ファウストの過去
目を覚ますと、白い天井が目に入った。柔らかい布団が体にかけられている。そうか、私‥契約の途中で気を失ってしまって‥。
「契約、大丈夫だったのかな。」
呟きながら体を起こす。ものすごく体がだるい。白いベッドに、薬品棚が並ぶ。医務室のベッドに寝かされているらしい。足元の椅子に目をやると、ファウストが腰掛けてうとうとと居眠りをしていた。
運んでくれたんだろうな‥。別々に生きようなんて言って、結局運命共同体になっちゃった。自分のことを好きだって言ってくれたけど‥。
それって‥前世の感情に、引きずられているだけなんじゃないかな‥。
今の彼自身も、本当にそう思ってくれているのだろうか。今の彼と、今の私は会ったのが今日で2回目だ。
いやいや!そもそも私の飼い犬だったから、まだちょっと受け入れられないというか‥考えられないというか‥そんな目で見れない。
推しの天川さんそっくりの人に迫られるってのは、それだけで考えるとおいしいのかもしれないけど。
「ときめいてはいる‥確実に。ただ素直に喜べないなぁ。」
また、さっきの唇の感触を思い出してしまい急に恥ずかしくなった。
窓の外を見ると、シュールな絵面が目に入った。
中庭で、リゲルとカエデがフリスビーで遊んでいる。リゲルはなぜかワイシャツにスラックス、ネクタイをタイピンで胸のポケットに留めていた。
「何あの格好‥。リーマンっぽいけど、あの人がスーツ着てるとホストにしか見えない‥。ホストが犬と遊んでる‥。」
あのホスト、前世だったら人気ナンバーワンくらい簡単にとれるんだろうななんて考えしまった。というより、この世界にスーツなんてあったんだ‥。
「あ、目を覚ましたんですね。良かった。」
後ろから突然声をかけられ、慌てて振り返る。そこには初めて会う男が立っていた。水色の髪。マッシュルームカットの髪型で、眼鏡をかけている。年は30歳くらいだろうか。
「私ですよ。スコープです。」
「えっ?!」
思わず体が揺れる。
「ありがとうございます。あなたが王宮付き占い師の任についてくれたおかげです。危うく死因が老衰になるところでした。」
自分のことをスコープだと言う男はふふっと笑う。全く笑えない。
「今の私にはもう、星の加護を使うことはできません。魔力が残ってないのです。リゲルとの盟も解除しました。解除した時に、肉体を本来の年齢に戻す分だけの魔力が返還されたんですよ。リゲルの厚意かもしれません。まぁそれで、老人のまま過ごした数年間を取り戻せるわけではありませんが‥。」
寂しそうにスコープさんが俯き、言葉を続ける。
「あなたは、私のように老いる心配はしなくていいですよ。私には、魂が絆で結ばれるほど、強い縁の相手はいませんでした。アゼリアさんには、ファウストがいます。これほど、心強いことはきっとないですよ。あ、ちなみに時の契約はちゃんと成立しましたよ。今、リリィ様も休んでいらっしゃいます。」
スコープさんが、まだ居眠りをしているファウストへ視線をうつす。
「彼のこと、まだあまりよく知らないでしょう。私から少し、話をさせてもらっていいですか?」
外から、カエデのはしゃぐ声が聞こえる。私は、私の知らない元愛犬の話を聞くことにした。
13年前。
「ごめんください。お願いがあるんです!」
元気な声の1人の小さな男の子が王宮へとやってきました。薄茶の髪、くりくりとしたかわいい瞳の子どもです。
門番は家に帰らせようとしますが、頑として帰りません。困った門番は、王宮付き占い師に就いたばかりの私と、盟を結んだばかりのリゲルを呼びました。
「スコープ様。子供がどうしても帰らないのです。聞けば、加護を受けるにはどうしたらいいかと‥。子どもには関係がないと言っても聞かないのです。」
私は、彼を王宮の自室に迎え入れました。
「スコープ。この子ども、面白い魂をしてるぞ。前世‥かわいいじゃないか。」
破顔したリゲルに抱えられ、男の子は思わず顔をしかめましたよ。リゲルはそんな事気にも留めず、男の子をたかいたかいしていましたがね。
