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憲法改正と自殺薬  作者: 会川 明
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パターナリズムの侵食-2

階段を降りて、居間の扉を開くとなぜか警察がいた。父と向かい合って座っている。


「何?」


 一体なぜ自宅に警察がいるのか?わたしが部屋に居た一時間程度の間に父がなにかしたのか、驚きと不安でツキミは聞いた。


「何じゃありませんよー、あなたのことでわざわざ来てるんですよー!」


 警察が言った。体の大きな男だった。年は四十ほどで色黒、歯が黄色い。人の家だというのに誰よりも大きな態度で振る舞っていた。ツキミは瞬間的に嫌悪感を覚えた。


「わたし?意味がわかりません」


「は~」


 男はわざとらしくため息を吐くと、目の前の父に言った。


「一体、どんな教育してるんですか。女子供の分際でこの反抗的な態度。市民を守る私達警察に敬意の一つも払えないとは、いや~、驚きましたねー」


「はぁ、すいません」


 父は情けない愛想笑いを浮かべながらペコペコした。


「ツキミ!お前が家族の調和を乱すから、こちらの成川さんにわざわざご足労願って相談にのって頂いているんだ!少しは感謝しなさい!」


「はぁ?」


 男は成川という名前らしいということだけわかったが、他は徹頭徹尾訳がわからないと言って切って捨てたいところだった。しかし、ツキミは自分が不利な状況に現在置かれていることを理解した。


 新家族法の制定時に、より問題になったのは『家庭内不和の未然措置』として家庭への警察の積極的介入を認めるというものだった。


 表向きはDVや虐待を防ぐためという名目であったが、新家族法の理念がそもそも男尊女卑、家父長制的な性格のものであったため、逆に父権の強化を促す結果にしかならないのではないか、そしてそれは政府の家族国家観を補強する目的があるのではないかと一部の有識者から懸念が表されていた。


 また、今後さらに普及が進むであろう自動運転車により警察の主な小遣い稼ぎであるネズミ獲りが出来なくなってしまうので、その代替措置なのではないかというのも巷間のもっぱらの噂だった。警察は一回の出動により『家庭内不和反則金』として前受けで一万円を徴収出来るのである。弱い立場の人々が一万円すら持っていないことは多くあり、警察に相談を持ちかけるのは金を払ってでも警察権力を借りて威厳を保ちたい父親たちであった。


 ツキミは失望に満ちた目で父を見た。


「な、なんだその目は!」


 こんなに小さな人だったとは、ツキミは情けなくなる一方だった。


「まぁまぁ、お父さん。このくらいの子は反抗したがるもんなんですよ。特にあなたのとこはお母さん亡くしたばかりなわけですし」


 この男の口からお母さんの話題を出して欲しくなかった。汚れる気がした。


「けどまぁ」


 成川は立ち上がり、ツキミに近づいていった。


 まるで二足歩行時のクマのような威圧感でツキミとの間合いを詰める。一体どこまで近づく気なのか、気味が悪くなってツキミは本能的に後ずさった。


 成川は理性を感じさせない動物のような顔でツキミを壁際まで追い詰めた。途中、安楽椅子を蹴って進み、キィキィ揺れた。両手を思い切りツキミの頭上の壁に叩きつける。壁が凹んだ。それにも構わず、成川は気味の悪い笑顔をツキミに向けた。


「壁ド~ン」


 気持ち悪さとともに恐怖をツキミは覚えた。総毛立つ感覚を初めて身をもって知った。追い打ちをかけるように吹きかけられる吐息が吐き気を催すような臭さだった。


 ツキミは堪らず横に逃れようとした。


「は~い、逃げないで下さーい」


 成川はツキミの行く手を今度は足で壁を蹴って阻んだ。また壁が凹んだ。


 ツキミは成川を睨みつけた。視界の隅でオロオロしている父と目が合った。


「あ、あの、やりすぎじゃないですか」


 父が上擦った声で抗議の声を上げた。


「お父さ~ん、呼んだのあんたでしょ?なら口出さないで黙って見といてもらえますかね~、自分には自分のやり方がありますんで」


 乱暴な口調で成川がそう言うと、父は黙ってしまった。


「お嬢ちゃん、男を舐めちゃいけないよ。力ずくでどうにでも出来るんだよ、あんたのことなんて。だから女の子らしく、お淑やかにして男に守ってもらわなきゃ。そうやって、昔っから世の中回ってきたんだからさ。女の価値は男が決めてやるんだからよ、そこんところ勘違いしないで、お父さんの言うことちゃんと聞かないと」


 どうやらこの男ははるか昔からタイムスリップしてきたらしい。腐りそうになる肺を守るため、必死に息を止めながらツキミは思った。


「ね~、お父さんもそう思うでしょー?」


 父はぼんやりとした顔で頷く。


「あんたさー、好きな男がいるんだって?」


 父はいったいどこまでわたしの個人情報を喋ったのか、問い詰めたい気持ちと寛に勝手な結婚話を吹き込んだ件もあって、ツキミは父を睨んだ。


「ダメダメ、自由恋愛なんて。そういう個人主義が跋扈してたから、離婚率も高かったんだよ。すべて家長であるお父さんの決定に従わなきゃ。そうすれば、離婚のない幸せな家庭が築けるんだよ」


