。10人もの一期生たちがぶつかり合い、学内トップを決めようというのだ。


トーナメントとはいえ、まずは10人をふるいにかけることになった。つまり、一つのお題を出し、それをクリアできた人間だけがトーナメント本戦に進めるというわけだ。本戦では抽選で選ばれた二人が競い合い、完全に勝ち抜きトーナメントの様相を呈する。



そして、そのふるいのためのお題として選ばれたのは「高級牛肉、どちらが腐っているか」である。10の高級牛肉があり、そのうち一つだけが新鮮な牛肉で、残りはすべて腐りきったもの。匂いを嗅いでもいいし、場合によっては食べても構わない。とにかく新鮮な肉はどれか当てよというお題だ。


まだ美食家ではなかった頃、軽井沢や田山はその見分けがつかなかったが、今ではもう自信があるらしい。二人は顔を見合わせると、余裕そうな笑みを浮かべた。二人だけでなく、一期生たちからは失笑が起こった。腐った肉を当てることなど、美食家として成長した彼らにとってはもはや難問ではなく、むしろ易問、サービス問題でしかなかったのだ。講師陣も彼らの余裕げな笑みを見て、改めて彼らの成長を実感し、感慨深げに頷いた。



10分後、体育館では勇ましい音楽が流れていた。そして、拍手喝采の中、一人の男がゆっくりと床を踏みしめるように歩いていた。トーナメント優勝者が決まったのだ。10人のうち9人が腐肉を新鮮肉と間違えたため、本戦をするまでもなく優勝者が決まった。9時に開催された学内トーナメントは、予定とされていた17時よりもかなり早く、9時30分に閉幕を迎えた。優勝者は出席番号2番の内田だった。




それからいろいろあって、ついに一期生は卒業の日を迎えた。第1回のトーナメント以降、頻繁に学内大会が行われたが、優勝者はいつも予想だにしない人物だった。前回の優勝者が次は最下位になったり、前回は腐肉を見分けられたのに次は見分けられなくなっていたり。とにかく荒れたトーナメントが続いた。


結局、最後は軽井沢が初の栄冠を掴んで閉幕し、だから彼は生徒代表として選ばれることになった。


「生徒代表、第13回学内トーナメント優勝者、軽井沢 進」


「はい!」



軽井沢は壇上にのぼると、きりりと引き締まった表情で口を開いた。


「思えば、ここに来るまでの私たちは、食事という行為を受動的なものと考えていました」


「でも、今は違います。食事とはすなわち戦いなのだということを、私たちは知っています」


一期生たちは顔を見合わせて、やりきった者だけができる、青春に満ちた表情を浮かべた。


「甘味、酸味、塩味、苦味、うま味、その質と量、種類と強さを見極め、あらゆる知識を総動員して食材の正体を探る」


「いわば、私たちは探偵です。出自の分からない食材を、舌と知識だけで判別しなくてはならない。微かな証拠をも見逃してはならない。これはきわめて複雑かつ繊細な戦いです」


「しかし、今の私たちであればそんな戦場にも繰り出してゆける。あの設楽 京平とも対等に渡り合うことができる、いや、彼を打ち負かすことができる!」



歓声が響く。講師陣、一期生、その誰もが涙していた。この長く苦しかった鍛練の日々を思い出せば、涙を堪えることなどできるはずもない。


そして、ついに彼らカミノシタ一期生たちは卒業した。



「なあ、お前どこに就職するんだよ」


「え、実家帰るんだって?」


「できれば食の道に進みたいよな」



親友たちが語り合うなか、軽井沢と田山の決意はさらに強固なものになっていた。設楽 京平を打ち負かし、世界一の美食家の名声を我が物にする。野望、野心の火はいまだ燃え盛り、二人は立ち上がった。



「いくか、田山」

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