「僕の名前はファウスト。ファウスト・コルギ・ペンブローク。僕は早く強くなりたいんです。僕の‥僕の大事な人が泣いている。離れてるけど、僕には分かる。早く会いに行きたいけど‥弱い僕に、まだその資格はない。10年も待てないんです!早く加護を受けて、この小さな体でも闘えるようになりたい。」
小さな男の子の願いが、部屋に響きました。
「まだ未発達な体で、加護を受けることは並大抵のことではないぞ。それに、この国では加護を受け、魔力が発動すれば2年以内に仕事に就かないといけない。その覚悟があるのか。」
「なんだって‥やってやるさ。」
リゲルの問いかけに、二つ返事で男の子は答えました。彼のご両親は‥と思い、リゲルに確認しましたが、彼は産まれてすぐ、育児放棄され施設で育っていたのです。同じ頃合いの子供たちとは、うまくやれていないようでした。私はすぐ、王女様を呼びました。
リリィ様の、お母様ですね。リゲルに星の思い出を視てもらい、戦闘特化型、拳の加護を彼に授けることにしたのです。リリィ様のお母様が身罷られたのは、そのすぐ後のことでした。
それからは、王宮の騎士団に混ざって特訓の日々を送ることになったのです。身元も、王宮が正式に引き取りました。リゲルが何かと世話を焼いてましたね。もうお気づきかもしれませんが、リゲルは子どもが好きで、面倒見がいいんですよ。
10歳になる頃には、もうファウストは1人で巡回できるようになっていましたね。魔力もその頃には既に発動していましたよ。元々の性格が好戦的なのかもしれませんが‥彼は自分から好んで目立つ行動をし、敵に飛び込んでいくようになりました。一人前の護衛として任命されるためには、ある程度武勲をあげている必要があります。16歳には隊の指揮を執るようになりました。あぁ、同じ騎士団の中で、仲の良い友人ができたのもその頃でしたね。
あまり、弱みを見せない子どもでした。本当に、最初の出会った時だけでしたね。私たちに何かを頼んだのは。
彼は前世から転生する時に、こう願っていたようです。
「強くなりたい、彼女を守れるだけ強く。彼女の幸せを。そして、できれば今度こそ、彼女と愛し合えるように、自分もどうかヒトに‥と。」
スコープさんが、ふぅとため息をつく。ファウストはまだこくりこくりと居眠りをしていた。
知らなかった。私は私で悩んでいたけど。それ以上に‥彼は悩み、戦っていたんだ‥。急に、自分が情けなくなった。
「どうか、彼の愛情を疑わないであげてください。受け入れろとは、もちろん言えません。あなたの意思も大事ですからね。あなたが本気で嫌だというのなら、私たちもそれなりに対処します。」
スコープさんがきっぱりと言う。わたしの拒否権なんてないものかと思っていたのに。
「あ、これ良かったら。昼食もまだでしたし、落ち着きますよ。」
スコープさんから差し出されたコップを受け取る。匂いからすると、ハニージンジャーだ。冷たすぎず、今の私にちょうどいい。
おいしい。ほっとする味だ。
「ところで‥彼が転生する時に、強くイメージしていたものがあるんですよ。それが、絵で書かれた人形?のようなものなんですけど。ファウストそっくりの人物が‥今外でリゲルが着ているような服を着て、ピースサインを作っているもので。何か、心当たりはありますか?」
カエデの楽しそうな声が、外から聞こえる。
「ゴホッ!ゴホゴホッ!!」
「うわっ、なんだ?!」
私は激しくむせこんでしまった。その声に驚いたファウストが飛び起きる。
「ゴホゴホ‥!」
「おい、アゼリア大丈夫か?」
「今水を持ってきますね。」
ファウストに背中をさすられ、スコープさんは医務室からばたばたと出て行く。
まさか‥まさかこんな所で、前世の私がバックにつけてた、天川さん執事カフェコラボ・ラバーストラップ(10回通ってやっと手に入れたシークレットバージョン)の話が出てくるなんて‥。
多分、事故に遭った時、コブシの目の前に落ちたんだろうな‥。
なぜ私の愛犬が推しの天川さんの姿で転生したのか。その謎はようやく解けたのだが、説明しようにも、できればしたくない‥どう誤魔化そうかしばらく私を悩ませることになった。