 このオッサンは何を言っているのだろうか。今は新憲法二十四条により『家族尊重義務』が発生し、離婚がなかなか成立しないというだけではないか。決して幸せな家庭だから離婚しないわけではない。むしろ離婚できないから不幸な家庭は山程ある。


 そのくせ新家族法により男の不倫は許され、女の不倫は許されずに懲役刑だ。さらには『家族尊重義務違反』に加えて『憲法尊重義務違反』として二重の罰金刑まで妻側にのみ課されるのだ。この不公正な社会はなんなのか?目の前の男はそんな醜悪な社会を象って出来たような人物のようだった。


「家族がきちんと統制されて、初めて国家も統制されんのよ。勅語でも習ったろ?全く、お父さん、ちゃんとやってくれなきゃ困りますよー」


 父ははぁ、と冴えない返事をした。


「はぁ?ハー、どうしようもない親子だなぁ。やはりきちんと統制されていない家庭は反動分子の苗床なのだなぁ」


 全くサヨクの連中は、などと成川は他人の家で好き勝手なことを宣うのだった。


「息が臭いんで離れてくれますか」


 ツキミは偽らざる本音を言った。震えそうになる体に力を込めた。腐れた思想も聞くに堪えない。今すぐ家から出て行ってほしかった。


「ハハッ、本当にどうしようもない」


 成川は一瞬凶悪な面相になった。しかし、すぐにヘラヘラと笑い、ツキミから離れた。


「こうまで頑なに公務を妨害されては仕方がない。どうやら彼氏にもゆっくり話を聞く必要があるようですね。確か斉藤寛君て名前でしたね。お父さん?」


「はぁ、まぁ、そうですね」


 ツキミはもう父を見なかった。今は寛に差し迫る眼前の脅威の方が重要だった。


「別に彼氏じゃないです。無関係です」


「そんなことはないだろー。女は男で変わるもんだよ。いつだって同じさ」


 卑しい笑いを浮かべて成川はツキミの全身を舐め回すように見た。このオッサンにとって、女とは主たる人格をもたない男の付属品のようだった。


「まぁ、寛君には署に来てもらって何日間か話をつきっきりで聞かせてもらうよ。具体的にはやはり『家族尊重義務違反』と『憲法尊重義務違反』かな」


 新憲法百二条、第一項により国民に『憲法尊重義務』が発生した。そして第二項によりすべての公務員は『憲法擁護義務』を負った。つまり、国民はどんなに不公正な憲法だとしても、一切のケチもつけずに大切なものとして新憲法を遵守しなければならず、国家権力側は不公正から流れ落ちてくる権益をその強大な力で、ただ己のものとし守り続ければ良いというわけである。


 本来憲法とは国家権力を縛るためのものであった。しかし、約十五年前の改憲により反対に国民が縛られるようになってしまった。さらには、国民にのみ罰則規定が付けられる始末だった。


 しかし、多くの国民は毎日を生きるのに精一杯だった。いつのまにやら鎖が一重増えようとも気にするものはいなかった。そして気づいたときには足首に鉄球が着けられているのである。それは本人だけでなく、次の世代にも自動的に着けられる。


 国家においては権力者側が国民を虐げ、家庭においては父が母子を虐げる。LGBTは存在を否定され、障害者や老人は自殺薬を飲まされる。数多の不平等、不公平、不公正と差別によって社会は構成されている。


 強いものが弱いものを虐げ、弱いものはさらに弱いものを虐げる。弱いものがさらに弱っている者を助けなければ、社会は良くなるはずはないのに。


 そこにあっては母の大切にしていた自由や平等、公平、愛は儚い幻のようにツキミには思われた。いわんや母の死んだ今では、確かにこの家庭に咲いていた一輪の花も枯れてしまった。


 ツキミはすべてのことが嫌になって、自暴自棄になってしまいたかった。しかし、それでもこの醜悪な世界で唯一の愛する者を酷い目にあわせる気にはなれなかった。


「ハハッ、寛君は立派な反動分子だ。学校は退学だし、今後の進路も暗いものとなるだろう。けどまぁ、仕方ないよね。悪いことしたんだから」


「お父さん、わたし、結婚します」


 ツキミは父に言った。


「ほ、本当かい?」


「ええ」


 ツキミは短く答えた。


「本当ですかぁ~?」


 成川が蛇のような目で言う。


「ええ」


 さらに成川は腐臭を放ち、ツキミに向かって言い放つ。


「もしも寛君と逃げようなんて思ってるんなら、無駄だから辞めたほうがいいよ~。国中に監視ネットワークが敷かれてるから、すぐ捕まえられるから。そしたら、たっぷり教育することになるからねぇ~」

 ツキミは表情を一ミリも動かさず、口だけ動かした。


「理解ってます」


 成川がツキミのことをドブのような色をした黒目で覗き込む。


 しかし、ツキミは何の反応も示さなかった。


 一瞬の空白の後、成川は父の方を向いて、破顔した。


「良かったですね~、お父さん。やっぱ聞き分けのない子にはガツンと言ったれば良いんですよー」


 父は高速で何度も頷いた。


「ええ、ええ、ありがとうございました。あの、それではコレ、」


 父は成川に茶封筒を渡した。成川はその場で中身を確認し、満足そうに鼻の穴を膨らました。反則金は事前に払っているから、いわゆる謝礼金だろう。


「いや~、良かったですよー、これでウィンウィンですね!それじゃあ、君も皇国のために産めよ殖やせや頑張ってね、きひひ」


 黄色い歯を全開にして成川は笑い、家から出ていった。


 残された二人の空気は重かった。当然ツキミから父に何か言いたいことはもう無かったし、父は父で今更ながら情けない、というかダサい自分を娘に見られて恥ずかしがっている様子だった。


「あー、はは、何だかすごい人だったね」


 ツキミは答えない。壁に空いた穴を見ていた。


「まぁ、しかし、言ってることは正しかったな。これに懲りて、お父さんの言うこと聞くように。きっとそれがお母さんのためにもなるから」


 ツキミは自然と自分の眉間に力がこもり、奥歯がきしむのを感じた。実の父とはいえ、殺してやろうかと思った。どう考えたらあの母が、自分の娘を見ず知らずの二十以上年上のオッサンに無理やり嫁がせることを望むというのか。


 父を殺して、自分も死ぬというのはなかなか良いアイデアのようにも思えたが、原因を寛に求められたらたまったものではない。ツキミは仕方なく自制した。


 その時、家の呼び鈴が鳴った。


「あ~、誰かな?」


 父が玄関に向かう。


 これから自分はどうなるのだろうか?ツキミは未だに壁に空いた穴を見つめていた。家に三つ暗い穴が空けられてしまった。


 一つは母、もう一つは父、最後はわたし。もうこの家は終わってしまった。強大で醜悪なものに、大切なものを奪われてしまった。そうして、自分も醜悪なものに成り果てるのだ。まるで、それは墓から蘇るゾンビのように、魂のない存在だ。


「帰ってくれ!ツキミは結婚するって言っただろ!」 


 とりとめのない思考は父の声で中断した。


「待ってください!ツキミに会わせてください!」


 寛の声だった。連絡がつかないツキミを心配して、家に直接来たのだ。


「ツキミ!大丈夫か?生きてるなら返事してくれー!」


 はは、生きてるよ。死んでるって思ったの?バカだなあ、そんなわけないのに。ツキミは一人きりで凍えそうだった心に温かなお湯が注がれたような気がした。


 幸せを噛みしめるように、目をつむり、壁にもたれて深呼吸した。寛がいるだけで周りの空気が浄化されていく気がする。冷たくなっていた指先にまで血が通っていく。世界は色づき、視界はクリアになっていく。


 これまで寛の存在が自分の存在を確かにしてくれていた。それは自分の幸福の形を知るということであり、多くの幸福ももらった。


 だから、寛の幸福を願いたい。そのためには、自分はもうそばにいられない。


 ツキミは覚悟を決めた。大丈夫。やせ我慢なら慣れてるから。


 居間からツキミは姿を現した。


「ツキミ!良かった!生きてた!」


「わたし、結婚するから」


「えっ」


「ごめんね。黙ってて悪かったけど、最近疎遠だったでしょ?そういうことなの」


「そういうことって、えっ、どういうこと?」


「だから、もう、寛のこと好きじゃないってこと。てゆーか、やっぱお金ないとね。仕方ないよね。こういうご時世だもん」


「嘘でしょ」


「嘘じゃない。もう日取りだって決まってるんだ。結婚式には寛も来てよね」


 そう言って、ツキミは微笑んだ。


 もちろん嘘だ。父まで驚いた顔をしている。けど、良かった。寛はこっちしか見ていない。


 寛はショックを受けた様子で、それでも言った。


「だって、ツキミ、そういうの嫌いじゃん」


「そういうの?そういうのってお金のこと?そんなことないよ。お金は大事。愛とか自由とか平等とか公平なんかよりも全然大事」


 寛は信じられないものを見たという顔をしていた。


 それでも、口の端から声が漏れ出た。


「二人で約束した、プロポーズ、」


「アハハ、あんなの子供のお遊びだよ。本気にしてたの?ありがと、楽しかったよ。バイバイ」


 寛は茫然自失とした様子で大人しくなってしまった。少しは同情したのか父が寛の肩を叩き、玄関のドアを閉めようとした。


「あー、自殺薬はお互いこのまんまでいいよね、めんどくさいし」


 ツキミは二階に上がる階段の途中、寛に背を向けた状態でそう言った。


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